れすぃむり るーずなーめむ

一個研究現代東北回民史之人的日常記録。

かみのはなしなど。

2013-05-15 05:19:45 | Gunlerimden
こんにちは。

こちらも一年もの間放置してしまっていたワケですが、久方振りに投稿してみようかと。

半年ほど前にナガラに注文していながら、すっかり忘れていたこれが先週届いたので、
随分前に東洋文庫で複写した原著の一部分などを引っ張りだし、付き合わせて見たりなどしているのですけれど。
前に読んでいた時は特に気に留めるまでもなく流していた一文が、ちと気になりまして。


該当する箇所は、著者が日本からの帰途、清朝末年の瀋陽を通った際に見聞きした部分。
金曜集団礼拝の為、清真南寺と思しきモスクを訪れた著者は、
水房子(浄めの場所)の快適さを賞賛する一方で、当地回民のクルアーン読誦の拙さをくさしたりするのですが、それに続き、
「…中国人はみな礼拝専用の帽子を持っており、礼拝に立つ時には弁髪をその帽子の下に入れる。ターバンは学者と学生だけのものである。
 ターバンにしろ、その帽子にしろ、ただ礼拝専用であるにすぎない。モスクから出てきた時の様に民族帽をかぶってしまうと、異教徒の中国人もムスリムの中国人も見分けがつかない。」(p.490)
などと書かれておりまして。

「辮髪」と訳した語は、原文ではuzun saçすなわち「長髪」とのみ記されているだけですけれど、
この後に彼が北京通過時の記録として、わざわざ「中国人の髪」なる項を立て、
「中国人の髪はもともと左程歴史があるものではない。満洲皇族に臣従するしるしとして、二百年程前に政府が公に布告し、後に段々と慣習となったのである」
と書いていることから、まあ「辮髪」と理解して相違なかろうかと。

清朝期の回民が辮髪を帽子の中に入れて礼拝していた、なんてことを記しているのは、
管見の限りではこの本ぐらいじゃないかと。…いや、ホント私が知らんだけで、他にも有るのかもしれませんが。
現地の人間にとっては「当たり前」であるがゆえに、特に記されることもないまま忘れられていくことも多いことを思えば、
如何に瑣末なことであれ、こうした「外部者」の記録というのは、往時を知るよすがの1つなのでしょうね。

にしても、辮髪を押しこめるくらい余裕のある帽子って、いったいどんなシロモノなのでしょうか、
少なくとも、現今あちらの回民が着用しているカタチのモノではないような…。
所謂老照片の類も、殆どは民国期に入って撮られたヤツですし。
現物が残ってたりするのでしょうかね。有るものなら一度見てみたいかも。

それでは。