昨日まで、柳原さんのエッセイをずっと読んでいました。
再発してから亡くなる一年前の冬頃までのものです。
どこまで読んでも読みつくせないというのが正直な気持ちですが、 少しずつ 私なりに学んだことを書いていきたいと思います。
今回はその中でも 何回もの治療の間、ずっと一貫して彼女を苦しめていた医師との関係
医師と患者の思いのズレを考えてみたいと思います。
「あなたが次に治療を受けようとする医者は一流だ!もうそれ以上のドクターショッピングはやめろ!」
「私にとっての人生の選択が、医師の側から見れば ドクターショッピングというひとくくりの表現になってしまうのか、
わたしのさまよいに根拠があるとは考えてくれていない・・・・こころを分かってくれている医者だと思っていただけに、かなり悲しかった」(和子)
患者のこころの揺らぎ、次から次と押し寄せる不安が分からない医者は多いでしょう。
これは一生懸命に医療を提供してくれる医者でも多いのです。
だとしたら、「患者になったものにしか分からない心の迷いは、出口がないトンネル」 と言ってしまうしかないのでしょうか・・・。
私も悩みます。
病気は同じでも、患者の心もからだも、ひとりひとり全く違うのです。 もっと現実的に言えば、経済力や社会的に置かれた立場もちがいます。
どんなに一流の技術の治療内容であっても すべての患者にぴったり合うわけではないのです。
洋服選びに例えれば良く分かると思います。
どんなブランド物を与えられても、からだに合うとは限らない。 それは、着てが悪いのではないくらいは 誰にでも分かるはずです。
自分のサイズに合わない洋服・・・。
サイズとは、私のものさしで計れば 自分が着たいデザインであるか、私の雰囲気を引き立てるものかどうか。 また、商品が、自分の財政に見合う金額内であるか などもチェックに入るわけです。
どれが合わなくても 着心地は悪いものです。 (ただどれを優先順位の1番にもってくるかは 人それぞれではありますが。)
だから、自分のスタイルを大事に生きるものほど、一生懸命、ウインドーショッピングを続けるのは あたりまえのこと。
ピッタリあった洋服は 外からも内からも 自分を倍輝かすものですから。
ドクターショッピングもおなじなのです。
「たとえ治らない患者でも 不安なく元気に生きたい。そのために、からだにもこころにもぴったり合う医療を見つけたい。」
彼女の中の優先順位の1位はこれでした。
そうして彼女はついにドクターショッピングを終えることが出来たのです。
「簡単にあきらめてね、次の命はないんですもん。理屈が通って治りそうだったらベストを尽くしたいって、それはみんな思ってると思うんですよね。
人が好きだからかとか、そんなことじゃないですかね。 話してると、すごい通じ合うんですよね。
いろんな医者を彼女が繋いだんですよね。
彼女はドクターハンティングをしてましたけれども、そういう多くの医師の連合軍によって彼女の治療チームができたような感じなんですよ。 そこがね、彼女の一番の功績かもしれない。」(竜崇正さん)
わたしたちにとって大切なのは、いつかは遂に死ぬ自分が、その日までどのような姿勢で 自分を生きるか ということではないでしょうか。
自分の生き方と存在が少しでも 人に喜ばれ、人を結びつけ、大きいものに育っていけば、 それは どんなに素晴らしいことでしょう!
これは、医療を提供する側にも受ける側にも いえることだと思うのです。
再発してから亡くなる一年前の冬頃までのものです。
どこまで読んでも読みつくせないというのが正直な気持ちですが、 少しずつ 私なりに学んだことを書いていきたいと思います。
今回はその中でも 何回もの治療の間、ずっと一貫して彼女を苦しめていた医師との関係
医師と患者の思いのズレを考えてみたいと思います。
「あなたが次に治療を受けようとする医者は一流だ!もうそれ以上のドクターショッピングはやめろ!」
「私にとっての人生の選択が、医師の側から見れば ドクターショッピングというひとくくりの表現になってしまうのか、
わたしのさまよいに根拠があるとは考えてくれていない・・・・こころを分かってくれている医者だと思っていただけに、かなり悲しかった」(和子)
患者のこころの揺らぎ、次から次と押し寄せる不安が分からない医者は多いでしょう。
これは一生懸命に医療を提供してくれる医者でも多いのです。
だとしたら、「患者になったものにしか分からない心の迷いは、出口がないトンネル」 と言ってしまうしかないのでしょうか・・・。
私も悩みます。
病気は同じでも、患者の心もからだも、ひとりひとり全く違うのです。 もっと現実的に言えば、経済力や社会的に置かれた立場もちがいます。
どんなに一流の技術の治療内容であっても すべての患者にぴったり合うわけではないのです。
洋服選びに例えれば良く分かると思います。
どんなブランド物を与えられても、からだに合うとは限らない。 それは、着てが悪いのではないくらいは 誰にでも分かるはずです。
自分のサイズに合わない洋服・・・。
サイズとは、私のものさしで計れば 自分が着たいデザインであるか、私の雰囲気を引き立てるものかどうか。 また、商品が、自分の財政に見合う金額内であるか などもチェックに入るわけです。
どれが合わなくても 着心地は悪いものです。 (ただどれを優先順位の1番にもってくるかは 人それぞれではありますが。)
だから、自分のスタイルを大事に生きるものほど、一生懸命、ウインドーショッピングを続けるのは あたりまえのこと。
ピッタリあった洋服は 外からも内からも 自分を倍輝かすものですから。
ドクターショッピングもおなじなのです。
「たとえ治らない患者でも 不安なく元気に生きたい。そのために、からだにもこころにもぴったり合う医療を見つけたい。」
彼女の中の優先順位の1位はこれでした。
そうして彼女はついにドクターショッピングを終えることが出来たのです。
「簡単にあきらめてね、次の命はないんですもん。理屈が通って治りそうだったらベストを尽くしたいって、それはみんな思ってると思うんですよね。
人が好きだからかとか、そんなことじゃないですかね。 話してると、すごい通じ合うんですよね。
いろんな医者を彼女が繋いだんですよね。
彼女はドクターハンティングをしてましたけれども、そういう多くの医師の連合軍によって彼女の治療チームができたような感じなんですよ。 そこがね、彼女の一番の功績かもしれない。」(竜崇正さん)
わたしたちにとって大切なのは、いつかは遂に死ぬ自分が、その日までどのような姿勢で 自分を生きるか ということではないでしょうか。
自分の生き方と存在が少しでも 人に喜ばれ、人を結びつけ、大きいものに育っていけば、 それは どんなに素晴らしいことでしょう!
これは、医療を提供する側にも受ける側にも いえることだと思うのです。