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喘息治療日記

~Enjoy ! 少食健康生活 ~

安らかに・・・ 柳原和子さん

2008-03-06 01:38:56 | 素晴らしい人
3月2日 柳原和子さんが、召されました。

昨日、突然の訃報を友達から聞かされ、ショックで何も考えることができず、午後からずっとコタツにうずくまっていました。
わたしの望む患者像は正に柳原さんが癌患者として生きてきた姿勢でした。 

すべての患者が望む医療を、現実のものとするために、ひたすら走り続けた彼女は、病気こそ違いますが、わたしに多くの勇気と自信を与え、「頑張れよ」と大きく背中をも押してくれた存在でした。

柳原さんを診続けた多くの医者もまた、真の医療を施すためには、医者と患者はどう向き合うべきか、彼女からたくさん学んだはずです。

「医師を鍛えるのは結局、患者だと思う。その患者を成長させる医師がいれば、両者にはいい関係が生まれるんじゃないかな」 後藤正冶氏

「医療現場には患者さんの思いを学ぶ場が必要」。安藤健治氏

「がん医療は、最初にきちんと標準治療を受けることが重要。患者さんが言いたいことを我慢したり黙ったりしては駄目。自分で情報を集めて医師の意見を問い続けた柳原さんを見習うべきです。」福島雅典氏

 「柳原さんは、聞きたいことは聞くが、医師を一方的に責めず、やる気にさせる。むしろ問題は医師側の過剰なプライド。若い医師には感情的にならず、自分の人間性を磨けと言っている」 工藤正俊氏

「彼女が特別であってはならない。本来、どの患者さんにも最良の選択肢が示されるべきです。それができないのは、医療の怠慢。医師が一生懸命になれば、期待に応えることは可能なはずだ」松村謙臣氏

(患者と医師の理想的な関係へから抜粋http://www.kobenp.co.jp/info/hyogo_jin/16.shtml)

彼女の言葉がきこえます。

「病はどんな人にも平等に訪れ、どんな人も 必死になり さらにどんな人も すてきに過ごせるはずの現場だ。

その現場に 、つまらない肩書きやヒエラルキー、権威を持ち込んで人生をつまらなくさせるような真似は決してしたくはない。

そう、誰もが、ファーストネームで呼び合える気楽さと 心の底から尊敬を抱きあえる患者と医師、そして看護婦とのかかわりが、日本の癌病棟に訪れる日を願って、語りかけたい・・・。」



このことは、病種を問わず全医療に通じるべきものだとマチは思います。 彼女の残した軌跡を、新しい医療の灯を大きく輝かせることこそ、残された、わたしたち患者の義務ではないでしょうか?

和子さん、長い闘いご苦労さまでした。どうぞ安らかに眠ってください。命を刻んで書き記してくれた蔵書の数々、心から感謝をこめて ありがとうをいいたい・・・。



『患者に希望を与える医療とは何か』・・マチのブログをもう一度読んで下さったら嬉しいです。  http://blog.goo.ne.jp/decopon0120/d/20071004

元気です!

2008-02-19 20:59:07 | 素晴らしい人
朝 一番、
「吉田拓郎さん、元気に復帰 」 のニュースが流れました!

\ ( * ⌒ ▽ ⌒ * ) / うれしぃー!! です。


今まで、喘息、肺がん、気管支炎、胸膜炎 と 色々苦しい 病状と闘ってきた拓郎さん。

そんな彼の、元気な姿をみれることは、何より生きる力をもらえます。希望をもらえます。

喘息もそうですが、呼吸器の病気は、肺活量がなくなり、酸素不足になり、歩いたり 話したり、食することさえ困難になる場合が多いです。 
苦しい 全身症状は、 欝にもなりやすいです。

今日の拓郎さんの復帰で、 マチも 「まだまだ頑張れる、良くなれる」 と希望をみることができました!

拓郎さん、これからも、ゆっくり 焦らず頑張ってくださいね。




「元気です♪」  マチの 一番大好きな歌です。


♪♪元気です!


