ロマンチェストに恋して

幕末~明治の歴史ファンの雑記。

日記の他、旅行で見つけた面白いものなんかを載せています。

リスペクト織部

2006年12月11日 07時50分30秒 | 雑記
実はへうげもので古田左介=織部にはまったせいで、先週からお茶を始めました。
勿論、稽古に行く暇と金はないので独学!
ま、飲めりゃいい!と、すっかり目標忘れて抹茶を茶筅で泡立てて飲むだけの代物ですが。
あれ、織部リスペクトだろ…と、思わなくもないが、それはいずれ身につけるとして、帰宅後の一服の茶に癒される毎日。
この一週間、職場との往復しかしていないのに自宅滞在時間は八時間程度しかありませんが、その間にすます食事や入浴と同じように欠かさずお茶!
これぞ数寄者!戦国の心意気!

とまあ、続けて一週間。
ついに昨日、織部焼の茶碗を購入!
いい茶碗をだと味も違うぜ!

しばらくうつけております。

忘れ物

2006年12月06日 23時52分20秒 | 雑記
本日、コート忘れました。
職場に。

残業しててね、最終の一本前にどうしても乗りたかくて急いでたから…。
もうやだ…。残業時間減らせとはいわないが、せめて休憩を下さい。
いや、まだ着てない人もいるし!
今夜は割りと暖かいし!
明日も暖かいといいなあ…。

ああ、道行く人のダウンジャケットが目に眩しい…。

切れ味

2006年12月06日 07時30分45秒 | 雑記
包丁を新しくしたら恐ろしく切れます。
なんたって切り口が光る程に滑らか。触っても違うし、ちょっと手を滑らして爪に当ったと思う間に切り落としている程の切れ味。
良いものは違う!
大して高くもない包丁がこれなら馬に振れなば馬を斬り、人に振れなば人を斬ると言われる程の名刀であればいかほどか!

人斬りって凄い。

久々に怖くなったよ。
まあ、これも今までの包丁を研いでいたのが私だから悪いのでしょう。
人斬りファンにあるまじき失態!
腕を磨かなければ!ま、その前にすり減った砥石をなんとかしよう。

〈欲しいものメモ〉
砥石、織部の茶わん、茶杓、デキャンタ、備前の片口、時間

小笠原…!!

2006年12月04日 23時46分53秒 | 雑記
あんなに若かったなんて!
髭剃ると変わるのね…。ワイルドさが好みなのに!
びっくり。あれ、巨人の指示なの?それともイメチェン?
あ、男子バレーの監督も素敵だったなあ。

庭園ランチ!

2006年12月02日 15時09分24秒 | 雑記
暖かくて日向ぼっこにはいいね!
まさに澄み渡る空!
我が心はそこまで至りませんが。

なんたって仕事だし。
休日出勤だし、他に人もいないし。事務所の端の方に誰かいるらしいのが見えるだけ。
見えなかったら、メタルを大音量で流してやるのに!
ゴートゥDMC!

細々とイヤホンで聴きながら作業!終わらなーいー!
なんで一人で片付てんだろ…。毎月これが終われば楽になるっていうけど、月を追うごとに忙しさは加速してますが!
他の担当、リタイヤしてますが。

わかってるよ!愚痴言う間があれば仕事します。ブログ書くより仕事だよな!
例え、朝日と共に出勤しててもな!

ささやかな息抜きが写真。ランチに紅葉の庭まで足のばしたぜ!

成果が残らねばそれこそ全て水の泡!
澄み渡るべき、澄み渡るべき。

澄み渡るべき

2006年12月02日 10時14分27秒 | 雑記
この言葉をもてあそんでくらす今日この頃。

もとは皆様ご存知・・・かどうか知らないけれど岡田以蔵の辞世ですね。

君が為 尽くす心は水の泡 消えにし後は 澄み渡る空

有名なのはこれだけど別のバージョンもあってそれが

君が為 尽くす心は水の泡 消えにし後ぞ 澄み渡るべき

空があるかないかなんだけど、その違いは大きいなあと最近しみじみ思うのですよ。
しばらく前にこのバージョンを知ったときは澄み渡る空の方が綺麗で悲しくて良いなあと思ったのだけど、最近は澄み渡るべきの方がさらに悲しくていいなあとしみじみ。

歌は専門外・・・というか詩心がないので時折思い出しては解釈を繰り返してみているのですが、まあいろいろによめること。
上の句は普通に文久年間(もっと前からかもしれないけれど)に色々と働いたことをさしているのだと思うのですよ。
その後の下の句なんですが、「澄み渡る空」だと全てが水泡に帰した今「澄み渡る空」があるわけなのですよね。
だからきっと、斬首になったその日の空はきっと晴れていたんだと思っていたのですが。
「澄み渡るべき」だと、今はまだ澄んでいないかもしれない。
それも澄み渡るのは空じゃない。
心じゃないかと考えると全部無駄になったのにもかかわらず清々した!とかよめる。
それも状況からして消えるのが尽くした心じゃなくて自分自身だと読むと、いなくなればすっきりするだろう・・・とか、考えられるし。
もっと怖いことを考えれば、君=武市先生として考えると同日に切腹と聞いていることから、これまで尽くしてきた人が消えて夢から覚めた・・・とも・・・。

こうやって妄想を振りかけて考えると志士として奔走してきたことが全て終わってしまったその時、なんというのかなあ。
夢から覚めたようなすっきりとした気分で向かえたんじゃないのかしら。
清々としたとはちょっと違うのかな。それこそ「澄み渡る空」としか言いようのない気分?
大体、小説や映画では恨みを残して斬られていくけれど、辞世まで読んでいるとすれば、終わってしまったことの感傷とともに死を受け入れたのではないかなあ。

色々考えられるのが歌のよいところだよなあ・・・。とか勝手に妄想を楽しんできたのだけどね。
解釈が広い分「澄み渡るべき」の方が面白い。
「澄み渡る空」もそこから心境を色々に考えられるけどさ。
なんか「澄み渡るべき」の方が悲しい。「澄み渡る空」だと綺麗な分、悲しみを打ち消してくれる気がする。
うーん、和歌の素養が欲しい。もう少しちゃんと解釈が出来る人、教えてください。

って、命日でもないのにそんなことを考えるのは秋だからかなあ。
最近、そんな死に臨んで・・・ってことばかりだな。
死期が近いのか・・・?
せめて、そのときにまでに辞世のひとつも詠めるようになってからにして欲しい。