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グルーの逆説-1-

2010-03-21 06:47:19 | 数学基礎論/論理学
-----参考文献-------------
1) ウィリアム・パウンドストーン;松浦俊輔(訳)『パラドックス大全-世にも不思議な逆説パズル-』青土社(2004/9/30) ISBN-10 479176143X
2) 富永裕久『図解雑学パラドクス(図解雑学シリーズ)』ナツメ社(2004/02) ISBN-10 4816336915
3) 戸田山和久 『科学哲学の冒険―サイエンスの目的と方法をさぐる(NHKブックス)』日本放送出版協会(2005/01) ISBN-10 4140910224
4) 英語版ウィキペディア、"Grue_and_bleen""Nelson_Goodman"
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 アメリカの哲学者ネルソン・グッドマンが1953年に提起したという「グッドマンのグルーのパラドックス(Goodman's grue paradox)」と呼ばれる逆説があります。これは帰納法についての逆説で、一番ポピュラーな形はref-1,3で紹介されているものです。またウィキペディアの記事では、短い記述の中で要点も含めて簡潔にまとめています。私は最初、何が逆説の要点なのか理解できませんでした

- グループリーンの逆説 (ref-1に従い記述) -
 グループリーン語を話す宝石商がいる。グルーブリーン語には、グリーンおよびブルーという色を表す語はない。代わりに「グルー」および「ブリーン」という語がある。これらの語は英語に置き換えて言えば次のように定義できる。2999年12月31日の24時以前はグリーンで、その後はブルーであれば、それはグルーである。2999年12月31日の24時以前はブルーで、その後はグリーンであれば、それはブリーンである。
 現在(例えば2050年とする)までに多数のエメラルドを調べた結果からグループリーン語を話す宝石商は「全てのエメラルドはグルー」と推論する。同じ結果から英語を話す宝石商は「全てのエメラルドはグリーン」と推論する。どちらも帰納法を正しく使っているにもかかわらず、3000年以降はどちらかが事実と異なる。
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 オリジナルでは「1999年12月31日の深夜12時以前」ですが、宝石商達が推論したときより未来のある時点ということが要点らしいので2999年としました。またref-3ではグルーの定義を「2999年12月31日までの緑色のものと、3000年1月1日以降の青いものに当てはまる言葉」(数値は変えた)としていて、ref-1と微妙に違います。またウィキペディアの記事では「2050年までに初めて観察されたものについては緑(green)を指し、2050年以降に初めて観察されたものについては青(blue)を指す」と【初めて観察された】という条件があります。これは結構重要かも知れません。が、ほとんどはref-3と同じ形です。

 私が最初にじっくり読んだのはref-3のもので、その時の私の反応はこうでした。「3000年1月1日より前にグルーであったエメラルドは3000年1月1日以降はブリーンになる。グルーブリーン語ネイティブの宝石商はそう言う推測をするはず。どこがパラドックスなんだ?」

 なおref-2ではグルーの定義は「それが緑であり人の目に触れているもの、あるいは、青であり人の目に触れていないもの」です。この想定なら私はまだ受け入れることはできました。逆に言えば、この想定がref-1やref-3の想定と同じ構造の逆説であるとは考えにくかったのです

 さてref-1での表現では「3000年1月1日より前はグリーンで、それ以降はブルーに変化する"もの"をグルーとする」とも読めます。その場合の私の反応はこうです。「3000年1月1日より前はグリーンのものはそれ以降はブルーに変化する"もの"と変化しない"もの"が考えられるのでグルーとブリーンだけでは単語が不足する」というものです。しかしref-1でもそういう解釈ではないようです。

 ref-1によれば、グルーブリーン語人の宝石商も「3000年1月1日より前にグルーなら3000年1月1日以降もグルーだ」と推測するのです。グルーブリーン語人も英語人も同様に「空の色は明日も今日と同じである」と信じ、同様に帰納法を使うのです。となると英語人の推測とグルーブリーン語人の推測が3000年1月1日以降は食い違うことになる、というのが逆理だというわけです。では実際に3000年1月1日には何が起きるかというと、ref-1では4つの可能性を挙げています。