自由でありたい  こころのままがいい

4年目の冬   寒さを拒むまい

どれだけ歩いたか 考えるよりも   

しるべなき 明日に向かって進みたい

あなたの人生が  いくつもの旅をへて   

帰る日くれば、笑って迎えたい

私も 今また 船出のときです  

言葉を選んで わたすより  

そうだ 元気ですよ と 応えよう♪♪ 

             (吉田拓郎)




今日も 昼だけ 生菜食メニュー 頑張りました。

夜は、玄米ごはんと、豆腐 厚あげ じゃがいも蒸し りんごです

体操は 毛管4回 金魚 2回、合掌がっせき2回、
裸療法は、室温20度にして、1回やってみました。(不整脈は大丈夫です)


午前中、自然食療法を頑張ってる、Mちゃんからの応援電話もあり、なんとか今日も1日頑張れました! 
感謝です。






【19日 PF朝 420 昼430 夜400 体重56.2 体脂肪27.6 プレドニン5㍉】



患者に希望を与える医療とは何か

2007-10-04 16:32:57 | 素晴らしい人
百万回の永訣・・・柳原和子さんの闘病姿勢に学ぶ

雑誌の対談などからみる 彼女はとても聡明で、強い女性というイメージが常にあったので、私とは無縁の人だとずっと思っていました。
彼女の闘病記 「がん患者学」が出版された時に とても興味をもち 早々と購入したにもかかわらず、パラパラと斜め読みしただけで、本は ずっと埃をかぶっている状態でした。

ところが、去年 柳原さんが、再発におののいて、とても苦しんでいるというような記事を本屋で読んだのです。
エェッ!? と思いました。 彼女は鋼鉄のような人と思っていたのは もしかしたら私の勝手な思い込みだったのだろうか?

彼女もまた、多くの癌患者さんのように 死の恐怖にふるえ、おびえ、涙している普通の人なのだろうか?  
マチは初めて彼女に親近感を持ったのです。

ちょうどそんな気持ちで彼女を思っていたとき、偶然に この放送を見るチャンスに出会ったのです。
テレビに映し出された彼女の闘病記は、 マチの予想をはるかにこえて、患者として学ぶものが多く、ビデオどりしたこの放送をそれから何十回もみるはめになったのです。


彼女のお母さんは47歳で卵巣がんを発生するのですが、そのとき受けた何回目かの放射線投与がいつもの倍で、その照射後、具合が悪くなることから医療不信が芽生えます。 
 その後、癌の痛みにもだえる末期状態になったとき ひとすじの希望 「丸山ワクチンを・・」の願いを家族で希望するのですが、それに(不信に)追い討ちをかけるように医者からは、
「忙しいんだ、今さら何をやったってむだなんだけど・・・」の言葉ではねつけられます。

この医者の、治らない患者を人間と思わない、横柄な態度と暴力的な言葉に、 柳原さんは医者不信、医療不信におちいり、 現代医療を批判しつづけます。

そして、自らも卵管癌を発生し、母の痛みを胸に、真の病気治しはどこにあるのかを、患者の目から真剣にみて記録していきます。
こうして生まれたのが「がん患者学」です。 

マチも彼女の絶望が痛いほどよくわかるのです。
マチが妊娠6ヶ月ころ 切迫流産の危機があったため、主治医の先生が、喘息対応の「きちっとできる総合病院を」と 一生懸命に選んでくれたF病院でのことです。 
その産婦人科のF医者の言葉。
「なんで今まで放っておいた! サッサとおろさないから、どうしようもないこんな時期になってしまったじゃないか!」これが初診時の言葉でした。

そのときのマチの怒り、いや 怒りというより絶望です。 
入院したときのマチは、どの患者にも負けないくらい、不安いっぱいの患者でした。 発作で呼吸苦がひどく 酸素が離せない毎日。 ガンバレの励ましが誰よりも欲しかった入院でした。

人はあまりに腹が立つと怒りはなくなり その人に対して絶望し、完全拒否してしまうのですね。
もうマチにとっては、F医者は医者でもなんでもなくなったわけです。 その先生に、お腹の子は殺されたわけです。 なんとか無事、不安のない出産をさせようなんてひとかけらもないわけです。
マチは一言も言葉がでなくなりました。どう頑張っても言葉が出ないのです。  心が凍ってしまったのです。 心もからだもお腹の子も その医者を完全拒否しました。

不思議ですねえ・・・最後 子供はその医者が分娩室に入ってくる前に生まれてきました。
今でも、偶然ではないと思っています。 もし子供に異常があれば、きっとF医者は 私の妊娠を失敗だとし、「そらみたことか」とせせら笑ったのかもしれません。(そこまでは思いたくありませんが)

分娩室でのF医者の言葉。 「どこも異常はない。子供に感謝しなさい」 これだけでした。「よく頑張ったね」のねぎらいの一言もありませんでした。

でも、こんな医者が産婦人科医なんて、今でもマチは可愛そうと思っています。 誰がって? その医者もその医者にかかる患者もです。
 
話が変な方向に行ってしまいました。


今回紹介しました「百万回の永訣」 は 「不信から信頼へ」 医療への希望を語った本です。  
何人もの真摯な医者や痛みを分かり合える患者仲間によって 希望をとり戻せ、甦れた柳原さんの 癌再発闘病記録です。 
 
