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大愚記 花房東洋 

日本民族文化のルーツ・マレーシア   花房東洋

2015年01月24日 14時46分33秒 | 花房東洋
平成九年六月一日発行 「すぐに役立つ実用マレー語会話辞典」より
 琉球の古い民謡の中に「マタハリヌ・チンタラ・カヌサマヨ」というのがあるが、この意味を地元の古老に尋ねても「ただの合いの手で特別の意味はない」と答える。ところがこれは紛れもないマレー語である。「マタハリ」とは「太陽」、「チンタ」は「愛する」それに「ラ」という強調語が付いて「強く愛する」という意味である。最後の「カヌサマ」は大和言葉の「神様」の訛りである。琉球には、民謡の例を挙げるまでもなく、マレー文化に共通するものが多々ある。マレーとの関連は琉球ばかりでなく、日本本土においても見られる。「阿蘇山」や「富士山」がマレー語だと言うと、信じて貰えるだろうか。

遥かなる昔、丸太舟に帆を掛けて原始マレー人が沖合の漁撈に出た。黒潮と偏西風に押し流されて台湾、琉球そして日本列島の南端・日向海岸へと流れ着いた。そこで煙たなびく高千穂の峰を見て「あっ煙だ!」と叫んだ。(マレー語で〝煙〟のことを〝アソップ〟という)以後「煙の山」(アソップ→アソ→阿蘇)と呼ぶようになった。更に土佐海岸、紀伊半島、渥美半島と流れ、秀麗の富士山を仰ぎ見て「素晴らしい!」と褒め讃えた。(マレー古語で〝素晴らしい〟又は〝褒める〟ことを〝フジー〟という)これが「素晴らしい山」(フジー→フジ→富士)となった。
「名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実一つ」と渥美半島・伊良湖畔において島崎藤村が詠ったように、南方にしかない椰子の実が日本列島に無数に流れ着いている。南方に生棲した原始マレー人も椰子の実と同様、黒潮と偏西風に乗って流れ着いたのであろう。
 
日本民族文化の根源は「稲作文化」である。それ故に、我々先祖は我が国を「豊葦原瑞穂の国」と称した。しかし、稲作は通説にあるような中国大陸から渡来したものではない。大陸文化が日本民族の文化形成に多大な影響を及ぼしたことは否めないが、大陸文化が本格的に、日本へ渡来したのは奈良朝期以降のことである。この時期の日本では、既に稲作が根付いていた。また、北方中国において現在まで水田稲作は皆無に近い。従って、日本文化の根源が稲作文化である限り、大陸文化が日本文化のオリジナルではなく、南方民族の漂流移動によって到達・伝承された黒潮文化(稲作文化)が日本民族文化のオリジナルであると考えるのが自然である。故に、古事記や日本書紀に書かれているように南方民族が流れ着いた日向海岸や高千穂の峰が日本民族発祥の地とされているのである。

以上は、小生の手前定規な推論ではない。本協会顧問であった故ラジャー・ダト・ノンチク長老が福田赳夫元首相から聴かれた説である。その福田元首相も山下奉文、今村均両将軍から聴かれたとのことである。このように、両将軍はアジアと日本との歴史的な関わりを調査された上で、アジアに民族独立の貴重な種を蒔かれたのである。昨今の円高をはじめとする経済状況の中、企業の海外進出がブームだが、その前に、同じ根をもつアジアの人々の言語・文化・宗教・習慣など諸々の事般を調査研究し、理解して、その地に適応した実践が重要不可欠ではなかろうか。


2 コメント

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アサマ 浅間もそうですね。 (MOTO)
2015-07-19 14:15:25
はじめまして。

富士山を祭る「浅間神社」

せんげん ではなく
アサマ   で読んでいたとききます。

浅間山かしら なぜ?と思っていましたが
納得できました。

昔富士山からも煙が出ていた証拠でもありますよね。

現在 浅間山とは いつでも煙のある
イメージですが これも間違っていないし 遠いふるさとを知る事ができたような安心感につつまれました。

DNAのふるさと?

ポリネシアン系ということでしょうか?
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MOTOさん、おはようございます。 (管理人)
2015-10-02 11:33:58
気がつきませんで、承認が遅くなり済みませんでした。

文化の伝承は、南方系から北方系など色々だと思われます。

又こちらから、伝わっていったものも多くあります。

日本人の顔を見れば、そのルーツが分かります。

コメント、有難うございました。
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