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喘息治療日記

~Enjoy ! 少食健康生活 ~

大切な死

2007-07-20 17:55:19 | 素晴らしい人
パスカルのパンセの中に 『人は一人で死なねばならないように、一人で生きなければならない』という言葉を読んだことがあります。

先日、とてもお世話になってる方のご家族が亡くなられました。 
最後の喪主の方の、故人を弔う挨拶に、「故人はすべて一人で決め、ひとりで動き、他の人に迷惑をかけたくないとの思いで生きてきました。 最期もひっそりと逝きたいとの願いでした。 ですから、心から故人を悼む人達だけで 静かに式をあげたいと思いました。」

とても心揺さぶられる言葉でした。マチはそのとき このパスカルの言葉が心に浮かんだんです。

生きることの厳しさ、人はどういう姿勢で生きたらよいかをはっきり理解し、生きてこられたのだと思いました。
生きることの本質をしっかり捉えてるからこそ、最期に言える言葉です。ロビーで、その人となりを忍ぶ思い出話は、まさに凛とした生き方を賞賛する声でした。

マチは 「ひっそり」とか「人知れず」 という言葉にとてもいぶし銀にも似た光を感じるのです。

昔、まだ学生のころ、喘息があることで、ひとり取り残されたように思い、みじめだったことがあります。 そのとき、この詩の中の人知れず(ひっそりと)という言葉と出会い、思わず頷いたものです。


最後に

誰かが 私を笑っている こっちでも 向こうでも私をあざ笑ってる

でもかまわないさ 私は自分の道をゆく

笑ってる連中も やはり 各々の道をゆくだろう

よく言うじゃないか  「最後に笑うものが 最もよく笑うものだ」と

でも私は

いつまでも笑わないだろう  いつまでも笑えないだろう

それでいいのだ

ただ 許されるなら 最後にひとしれず  微笑みたいものだ

                          (樺美智子)


別れは知らない間にやってきて、 不安と寂寥のおののきのうちに、

静かなあきらめと無言の祝福が ひたひたと流れいり、静止したとき

おごそかに その行為をとげる

血は一滴ずつ 日毎に色を変え、ふたたび もとの色を返さない

その冷酷な時の刻みは だれも どうすることもできない 

ただ 痛いほどわたしが 感じるだけ


ちょうど 去年の秋のある日。

溶けた魂の熱い叫びが 

一切をおどろきと栄光の中にみちびき 

一切を清潔な 涙でおおった時のように 

ただ、痛いほど わたしが感じるだけ・・・・。

                   (吉田とし)
                     

大切な人の死です。 たとえ会場に出向かなくても、その人の生前と対話し、そして自分自身の生き方を変えることができたら、それが、本当に故人を悼むことになるのでしょう。 




           【19日 朝320 夜300 54キロ 体脂肪25.5%】




 









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