患者はどう治療に向きあうべきか、医者と患者の信頼関係とはどういうものをさすのか? 根底から考え直せよ と教えてくれた放送でした。




わたしは、医療のおそらくは現在考えうる最高の恩恵に浴して今、ここにこうして生きています。
わたしが賭けたのは医療ではなく、医師としての先生です。 治さなくても、いい。
わたしが先生とはじめるこれからの闘病の日々は結果ではなく、おそらくはなにかを相互につかんでいく過程になる・・・。
癌患者とその病を闘う患者に寄り添う臨床医だけに許される、与えられる創造の歓びがある。
決して、目や耳、数で確認できぬ、形のない、崇高ななにかが・・・。
医師と患者。生命と死を媒介に向き合い、隣り合って歩む最高の人と人とのつながり。(百万回の永訣より)


「癌とか喘息とか あらゆる病気の種類を問うことはない、 一番大切なものはただひとつである」ということですね。

本は放送直後から 読んでいたのですが 一気によめなくて とても月日がかかってしまいました。
でもこの本のおかげで、乳がんの疑いで受診したときも とても納得のいく、信頼を持てる良い診察をうけることができました。

マチに代替医療の必要性を再確認させてくれたのも この本です。

読んだといっても小説や随筆のジャンルの本ではないので、 月を隔てて、同じ箇所をまた読み直し、自分の医療姿勢と照らし合わせて検討してみたり、
必要な知識を導きだしたりで 本当に一冊よみあげるのにはまだまだ時間がかかりそうです。

豊富な情報がいっぱいの この本は、患者にとっての参考書、手引きのようなもので、一生横において置く本といっても過言ではないでしょう。


     

  柳原和子 百万回の永訣http://book.gansenka.com/asin/Books/4120036898/
  がん患者学 (長期生存をとげた患者にまなぶ)http://www.ecoshop-tibijin.co.jp/Library/yanagiharaK.html

【 5 日PFアサ350 ヨル350 体重 55キロ 体脂肪29.1 プレドニン20ミリ 一昨日から風邪で熱発です】








 

大切な死

2007-07-20 17:55:19 | 素晴らしい人
パスカルのパンセの中に 『人は一人で死なねばならないように、一人で生きなければならない』という言葉を読んだことがあります。

先日、とてもお世話になってる方のご家族が亡くなられました。 
最後の喪主の方の、故人を弔う挨拶に、「故人はすべて一人で決め、ひとりで動き、他の人に迷惑をかけたくないとの思いで生きてきました。 最期もひっそりと逝きたいとの願いでした。 ですから、心から故人を悼む人達だけで 静かに式をあげたいと思いました。」

とても心揺さぶられる言葉でした。マチはそのとき このパスカルの言葉が心に浮かんだんです。

生きることの厳しさ、人はどういう姿勢で生きたらよいかをはっきり理解し、生きてこられたのだと思いました。
生きることの本質をしっかり捉えてるからこそ、最期に言える言葉です。ロビーで、その人となりを忍ぶ思い出話は、まさに凛とした生き方を賞賛する声でした。

マチは 「ひっそり」とか「人知れず」 という言葉にとてもいぶし銀にも似た光を感じるのです。

昔、まだ学生のころ、喘息があることで、ひとり取り残されたように思い、みじめだったことがあります。 そのとき、この詩の中の人知れず(ひっそりと)という言葉と出会い、思わず頷いたものです。


最後に

誰かが 私を笑っている こっちでも 向こうでも私をあざ笑ってる

でもかまわないさ 私は自分の道をゆく

笑ってる連中も やはり 各々の道をゆくだろう

よく言うじゃないか  「最後に笑うものが 最もよく笑うものだ」と

でも私は

いつまでも笑わないだろう  いつまでも笑えないだろう

それでいいのだ

ただ 許されるなら 最後にひとしれず  微笑みたいものだ

                          (樺美智子)


別れは知らない間にやってきて、 不安と寂寥のおののきのうちに、

静かなあきらめと無言の祝福が ひたひたと流れいり、静止したとき

おごそかに その行為をとげる

血は一滴ずつ 日毎に色を変え、ふたたび もとの色を返さない

その冷酷な時の刻みは だれも どうすることもできない 

ただ 痛いほどわたしが 感じるだけ


ちょうど 去年の秋のある日。

溶けた魂の熱い叫びが 

一切をおどろきと栄光の中にみちびき 

一切を清潔な 涙でおおった時のように 

ただ、痛いほど わたしが感じるだけ・・・・。

                   (吉田とし)
                     

