錆びた薔薇 18番

2017年05月23日 | 十四行詩









薔薇が廃車置場のフェンスで
赤々と錆びている
パンクして無に還る軽トラの
フロントガラスに夕日が落ちている

錆びた薔薇が一つ崩れると
目の奥に一つ音が鳴った
あれはもはや薔薇ではない
一つの変転する非対称である

流れたのは時間ではない
出来事である 軽トラの荷台に
薔薇の蔓が伸びている

最初の錆びた薔薇が
荷台に花開くとき
痛みに色があることを知った







道 17番

2017年05月23日 | 十四行詩






     


            四十雀天は奥あるところかな







その道はいまでも覚えている
十年くらい前 夢に見たなつかしい道
丘の見える少年たちの自転車の道
田の中のアスファルトを奥へ奥へ 

いつのまにか夕日の古墳である
いっしょにいた友だちはいなくなって
一人きり 欅の若葉が風に揺れると
四十雀が高く啼いた 天の奥 奥の光

それは少年の心へ入ってきた現実なんだが
夢の方をいまではよく覚えている
どこかで水が光っている

あの道は もうない
あの光は もうない
あのわたしは もういない









財布 16番

2017年05月23日 | 十四行詩






   
とびとびの五日間 財布を忘れた
さすがに それはまずいだろう
昼飯も食えないし
夕刊だって買えない

オレもとうとう認知が入ったか
そう思ってよくよく考えてみた
なぜ 財布を忘れるのか?
答えは簡単だった

金が入っていない 小銭しか
財布に入っていないから
心の中の財布は いつも

軽い 軽い 軽い 羽が生えて
蝶々と一緒に野原を飛んでいる
そりゃ捕まらんわけだ









kein ort aber krähengelächter(7)

2017年05月07日 | Romie Lie











von fremden
in die hand gedrückt
ein federnglanz
seine farbe in den mund
genommen bis krächzen
aus unsrer kehle
bricht
tief winterlich



kein ort aber krähengelächter, 2015 von Romie Lie





見知らぬ者たちから
手に握らされた
一つの弾む輝き
その色を口の中へ
入れる われわれの喉から
突然 真冬のような
咳が
出るまで




ロミー・リー著 連作詩『どこでもない場所、だが鴉は大笑い』(2015)から






kein ort aber krähengelächter(6)

2017年05月07日 | Romie Lie





verloren
im rabenstaat

an
einem pfosten
lehnt stille

der himmel ist
kein ort

schon schneit es
ins gezweig


kein ort aber krähengelächter von Romie Lie




鴉の国で
失われた

一本の柱に
寄りかかる
静寂

空は
どこでもない場所

枝にはもう
雪が降っている


ロミー・リー著 連作詩『どこでもない場所、だが鴉は大笑い』から










UNE VOIX de YVES BONNEFOY, 2008

2017年04月28日 | Yves Bonnefoy






UNE VOIX





Tout cela, mon ami,
Vivre, qui noue
Hier, notre illusion,
À demain, nos ombres,

Tout cela, et qui fut
Si nôtre, mais
N'est que ce creux des mains
Oû eau ne reste.

Tout cela ? Et le plus
notre bonheur :
L'envol lourd de la huppe
Au creux des pierres.





Et puisse être le ciel
Notre façon d'être,
Avec ombre et couleurs
Qui se déchirent

Mais dans la hâte même
De la nuée
Ont visage d'enfant
Qui vient de naître,

Foudre qui dort encore,
Les traits en paix
Souriante comme avant
Qu'il y ait langage.




