■旧暦8月2日、月曜日、敬老の日
9月一杯で、丸の内の松丸本舗が閉店になるので、先週、始めて行ってみた。何か、記念に、と思い、フェルナンド・ペソアの詩集と中山義秀の『芭蕉庵桃青』を何気なく購入。二冊とも、知らなかったので、ここで、初めて出会ったことになる。とくに、ポルトガルのアヴァンギャルド運動をたった一人で担ったフェルナンド・ペソア(1888-1935)は、まったく知らなかった。訳者解説を読み、その人生と詩作の方法に大変興味を覚え、その詩をじっくり読む前に、アントニオ・タブッキの『フェルナンド・ペソア 最後の三日間』を読んだ。統合失調症かと、思われるほど、自分の分身を何人も作り上げ、異名者たちが、別の人格と思想で、それぞれ、まったく別の作品を作る。それが一つの全体性を構築するように計算されている。ペソアは、非常に面白い詩人だと思う(あるいは、小説家に近いのかもしれない)。これは、自分の経験からする直観だが、ペソアは、実人生でも、幻聴や幻覚に近いものをたびたび体験していたのではないかと思う。その意味では、実に危険で勇気ある実験を行ったと思う。精神科医は、生活態度に、「無難さ」を求めるものだが、ペソアは、正反対の果敢さで47年を生きた。この詩人は、今後も、繰り返し読むことになるという予感がある。
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THE LITTLE PINS OF MEMORY
Charles Simic
There was a child’s Sunday suit
Pinned to a tailor’s dummy
In a dusty store window.
The store looked closed for years.
I lost my way there once
In a Sunday kind of quiet,
Sunday kind of afternoon light
On a street of red-brick tenements.
How do you like that?
I said to no one.
How do you like that?
I said it again today upon walking.
That street went on forever
And all along I could feel the pins
In my back, prickling
The dark and heavy cloth.
The Voice at 3:00 A.M.
小さな記憶のピン
チャールズ・シミック
埃っぽいショーウィンドーの
マネキンに
子どもの日曜の晴れ着が
ピンで留められていた
そこで一度道に迷った
日曜のしづけさ
日曜の午後の光
赤レンガの借家が並ぶ道
それどう?
わたしはだれでもない誰かに言った
それどう?
今日は歩きながらまた言った
その道は永遠に続いていた
そのあいだずっと背中のピンが
黒っぽい重い服に
突き刺さってくるのを感じていた
■日本語にしてしまうと、凡庸になってしまうが、In a Sunday kind of quiet,/ Sunday kind of afternoon lightという表現が面白く心に残った。最後のAnd all along I could feel the pins/ In my back, prickling/ The dark and heavy cloth.という表現のcouldの使い方。これも、なかなか、面白いと思った。能力は、基本的に、善いものだから、ピンが服に突き刺さるのを喜んでいるニュアンスがある。