大切な人の死です。 たとえ会場に出向かなくても、その人の生前と対話し、そして自分自身の生き方を変えることができたら、それが、本当に故人を悼むことになるのでしょう。 




           【19日 朝320 夜300 54キロ 体脂肪25.5%】




 









脱線せず 続けるコツ

2007-07-08 22:46:00 | 素晴らしい人
やっぱり 反省してます。
甲田療法、食事も体操も、きちっとやれないことを、開き直ってる自分が見えています。
 
先生は私の意志の弱いのをすぐに見抜き、1週間に1回は好きなもの食べて良いから、後の6日はがんばれ!といわれました。

食の本能って コントロールがとても難しいです。 癌じゃない可能性が大きいと言われた途端、一気に気持ちが緩んでいます。

先生から言われたことと全く反対で、一週間に1回くらいしか、言われたとおりにできないのです。 これじゃ、腫瘍もなくならないでしょう。(-_-;)

他力本願じゃないと、クリアできない自分では、本当に良くなるところまでは、絶対こぎつけないですよね。

マチの友人でとても素晴らしい人がいます。 自分が一度決めたことは、 何年かかっても パーフェクトにクリアするのです。 
語学も英語、イタリア語、スペイン語、フランス語、ドイツ語と毎日ラジオ講座を聞き、何年も続けて、会話ができるようになりました。
 
ポケットラジオは遊びに行くときも持ち歩いています。 皆といるときはもちろんラジオは聞きませんが、少しの時間でも、暇が出来れば聞いています。
高い塾などは必要ないのだと、彼から教えられたものです。

彼は今度は3年前から、バッティングセンターに通い始めました。 週2回 打ちっぱなしに行き、体力をつけています。 腕の筋肉も立派なもので 感心しました。

「どうしたら、誘惑に負けずに、マイペースで続けれるの?」マチの質問に 彼はこう言いいました。 
「長く続けたかったら、こつは、やってるものを面白く、楽しむことだな。楽しいこと、面白いことは絶対つづくからな。 そして、少しでも進歩したら、自分を誉めること。」


う~~ん 説得力ありましたねえ。 マチの場合なら、食事も運動も楽しめるように努力することですね! そして誉めて伸ばす!  子供も大人も同じですね。(´▽`)

甲田先生もよく似たことおっしゃってました。「やらねばならないことは、好きになることです。そうすれば ストレスはすっかりなくなります。」

「楽しくやること。好きになること」  納得です! もういちど初心に戻って 頑張ってみます。




                【 8 日 PF 朝360 夜 370】




自分の歩幅で歩く

2007-07-02 21:12:19 | 素晴らしい人
色々な病気続きで自分に自信なくしていたマチに、自分を認めることの大事さと歩く力をくれた記事でした。

平成17年、愛日小学校第113回の卒業生にあてた校長先生の送別の言葉の一部です。(個人名があるところは、割愛させていただきました。了承ください)

マチは、改めて、自分の歩幅を再認することができました。
そうしたら、気持ちがとっても楽になりました。

今まで、自分の短い足を考えず、ピョンコ飛び跳ねては、着地失敗して、嘆いたり苛立ったりしている自分をしらされました。
自分の短い足を大切に、無理せずゆっくり歩いていこうと思いました。
まだ少しある大切な人生ですから(*^-^*)


一番大事なものを子供たちに送る 素晴らしい校長先生ですね。 この小学校の生徒たち、そして校長先生の言葉にふれることが出来た人たちはとても幸せです。
どうぞ校長先生のこの言葉を一生の座右の銘にしてほしいと思います。


 歩幅というのは、歩いた時の一歩の長さです。
「自分の歩幅で歩いて行く」この言葉に、私は心を打たれました。

 私は「自分の歩幅で歩いて行く」ことを忘れた時がありました。「他の人の歩幅を見て、自分の意志で歩く」ことを忘れた時がありました。
そして、病気になって、1年間、仕事を休まざるを得ませんでした。

私は何度も「何て自分はだめな人間なんだろう。生きていたくない」と思いました。他人の目ばかり気になっていて、それに合わせようとしていたのだと思います。。
 「人間それぞれ生き方の歩幅は違うのだ。大股で歩幅を長くして歩ける人もいる。歩幅の短い人もいる。どちらの人間が偉いということもないんだ。

