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CTNRX的事件File. ♯008ー①

2023-09-10 21:00:00 | 出来事/備忘録

 ■アメリカ同時多発テロ事件

 アメリカ同時多発テロ事件
 (英: September 11 attacks)

 2001年9月11日(火)の朝にイスラム過激派テロ組織アルカイダによって行われたアメリカ合衆国に対する4つの協調的なテロ攻撃。
 9.11事件と呼称される場合もある。

 一連の攻撃で、日本人24人を含む2,977人が死亡、25,000人以上が負傷し、少なくとも100億ドルのインフラ被害・物的損害に加えて、長期にわたる健康被害が発生した。
 アメリカの歴史上、最も多くの消防士および法執行官が死亡した事件であり、殉職者はそれぞれ343人と72人だった。

 また、この事件を契機としてアフガニスタン紛争 (2001年〜2021年)が勃発し、世界中でテロ対策が強化された。

 《概要》

 2001年9月11日火曜日の朝、アメリカ合衆国北東部の空港からカリフォルニアに向けて出発した旅客機4機が、アルカイダのテロリスト合計19人にハイジャックされた。

 ▼ワールドトレードセンターへの
   (世界貿易センター) テロ攻撃


 そのうちアメリカン航空11便とユナイテッド航空175便の2機はロウアー・マンハッタンのワールドトレードセンターへと向かい、午前8時46分(日本時間で午後9時46分)にアメリカン航空11便がノース・タワー(北棟)に、午前9時3分(日本時間で午後10時3分)にユナイテッド航空175便がサウス・タワー(南棟)にそれぞれ突入した。
 南棟は突入から56分後、北棟は1時間42分後に崩壊し、破片とそれに伴う火災は、47階建ての7 ワールドトレードセンタータワーを含むワールドトレードセンターの他のすべての建物の一部または完全な崩壊を引き起こしただけでなく、周囲にある他の10の大規模構造物に大きな損害を与えた。

 ▼ペンタゴンへのテロ攻撃

 3機目のアメリカン航空77便はバージニア州アーリントン郡のペンタゴン(アメリカ国防総省本庁舎)に墜落し、建物の西側が部分的に崩壊した。

 ▼テロ攻撃の失敗

 4機目のユナイテッド航空93便はワシントンD.C.に向かって飛行していたが、乗員乗客がハイジャック犯の拘束を試みた結果、ペンシルバニア州ストーニークリーク郡区の野原に墜落した。

 ワールドトレードセンターとその周辺のインフラの破壊は、ニューヨーク市の経済に深刻な打撃を与え、世界市場に大きな影響を与えた。
 アメリカとカナダの民間空域は9月13日まで閉鎖され、ウォール街は9月17日まで閉鎖された。
 さらなる攻撃への警戒や恐れから、多くの閉鎖、避難、キャンセルが続いた。

 捜査の結果アルカイダと指導者であるウサーマ・ビン・ラーディンに嫌疑がかけられ、アメリカは2001年10月に対テロ戦争を開始してアフガニスタンに侵攻し、アフガニスタンからのアルカイダの追放と、指導者であるビン・ラーディンの引き渡しという自らの要求に従わなかったタリバンを退陣させた。
 ビン・ラディンは当初、関与を否定していたが、2004年にはテロ攻撃の責任が自らにあることを認めた。

 アルカイダとビンラディンは、アメリカのイスラエル支援、サウジアラビアにおけるアメリカ軍の存在、イラクに対する制裁を動機として挙げた。
 ビンラディンは10年近く捕縛を逃れ、パキスタンの国境付近に居を構えていたが、2011年にアメリカ軍の急襲により殺害された。

 ワールドトレードセンター跡地の清掃は2002年5月に完了し、ペンタゴンは1年以内に修復された。1(ワン) ワールドトレードセンターの建設は2006年11月に始まり、2014年11月にオープンした。
 ニューヨーク市の911メモリアル&ミュージアム、バージニア州アーリントン郡のペンタゴンメモリアル、ペンシルバニア州の墜落現場にある93便ナショナルメモリアルなど、多数の慰霊碑が建設されている。

