市民病院での治療が数ヶ月続いた頃、病院で私を見た人が、おめでたという噂を流した(嫁ぎ先は商家で元城下町にあり狭いコミュニティ)
地元の病院に行っていた私も悪いが、私の感覚ならちゃんと相手と話しをして確かめてからそういうことは言うと思っていた。
ある日の晩、主人に「こんなことを言われるくらいやったら、不妊治療中なのでそっとしておいて下さいと回覧板でも出したい気分や」と言ったら、慰められるどころか「勝手にしろ」と言われ深く傷ついた。
かなり後からわかったことだが、主人は子供はそんなに急がなくてもそのうちできると思っていて、私との温度差がかなりあったようだ。
今から思えば、この時期にもっとちゃんと話し合っておくべきだったと思う。
こんなことがあり、地元の病院から大阪にある不妊治療専門病院に転院することになる。そして、孤独な戦いはまだまだ続いた。
地元の病院に行っていた私も悪いが、私の感覚ならちゃんと相手と話しをして確かめてからそういうことは言うと思っていた。
ある日の晩、主人に「こんなことを言われるくらいやったら、不妊治療中なのでそっとしておいて下さいと回覧板でも出したい気分や」と言ったら、慰められるどころか「勝手にしろ」と言われ深く傷ついた。
かなり後からわかったことだが、主人は子供はそんなに急がなくてもそのうちできると思っていて、私との温度差がかなりあったようだ。
今から思えば、この時期にもっとちゃんと話し合っておくべきだったと思う。
こんなことがあり、地元の病院から大阪にある不妊治療専門病院に転院することになる。そして、孤独な戦いはまだまだ続いた。