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喘息治療日記

~Enjoy ! 少食健康生活 ~

柳原和子さんを読む 1

2008-03-09 16:55:02 | 雑記
昨日まで、柳原さんのエッセイをずっと読んでいました。
再発してから亡くなる一年前の冬頃までのものです。

どこまで読んでも読みつくせないというのが正直な気持ちですが、 少しずつ 私なりに学んだことを書いていきたいと思います。

今回はその中でも 何回もの治療の間、ずっと一貫して彼女を苦しめていた医師との関係
医師と患者の思いのズレを考えてみたいと思います。



「あなたが次に治療を受けようとする医者は一流だ!もうそれ以上のドクターショッピングはやめろ!」

「私にとっての人生の選択が、医師の側から見れば ドクターショッピングというひとくくりの表現になってしまうのか、
わたしのさまよいに根拠があるとは考えてくれていない・・・・こころを分かってくれている医者だと思っていただけに、かなり悲しかった」(和子)



患者のこころの揺らぎ、次から次と押し寄せる不安が分からない医者は多いでしょう。 

これは一生懸命に医療を提供してくれる医者でも多いのです。

だとしたら、「患者になったものにしか分からない心の迷いは、出口がないトンネル」 と言ってしまうしかないのでしょうか・・・。

私も悩みます。

病気は同じでも、患者の心もからだも、ひとりひとり全く違うのです。 もっと現実的に言えば、経済力や社会的に置かれた立場もちがいます。

どんなに一流の技術の治療内容であっても すべての患者にぴったり合うわけではないのです。

洋服選びに例えれば良く分かると思います。

どんなブランド物を与えられても、からだに合うとは限らない。 それは、着てが悪いのではないくらいは 誰にでも分かるはずです。

自分のサイズに合わない洋服・・・。

サイズとは、私のものさしで計れば 自分が着たいデザインであるか、私の雰囲気を引き立てるものかどうか。 また、商品が、自分の財政に見合う金額内であるか などもチェックに入るわけです。

どれが合わなくても 着心地は悪いものです。 (ただどれを優先順位の1番にもってくるかは 人それぞれではありますが。)

だから、自分のスタイルを大事に生きるものほど、一生懸命、ウインドーショッピングを続けるのは あたりまえのこと。 

ピッタリあった洋服は 外からも内からも 自分を倍輝かすものですから。

ドクターショッピングもおなじなのです。
 
「たとえ治らない患者でも 不安なく元気に生きたい。そのために、からだにもこころにもぴったり合う医療を見つけたい。」

彼女の中の優先順位の1位はこれでした。

そうして彼女はついにドクターショッピングを終えることが出来たのです。

「簡単にあきらめてね、次の命はないんですもん。理屈が通って治りそうだったらベストを尽くしたいって、それはみんな思ってると思うんですよね。 
人が好きだからかとか、そんなことじゃないですかね。 話してると、すごい通じ合うんですよね。 
いろんな医者を彼女が繋いだんですよね。 
彼女はドクターハンティングをしてましたけれども、そういう多くの医師の連合軍によって彼女の治療チームができたような感じなんですよ。 そこがね、彼女の一番の功績かもしれない。」(竜崇正さん)



わたしたちにとって大切なのは、いつかは遂に死ぬ自分が、その日までどのような姿勢で 自分を生きるか ということではないでしょうか。

自分の生き方と存在が少しでも 人に喜ばれ、人を結びつけ、大きいものに育っていけば、 それは どんなに素晴らしいことでしょう!

これは、医療を提供する側にも受ける側にも いえることだと思うのです。




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2 コメント

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柳原さんの死を悼みます (ひまわりDr)
2008-03-10 09:03:25
柳原さんが亡くなられましたね。
彼女のテレビ番組もビデオで見せていただきました。
彼女の、医師にたいする考え、「ドクターショッピング」というものに対しても、いろいろ考えさせられた覚えがあります。
医師として、もう一度じっくり考えてみたいと思いました。
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治らない患者の想い (マチです)
2008-03-12 15:26:35
今回、柳原さんのことを書いたことで、いつもよりたくさんのコメントをいただきました。
でも、非公開やメールでの意見が多いです。
それは、彼女の、ひとりの医師を信頼しないで病院を渡り歩く姿勢に対しての批判のためです。 
彼女がどうしてドクターショッピングをしつづけなければならなかったかをもう一度、深く考えてほしい。 身を切られるような思いをして渡り歩いた気持ちを。 
私は喘息をはじめて発して10年間で、癌で言えばステージ1から5の状態にまで悪化しました。それは先生もご存知だと思います。 その頃の私は柳原さんの行動とは全く反対で、ひとかけらの知識もなく、喘息を学ぼうとする気もちも 全くありませんでした。薬の名前も知らずに なんの疑いもなく医者のいうとおり治療をうけていました。  その結果ひどい副作用で命をおとすような危機に何回もあいました。今もその後遺症で、先生を悩まし、私も苦しんでいます。 その頃のわたしに 柳原さんのような病気に対する前向きさがあったなら、今、わたしの人生は全く違ってたように思うのです。
確かに、彼女の姿勢は人として手離しで誉められるものでは ありません。
わたしは自分の過去の病気にたいする取り組みかたを、とても後悔しているために、私の偏見で、柳原さんの治療姿勢を善しとしてしまってるのかもしれません。 
このことは次回、ブログで書いた方がいいのかなと 思っています。
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