Les Planches Courbes...
クリエーター情報なし
Gallimard



一つの聲      イヴ・ボンヌフォア





               

これですべて、恋人、
生きること、それは、きのう、
われらの幻想を束ね
あす、われらの影を結ぶ

これですべて、これはたしかに
われわれのものだったが、
水がとどまらないのは
この両手の窪みだけである

これですべて? われわれの
最大の幸福
それは石また石の窪みへ向かう
ヤツガシラの重い飛翔である








そしてわれわれの存在は
空であっていい
影と色彩は
引き裂かれているのだから

だが大きな雲の
迅速さそのものの中に
生まれたばかりの
赤ん坊の顔がある

ふたたび静まり返る雷
平和な表情
まるで言葉が存在する
前の微笑み


一つの聲(詩集『曲がった板』2008年から)


※ Yves Bonnefoy(1923-2016)、フランス、トゥール生まれ。
哲学を学び、一時シュールレアリスムの影響を受ける。1953年詩集「ドゥーヴの動と不動について」を出版して注目を浴び、批評家モーリス・サイエにより激賞された。詩論集やシェイクスピアの翻訳、さらに中世壁画の研究書やイタリア・ルネッサンスの美術についての美術論なども手掛け、多才な詩人として知られている。’58年発表の詩集「昨日は荒涼として支配して」はヌーベルバーグ賞を受賞した。他の著書に、詩集「文字に書かれた石」(’59年)、「閾の罠のなかで」(’75年)、詩論集「ありうべからざるもの」(’59年)、「マントヴァで見た夢」(’67年)、「赤い雲」(’77年)、評伝「ランボー」(’61年)、美術評論「ゴシック期フランスの壁画」(’54年)、「ローマ1630年、初期バロックの地平」(’70年)、「バロックの幻想」などがある。’81〜93年コレージュ・ド・フランス教授を務める。俳句にも関心が深く、「俳句の翻訳は可能か」、「俳句、短型とフランスの詩人たち」といった俳句論も書いている(『フランスの俳句 詩と音楽』2011年 所収)。2000年第1回正岡子規国際俳句賞大賞を受賞。













Rätsel von Hans Magunus Enzensberger, 2009

2017年04月22日 | Hans Magnus Enzensberger






Rätsel(Hans Magunus Enzensberger)




Ein Meer größer als das Meer,
und du siehst es nicht.

Ein Meer, in dem du schwimmst,
und du spürst es nicht.

Ein Meer, das in deiner Brust rauscht,
und du hörst es nicht.

Ein meer, in dem du badest,
und du wirst nicht naß.

Ein Meer, aus dem du trinkst,
und du merkst es nicht.

Ein Meer, in dem du lebst,
bis du begraben wirst.


Rebus, Gedichte. Suhrkamp verlag Frankfurt am Main 2009

Rebus
クリエーター情報なし
Suhrkamp Verlag Ag





謎(ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガー)




一つの海は海よりも大きい
なのに、おまえは見ていない

一つの海、その中でおまえは泳ぐ、
なのに、おまえは感じない

一つの海、それはおまえの胸の中で音を立てている、
なのに、おまえは聞いていない

一つの海、そこにおまえは入浴する
なのに、おまえは濡れない

一つの海、それをおまえは飲む
なのに、おまえは気がつかない

一つの海、そこにおまえは生きている
おまえが埋葬されるまで

(詩集『判じ絵』2009年から)

※ ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガー

1929年、シュヴァーベン地方のカウフボイレンに生まれる。エアランゲン、フライブルク、ハンブルク、ソルボンヌの大学で文学と哲学を学び、1955年にクレメンス・ブレンターノの詩をテーマにした論文で博士号を取得。1955年まではシュトゥットガルトのラジオ局に勤めた。作家としては47年グループに参加して作品を発表、また編集者として『Kursbuch』『Die Andere Bibliothek』などに関わり、月刊誌『TransAtlantik』の創立者となった。彼自身の作品は40以上の言語に翻訳されている。詩は皮肉や風刺を用いて市民の不安を表現するような社会批判的なものが多い。例えば「中産階級のブルース」では、様々なタイプの中産階級の生活が、「不平を言うわけにはいかない」「僕らは何を求めているのか?」といったフレーズを繰り返しながら描かれている。詩、エッセイのほかにも小説、映画、演劇、ルポルタージュなど様々なジャンルで活躍しており、いくつかの子供向けの本も著している。2009年6月、スペイン政府よりスペイン芸術文学勲章を受勲し、Excelentísimo Señorとして遇されている。













