世界のどこかで起きていること。

日本人の日常生活からは想像できない世界を垣間見たときに記しています(本棚11)。

〇〇〇が、〇〇〇に侵攻して勝手に独立国を名乗ったが、世界のどの国もそれを認めなかった。

2022-06-29 18:20:00 | 日記
2022年6月現在、上記見出しには、
ロシアがウクライナに侵攻して・・・
という言葉が当てはまります。

全く同じ表現がアテはなる事例があり驚きました。
それは・・・

日本が満州に侵攻して勝手に独立国(満州国)を名乗ったが、世界のどの国もそれを認めなかった。

というもの。

人間なんてそんなもの、歴史は繰り返すのですね。

ロシアを批判する日本人達、
昔々、同じことを日本人もやっていたことを知るべし。



隠蔽された“昭和の南海トラフ地震”

2022-05-29 09:09:21 | 日記
遠くない未来に発生すると予想されている「南海トラフ地震」。
実は私が生まれた昭和時代あったらしいことを知り、
録画されていた番組を視聴しました。

時は1944年12月7日。
太平洋戦争(第二次世界大戦)終戦の前年です。
戦局は悪化の一途に辿り、
日本は敗戦色が濃くなっていく時期。

しかし日本政府は国民に対して“敗戦色”をひたすら隠し、
国威発揚のメディアコントロールを続けていました。

これは全世界、
戦争中で起こりうる、
そして起こってきた“報道規制”ですね。

現在のロシアによるウクライナ侵攻でも、
ロシア国内では「善意の軍事作戦」としか報道されていませんし、
中国政府によるチベット弾圧も国外に漏れないよう情報統制されています。

古くは、新型インフルエンザによるパンデミックが、
戦争当事国では戦況不利になると隠蔽され、
中立国であったスペインだけが公表したので、
「スペイン風邪」と呼ばれるようになった皮肉な歴史もあります。

昭和の南海トラフ地震「昭和東南海地震」も例に漏れず、
ひた隠しにされました。
そのため適切な対応が取られず、
1ヶ月後に起こった「三河地震」ではさらなる悲劇が重なりました。

地元の被害者は「この経験を後世に伝えなければ」、
と神社仏閣などに碑を造りました。

その事実を後世に伝えるために文字を塗りなおしてほしいという当時の教えの通り、毎年墨が入れられているため、はっきりと読むことができます。碑文には、津波による被害や、それより148年前の「宝永地震」(1707年10月28日)の教訓を生かすことができなかったことが刻まれています。

このような行為は東日本大震災の時も紹介されました。

三陸海岸沿いの神社の位置をつなぐと、
ちょうど津波の被害の有無のラインと重なるという驚きの事実。
1000年前の「貞観地震」(869年)を経験した祖先からの警告だったのです。


▢ 隠された震災 昭和東南海地震

太平洋戦争さなかの1943(昭和18)年9月に発生した鳥取地震。被害は新聞などで報道され、義援金も全国から集まりました。直後の帝国議会では復興に関する質問がおこなわれますが、時の内閣総理大臣 東条英機がそれをさえぎります。地震被害を隠す――そのきざしは、この時からありました。

1944(昭和19)年12月7日。巨大地震の「昭和東南海地震」が中部地方を中心とする地域を襲いました。一般市民はもちろん軍需工場でも多数の被害が。しかし、発生後ただちに内務省が報道各社へ「報道はしないこと」と通達します。翌日の新聞で、地震関連の記事はほぼ0。震災は隠されたのです。

昭和東南海地震のおよそ1か月後、傷あとも生々しい中部地方で「三河地震」が発生、前の地震を超える2千人余が亡くなります。東南海地震のほとんどが隠され、被災後の適切な対応もとられないところへ再度の地震。壊れた家を修理できないまま住み、圧死するなど悲劇は重なっていきました。

