原爆製造に関するドキュメンタリーを二つ見ました。
1.フランケンシュタインの誘惑「原爆誕生 科学者たちの“罪と罰”」2016年11月24日、NHK-BS
2.「“悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇」2018年8月12日、NHK-BS
内容がオーバーラップするため、一つの項目にまとめて感想を記すことにしました。
私がポイントと感じた点を列挙してみます;
<ポイント>
・1930年代に核分裂反応(原子核に中性子を梗塞でぶつけると核分裂が生じ多量のエネルギーが発生する)がドイツ人物理学者により学会報告された。
・核分裂反応を利用すると前代未聞の強力な爆弾(原子爆弾)が製造できることが推察され、ドイツには原子爆弾を作ることのできる人材が揃っていた。
・ドイツからアメリカに亡命してきた物理学者レオ・シラードが「ドイツより早く原子爆弾を開発しないと戦争に負ける」という内容の書簡を当時のルーズベルト大統領に送ったが無視され、シラードは師のアインシュタインの力を借り、彼のサインと共に再度送ったらアメリカ政府が反応した。
・原爆開発計画である「マンハッタン計画」はルーズベルト大統領の側近かつ科学者であるヴァニーヴァー・ ブッシュの元で進められた。
・原爆開発の拠点である「ロスアラモス」の現場責任者はロバート・オッペンハイマーであり、天才と呼ばれながらノーベル賞に手が届かない彼は原爆製造という実績を目標に歴史に名を残そうと目論んでいた。
・マンハッタン計画進行中に、ドイツが予算の関係で原爆開発をあきらめたことが判明し、科学者達の間に「原爆開発を続けるべきか?」という迷いが生じた。
・オッペンハイマーは「大量殺戮兵器を開発し保有することで戦争の抑止力になる」と目的をすり替え、科学者達の反論を退けた。これは物理学者ボーアの影響を受けた思考である。かつ、当時の状況より科学者達は開発をやめる選択肢を持てなかった。これは、原発が危険なことを知りつつ経済成長のために使用を続ける現在の日本の姿に重なると私は感じた。
・原爆を実際に使うか、脅しとして使うかという議論もあったが、「3兆円という予算を使い開発した爆弾を実際に使ってその効果を見せつけなければ国民が納得しない」という理由で投下することを選択した。
・レオ・シラードは「原爆を使用して市民を大量殺戮すれば、アメリカは世界中の信頼を失う」という書簡を提出したが、オッペンハイマーにより握りつぶされた。シラードは政府に書簡を送りはしたものの、スノーデンのように世間に公表して審判を受けるという手法をとらなかったことが残念である。
・原爆投下により数十万人の日本人が死亡した。開発した科学者達の感想は、「まず、成功してホッとしたという喜びと安堵」「そして、大変なことをしてしまったという後悔」であった。
等々。
もし、ナチスが先に原爆開発・製造していたら、世界史は変わったことでしょう。
原爆は日本にではなく、アメリカ・ロシア・イギリスあるいはフランスあたりに投下されたはず。
ドイツの同盟国である日本は原爆の被害に遭わずに済んだ。
何が正しいことなのか、わからなくなってきます。
しかし現実には、日本に原爆は投下され、日本は世界唯一の被爆国になりました。
昨今、「非核化」が叫ばれていますが、私は矛盾を感じています。
日本は原爆の被害に遭いましたが、同じメカニズムの原発を許容し、世界最大級の事故に遭遇して多大なる被害に遭いました。
つまり、原子力は戦争利用も平和利用も危険きわまりないモノなのです。
原発を稼働させながら「核兵器反対」と叫んでも、世界を納得させられるのか、疑問です。
<内容紹介>
1.フランケンシュタインの誘惑「原爆誕生 科学者たちの“罪と罰”」
2016年11月24日放送、NHK-BS
人類に功も罪ももたらす「科学」。その知られざる姿とは?
今回は、第2次世界大戦中、原子爆弾を誕生させた巨大プロジェクト“マンハッタン計画”のリーダー「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーを中心に、核兵器開発に携わった科学者たちの「罪と罰」に迫る。
ナチスドイツに先を越されてはならないと始まった開発が、なぜドイツ降伏後も続けられ、広島・長崎に投下されたのか?科学者たちは何を考え、どう行動したのか?

