昭和二十二年、京都市生まれ。大阪市立工芸高校図案科卒業後、デザイナー・ディレクターを経て、関西放送事業(株)取締役・プロデューサーとなる。傍ら、谷口雅春・仲小路彰・三上卓の影響を享け、国事に奔走。また、アジア・中近東にて国際協力工作に従事。青年日本の会関西本部代表・大夢館館主・(公社)日本マレーシア協会理事長などを歴任。平成十六年、中国・上海において防衛省・警察庁・検察庁OBらと共に「東方安全保障機構」を設立、総裁に就任。平成二十二年、一切の役職を辞し京都の生家にて小庵「大愚叢林」を結び隠遁生活に入る。
五十年来の盟友である本誌編集責任者の四宮正貴氏から「時代劇は随分と費用がかかるのでしょうね」とのお尋ねがあった。
僕が、浅田次郎原作「輪違屋糸里」の映画製作を完成したことへのご質問であった。
十六の歳に維新回天の志を立て五十五年。
爾来、政治・文化・教育・人権・国際協力などあらゆる角度から社会運動を展開してきた。顧みれば、暗中模索・試行錯誤の繰り返し、何事も為し得なかった甎全というべき人生であった。
そこで残生を「最後の御奉公」として「稽古照今」――古き良き日本の歴史と伝統と文化に稽み、「本物の時代劇」を創造し今を照らす、それが日本の再生に通じると思い定め、俳優の品川隆二・石濱朗・工藤堅太郎・榎木孝明ら同志と相結び「輪違屋糸里」の映画化に挑んだのである。
時代劇は日本古来の精神文化の集大成であり、役者の演技や立ち居振舞いは勿論のこと、日本独特の美の綜合芸術であり、かつ日本が培ってきた武士道精神を中核に据えた、人間としての真の生き様・死に様の教本である。
この「本物の時代劇」を本格的に創ろうとすると、莫大な製作費がかかる。
昨今の営利本位の映画業界では、「時代劇は金を喰う割に儲からない」として、本格的な時代劇を創ろうとしない。
またTVでは視聴率、映画では興行実績という数字にのみ促われて、大衆に迎合する傾向にある。
更に、日本映画を支援する文化庁では「文化芸術振興費補助金」という制度があるが、何故か東宝や松竹といった大手の製作会社の作品には助成?するが、実績のない独立プロは相手にもされない。
ご多分に漏れず、わが「輪違屋糸里」も却下された。
映画議員連盟(会長・野田聖子総務相)の推挙であったが残念ながら、いま流行りの「忖度」はなかった。
その一方、二00七年に製作された「靖国 YASUKUNI」(監督・李櫻)などという反日映画には不思議と支援したりする。
この制度が、正しく運用されず、機能しないのは、政治家や役人に確たる国家観がないからである。
国家観といえば、僕が志を立てた昭和三十年代は、敗戦後遺症の色濃く「君が代」「日の丸」と言っただけで、世間から「軍国主義の再来」と猛反発を喰らったものである。
それをじっくり時間をかけて、粘り強く、あの手この手で社会運動をしてきた。
ようやく世論の傾向が正常化してきたかと、胸を撫で下ろしていたが、どこか違う。
「愛国心」「憲法改正」「靖国参拝」「教育勅語」など唱えていることは正論だが、どこか違う。
追い風に乗じて、付け焼刃の極論を振りかざしているだけの「にわか右翼」が政界や言論界から巷に至るまで横行している。
こういう小賢しい輩の言動は、むしろ利敵行為とさえ言える。
本気で世の中を変えようと念ずるならば、軽挙妄動は慎み、深く静かに推進すべきものだ。
映画の力は強大である。だからこそ、映画は綜合芸術・大衆娯楽であると同時に、強力な宣伝ツールとなる。
故に歴史上、多くの国が映画を「国家戦略」として位置づけてきたのである。
終戦後、日本で製作される映画はGHQの下部組織CIE(民間情報教育局)によって管理されることになった。国家主義や愛国主義、自殺や仇討ちなどが禁止項目となり、時代劇は事実上不可能となった。
また、GHQの主導で「民主主義」を礼讃するプロパガンダ映画が多数製作されるようになった。
僕ら団塊世代の方はご記憶にあろうかと思うが、学校から課外授業として「十戒」を観賞させられたりした。また、西部劇を観て騎兵隊が正義でインディアンが悪と思い込んでいた。史劇における十字軍と非キリスト教国も然り。TVではアメリカのホームドラマが放映され「パパ大好き」や「うちのママは世界一」などを観てアメリカの社会に憧れたものである。
余談になるが、かつて巷間を騒がせたM資金も実体はMOⅤIE工作資金の略であったという説もある。
アメリカもまた、映画によって、わが国を改造しようとしたのである。
僕が時代劇を「最後の御奉公」と思い定めたのは、こうした観点から映画を通じて、日本文化の素晴らしさを世界に伝えると共に、領土問題や歴史認識など諸外国と意見が対立する問題において、国際社会への日本の主張を効果的に浸透させる上でも、映画は極めて重要な役割を果たすことができる。また、国内では、日本の伝統文化への理解を深め、自国に対する誇りを回復させることができると考えたからである。
たとえ、莫大な製作費がかかろうとも、そのアテも算段もなく、採算を度外視してでも「本物の時代劇」を世界に発信したい、次代の日本人に観てもらいたいとの一念からである。
冒頭の四宮氏のご質問にこうお答えした。
「十六の歳に志を立てた不惜身命の覚悟を想い起こせば、しわ腹をかき割く気力も、臭い飯を喰う体力もない老骨の今、製作費がいくらかかろうとも何程のモノではありません」