響き 15番

2017年03月26日 | 十四行詩






響くのは音ではない 響くのは
言葉ではない
金雀枝が響く 木洩れ日が響く 夕焼けが響く
山が 川が まなざしが 響く

裂け目が響くように 沈黙が響くとき 
時が響いているのである
冬の波のような痛みが響くとき
過去が響いているのである

シフはバッハの響きになった
アファナシエフは三十一番の響きになった
わたしが響く 死が響くように

それが響き始めたとき
それが響いている場所
それはひとりの他者である







流れる 14番

2017年03月22日 | 十四行詩






流れる 初夏を流れ 花を流れる
山が流れるように 過去を流れる
幼稚園の子どもたちの聲が きょうは
よく響く ふるい天井の白い花びら

響くまで間のある聲また聲
そんな夏の大きさは
音の見える畏れとも
夏椿の白さとも 

去来するものはなにもなかった
身の丈に まだなじんでいない
この世 この世

大きくあくびをして
気がつけば カフェのソファーの中の
物憂い中年男である






 

みどりの本 13番

2017年03月12日 | 十四行詩






みどりの本が 郵便局の
「返さなくていい図書館」の
古い棚に一冊あった
みどりの本はみどりの文字で書かれている

もう だれも
みどりは読めないから
埃をかぶって
長いあいだそこにあった

木陰から出てきて
火で争うひとたちと
海から上がってきて

水を争うひとたちが
この古びた棚で出会って
いま 黒い文字を作った







青の破局 12番

2016年11月13日 | 十四行詩






   



冬天に見つめ返され
耳まで青い
眼の中の青 青の中の眼
その一点がみるみる鳩になる

鳩は 続けて飛んでくる
一羽は光の粒子を羽ばたき
一羽は冬の草をくわえて
それでも この破局は始まったばかりである

かつて 破局は
二〇〇年続いた と
ウォーラーシュタインは言う

いちじるしい あやうさ
はれわたりたる
この 青の あやうさ




※ 最終連は八木重吉の詩「朝の あやうさ」引用・コラージュ







kein ort aber krähengelächter(5)

2016年11月11日 | Romie Lie






schneelicht
flüchtig

an wolkenrändern
die gaukler

und das summen
von samen

verworfen
alle deutung





kein ort aber krähengelächter von Romie Lie








雪の光は
はかない

だるま鷲が
雲に縁取りをしている

そして種子の


すべての解釈は
拒絶されている


ロミー・リー著 連作詩『どこにもない場所、だが鴉が笑う』から




Paul Celan (14)

2016年11月11日 | Paul Celan




FLÜGELNACHT



Flügelnacht,weither gekommen und nun
für immer gespannt
über Kreide und Kalk.
Kiesel, abgrundhin rollend.
Schnee. Und mehr noch des Weißen.

Unsichtbar,
was braun schien,
gedankenfarben und wild
überwuchert von Worten.

Kalk ist und Kreide.
Und Kiesel.
Schnee. Und mehr noch des Wießen.

Du, du selbst:
in das fremde
Auge gebettet, das dies
uberblickt.







翼の夜



翼の夜が 遠くからやってきた そして今度は
永遠に翼を拡げた
チョークと石灰の上に。
小石が 奈落へ転がってゆく。
雪。そしてふたたび白の。

見えない
褐色に見えたものは
思想の色そして荒々しく
言葉が繁茂している。

石灰が存在しチョークも存在する。
そして小石も、
雪。そしてふたたび白の。

おまえ おまえ自身が
他人の眼の中へ祈った その眼は
すべてを見ぬいている。





■この詩は、最終ブロックのdies(これ)がなにを指すのか、すこし迷いました。はじめ、duかとも思いましたが、それなら、4格dichでないとつじつまが合いません。幸い、このテクストは、ツェランのフランス語訳がついています。それで確認すると、embrasse tout ça d'un regard「このすべてを一目で見て取る」、となっていました。tout(すべて)を入れてメリハリをつけているのですね。そこで、日本語でも、そのニュアンスを生かすことにしたわけです。

