Antonin Artaud (2)

2016年11月06日 | Antonin Artaud





アントナン・アルトー(1896-1948)



Ce qu’ils prennent en moi n’est pas moi
ni rien,
c’est l’entrelacs biseau
de l’irruption de vivre
où se forme ce monde cha
fouin, suturé de faux, entre glace, fil et carreau,


et le corps est ce qui de cette
douleur déroutante se sera
tiré vivant et permanent.



連中がわたしの中に見ているものは、わたしでも
なんでもない
それは生の乱入で錯綜した斜面である
そこでこの世界は作られている
氷と糸と窓ガラスの間に、虚偽で繕われた陰険な世界が


そして身体とは、この
困惑する痛みから
生命と永遠性を救い出すものなのだろう




※ この詩はいくつか難しい点があります。一つは、 l’entrelacs biseau/ de l’irruption de vivreという二行です。これは、「生の乱入で錯綜した斜面」と訳出しましたが、これで良いかどうかは、まだ検討の余地があります。朗読会で、この箇所のわかりにくさのご指摘を受けて、きょう、あらためて考えてみたものです。しかし、まだ、よくわかりませんね。もう一つ、この詩で難しいのは、cha/ foinと二段に分けて書かれている箇所です。これは、二重の意味でわかりにくい。まず、chafoinという言葉であること。これが分断されて表記されていること。さらに、この言葉は、存在しません。chafouin(陰険な)の誤植と思います。意図的に、uを除いた可能性もゼロではありませんが、そうなると、その意図は、まったく理解できなくなります。

※ この詩は、ある意味、アルトーの基本思想が出ていると言えるかもしれません。ce monde chafouin(陰険なこの世界)の真っただ中にわれわれは、存在しています。その世界が存在する場を、アルトーは、l’entrelacs biseau/ de l’irruption de vivre(生の乱入で錯綜した斜面)という非常に印象的なフレーズで表現しています。そこで、この世界は作られていると。アルトーは、最後の三行で、希望を語ります。le corps(身体)というものが、vivant et permanent(生命と永遠性)を救い出すのだと。この思想の延長線上には、身体表現である演劇が視野に入ってくるでしょう。






Antonin Artaud (1)

2016年05月08日 | Antonin Artaud






Antonin Artaud(1896-1948)


Je crovais qu’elle avait mal aux dents,
et je vis sa chair tourner en bourriche,
une tonitruante bourriche
bondée de chair,
de quoi satisfaire
un régiment
de pourceaux
déments.




彼女は歯痛なんだと思っていた
そして彼女の肉がかごに変わるのを見た
大声でわめく
肉ではちきれんばかりのかごに
それは
錯乱した
豚の一部隊を
満足させるのに十分なものだった



■従軍慰安婦のような存在を思い浮かべるが、むしろ、un régiment/de pourceaux/déments(錯乱した/豚の/一部隊)は、普通の街娼に群がるお客たちをたとえたメタファーのような気がする。ここでは、一行目のJe crovais qu’elle avait mal aux dents,が面白い。いつも歯痛のように、しかめつらをしているのだろうか。



Suppots Et Suppliciations (Poesie/Gallimard)
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