どしゃぶりのち晴れ

不妊治療(2011.3で終了)・初期の子宮体癌の治療体験記など。
私の経験が何かのお役に立てれば幸いです。

病院もいろいろ

2008-09-18 16:10:21 | Weblog
不妊治療二軒目に選んだ病院は、大阪郊外にある不妊治療専門病院

初診は主人も一緒に行って検査。(初診の場合はご主人の検査もしてもらうのが理想だと思う。男性の場合は男性不妊を除きその時の体調や精神状態により数値の変化もある)

前に行っていた病院で、卵管造影の写真がもらえなかったのでまた受けることに。
人気病院だったようで、卵管造影も一度に10人ほどで受診。

そして、別の日には子宮鏡検査。この検査は今まで受けた色々な検査の中で一番痛かった。この検査で、子宮頸部にポリープを発見・切除。この時は良性だった。

院長の方針で検査を受けた者全員で、検査中のビデオ映像を見る。
他の人の状態と自分の状態を比較することで、勉強になると思われていたようだ。

その時は治療に必死だったから疑問に思わなかったが、今から考えたら同じ不妊症とは言え、自分のデータを名前も知らない見ず知らずの人に見られるのは、どうかと思う。



孤独な戦い

2008-09-16 16:51:43 | Weblog
市民病院での治療が数ヶ月続いた頃、病院で私を見た人が、おめでたという噂を流した(嫁ぎ先は商家で元城下町にあり狭いコミュニティ)

地元の病院に行っていた私も悪いが、私の感覚ならちゃんと相手と話しをして確かめてからそういうことは言うと思っていた。

ある日の晩、主人に「こんなことを言われるくらいやったら、不妊治療中なのでそっとしておいて下さいと回覧板でも出したい気分や」と言ったら、慰められるどころか「勝手にしろ」と言われ深く傷ついた。

かなり後からわかったことだが、主人は子供はそんなに急がなくてもそのうちできると思っていて、私との温度差がかなりあったようだ。

今から思えば、この時期にもっとちゃんと話し合っておくべきだったと思う。

こんなことがあり、地元の病院から大阪にある不妊治療専門病院に転院することになる。そして、孤独な戦いはまだまだ続いた。

不妊治療のはじまり

2008-09-15 15:55:01 | Weblog
今回のことをきっかけに不妊治療の記録をつけていこうと思うようになった。
9年間の治療は、途中で病院を変わったり、休んだりしたので、記憶があいまいになっているけど、このブログを見てもらっている方の参考になればと思う。

私が結婚したのは29歳の秋。風邪は時々ひいていたが、体は健康で、生理不順もなかったので、子供はすぐにできると思っていた。

でも、半年過ぎても妊娠の兆候がないので、気軽な検査のつもりで地元の市民病院で。まずそこで診断されたのが「無排卵月経」だった。そんな言葉を聞くのは始めてで、生理が毎月あれば排卵も毎月あると思っていたからびっくりした。

卵管造影検査では、卵管には異常がなく、排卵誘発剤で経過を診ることになった。
「これで妊娠できれば、楽なんですがね」と医師に言われた。そのときは、不妊とのつきあいがこんなに長く、困難なことになるとは想像もしてなかったので、薬を使ってタイミングを合わせるんやから、すぐ妊娠するやろと気楽に構えていた。


告知は突然に

2008-09-13 18:17:44 | Weblog
もうすぐ結婚10周年。自営業でまとまった休みがないけど、記念日付近に日帰り旅行を計画していた先月末、不妊治療を受けている病院から突然電話

一週間前に子宮ポリープの切除を受けたので、検査結果が悪かったのかとすぐ頭をよぎった。でも病院に着くまでは、今まで子宮癌検診を受けてるし、単なるポリープと言われていたしと、自分に言い聞かせていた。

でも結果は早期の子宮癌。頭が真っ白になる経験を久しぶりにした。自分の他にもう一人の自分がいて、医師の説明は聞いて、大学病院を紹介してもらうことに。

大学病院では初期の子宮癌であり、不妊治療を受けいるので、子宮温存で投薬治療と子宮内膜の掃除のようなことをして半年様子を診ることに。

医師からは「ある意味かけだけど、これしか方法はないから頑張りましょう」と言われる。

この方法で無事妊娠した人もいると言うことで、希望が持てる。

告知された日は、もっと早く高度不妊治療を受けるべきだったと、流れた歳月を悔やむことしかできなかったが、少し希望が持てた。

告知されて10日。主人や友達の励ましをもらい、元気になってまた日常の生活を送っている。