世界のどこかで起きていること。

日本人の日常生活からは想像できない世界を垣間見たときに記しています(本棚11)。

綾瀬はるかの「戦争」を聞く 2018

2018-08-16 08:50:46 | 日記

 “戦争”は相手国・民族より自分達が優れていることを、相手を完膚なきまでに叩きのめして証明し、生き残る戦いです。
 だから私は、「戦争では男は殺され、女はレイプされるのが当たり前」と捉えてきました。

 違いますか?
 殺人が犯罪にならない戦争状態の中で、レイプは犯罪として成り立つのでしょうか?

 そこでさらに気づく矛盾が“戦争犯罪”として非難されるのは“敗者”ばかりで“勝者”は裁かれないという事実。

 人類史上最大の殺戮は、日本に投下された原子爆弾ですが、投下したアメリカは戦勝国なので罪に問わていません。
 被爆者は生活補償をアメリカにではなく日本政府に求めることに、私は矛盾を感じます。
 第二次世界大戦が終戦してからはじまったロシアによる57万人の日本人シベリア抑留も裁かれていません。

 満州の取り残されてロシア兵にレイプされた日本人女性は何人くらいいるのでしょうか?
 〜引き上げ帰国後に二日市保養所で強制的に中絶手術を受けた妊婦は500人だそうです。

 ドイツが敗戦したときに連合国兵士にレイプされたドイツ人女性は200万人いたと耳にしたことがあります。

 日本は韓国から従軍慰安婦の責任を問われています。
 韓国はベトナム戦争中にベトナム人女性をレイプして子どもをたくさん産ませました(ライダイハン)が、その責任はどうなっているのでしょう?

 以上、戦争被害の補償を始めるとキリがないことは明らかです。
 ある世界会議で“植民地支配の補償”の話が始まった途端、当事者であるヨーロッパ諸国は姿を消したというエピソードを耳にしたことがあります。

 やはり、戦争を起こさないという抑止力を鍛えるしか、悲劇を繰り返さない方法はないようです。

 先日、ジャレド・ダイアモンド博士によるジェノサイド(大量殺戮)のレクチャーを興味深く聞きました。
 ジェノサイドは未開民族にも、霊長類にもあるそうです。
 遺伝子に組み込まれた本能ですから、なくすことはできません。
 しかし社会的なルールを作って予防する能力がヒトにはあります。
 実際に「殺される人数は増えているが殺される比率は少しずつ減っている」と、ダイアモンド博士は慰めるようにコメントしていました。


番組紹介
2018年8月15日(水)『NEWS23』特別企画綾瀬はるか「戦争」を聞く~語らなかった女たち~
 終戦当時10歳の少女が目撃したものとは?
 歴史の闇に埋もれてきた女性たちの戦争を綾瀬はるかが取材

 TBSでは、終戦の日である8月15日(水)に『NEWS23』を35分拡大し、特別企画 綾瀬はるか「戦争」を聞く~語らなかった女たち~を放送する。
 2010年から毎年様々な戦争体験者の声に耳を傾け、その平和への願いを伝えてきた綾瀬はるか。今回、綾瀬が取材するのは“女性たちの戦争”だ。
 戦後、福岡市の博多港に139万人の日本人が命からがら引き揚げてきた。その中に、満州でソ連兵らから性暴力の被害に遭い、妊娠した女性たちが多く含まれていたことはあまり知られていない。引き揚げ船から海に身を投げた女性も少なくなかったという。また、「二日市保養所」という中絶のための施設も国が関わり秘密裏に作られた。治療の際に、医師や看護師が泣き声をあげた赤ん坊の命を奪うこともあったという。当事者の女性たちもずっと口を閉ざしてきた。
 綾瀬が訪ねたのは、10歳のとき満州で終戦を迎えた鈴木政子さん(83)。ソ連兵に連行され、収容所で2か月を過ごした。そこで彼女が目撃したのは、昼夜を問わず繰り返された性暴力。年頃の女性はみな標的にされ、鈴木さんが姉のように慕っていた当時18歳の「ゆう子さん」(仮名)も妊娠した。引き揚げ後、「二日市保養所」へ向かった「ゆう子さん」は、故郷の東北を 離れて東京で就職。82歳で亡くなるまで独身を貫いたという。
 戦後70年以上にわたり語られることのなかった“女性たちの戦争”。歴史の闇に埋もれてきた真実を、綾瀬はるかが見つめる。


<参考>
・「語らなかった女たち ー引揚者・七〇年の歩み」(鈴木政子著、2017年発行、本の泉社)
(東京新聞の紹介記事)
今ようやく語れる 引き揚げ女性の悲劇 藤沢の鈴木さん 体験談基に出版」2018.2.13
 戦後、旧満州(中国東北部)の収容所や日本に帰国する際に起きた悲劇を記録した「語らなかった女たち-引揚者・七〇年の歩み」をフリーライターの鈴木政子さん(83)=神奈川県藤沢市=が出版した。旧満州に侵入したソ連軍兵士に乱暴され、陵辱された身を恥じての引き揚げ船からの投身自殺…。長年にわたり調査を続け、戦争が引き起こす狂気と悲劇を描き出した。(布施谷航)
 主人公は実在の女性をモデルにした十七歳の「ゆう子さん」。収容所では髪を短くして少年のように振る舞っていたが、ソ連兵に乱暴され、帰国間際に妊娠が発覚。日本に帰ってから堕胎し、以後、結婚することなく人生を過ごした。
 鈴木さん自身も旧満州からの引き揚げ者で、十歳の時に父母に連れられて逃げるように帰国した。当時は何が起きていたのかよく分からなかったが、一九八〇年に引き揚げの記録を児童書として出版し、事実を知った。
 それからも取材を進めてさらに二冊、世に出したものの、書き尽くしたという感覚には至らなかった。本を出そうとする度、報告を兼ねて、お世話になった満州開拓団の団長だった男性を訪ねていくと「つらい思いや恥ずかしい経験が、女性たちの子孫に伝わるのは忍びない。書いてはいけない」と言われた。それでも年齢を経るにしたがって「戦争は狂気。悲劇を生むという事実を伝えなくては」との考えが強くなり昨年十一月、新著を出版した。
 執筆に当たり中国に四回、足を運んだ。堕胎の実態を知る九州の病院関係者にも取材した。自ら訪ねてきて体験を語った人、手元にある資料を全て託してくれた元団員もいた。記録に残さなければとの願いは自身だけのものではなかった。
 「『どうしても書きたいんだけど』とお願いしたら、『いいよ』と言ってくれました」。ゆう子さんのモデルになった女性は出版を快諾した直後の二〇〇九年に亡くなった。「語らなかった女たち」という書名には「今ようやく語ることができた」との意味を込めた。
 「『隠したい、でも知ってもらいたい』。そんな思いだったのではないでしょうか」。鈴木さんはそう推し量っている。

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