 《ハイジャックされた旅客機》

 2001年9月11日朝(現地時間)、マサチューセッツ州ボストン、バージニア州ダレス(ワシントンD.C.近郊)、ニュージャージー州ニューアークを発った4機の旅客機が、モハメド・アタを中心とするアラブ系の集団によってほぼ同時にハイジャックされた。彼らは操縦室に侵入し、操縦士を殺害した後、自ら操縦して、2機(アメリカン航空11便、ユナイテッド航空175便)をニューヨーク・マンハッタンへ、残り2機(アメリカン航空77便、ユナイテッド航空93便)をワシントンD.C.へ向かわせた。


 なお、乗っ取られた4機のうち2機が米ボーイング社製のボーイング767型機で、残りの2機がボーイング757型機である。
 この2種類の機体は、運行する航空会社の操縦士に互換性を持たせるために、操縦室の操縦システムは基本的に同じ物が使われており、いずれも2人のみで操縦できるため、意図してこれらの機体が運行されている便が選択されハイジャックされたと考えられている。

 また、実行犯のリーダー、モハメド・アタをはじめとする一部のハイジャック犯たちは、アメリカ合衆国内にある民間の航空学校(ホフマン飛行機学校)で小型機の自家用操縦免許を取得した後に、これらの機体の操縦方法を事前にフライトシミュレータで訓練していたことが明らかになっている。

 これら4機がいずれも北米大陸横断ルートという、アメリカ合衆国国内線の中では長距離飛行に入るルートを飛行する便であったのは、長距離便のために燃料積載量が多く、衝突後の延焼規模を多くすることを狙ったと推測する者[要出典]もいる。
 なお、ハイジャックされて激突・墜落させられた旅客機の乗客・乗員は全員死亡している。

 ▼アメリカン航空11便


アメリカン航空のボーイング767-200ER(N334AA)

 ボストン発ロサンゼルス行きアメリカン航空11便(AA011; ボーイング767-200ER型機・機体記号N334AA)は、乗客81人(日本人1人を含む)・乗員11人を乗せ、午前8時00分頃にローガン国際空港を離陸し、ロサンゼルス国際空港に向かった。
 その後、11便は午前8時14分頃に始められたハイジャックにより、コックピットを乗っ取られた。
 11便は午前8時27分に進路を南向きに変え、午前8時46分にニューヨーク・ロウアー・マンハッタンのワールドトレードセンター・ツインタワー北棟(110階建)に突入し爆発炎上した。
 角度、速度ともに浅い離着陸時の事故と違い、機体の残骸はほとんど原形を留めていなかった。

 11便がWTC北棟に衝突する瞬間は、ニューヨーク市消防局Ladder Companyの取材をしていたフランスの映像作家、ノーデ兄弟によって撮影されていた。
 また、ホームビデオや定点カメラに写り込んだ映像も存在する。

 ▼ユナイテッド航空175便


ユナイテッド航空のボーイング767-200(N612UA)

 ボストン発ロサンゼルス行きユナイテッド航空175便(UA175; ボーイング767-200ER型機・機体記号N612UA)は、乗客56人・乗員9人を乗せ、午前8時14分にローガン国際空港を離陸し(アメリカン航空11便でのハイジャック発生とほぼ同時)、ロサンゼルス国際空港に向かった。
 午前8時42分頃、UA175便のパイロットは離陸直後に耳にした不審な内容の無線(ハイジャックされたアメリカン航空11便からの無線だった)について管制官に報告したが、それから午前8時46分までの間にUA175便もハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた。
 その後、UA175便は午前8時58分にニューヨークへ進路を変え、午前9時03分にWTC・ツインタワー南棟(110階建)に突入し爆発炎上した。
 南棟では北棟の爆発を受けて多くの人が避難を開始していたため、人的被害は北棟よりも少ないが、先に突入を受けた北棟より早く南棟が崩壊している。

 11便とは異なり、175便の突入時には、既に多くの人に事態が認識されていたことから、突入の瞬間の映像や写真が多数記録されている。
 なお、105階に居たエーオン副社長のケビン・コスグローブ(南棟の崩壊時に死亡)が、南棟が崩壊する瞬間まで911番へ電話で状況を伝えていた音声が録音されており、
 この録音はザカリアス・ムサウイの裁判において証拠として用いられた。