それにしても、本格的に時代劇を創ろうとすると大層お金のかかるもので、江戸時代なら千両を上回る借財が出来てしまった。昭和二十年八月二十日、満州建国の夢破れ自決した満洲映画協会の甘粕正彦理事長の辞世の句
大博奕
身ぐるみ脱いで
すってんてん
の心境である。
(平成三十年八月二十五日認)
革新と伝統 八月号寄稿分
五十年来の盟友である本誌編集責任者の四宮正貴氏から「時代劇は随分と費用がかかるのでしょうね」とのお尋ねがあった。
僕が、浅田次郎原作「輪違屋糸里」の映画製作を完成したことへのご質問であった。
十六の歳に維新回天の志を立て五十五年。
爾来、政治・文化・教育・人権・国際協力などあらゆる角度から社会運動を展開してきた。顧みれば、暗中模索・試行錯誤の繰り返し、何事も為し得なかった甎全というべき人生であった。
そこで残生を「最後の御奉公」として「稽古照今」――古き良き日本の歴史と伝統と文化に稽み、「本物の時代劇」を創造し今を照らす、それが日本の再生に通じると思い定め、俳優の品川隆二・石濱朗・工藤堅太郎・榎木孝明ら同志と相結び「輪違屋糸里」の映画化に挑んだのである。
時代劇は日本古来の精神文化の集大成であり、役者の演技や立ち居振舞いは勿論のこと、日本独特の美の綜合芸術であり、かつ日本が培ってきた武士道精神を中核に据えた、人間としての真の生き様・死に様の教本である。
この「本物の時代劇」を本格的に創ろうとすると、莫大な製作費がかかる。
昨今の営利本位の映画業界では、「時代劇は金を喰う割に儲からない」として、本格的な時代劇を創ろうとしない。
またTVでは視聴率、映画では興行実績という数字にのみ促われて、大衆に迎合する傾向にある。
更に、日本映画を支援する文化庁では「文化芸術振興費補助金」という制度があるが、何故か東宝や松竹といった大手の製作会社の作品には助成?するが、実績のない独立プロは相手にもされない。
ご多分に漏れず、わが「輪違屋糸里」も却下された。
映画議員連盟(会長・野田聖子総務相)の推挙であったが残念ながら、いま流行りの「忖度」はなかった。
その一方、二00七年に製作された「靖国 YASUKUNI」(監督・李櫻)などという反日映画には不思議と支援したりする。
この制度が、正しく運用されず、機能しないのは、政治家や役人に確たる国家観がないからである。
国家観といえば、僕が志を立てた昭和三十年代は、敗戦後遺症の色濃く「君が代」「日の丸」と言っただけで、世間から「軍国主義の再来」と猛反発を喰らったものである。
それをじっくり時間をかけて、粘り強く、あの手この手で社会運動をしてきた。
ようやく世論の傾向が正常化してきたかと、胸を撫で下ろしていたが、どこか違う。
「愛国心」「憲法改正」「靖国参拝」「教育勅語」など唱えていることは正論だが、どこか違う。
追い風に乗じて、付け焼刃の極論を振りかざしているだけの「にわか右翼」が政界や言論界から巷に至るまで横行している。
こういう小賢しい輩の言動は、むしろ利敵行為とさえ言える。
本気で世の中を変えようと念ずるならば、軽挙妄動は慎み、深く静かに推進すべきものだ。
映画の力は強大である。だからこそ、映画は綜合芸術・大衆娯楽であると同時に、強力な宣伝ツールとなる。
故に歴史上、多くの国が映画を「国家戦略」として位置づけてきたのである。
終戦後、日本で製作される映画はGHQの下部組織CIE(民間情報教育局)によって管理されることになった。国家主義や愛国主義、自殺や仇討ちなどが禁止項目となり、時代劇は事実上不可能となった。
また、GHQの主導で「民主主義」を礼讃するプロパガンダ映画が多数製作されるようになった。
僕ら団塊世代の方はご記憶にあろうかと思うが、学校から課外授業として「十戒」を観賞させられたりした。また、西部劇を観て騎兵隊が正義でインディアンが悪と思い込んでいた。史劇における十字軍と非キリスト教国も然り。TVではアメリカのホームドラマが放映され「パパ大好き」や「うちのママは世界一」などを観てアメリカの社会に憧れたものである。
余談になるが、かつて巷間を騒がせたM資金も実体はMOⅤIE工作資金の略であったという説もある。
アメリカもまた、映画によって、わが国を改造しようとしたのである。
僕が時代劇を「最後の御奉公」と思い定めたのは、こうした観点から映画を通じて、日本文化の素晴らしさを世界に伝えると共に、領土問題や歴史認識など諸外国と意見が対立する問題において、国際社会への日本の主張を効果的に浸透させる上でも、映画は極めて重要な役割を果たすことができる。また、国内では、日本の伝統文化への理解を深め、自国に対する誇りを回復させることができると考えたからである。
たとえ、莫大な製作費がかかろうとも、そのアテも算段もなく、採算を度外視してでも「本物の時代劇」を世界に発信したい、次代の日本人に観てもらいたいとの一念からである。
冒頭の四宮氏のご質問にこうお答えした。
「十六の歳に志を立てた不惜身命の覚悟を想い起こせば、しわ腹をかき割く気力も、臭い飯を喰う体力もない老骨の今、製作費がいくらかかろうとも何程のモノではありません」
それにしても、本格的に時代劇を創ろうとすると大層お金のかかるもので、江戸時代なら千両を上回る借財が出来てしまった。昭和二十年八月二十日、満州建国の夢破れ自決した満洲映画協会の甘粕正彦理事長の辞世の句
大博奕
身ぐるみ脱いで
すってんてん
の心境である。
(平成三十年八月二十五日認)
革新と伝統 八月号寄稿分