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CTNRX的文化人類学 ー 生活様式としての民族④ ー

2023-05-16 21:00:00 | 自由研究

 ▼狩猟採集社会

 狩猟採集社会
(しゅりょうさいしゅうしゃかい)
 主に人類学上の言葉で、野生の動植物の狩猟や採集を生活の基盤とする社会のことである。農耕が開始された新石器時代まで全ての人類は狩猟採集社会だったと考えられている。

 〔概要〕

 狩猟採集社会は、北極圏から熱帯雨林、砂漠にいたるまで地球上全ての地域に存在している。19世紀から20世紀にかけては、社会進化論に基づいて狩猟採集社会から農耕社会という「進化」を世界的に適用し、狩猟採集社会が農耕社会に劣っているとする論者もいたが、これは本来自文化中心主義的な理論でしかない。
 これまでの研究の蓄積によって、アジアの狩猟採集社会のように、民族間の政治生態学的な権力関係の中で狩猟採集に分業した場合や、そもそも歴史的に栽培植物や家畜と縁がなくて、農耕や牧畜という生業形態に移行しなかった場合があることがわかっている。
 そして歴史的にもほぼ全ての狩猟採集社会は周辺の農耕社会と交易などによって結ばれた社会なのである。 狩猟採集社会の社会構造は多様である。ある社会には首長が存在し、そのような存在が確認されない社会もある。
 一般的に見て首長に権力は存在しない。首長が権力を持とうとするのを妨げる集団世論が働いているのである(ピエール・クラストル『国家に抗する社会』参照)。ただし戦時下においては一人の人間(指導者)に権力が集中する場合がある。 以前は「厳しい食料事情によって余剰食物が出ることは稀」とされていたが(生存経済)、
 民族誌の蓄積により、彼らは生存に必要な量の倍の食料を生産できるにもかかわらず、また原始農耕よりも労働時間が少ない過小生産傾向によって、余暇を生みだし生活していることが判明している。専門的な指導者や役人や職人といった人たちは滅多にいないが、ジェンダーによる作業の分離などは行なわれている。
 現在、農耕社会と狩猟採集社会の境界線は明確ではない。多くの狩猟採集民は、食料となる植物を増やすために、森林の植物を伐採したり、焼いたりといった伝統的な方法を持っている(半栽培)。
 また、現代においては定住化政策によって自給できなくなった分を配給によって獲得していたり、農耕民の手伝いをすることを通して食料を獲得している。

 ■関連項目 平等主義社会幻想

 〔概要〕

 アフリカの狩猟採集民ブッシュマンやピグミーには広汎な分配な習慣が認められてきた。彼らは食料を獲得してから消費するまで何度も何度も分配が繰りかえされる。この様式を支えているのはマーシャル・サーリンズが指摘した一般的互酬性の原則であるが、彼らの中で生じる分配は権威を発生させるものではない。

 ブッシュマンのサンの場合、優秀なハンターは大量に捕獲した後は狩りにでないようにし供給そのものを減らし、分配される側にまわる。さらにハンターや獲物の所有者に対して節制が求められ、分配による威信獲得の機会を縮小される。また互いに矢を交換することで、獲得した獲物の所有者を分散させている。つまり、サーリンズが指摘したような、所有に対する欲望がないから平等な分配が起きているのではなく、日常の中から常に威信を平準化するプロセスが働くことで平等な関係が達成されている。

  〔ウィキペディアより引用〕


 

CTNRX的文化人類学 ー 生活様式としての民族③ ー

2023-05-15 21:00:00 | 自由研究

 ▼農耕民族
(のうこうみんぞく)
 生活の主体が稲作などの農業活動により形成されている民族とその文化をいう。アジアなどのモンスーン気候の地方に多く見られる。 遊牧民族や狩猟採集民族に対比していわれるもので、和辻哲郎の著作『風土』のなかで、比較文化論としてこの両者が対比されて語られたことから、よく使われるようになったもの。   
 但し、和辻哲郎の比較文化論の正否については地理学者などから批判もある。 旧約聖書の創世記でも、アベルとカインの兄弟の逸話として登場する。これはヤハウェが褒めた遊牧民のアベルを、農耕民のカインが嫉妬心から殺す話である。

 ■関連項目  村社会 

 ▼村社会
(むらしゃかい)

 集落に基づいて形成され、有力者を頂点とした序列構造を持ち、余所者を受け入れようとしない古くからの秩序を保った排他的な社会を指す。 同類が集まって序列をつくり、頂点に立つ者の指示や判断に従って行動したり、利益の分配を図ったりするような閉鎖的な組織・社会を村にたとえた語。談合組織・学界・政界・企業などに用いる。
 村社会にはしきたりがあり、それを破ったものには村八分などの制裁が科せられる。そこから派生して、同じような悪習を持つ閉鎖的な組織や社会も村社会と呼ばれる。ムラ社会とも。

 〔特徴と問題点〕

 以下のような特徴を持つ。

・利権、入会権、漁業権などの産業上の権益の範囲と一致した広がりを持つ。

・長による支配、ボスと子分の上下関係が厳然と存在する。

・無条件に習慣を踏襲し、全体に一切抗わない。

 〔関係する事件〕

・水俣病

・静岡県上野村村八分事件

・名張毒ぶどう酒事件

・山形マット死事件

・奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺人事件(加害者家族が村八分に遭っていた)

・山口連続殺人放火事件

・関川村(村民が村八分の中止命令を求める訴えを起こし勝訴)

 ▼村八分

 村八分
(むらはちぶ)

