上りでもアオられなくなってきた。
前々からアオられるのが怖くて、“アオり”についてよく考えていた。
今の時点では、アオられるということは、信頼されていてそこに愛があるからだ、と解釈はしている。
もちろん、いつもアオられていれば慣れてくるのだ。
しかし、頭で分かっているはずでも、底知れぬ不安感がいつもぬぐい切れないでいた。
特に金山に向かっている道では、不安が最高潮だった。
「今日も全開で攻めるぞ!」という気持ちも強かったので、武者震いが止まらなかった。
この精神状態を人に説明するのは難しい。
もしかしたら、旧ハチロクの時よりも不安感だけでいえば、今の方が大きいかもしれない。
それは、パワーが無いことを言い訳にできなくなったことが1つある。
ハチロクターボでアオられた時に「パワーが無いからアオられた。」なんて言うのは無しであるからだ。
パワーを得たことで、その分“負け”に対する恐怖感が増えたのか?
逆説的である。
本当の所‥、テクニックで負けるのが怖いのかもしれない‥。
金山に行くといつも全開で攻めるのは、走りをレベルアップさせてアオりからの恐怖を払拭する為ではない、と思いたい。
そういえば、シビックなども「ターボはご法度」という気質が漂っている。
あれってなんだろう?
「なんでターボにしちゃダメなん?」と誰かに聞きたくなる。
シビックもターボの方が全開で攻めるのが難しいはずだ。