花房東洋情報 大愚叢林

大愚記 花房東洋 

大 愚 言 ・「万事休す」は馬鹿のすすめ 大愚叢林庵主 大愚東洋

2020年05月12日 09時46分42秒 | 大愚言
久しぶりの大愚言。今回の稿は、外出自粛で暇をもて余している御仁、ストレスが溜まっている方々などに呈する。

江戸の初期に「乞食桃水」と呼ばれる異端の禅僧がいた。どこが異端かというと、寺は持たない、必要以上の布施は受けない、無理に渡せば他に与えてしまう。癩病病みの小屋に乞食らと共に暮らしているというほどのものであった。
桃水のことは、後に曹洞の高僧・面山瑞方が書き残した「桃水和尚伝賛」という著作のみである。その中で、面山和尚は「忽然と現れ、それほどの足跡も残さず、一人の後継ぎも持たず、忽然と去って行く桃水は散聖(さんしょう)であった。その散聖が危機に瀕した歴史を支えた」と讃えている。

その桃水が、法弟・雲歩の弟子である慧定に与えた一偈

慧定分明須らく直に休すべし
休休休の処亦何をか休せん
喫茶喫飯他にもとめず
慧定分明万事休す

一般的に「万事休す」とは、万策尽きて施す術(すべ)がないときに用いられるが、この場合「休す」を「休息」と捉えるべきであろう。
僕なりに拙訳すれば

歩くのが辛くなったら、背負った荷物を振り捨てて休んでごらん
休んで休んでなお休み
喉が渇けば茶を飲んで、腹が減ったら飯を食う
これぞ万事休すと心得よ

その意は
人は果てなき欲望のために、仕事を背負って走り続けている。行き着く先は決まっているのに、何でそんなに急ぐのか。
まずは休んでみよう。
そして、自分の人生を見詰め直してみよう。本当に要るものと要らぬものを見極めて、要らぬものは捨てて捨てて捨てきろう。
裸一貫、捨てるものがなくなったら何も怖いものはないよ。
これが「万事休す」という絶体絶命の覚悟と心得よ

コロナ対策よりも、この現象を問題提起と捉えて、「万事休す」の大覚悟で、折角の休息を甘受すべきだと、僕は愚考する。
どんな対策よりも、乞食桃水の爪の垢でも煎じて飲んだ方が、特効薬になるのではなかろうか。

追記:休息(レスト)を無くす(レス)とレストレス、つまりストレスとなる。従って「万事休す」ればストレスもなくなる。しかし、休息をとることがストレスになる人もいるようだ。こういう人は仕事の亡者と知るべし。

令和二年五月十二日認


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。