2.「“悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇」
2018年8月12日放送、NHK-BS
広島・長崎で多くの命を一瞬にして奪った“悪魔の兵器”原爆。開発は第2次大戦中のアメリカで、ノーベル賞受賞者ら1200人以上のエリート科学者と空前の予算の兵器プロジェクトだった。
科学者たちはなぜ原爆開発に参加し大虐殺に突き進んだのか?発掘した証言テープや資料などから浮かび上がったのは、軍や政治家でなく、科学者自身が原爆開発を提案し、積極的に推進し、投下も主張したこと。科学者の深い心の闇、真相は?
1.フランケンシュタインの誘惑「原爆誕生 科学者たちの“罪と罰”」2016年11月24日、NHK-BS
2.「“悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇」2018年8月12日、NHK-BS
内容がオーバーラップするため、一つの項目にまとめて感想を記すことにしました。
私がポイントと感じた点を列挙してみます;
<ポイント>
・1930年代に核分裂反応(原子核に中性子を梗塞でぶつけると核分裂が生じ多量のエネルギーが発生する)がドイツ人物理学者により学会報告された。
・核分裂反応を利用すると前代未聞の強力な爆弾(原子爆弾)が製造できることが推察され、ドイツには原子爆弾を作ることのできる人材が揃っていた。
・ドイツからアメリカに亡命してきた物理学者レオ・シラードが「ドイツより早く原子爆弾を開発しないと戦争に負ける」という内容の書簡を当時のルーズベルト大統領に送ったが無視され、シラードは師のアインシュタインの力を借り、彼のサインと共に再度送ったらアメリカ政府が反応した。
・原爆開発計画である「マンハッタン計画」はルーズベルト大統領の側近かつ科学者であるヴァニーヴァー・ ブッシュの元で進められた。
・原爆開発の拠点である「ロスアラモス」の現場責任者はロバート・オッペンハイマーであり、天才と呼ばれながらノーベル賞に手が届かない彼は原爆製造という実績を目標に歴史に名を残そうと目論んでいた。
・マンハッタン計画進行中に、ドイツが予算の関係で原爆開発をあきらめたことが判明し、科学者達の間に「原爆開発を続けるべきか?」という迷いが生じた。
・オッペンハイマーは「大量殺戮兵器を開発し保有することで戦争の抑止力になる」と目的をすり替え、科学者達の反論を退けた。これは物理学者ボーアの影響を受けた思考である。かつ、当時の状況より科学者達は開発をやめる選択肢を持てなかった。これは、原発が危険なことを知りつつ経済成長のために使用を続ける現在の日本の姿に重なると私は感じた。
・原爆を実際に使うか、脅しとして使うかという議論もあったが、「3兆円という予算を使い開発した爆弾を実際に使ってその効果を見せつけなければ国民が納得しない」という理由で投下することを選択した。
・レオ・シラードは「原爆を使用して市民を大量殺戮すれば、アメリカは世界中の信頼を失う」という書簡を提出したが、オッペンハイマーにより握りつぶされた。シラードは政府に書簡を送りはしたものの、スノーデンのように世間に公表して審判を受けるという手法をとらなかったことが残念である。
・原爆投下により数十万人の日本人が死亡した。開発した科学者達の感想は、「まず、成功してホッとしたという喜びと安堵」「そして、大変なことをしてしまったという後悔」であった。
等々。
もし、ナチスが先に原爆開発・製造していたら、世界史は変わったことでしょう。
原爆は日本にではなく、アメリカ・ロシア・イギリスあるいはフランスあたりに投下されたはず。
ドイツの同盟国である日本は原爆の被害に遭わずに済んだ。
何が正しいことなのか、わからなくなってきます。
しかし現実には、日本に原爆は投下され、日本は世界唯一の被爆国になりました。
昨今、「非核化」が叫ばれていますが、私は矛盾を感じています。
日本は原爆の被害に遭いましたが、同じメカニズムの原発を許容し、世界最大級の事故に遭遇して多大なる被害に遭いました。
つまり、原子力は戦争利用も平和利用も危険きわまりないモノなのです。
原発を稼働させながら「核兵器反対」と叫んでも、世界を納得させられるのか、疑問です。
<内容紹介>
1.フランケンシュタインの誘惑「原爆誕生 科学者たちの“罪と罰”」
2016年11月24日放送、NHK-BS
人類に功も罪ももたらす「科学」。その知られざる姿とは?
今回は、第2次世界大戦中、原子爆弾を誕生させた巨大プロジェクト“マンハッタン計画”のリーダー「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーを中心に、核兵器開発に携わった科学者たちの「罪と罰」に迫る。
ナチスドイツに先を越されてはならないと始まった開発が、なぜドイツ降伏後も続けられ、広島・長崎に投下されたのか?科学者たちは何を考え、どう行動したのか?

2.「“悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇」
2018年8月12日放送、NHK-BS
広島・長崎で多くの命を一瞬にして奪った“悪魔の兵器”原爆。開発は第2次大戦中のアメリカで、ノーベル賞受賞者ら1200人以上のエリート科学者と空前の予算の兵器プロジェクトだった。
科学者たちはなぜ原爆開発に参加し大虐殺に突き進んだのか?発掘した証言テープや資料などから浮かび上がったのは、軍や政治家でなく、科学者自身が原爆開発を提案し、積極的に推進し、投下も主張したこと。科学者の深い心の闇、真相は?

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