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1096年 〈第1回十字軍の出発(~1099)〉★

2017-06-18 | 『新世界史頻出年代暗記』

 

 ▲第1回十字軍のエルサレム攻撃

●教会(中世カトリック教会)

The first expedition of the Crusaders.

ベック式!ゴロ合わせ

従軍(じゅうぐん)向かう 家を去る。

 1096年  

  十字軍 

   セルジューク=トルコ  イェルサレム 

 

11世紀、聖地イェルサレムを支配したセルジューク朝が小アジアに侵入してビザンツ帝国を圧迫。

ビザンツ皇帝アレクシウス1はローマ教皇に援助を要請した。ローマ教皇ウルバヌス2は1095年、クレルモン公会議 《「レルモン会議」で「95」!》 を召集して聖地回復の十字軍を提唱。

1096年、決定に基づいて第1回十字軍が派遣された。聖地は奪回されイェルサレム王国が建てられた。

 

十字軍運動の展開  11世紀末~13世紀の約200年にわたって展開された(回数には諸説あり)。
    • 第一回  a 1096 年に出発し、1099年に聖地を回復、略奪。b イェルサレム王国  を建設。
        → イスラーム世界はまとまりを欠いていたが、まもなく勢力を回復し激しい抗争が続く。

解説

1099年に十字軍がイェルサレムを占領したとき、十字軍兵士によってイスラーム教徒やユダヤ教徒の7万人が虐殺され、「岩のドーム」などの財宝が略奪された。この時成立したイェルサレム王国の国王となったロレーヌ侯ゴドフロワは「聖墳墓の守護者」を名乗ったが、実態は世俗的国家で、十字軍の諸侯に土地を分け与えた。
  • 第二回  1147~49年 独王(コンラート3世)・仏王(ルイ7世)が参加 両者反目し失敗。
      1187年 c サラディン(サラーフ=アッディーン)  率いるアイユーブ朝軍がイェルサレムを占領。
  • 第三回  1189~92年 独王d フリードリヒ1世 ・仏王e フィリップ2世  英王f リチャード1世  
         が参加し最大の規模となる。しかし独王が途中で溺死、仏王が英王と対立し帰国。
       → 英王f リチャード1世  がc サラディン と単独講和に成功するも、聖地奪回出来ず。

解説

サラディンに占領されたイェルサレムを奪回するために起こされた第三回十字軍は、イギリス・フランス・ドイツ三国の国王が参加するという最大規模のものであったが、途中ドイツ王は小アジアで事故死しったためドイツ軍は引き返し、英仏両軍は本国で対立していたので共同作戦はうまくいかなかった。ようやくアッコンを奪回したところでフランス王は帰国、残ったイギリス王リチャード1世がサラディンとの間で休戦協定を結んで帰国した。聖地奪回はできなかったが巡礼の安全を確保することができた。
E十字軍運動の変質  ▲背景 13世紀初頭の世界情勢 a モンゴル帝国  の成立(1206年)。
    • 第四回  1202~04年 b ヴェネツィア  商人の要求でc コンスタンティノープル  を攻撃。
    • その地にd ラテン帝国  を立てる(前出)。ビザンツ帝国は一時消滅し、亡命政権をつくる。

解説

第4回十字軍 ローマ教皇インノケンティウス3世が提唱し、フランス諸侯がそれに応じて参加したが、その輸送を請け負ったヴェネツィア商人がコンスタンティノープルを占領することを提案して途中で方向が転換された。ヴェネツィアは東地中海の貿易でコンスタンティノープル商人と激しく競争していたのだった。聖地回復をほったらかしたことに対してインノケンティウス3世は第4回十字軍を破門にしたが、後に東方教会を統合する機会であると考えてそれを許した。
ラテン帝国 フランドル伯ボードワンを皇帝としたが実権はヴェネツィア商人が握っていた。それ以外にもいくつかのキリスト教徒諸侯を君主とする国が造られている。コンスタンティノープルを中心に東方との交易権を拡大しようとしたが、北方のブルガリアや、小アジアのビザンツ帝国の亡命政権であるニケーア帝国に攻撃され、ふるわず、1261年にニケーア帝国によって倒された。ニケーア帝国のミカエル8世はビザンツ皇帝となり、新たなパレイロゴス朝を始めるが、それがビザンツ帝国最後の王朝となる。
  •  宗教騎士団  の活動 f ドイツ騎士団   、 テンプル騎士団 、 ヨハネ騎士団 など。
       = 巡礼路・聖地の治安維持を目的とした騎士修道団。次第に秘密結社化する。
十字軍運動の終結  1212年 a 少年十字軍  の失敗。
  • 第五回  1228~29年 ▲皇帝b フリードリヒ2世   話し合いで聖地一時回復。
  • 第六回  1248~54年 仏王c ルイ9世  が主導。エジプト攻撃に失敗。
  • 第七回  1270年 仏王c ルイ9世  が主導。海路チュニスへの遠征失敗。王も病没。
・1291年 十字軍最後の拠点d アッコン  が陥落しe イェルサレム王国  滅亡、十字軍時代終わる。

地図 主な十字軍の経路

十字軍
 イスラーム勢力圏
 a 第1回十字軍  
 b 第3回十字軍  
 c 第4回十字軍  
 d 第6回十字軍  
 e 第7回十字軍  
 f 東方植民    
 g レコンキスタ  
 h ラテン帝国   

 

まとめ:運動への参加意図 聖地回復という宗教的情熱と共に、参加者の意図には次のようなものがあった。
     
  • ローマ教皇:a 教皇権を確立すると共に、東西教会の統一を目指した。  
  •  
  • 諸侯・騎士:b 従軍することによって、新たな領地と戦利品を求めた。  
  •  
  • 都市の商人:c 東方との遠隔地取引による商業的利益の拡大を求めた。  
  •  
  • ▲農民:十字軍に参加することでd 負債の帳消し、農奴身分からの解放を求めた。  
十字軍運動の結果:a 聖地回復には失敗    、その後の西ヨーロッパ世界に大きな影響を与えた。
影響
     
  1. 結果的に聖地回復ができなかったことによって、b  教皇の権威の動揺がはじまった。  
  2.  
  3. 遠征軍を指揮したc 国王の権威は高まった。  
  4.  
  5. 長期の遠征によりd 諸侯・騎士の没落が始まった。  
  6.  
  7. 十字軍の出港地となったe イタリア諸都市の繁栄がはじまった。  
  8.  
  9. 地中海貿易によるf 東方との貿易が再び活発になりヨーロッパの商業が復興した。  
  10. 先進文化圏であるg ビザンツ帝国、イスラーム圏の文化が流入することとなった。  

Text p.139

 → 十字軍は、中世の西ヨーロッパの国家、社会、文化を大きく転換させる契機となった。  

 


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