この詩は、おそらく、ツェランの収容所体験が反映されているのでしょう。色に注目すると、チョークや石灰、小石、雪、褐色の思想の色といった白とグレーと褐色で統一されていることがわかります。きびしく悲惨な冬の収容所の風景を色でも表現していると言えるのではないでしょうか。






Georg Trakl: Passion

2016年11月06日 | Georg Trakl






熱情   ゲオルク・トラークル


オルフェウスが竪琴を銀色に奏で
夕べの庭で死者を悼んでいるとき、
高い木々の下で安らう者よ おまえは誰なのか。
秋の葦がさやいで嘆きの音を立てている。
青い沼は
芽生えの木々の下で息絶えて、
妹の影を追う。
奔放な種族の
昏い愛。
黄金の車に乗った昼が轟音を立てて飛び去る。
静かな夜。

暗鬱な樅木の下で
二頭の狼が石のように抱き合って
その血を混ぜた。
雲が
小橋の上で金色に消えた。
子ども時代の忍耐と沈黙。
ふたたび 華奢な屍が
トリトンの沼で会う、
そのヒヤシンスの髪の中でまどろみながら。
この冷たい頭がはやく砕けてくれますように!

いまも一頭の青い獣が
たそがれゆく木々の下を 眼光らせながら
さらに昏いこの径をたどっているから。
夜の快い響きに眠りを忘れ
柔かな狂気に心奪われて。
そして 昏い恍惚に満ちた
この弦の響きは
石の都会で罪を贖っている女の
冷たい足元に届いていたから。







Antonin Artaud (2)

2016年11月06日 | Antonin Artaud





アントナン・アルトー(1896-1948)



Ce qu’ils prennent en moi n’est pas moi
ni rien,
c’est l’entrelacs biseau
de l’irruption de vivre
où se forme ce monde cha
fouin, suturé de faux, entre glace, fil et carreau,


et le corps est ce qui de cette
douleur déroutante se sera
tiré vivant et permanent.



連中がわたしの中に見ているものは、わたしでも
なんでもない
それは生の乱入で錯綜した斜面である
そこでこの世界は作られている
氷と糸と窓ガラスの間に、虚偽で繕われた陰険な世界が


そして身体とは、この
困惑する痛みから
生命と永遠性を救い出すものなのだろう




※ この詩はいくつか難しい点があります。一つは、 l’entrelacs biseau/ de l’irruption de vivreという二行です。これは、「生の乱入で錯綜した斜面」と訳出しましたが、これで良いかどうかは、まだ検討の余地があります。朗読会で、この箇所のわかりにくさのご指摘を受けて、きょう、あらためて考えてみたものです。しかし、まだ、よくわかりませんね。もう一つ、この詩で難しいのは、cha/ foinと二段に分けて書かれている箇所です。これは、二重の意味でわかりにくい。まず、chafoinという言葉であること。これが分断されて表記されていること。さらに、この言葉は、存在しません。chafouin(陰険な)の誤植と思います。意図的に、uを除いた可能性もゼロではありませんが、そうなると、その意図は、まったく理解できなくなります。

※ この詩は、ある意味、アルトーの基本思想が出ていると言えるかもしれません。ce monde chafouin(陰険なこの世界)の真っただ中にわれわれは、存在しています。その世界が存在する場を、アルトーは、l’entrelacs biseau/ de l’irruption de vivre(生の乱入で錯綜した斜面)という非常に印象的なフレーズで表現しています。そこで、この世界は作られていると。アルトーは、最後の三行で、希望を語ります。le corps(身体)というものが、vivant et permanent(生命と永遠性)を救い出すのだと。この思想の延長線上には、身体表現である演劇が視野に入ってくるでしょう。