<参考>
▢ 南海トラフ地震はいつ起こる?知っておきたい被害想定と対策

日本にもあった「奴隷制度」

2021-09-13 13:48:13 | 日記
日本の歴史教科書には「奴隷」という言葉は出てきません。
しかし、人身売買は実際に行われていたようです。
「安寿と厨子王」のお話もそのひとつですね。

特に室町時代までのいわゆる“中世”は当たり前のように行われていて、
記録にも、「能」の作品にも残されています。

それを扱った記事を見つけました;

「中世の日本にはたくさんの奴隷がいた」約20万円で人買い商人に売られた14歳少女のその後人身売買は本来「国禁」だが…
清水 克行:明治大学商学部 教授

ここには、奴隷制度の「功罪」が描かれています。
もちろん、人権を否定した人身売買は否定されるべきですが、
室町時代には、飢饉の際に子どもを売って東国(関東・東北地方)に向かわせ、買い取った主人が養いながら働かせたという面も指摘しています。

人身売買を否定するお触れを出したのは豊臣秀吉だそうです。
以降、人身売買は必要悪ではなく、否定されるべき行為、という認識に変わっていったとのこと。

翻って現在の日本、
一部に借金取りに追われて自由を奪われ労働する人々がいます。
定義的には“奴隷”そのもの。
つまり、奴隷制度は現代日本にも脈々と受け継がれる因習なのです。


2011.3.11、大川小で何が起こっていたのか?

2021-04-13 07:39:09 | 日記
2021.4.12放送のNNNドキュメント『命の砦 ~石巻・大川小の10年~』を視聴しました。
大川小学校は東日本大震災の際、津波で児童74名、教職員10名が死亡した悲劇の現場です。
近隣の小学校の中で、この学校だけが被害者数が突出しています。

そこで何が起こっていたのか?
遺族でなくても関心を持たざるを得ません。
今までも大川小に関するニュースをチェックしてきましたが、オブラートに包まれたような情報しか得られませんでした。

遺族に(元)学校教師の佐藤さんがいます。
被害者ながら、加害者扱いされている同じ教師という立場で、
「先生たちは子供の命を守るために必死だったはずなのに被害が生じたのはなぜか?」
と彼も同じ疑問を持ち続けました。

教育委員会、石巻市長の会見が繰り返し開かれるものの、国会答弁のような焦点をぼかした回答に終始します。

業を煮やした遺族は裁判に訴えざるを得ませんでした。
仙台地裁は「津波被害は回避し得た」と遺族側の勝訴。
仙台高裁は視点が異なり「現場の教師ではなく津波被害対策を不十分のまま放置した教育委員会や石巻市の責任」に帰し、遺族側の勝訴。
被告は最高裁に上告しましたが、最高裁はこれを棄却して高裁判断で結審となりました。

そのとき、私はあることに気づきました。
提出された資料の中に大川小学校の「災害対策マニュアル」があり、
そこにははっきりと「避難先は近隣の公園あるいは空き地」と記載されていたのです。

避難先は裏山ではなかった!?

つまり、現場の先生たちは、間違いを犯したのではなく、マニュアルを忠実に遵守しただけなのです。
ただ、結果が悪かっただけ。
マニュアルを無視して裏山に逃げたら津波は回避されるかもしれない、と頭によぎったかもしれません。
しかし、マニュアルを無視して裏山に逃げて被害が出たら・・・それこそ犯罪者扱いされることは目に見えています。

それが日本社会です。

それから、裁判に訴えた遺族は死亡した生徒74名の中、24組でした。
なんとなく少ない、と感じていた私。

裁判に参加しなかった遺族のつぶやきが事実を反映していました。
その父親は、
「もしオレがそのときここ(大川小)にいたら、裏山なんかに行かない。ここは安全だとずっと信じてきたから」
「だから先生たちを責める気持ちはない。最後まで一緒にいてくれて感謝している。」
とインタビューに小さな声で答えました。

そうなのです。地元では「学校は安全」というのが共通認識だったのです。

しかし被害は発生しました。

誰の責任?
現場の先生たち?
マニュアルを作った人?
それを検証せず指導を怠った教育委員会?
街として災害対策を啓蒙・浸透できなかった石巻市?

