良いですらー・悪いですらー

大の大人が良いことと悪いことを書き綴る不定期ブログ。レコーディングダイエットがメイン。

ちょっと恨み節(その2)

2007年02月03日 14時37分27秒 | 雑記
 前の文章は「10年早く産まれたかった」だけど、今度は「15年遅く産まれたかった」ですw

 もしも15年遅く産まれてたら、
「今大卒辺りだと就職に断然有利」
「インターネットや携帯を使いこなし色んな情報を手に入れることができる」

 就職に関しては「まあ将来どうなるか?」という不安はあるし、一概には言えないけど「就職氷河期」を経験してるんでねえ。でも私よりも5歳下、10歳下なんかもっと悲惨だったんだが。

 あと携帯ね。大体「好きな相手との距離も縮まる魔法のアイテム」だしなw というか相手が一応番号やメルアド教えてくれても、後々のやり取りで「うまくいくかどうか」判るでしょw 相手がそれなりに思ってりゃあね、反応も良いだろうけど。ダメならダメでさっさと見切りつければいいし。それに引き換え昔はハードル高かったもんなあ。家の電話(イエデン)は家族が出ちゃうとなあw

 あとネットの力というか情報収集に関しては単純にスゴイし。でも最近はそれなりに裏の情報も流れにくくなってきたな、っていう印象はあるけどw でも個人的にはインターネットも一番面白かったのは95~99年辺りだったと思ってるんだけどねえ…。変なサイトも結構あったしなあ…。


 でもなあ、もし15年遅く産まれてても「なんかニートや引きこもり」になってる可能性が大だろうなあw 実は高校卒業してしばらくニートに近い状態になったし。

 そのニート的な時代の話をすると長く暗くなるんで割愛しますわ。でもちょっとした救いはあった。それは「わずか3日間のアルバイト」で知人のところの単純作業だったんだけど、あれは救いだった。というのも正直に言うと小中高でバイトしていた同級生って結構羨望の眼差しで見ていたなw

 働くことについて興味というか、自分が社会で通用するかどうか「模擬戦を経験したい」という気持ちは結構あった。特に父親が居なかったのは影響受けてると思う。でも家族は「今は勉強」って言うんだよなw ま前回書い通り受験戦争真っ只中だったんでその意見も親としては当然なんだけど、なんか
「働いて生き抜く力をつける」
「色々な大人と出会う機会」
として、今考えてもバイトはしたかったな、と思う…。あと学校がつまらんという話したけど「学校自体とか先生が~」とかだけでは無くて、学校の同級生の持つ序列とからも抜け出せるのは、学校外の活動だけだしw(同級生同士の持つ序列って、簡単に言うと勉強・スポーツ・面白い・強い・怖いだと、そこそこ上位にはイケルという事、まあいじめられる心配はなさそうだし、そこそこ楽しい青春時代を過ごすんだろうなという、…まあ私にとっては逆恨みだなw)

 ここ読んでる人に10代のお子さんがいる人は少ないと思うけど、「まだ子供だけどアルバイトしたい、働きたい」って言い出したら、それは子供なりに「社会に適合できるかどうか不安」という意識が働いているかもしれないんで、真剣に考えてあげて頂戴w ま私は一切責任取らないけどw 

 あ、なんか最後は話がずれちゃった。ま許してちょうだいw

ちょっと恨み節(その1)

2007年02月03日 13時57分16秒 | 雑記
 2月3日 98.0kg
 
 やっぱり昨日の高カロリーが祟ってるんやなw でも今日もカレーなんか食べちゃってるよ、まだお昼過ぎなのに既に今日一日のカロリー分を身体に入れてる私…。

 ところで私は最近こう思ってしまう事があります。
「もう10年早く産まれて来てれば!或いは逆に15年遅く産まれていたら!」

 私には少々オタクな趣味があります。60年代から70年代にかけてSFブームがあって、10年早く産まれていたならそのブームをきちんと経験していたんだろうな、ってw そのSFが熱い時代を体感していたかっただよw

 まあ5年早くでも良かったかな?というのも私らの中学・高校の頃って、結構「しらけ世代」だったんよ。なんというか全体的にね。今80年代が面白いみたいなこと言ってる人いるけど、全然面白くなかったと感じてる面もあるんだよ、と声を大にして言いたくもなるw 少なくとも個人的にはつまんなかった。テレビやラジオは面白かったけどw

 特に中学・高校時代は酷くてねえ。まあ自分なりに何か動いていたら良かったんだけど、中々面白くならなくてねえ。特に高校は地獄でしたわ。田舎の地方都市(人口3万人くらいの規模)の県立で普通科だけの学校って、受験戦争に相対するには既に中途半端なもんで。まだ80年代半ばというと「学歴信仰」も健在で。

 なんだろう?学校が受験戦争体制オンリーなんだけど、実情は国立・有名私立に現役合格は上位20~30名程度イイトコなんてもんですよw(確か1学年300人くらいだったような)いくら補習してても…、ねえwww

 なんでかわかんないけど、修学旅行が無かった。宿泊研修という名目で某山を山道踏破させられそうにはなったけど、有り難い事に雨天中止w
 あとねえ、合唱部が無くなってたのはちょっとショックだった。いや別に入りたかった訳ではなくて、高校生生活のイメージとして放課後に合唱部が発声練習しているのがデフォだと思ってたんで。いや実際に私が通っていた高校は小学生だった頃の通学路で「帰宅時にその発声練習が聞こえる」という風景が、私にとっては「NHKの少年ドラマシリーズ的世界」に見えて憧れてたんだけど。中学校は正反対の方角だったんで「通学路を使用しないわずか3・4年の間」に一体何があったんだろーかとw

 だからさあ、高校の行事で「やたらと体育祭や学園祭が盛り上がるところ」とかは、羨望の眼差しで見てたよ。前述した通り受験体制オンリーを確立するために、それまであった雑多なものを切り捨てていった象徴として「合唱部は無くなった」と思い込んでいるのであるがw まあ実情は合唱部に入る人がいなくなったというだけなんだろうね。まあ個人的にも後で振り返ると高校の3年間は大殺界だったしw 

 高校時代の成績が悪くなっていったのは自業自得だったけど、部活でももっとはじけて外へ外へ出て行くべきだったな。当時は映画研究会に所属してたけど、これが「まあダメな自己満足的集団」で機材はあるのにちゃんとした作品を作ろうという意志が無いところでね。計画性が無いというかw というか所属していた誰かを批判してるわけじゃないけど、もっと面白くは出来ただろうに、と後で後悔してますわ。

 というか「隣の芝生は…」的な思い入れで、もうちょっと前に産まれてたら合唱部もある完全受験体制オンリーの体制でない高校生活が送れたかも、と勝手に好い方向へ妄想しちゃってる次第なんでw ということで次は短い話になる予定w