 ▼アメリカン航空77便


アメリカン航空のボーイング757-200

 ワシントンD.C.(ダレス国際空港)発、ロサンゼルス(ロサンゼルス国際空港)行きアメリカン航空77便(AA077; ボーイング757-200:機体記号N644AA)は、乗客58人・乗員6人を乗せて、午前8時20分に出発した。
 午前8時50分頃までにハイジャックされコックピットを乗っ取られた。
 直後に進路を北向きに変えた後、南へ転回、その後東へ進路を変えた。
 最初の進路離脱から3分間は管制塔と機長が交信していたが、その後通信不能となった。
 そして午前9時38分、バージニア州アーリントンにあるアメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突し、爆発炎上した。
 激突の瞬間の映像がペンタゴンの駐車場の監視カメラによって記録されており、また付近を通行中の多くのドライバーや歩行者によって降下し激突する瞬間が目撃された。

 防犯カメラなどの映像によると、機体は水平の状態で地面を滑走しながらペンタゴンに衝突していたが、高速で建築物に激突・炎上したため機体の残骸はほとんど原形を留めていなかった。

 ▼ユナイテッド航空93便


ユナイテッド航空のボーイング757-200(N591UA)

 ニューアーク(ニューアーク空港)発サンフランシスコ(サンフランシスコ国際空港)行きユナイテッド航空93便(UA093; ボーイング757-200、機体記号N591UA)は、午前8時42分、乗客37人(日本人1人を含む)(乗客37人中4人はテロリスト)・乗員7人を乗せて、滑走路の混雑で30分遅延で出発した。
 乗客の機内電話からの通報によると、午前9時27分にハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた。
 オハイオ州クリーブランド付近で進路を南に変え、さらに南東へ向かった。ワシントンD.C.へ向かうことを管制官に通告、標的はアメリカ合衆国議会議事堂かホワイトハウスであったと推測されている。
 午前9時57分、機内電話や携帯電話による外部との連絡で、ハイジャックの目的を自爆テロと認識した乗客が機の奪還に乗り出す。
 午前10時03分、93便は490ノット (563マイル毎時 (906 km/h)) の速度でペンシルベニア州ピッツバーグ郊外シャンクスヴィル(ワシントンD.C. 北西240キロの場所)に墜落した。
 離着陸時の速度の倍以上の高速で地上に衝突したため、機体の残骸はほとんど原形を留めていなかった。
 なお、地震計のデータから墜落の時刻を午前10時06分と公式記録と異なる報告がなされたが、後にこの時刻を算出した地震学者本人により撤回されている。

 乗客たちがハイジャッカーたちに反撃した際に「Let's Roll.(さあやろうぜ・よし、皆かかれ)」を合図にしたと言われている。
 この「Let's Roll」は、9・11事件以降のアフガニスタンでの「報復戦争」において一種のスローガンとして用いられた。
 9・11事件の調査委員会は乗客は操縦室内に進入できなかったと結論づけているが、一部の遺族はCVR音声に乗客が操縦室に進入した証拠が記録されていると主張している。
 なお、離陸からハイジャック、墜落までの乗員乗客の行動を基にした映画『ユナイテッド93』が2006年に公開された。

 《被害》

 ▼ワールドトレードセンター      
              (WTC)

ワールドトレードセンター(ツインタワー)

 午前8時46分40秒、ハイジャックされたアメリカン航空11便がワールドトレードセンター北棟(1 WTC)の北面、93 – 99階の部分に衝突した。
 衝突によってハイジャック機のジェット燃料が引火したことで北棟の高層階では爆発的な火災が発生し、また燃料がエレベーターシャフトを通じて落下したことで地上ロビー等の低層のフロアでも爆発が起こった。
 衝突から間もなく火災と黒煙は周辺階に広がり始め、8時52分には、過酷な状況に耐えかねて高層階から飛び降りる人々も現れた。
 この時点では、北棟への航空機の突入は(テロ攻撃ではなく)事故であるとの見方が大勢を占めていた。
 当時の大統領ジョージ・W・ブッシュも第一報を受けて「これはパイロットエラーによる事故だ」と発言した。
 9時00分までに、ニューヨーク市消防局の消防車やニューヨーク市警察のヘリコプターが現場に到着し、救助を試みていた。