人生にとって、大事なことは、自分の歩幅を大事にして、他人の目や他人の歩幅を気にしないで、一歩一歩歩いていくことだ」ということだと思います。
 
どんなものにも浮き沈みはある。寒い時にどう歩くかです。
 私なりに、考えると、長い人生の間には、楽しい時もあれば、つらい時もある。

長い人生だから、良い人生だったと思える時が必ずくる。つらい時に、どのような姿勢で生きるかが大事だ」ということだと思います。

 現在、今後の社会がどのように変化していくのかが、予測しにくい時代となっています。また、日本では自ら命を絶つ人が、1年間で三万人を超えています。
これは、一日で100人近くの方々が、日本のどこかで、自らの命を絶っていることになります。

このような時代だからこそ、自分の歩んでいる道を、時には立ち止まり、自分の歩幅を確かめたり、時には、自分の歩幅で歩ける別の道を歩むことも大切なのだと思います。
そして、自分の歩幅を確かめながら、人生を歩む中で、何よりも自らの命を大切にしてほしいと願っています。
 これから、皆さんが歩んでいく道は、暖かい春の道ばかりではないと思います。そんな時、
 「自分の歩幅で歩く。」
 「寒い時には、暖かい春の来ることを信じて生きる」
 「自らの命を、何よりも大切にする」
  このことを時には、思い出してくれるよう願っています。








              【1 日PF 朝320 夜330 】

「それでも 前へ 」  流王雄太氏の半生

2007-05-11 19:18:35 | 素晴らしい人
『それでも 前へ』(高橋 豊著) 

流王雄太氏は 15歳で四肢マヒになり、岡山大理学部卒業後、医学部を再受験、そして現在 精神科の医師として多忙な毎日をすごされています。

その流王雄太氏を 毎日新聞社の「高橋 豊」氏が取材、その奇跡ともいえる半生が書かれてある本です。

何気に手にとって読んだので、氏がどういう人生を歩んでこられたのか 全く知らずに読んだのですが、  読んでいくうちに 言葉にならないくらい 激しく心を揺さぶられました。


氏は今、電動車椅子で精神科医として活躍されています。

「からだは動けなくても 心は動く 」 まさに この言葉通りに生きてこられ、 氏の自分の弱さを 常に強さに変えて生きていく生き方は、周りのどんな人の生き方も強く輝かせてきてこられたと思います。
 「毎日が一生 」その心意気と生き方に敬服です!


「十人十色」たった四文字だけど、今の僕に力を与えてくれる言葉だ。
自分が他と違っていい。他人も違っていい。人生も違う。幸せもちがう。価値観もちがう。同じようにみえる病気も違う。
健康な人だってみな違う。 でもなぜか同じであろうとする 同じように考えようとする。
 
けれど、周りの人が自分と違って、自分が周りの人と違うというのは 実は大切なことで、それが強さなんだ。
僕はそう信じて、かtらだが動かなくても、医学部に行った。自分が周りと違うことをひとつの力だと思って。

夢を持っている人や夢をもてる人が、病気や怪我をしたからというだけで、あきらめなくてはいけない・・・そんな状況にいる人たちを ひとりでも多く、医学的な立場からサポートしたい。
そのことを僕自身が一番必要としていた。 「大丈夫、あきらめるな!」と言える医者になりたい。


素晴らしい!とか感動した!とか そういう一言の言葉だけで表現したくない本です。

読んだものの責任として 応えないといけない! 自分の今までの生き方を少しでも変えなければいけない! それが読者である我々の義務だろうと思いました。

同じ時代に この本と出合うことができて 本当によかった!と心から思いました。

こころからの感謝と ありがとうを・・・。 

 


♪ありがとう♪

この胸 いっぱいのありがとうよ 君に届いておくれ  
多くの勇気と多くの夢と 生きてく力と出会う喜びを 少してれながら 君は教えてくれました。

新しい命が生まれることや まだくる未来を恐れない言葉を さりげない笑顔で君は囁いてくれました。

この胸 いっぱいのありがとうよ 君に届いておくれ 
そのとき偶然は運命にかわり そのとき運命が力を与えた 何よりも輝く 今を感じさせてくれました。

共に笑いあった時を ずっと忘れたりはしない  命燃えつきるまで 僕はしあわせでしょう

この胸 いっぱいのありがとうよ 君に届いておくれ  
多くの勇気と多くの夢と 生きてく力と 出会う喜びを 優しいしぐさで 君は伝えてくれました♪♪(吉田拓郎)

                     





              【10日  PF 朝300 夜320】