裁判は現場にいた個人の責任ではなくそれを取り巻く社会の責任に帰しました。

私はこのことを知り、ある光景を思い出しました。

それは大型台風による水害発生時、「ダムの放流による住民の死亡事故」の会見の場です。
「これは人災である」とダム管理会社の責任を追及する被害者たち。
「マニュアルを無視して常識的にダム放流の時間を遅らせてくれたら被害は発生しなかったのに」
と遺族側は訴えます。
しかしダム管理側は「マニュアルを遵守して行った」との一点張り。

現場は定められたマニュアルを守ることが求められます。
しかし、マニュアルを遵守しても結果が悪ければ責められる構図がここにも見え隠れしたのでした。

もし、マニュアルを無視して現場判断でダム放流の時刻を変更したら・・・平和解決できたのでしょうか?
いいえ、結果がよければ英雄視されるかもしれませんが、結果が悪ければ犯罪者扱いされるでしょう。

結局、マニュアル作成者がそれを検証し更新する作業を怠ったことが、両方の被害の根っこなのではないか、と感じました。

遺族は現場の誰かの責任にしなければ気が済まない、亡くなった子供が成仏できない、という気持ちはわかります。
しかし、学校の防災マニュアルをふだんから親が確認し「ここはおかしい」と指摘することもできたはずです。

皆さんの子供が通う幼稚園・保育園・学校の防災マニュアルを入手し、
「これで子供の命を守れるのか?」
という視点でチェックすることをお勧めします。


■ 『命の砦 ~石巻・大川小の10年~』

 宮城県・石巻市の大川小学校は雄大な北上川をのぞむ緑に囲まれた学校だった。運動会は地区住民の集まるお祭りで、児童108人の小さな学校だった。8mを越す津波が学校を襲うと、児童74人が犠牲となってしまった。2011年3月、大津波直後の大川小学校では多くの児童が行方不明になった。3月25日、ある女性は「何でも良いから娘の遺品をひとつでも多く」と道に散らばったものを見ていた。大川小学校の6年生だった娘はスポーツが大好きな、3姉妹の末っ子の女の子だった。女性が学校にたどり着いたのは震災5日後のことだった。4月に入ると、中学校の入学式や13歳の誕生日も娘がいないままに過ぎていった。四十九日合同供養式典では、児童と教職員あわせて84人の写真が並んだ。

 娘との対面はトラックの荷台の中であった。父親は「心の苦しみちょっとはなくなりましたね」などと話した。なぜ大川小だけ大きな被害が出たのか疑問を感じていた。

 大川小の児童は地震のあと50分の間校庭に留められていたことがわかった。また三角地帯で津波ののまれたことも分かった。2013年に文部科学省の後押しで石巻市に第3者による検証委員会が立ち上がった。しかし検証委員会は難を逃れた児童の聞き取りなど事実確認を行ったものの遺族の知りたい疑問にはなかなかたどり着かないままであった。2014年に大川小学校事故検証報告書では教職員の研修の充実などの提言がなされた。一方津波で犠牲となった原因については避難開始の意思決定が遅かったなどとしたがその詳細は明らかにすることができず、検証に限界があったと明記した。「親として本当に納得いきません」などの声も聞かれた。

 2014年3月10日に23人の遺族が石巻市と宮城県を相手どり裁判を起こした。教師をやめると、学校事故対応に関する調査研究会議に遺族の立場で出席し「教育関係者が必死になって守るのは組織とか立場ではないはず」などと話した。大川小学校の校舎は震災以降として保存することが決まった。2017年10月26日は判決の日であった。遺族側が勝訴し、石巻市と宮城県に賠償命令となった。裁判では大川小に津波が来ることが予見できたか争われた。大川小学校の当時の危機管理マニュアルは校庭の次の避難場所を近隣の空き地・公園等と曖昧にこそ原因があると訴えた。

