世界のどこかで起きていること。

日本人の日常生活からは想像できない世界を垣間見たときに記しています(本棚11)。

日本のロヒンギャ2016

2017-01-08 07:35:18 | 日記
 職場のある群馬県館林市には、一見してイスラム教徒とわかる人をよく見かけます。
 彼らはイスラム系ミャンマー人「ロヒンギャ」と呼ばれる人々。
 仏教国であるミャンマーでは、イスラム教徒は迫害の対象であり、海外に逃れているのが現状です。
 ミャンマーの民主政治家の象徴であるノーベル平和賞受賞者アウンサン・スーチー氏でも解決が困難と言われています。

■ ロヒンギャ難民 母国の仲間 助けたい
2017年1月8日:上毛新聞
 色とりどりのセーターやダウンジャケットが並ぶ店内。髪を覆い隠す民族衣装のヒジャブを身に着けた女性が手際良く、てきぱきと洋服を折り畳んでいた。昨年末のクリスマスを目前に、群馬県のユニクロ館林店(館林市富士原町)の店員、カディザ・ベゴム(30)は大忙しだった。2006年にバングラデシュから逃れてきたロヒンギャ難民だ。「お探しの商品がありましたら声を掛けてください」と元気な声が響いた。
 2年前の4月に育児休業から復帰し、準社員として働く。休んでいた時間を取り戻すかのようだ。仕事の内容は商品の陳列やレジ打ち、裾直しや保管庫の管理など日本人スタッフと変わらず、店の貴重な戦力になっている。
 ミャンマーのイスラム教徒少数民族「ロヒンギャ」の両親を持つ。父は医師、母も豊かな家庭の出身だったが、仏教徒が9割を占める同国では宗教や民族上の理由で生まれた時から差別の対象とされた。避難先のバングラデシュの高校を卒業した後、身の危険を感じて夫と2人で来日した。
 日本に来て、まずは日本語を猛勉強した。学費や入学金が免除される狭き門「難民高等教育プログラム」の奨学生に選ばれ、青山学院大総合文化政策学部に入学。難民や貧困問題について学んだ。
 「これまでロヒンギャというだけで変な目で見られ、差別を受けてきた人生だった。受け入れてくれた日本に感謝している」と打ち明けた。
 世界各地では、地域の紛争や迫害によって、故郷を離れざるを得ない人の数が6500万人を超えた。日本に逃れる難民も年々増えている。法務省入国管理局によると、15年は過去最多の7586人が難民申請し、27人が認められた。ただ、他の国に比べて認定基準は厳しく、受け入れに消極的だと指摘されている。
 そうした中、民間の新しい取り組みも始まっている。ユニクロを展開するファーストリテイリングは11年から難民の雇用を始め、自立を後押ししている。現在、シリアやエチオピア、ミャンマーの難民ら28人が国内の店舗で働いており、今後もさらに国内外で100人の雇用を計画する。衣料品を難民キャンプ地に届けるプロジェクトも行う。
 カディザは大学3年の時、就職活動で同社の取り組みを知った。世界の難民支援に携わりたいと思い、入社を決めた。
 現在は夫と、6歳と4歳の子ども2人と館林市内で穏やかに暮らす。育児と仕事を両立する忙しい日々だが、大きな夢も抱いている。「今は安全な国で生活しているが、母国に残った仲間たちを忘れたことはない。私の使命は困っている仲間を助けること。世界の全ての難民キャンプに洋服を届けたい」。
 5年後か、10年後になるかもしれない。自分の小さな力でも何かができ、ここで働くことが夢をかなえる近道になると信じている。