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大愚記 花房東洋 

大 愚 言 ・今の日本に「馬鹿」の出番はないのか  大愚叢林庵主 大愚東洋

2018年01月12日 18時44分45秒 | 大愚言
イェール大学のクリストファー・スピルマン歴史学博士は、僕を評して

東洋さんは驚くほど顔が広い。政治家にも顔が利き、官僚とも繋がりがあり、学者の友達も沢山いる。その人脈は東南アジアや中国にも広がっているようである。しかし、この人脈がどうやって築きあげられたのかは明白ではない。一種の謎である。この不思議な人脈の広さは東洋さんの個人的な魅力や一種のカリスマ性によるものであると私は勝手ながら解釈している。そもそも、「東洋」という号が示しているように、東洋さんはアジア主義者であり、国士的な雰囲気を漂わせる人物である。幕末に生まれていれば、東洋さんは志士として倒幕運動に加わっていたに違いない。大正時代に生きていれば、きっと老壮会や猶存社に出入りし、国家改造に全力を尽くしていたであろう。激動の昭和期であれば、革新運動に関わり、大川周明や北一輝と肩をならべ、アジア解放のために戦っていたであろう。しかし惜しくも、平成の平和で平凡な日本では、東洋さんのようなスケールの大きな人物は、あまり出番がない。(大愚記「逆説の人」より)
と述べている。

要は、平和で平凡な今の日本には、僕のような「馬鹿」の出番はないということだ。
成程、十六の歳に維新回天の志を立て五十五年、顧みれば何事も為し得なかった暗中模索・試行錯誤の繰り返し、甎全というべき出番のない人生であった。

そこで「最後の御奉公」として、「稽古照今」―古きよき日本の歴史と伝統と文化に稽み「本物の時代劇」を創造し今を照らす、それが日本の再生に通じると思い定め、俳優・榎木孝明らと相結び、浅田次郎原作「輪違屋糸里」の映画製作をした。そのことは、先の大愚言(平成二十九年七月五日付)で述べた通りである。
ところが、映画は完成したものの配給の面で難航している。これは、配給担当のプロデューサーの不手際か怠慢か無能によるものである。
しかし、僕は心なきプロデューサーや映画監督を使った落度は、全て自分にあると考える。
わが大愚叢林では

馬鹿よりも馬鹿を使う者はもっと馬鹿
と教えているからだ。

それにしても、日本の大手配給の壁は厚い。
そこにいくと海外は大らかで自由である。
後掲する「ラスベガス・ハリウッド誌」に「輪違屋糸里」の紹介と僕のインタビュー記事が掲載され、昨年十月に開催された「東京国際フィルムフェスティバル」を皮切りに、ドバイ・カンヌそしてハワイ・上海と発表が予定されている。
この海外でのパフォーマンスが、どう作用するかは未定である。

スピルマン博士がいうように、今の時代に僕のような馬鹿の出番ないのであれば、「最後の御奉公」がならぬものであれば、「いたちの最後っ屁」ならぬ「馬鹿の最後っ屁」でも放ってみることにしよう。











Originally published in Las Vegas Hollywood Magazine, December 2017 issue.

(平成三十年一月十二日認)