1. 空がグリーンになり、草がブルーになっている。「グリーン」は正確な言葉ではなく、「グルー」が正しかったことがわかる。
2. グルーブリーン語を話す人々が目を覚まして、空(相変わらずブルー)がブリーンからグルーに「変わって」いるのを見て「驚く」。
3. グルーブリーン語を話す人々は、前の晩、「変化」を予想しきって床につくことができる。それは夏時間や時差に備えて時計を合わせなおすようなものである。
4. グルーブリーン語を話す人は、「変化」を認識しないかもしれない(「グルー」や「プリーン」の定義にある時間に関する条項を理解できないことによって)。

 4の状況は未だに理解できませんが、3は私が最初にref-3を読んで想定した状況です。この場合はグルーブリーン語人は「3000年1月1日以前に調べたエメラルドが全てグルーだったら、3000年1月1日以降に調べるエメラルドはプリーンであろう」と推測しますから逆理にはなりません。

 1と2の状況は互いに対称的ですが、どちらかの人達にとっては「空の色は明日も今日と同じである」という斉一性が破れるという恐ろしい事態です。そしてどちらが正しいのかは3000年1月1日が来るまではわからない、というのがどうやらグッドマンの逆理の本質らしいのです。この事情をref-3では「たしかに明日になればどっちかの仮説が間違いであることが分かるけど、今日の時点ではどちらの仮説も同じように確証されちゃって、互いに矛盾する二つの予言が立ってしまう。こんな風に、予言を一つに絞れなくなるというところが問題なんだよ。」と表現しています。ただしグッドマンの逆理の本質は「斉一性の成立の不確かさ」ではなく、「帰納の原理の中には使う言葉についての規定がないため、グリーンを使った予言は良いがグルーを使った予言はいけないという理由が言えない」ということなのだとしています。ref-1もグッドマンの逆理はカテゴリー問題、つまり使う言葉でどんなカテゴリーを表していれば良いのかという問題であるとしています。

 帰納してよい述語を「投射可能(projective)な述語」、そうでない述語を「投射不可能(nonprojective)な述語」と呼びますが、ある術語が投射可能であるかないかを決める原理がわからないのが問題なのだ、というのがref-1とref-3の見解です。なおref-1ではプロジェクタブル(projectable)であり、訳語は「拡張可能」とされています。またprojectableは「述語」ではなく「属性」の性質としています。
 投射可能か否かを決める原理を明確にすることは困難だとはしても、具体的な属性なり術語を持って来てその意味を考えれば投射可能か否かは割りとすぐにわかりそうです。グルーとブリーンもそうだし、「調査済みである」という属性もref-1とref-3で投射不可能な例として示されています。逆に言えば、術語の意味さえ考えれば投射可能か否かは決められるのだが個別術語の意味を考慮せずに、というか個別術語の意味によらずに投射可能か否かを決めようとしたところにグッドマンの逆理の原因がある、ということになりそうです。ref-3で文パラダイム(科学理論を文の集まりと考えて考察するやり方)が拙かったのだと主張しているのは同じ考えに思えます。ref-1では「グッドマンの謎は、帰納に関する考えを根本から変えた。グッドマンは、言語の中に収まる用語は「定着(エントレンチメント)」していると言った。グリーンを表す言葉があって、グルーを表す言葉がないのは、一方は世界のあり方に合い、他方は合わないからである。」と述べています。世界のあり方に合うような意味のある術語を使わないといけないということでしょう。「帰納に関する考えを根本から変えた」というのは、それまでは使う術語の意味は帰納法の妥当性には影響しないと考えられていた、ということなのでしょう。

 私の考えでは、そもそも帰納法を使うには個別事例についての命題の真偽が判定できることが必要です。帰納法とは個別事例の真偽から一般則の真偽を判断しようとする方法だからです。そして個別事例についての命題の真偽は、その命題の【意味】から判定しなくてはなりません。命題が意味を持たない単なる文であったら、その真偽は判定できません。これは人間が思考する時、少なくとも私が思考する時には意識しないくらい当たり前すぎて、グッドマンの逆理を考えるときも自動的にグルーの意味をグリーンとブルーの意味から判定していたので、どこがパラドックスなのか私には理解できなかったのだと思います。

 かって人工知能研究において、論理的推論プログラムだけで人工知能を作ろうとしてもなかなかうまくいかず、結局知識も大切であり、知識ベースというものが必要であった、と判明したことがありましたが、そのことを思わせます。確かに、【意味】から判定するというためには、使われる言葉に含まれる多くの背景知識をも考慮して判断する必要があります。判断のための少数の文で事足りる原理などはないのです。


                 --続く--

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