 裁判長による現地視察が行われた。まず大川小の校庭を訪れ校舎周辺の状況や津波到達点の高さを確認した。2018年の4月26日に仙台高裁の判決は一審に続き2審も遺族側が勝訴した。 防災に関する訴訟で初めて事前防災の不備が認定されるなどした。仙台高裁は津波で児童が死亡する結果を回避できたと結論づけた。東京大学教授は「市の教育委員会の責任も認めている」などと話した。

 2019年、震災当時の小学生は成人を迎えた。亡くなった狩野さんの三女の部屋はあの日のままになっている。2020年、裁判が終わり教育委員会は遺族の話をする機会を設け、新任校長研修を実施。講師を担当する佐藤さんは震災で次女を亡くしており、震災を伝える語り部として活動している。東日本大震災で被災した学校は都道府県で約8000校にのぼっている。研修に参加した校長はできることをしっかりやっていきたいと述べた。

白人至上主義「オルト・ライト」とトランプ政権

2021-01-14 07:49:32 | 日記
人種差別団体がトランプ政権になってから活気を帯びてきたそうです。
自分たちの主張は、平和主義の政権では抑圧・否定されがちだけど、
トランプは否定しない、むしろ認めるような雰囲気が発言の端々に感じられる、と。
従来は地下活動的でしたが、トランプ政権になってから表立って活動する機会が増えてきました。

白人至上主義には古くは「KKK」(クー・クラックス・クラン)が有名ですが、近年は「オルト・ライト」という団体を耳にします。

数年前のTV番組で、この組織を扱ったものが録画されているのを思い出し、
視聴してみました。


■ 「白人至上主義の裏側 ~オルト・ライト潜入記~」



隠しカメラを手に、アメリカで台頭する新右翼「オルト・ライト」の内側に潜入。統率された組織力と豊かな資金力・・・トランプ政権を支える過激団体の戦慄の内幕をルポ。
シャーローツビルで白人至上主義のネオナチ集団と市民団体が衝突し、女性1人が死亡・・・スウェーデン人のパトリック・ヘルマンソンは、その現場にいた。人権団体の要請でオルト・ライトのメンバーとなり、幹部候補生としてロンドンからアメリカへ・・・生命の危険をおして1年ちかく、過激思想とフェイクニュースを拡散させる団体の活動実態を記録した。世界各国で注目を集めるスクープ・ドキュメント。

原題Undercover in the Alt-Right制作国際共同制(NHK/DR/NRK/RTS/SRF/ZDF ARTE)
Silverfish Film & SVT(2018年 スウェーデン)

番組を見て感じたのは、その核となる思想が「人種差別」よりも「白人が如何に生き残るべきか」という意外な事実でした。
自分の民族が少数派になりいずれ消滅してしまうのではないか、という危惧を抱き、それを過激な手法で表現している印象を持ちました。

であれば、程度の差はあれ、自分の民族を維持するため、世界各国は小競り合いをしているのと、ベクトルは異なりますが、所詮は同類なのかもしれません。

「トランプ政権は白人社会の断末魔の叫びである」という表現を耳にしたことがあります。
アメリカ社会では白人の人口比が近い未来に5割以下になり、マイノリティと呼ばれた白人以外の民族が5割を越えてマイノリティを脱却することが予想されています。
すると、白人が団結しても政権が取れないことが現実化します。
それに危機感を抱いている白人達が、トランプを熱狂的に支持せざるを得ないという事情もあるようです。

彼らは移民排除の思想を持っています。
よく指摘されることですが、彼ら自身の祖先はヨーロッパからの移民であり、
先に来ただけなんですけどね。