 午前9時02分59秒、ハイジャックされたユナイテッド航空175便がワールドトレードセンター南棟 (2 WTC) の南面に突入し、南棟は爆発炎上した。
 ハイジャック機は機体を傾けながら南棟の77 – 85階の部分に衝突しており、当時78階のスカイロビー(英語版)でエレベーターを待っていた数百人に及ぶ避難者の多くが死傷した。
 この衝突によって南棟が負った構造的ダメージは、北棟と比較してより深刻だった。
 2機目のジェット機が南棟に衝突した瞬間は既に多数の報道カメラが記録を始めており、一般者も含めた数多のカメラによって様々な角度から捉えられた。
 この時点で、一連の出来事が事故ではなく故意に起こされた攻撃であることが広く認識された。
 午前9時37分、ハイジャックされた旅客機(アメリカン航空77便)がペンタゴンに突入した。
 9時42分、連邦航空局 (FAA) はアメリカ合衆国大陸部内のすべての民間航空機を離陸禁止とし、すでに飛行中の民間機にはただちに着陸するよう指示した。
 午前9時59分、ユナイテッド航空175便の南棟突入から56分後、ワールドトレードセンター南棟が崩壊した。
 その直後の10時03分11秒、ハイジャックされたユナイテッド航空93便がペンシルベニア州で墜落した。
 10時28分、アメリカン航空11便の北棟突入から1時間42分後、南棟に続きワールドトレードセンター北棟が崩壊した。

 ワールドトレードセンターのツインタワーは、航空機の衝突による大規模な構造的ダメージに加え、ジェット燃料が引き起こした火災の熱で構造部材(鉄骨柱・床トラス部材等)の強度が著しく低下したことで崩壊したと考えられている。
 アメリカ国立標準技術研究所の報告書によれば、火災によるダメージは(ジェット燃料ではなく)主にオフィス内の可燃物によるものであり、それらの可燃物が火災を増長しなければ、ツインタワーは崩壊を免れていた可能性がある。
 ツインタワーは、建設当時に世界最大のジェット旅客機であったボーイング707が突入しても崩壊しないよう設計されていたが、漏れ出したジェット燃料とそれによる大規模火災の影響は設計上考慮されていなかった。
 日本の鹿島建設は事件の翌年にWTC建物内部の損傷について独自のシミュレーションを実施し、崩壊が火災によるものであることを裏付けた。
 北棟の崩壊時の瓦礫が隣接する7 ワールドトレードセンタービル (7 WTC) に降り注ぎ、7 ワールドトレードセンターは損傷、さらに火災が数時間にわたって発生し、ビルの構造的健全性は失われた。
 午後5時21分、7 ワールドトレードセンターは倒壊した。
各旅客機のツインタワー両棟への突入の様子

 7 WTC以外にも、ワールドトレードセンター・コンプレックスと周辺の多くのビルが壊滅的な被害を受けた。
 全壊した施設には聖ニコラス聖堂も含まれていた[57]。1 WTC(北棟)、2 WTC(南棟)と同様に、3 WTC(マリオット・ワールドトレードセンター)と7 WTCは跡形もなく破壊された。
 4 WTC、5 WTC、6 WTC(合衆国税関ビル)、ウエスト・ストリートを渡る2つの横断歩道橋は激しく損壊した。
 リバティ・ストリートを隔てたドイツ銀行ビルは部分的に損壊し、2007年に始まった解体作業で取り壊された。
 ウエスト・ストリートを隔てたワールドフィナンシャルセンターの2棟のビルもダメージを被った。
 ワールドトレードセンター・コンプレックスの地下にはPATHトレインのワールド・トレード・センター駅が位置していた。
 ツインタワーの崩壊時、この駅は完全に破壊され、この駅からハドソン川の下を通ってニュージャージー州ジャージーシティのエクスチェンジ・プレイス駅へ向かうトンネルも水没した。
 北棟の崩壊により、北棟の屋上に設置されていた通信アンテナも破壊された。
 一時的に多くのTV局・ラジオ局の放送が断絶したが(WCBS-TVのみがエンパイアステートビルにバックアップ用の通信装置を持っていた)、それらの放送局はすぐに別ルートでの通信を確立し、放送を再開することができた。
 ワールドトレードセンターの敷地における火災は、テロ事件から100日後の12月20日にようやく鎮火した。
 この事件以降、ワールドトレードセンター・コンプレックス跡地は「グラウンド・ゼロ」や「ワールドトレードセンター・サイト(跡地)」とも呼ばれている。

 〔ウィキペディアより引用〕




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