 村落(村社会)の中で、掟や慣習を破った者に対して課される制裁行為であり、一定の地域に居住する住民が結束して交際を絶つこと(共同絶交)である。転じて、地域社会から特定の住民を排斥したり、集団の中で特定のメンバーを排斥(いじめ)したりする行為を指して用いられる。

 〔概要〕

 言語学者である楳垣実が説くところによると、「地域の生活における十の共同行為のうち、葬式の世話と火事の消火活動という、放置すると他の人間に迷惑のかかる場合(二分)以外の一切の交流を絶つことをいうもの」である。葬式の世話が除外されるのは、死体を放置すると腐臭が漂い、また疫病の原因となるためとされ、また死ねば生きた人間からは裁けないという思想の現れともいう。また、火事の消火活動が除外されるのは、他の家への延焼を防ぐためである。なお、残り八分は成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行であるとされる。 しかしながら「はちぶされる」という言葉自体が元々は村落生活とは無関係に江戸時代中期に発生した言葉であること、江戸期の村落共同体において重要な機能であり、また、実際の村八分においてなされた入会地の利用の停止が含まれていないことなどを考慮すると、語源俗解で後世の附会であろうと主張されており、「八分」は「はぶく」や「はじく」(爪弾きにする)の訛ったものなどの諸説も唱えられている。作家の八切止夫は村八分の語源を村八部にあると唱えている。  

 村八分の措置がなされ、入会地の使用が停止されると、薪炭や肥料(落ち葉堆肥など)の入手に窮する他、入会地に属する水源の利用ができなくなるなど、事実上村落社会における生活ができなくなった。 
 しかし、村落の中での掟や秩序は、合法的・客観的で公明正大なものとは程遠く、その地域の有力者の私的・主観的な利益に沿うためのものや江戸時代までしか通用しないような封建的・旧態依然とした内容のものも多いなど、公平な秩序維持活動とは言えず、明治以降は、人権を侵害し法に反するものと認識され、1909年の大審院判決で、村八分の通告などは脅迫あるいは名誉毀損とされた。
 こういった村八分行為は、第二次世界大戦後になっても存続し、近年においてもしばしば問題となっている。戦後で有名になった事件としては、1952年(昭和27年)に、静岡県富士郡上野村(現・富士宮市)で起きた、参議院補欠選挙での村ぐるみの不正を告発した女子高校生が一家共々村八分にされた事件がある(静岡県上野村村八分事件)。
 なお、現在、NHKをはじめ多くの放送局では、「村八分」という言葉を放送自粛対象としている。

   〔ウィキペディアより引用〕




CTNRX的文化人類学 ー 生活様式としての民族② ー

2023-05-14 21:00:00 | 自由研究

 ▼遊牧民
(ゆうぼくみん)

あるいは遊牧民族(ゆうぼくみんぞく)
 牧畜(遊牧)を生業とする人々や民族を指す。
 似た概念に移牧民があるが、こちらは季節ごとに移動しても定住地を持つ点が異なる。
 英語では、ノマド(nomad)がほぼ相当する言葉だが(語源はギリシア語のノマデス νομάδες)、牧畜以外の生業を取る移動型の人々(ジプシーなど)を含んでいる。
 農業と採集をやってきた人類が遊牧という生活習慣を発見したのは、人類の歴史に大きく影響を与えてきた。
 特にユーラシア大陸の歴史においては、遊牧を両立するようになった人類が騎馬技術を獲得したことで、歴史の流れを大きく変えたと言える。遊牧民と農業民に人口の差が存在したという記録や根拠はない。現在と違って歴史的な人口分布を見ると昔、遊牧民と農業民の人口の差は存在しなかった。 また、遊牧民と言っても農業と採集を主にしてきた人類が遊牧という生活を習得したことであり、遊牧民も農業を両立してきた。
 モンゴルでは人間は「赤い食べ物」と「白い食べ物」で生きているという考えがあり、赤が肉、白が乳製品を指す。冬場は肉を食べる。干し肉等に加工して保存する。乳からはバター、チーズ、ヨーグルト、馬乳酒なども作る。朝は乳茶も飲む。肉食中心の遊牧民の生活において、馬乳酒は貴重な野菜の替りにビタミンやミネラルを補うものとして夏場を中心に大量に飲まれている。酒とはいうものの、アルコール分は1-3%程度であり、水分、エネルギー、ビタミンC補給源として赤ん坊から年寄りまで飲用する[8]。酒というよりは限りなくヨーグルトに近い乳酸飲料であり、これだけで食事替りにしてしまうほどの夏のモンゴルの主食的存在である。大体1日に0.5 - 1.5リットル位を摂っているという報告が殆どだが、中には1人1日平均4リットルを飲んでいるという驚くべき調査結果もある。馬乳酒を1日3リットル飲むと1,200キロカロリーに相当し、基礎代謝に相当する。発酵の過程で増殖する酵母や乳酸菌は、モンゴルでの乏しい食物繊維の替わりに、菌体が腸管老廃物を吸着して排出させている可能性がある。北京農業大学の研究では、馬乳酒には12種類の人体必須微量元素、18種類のアミノ酸、数種類のビタミン群が含まれていた。乳酸菌がビタミンCを生成し、野菜を摂らない遊牧民のビタミンC補給源となっている。馬乳酒にはビタミンCが100 mlあたり8-11 mg含まれている。馬乳中の乳糖は発酵によりその多くがアルコール、乳酸または炭酸ガスに変換されるので乳糖不耐症の問題も起こりにくい。。夏季に遊牧民が食事を摂らず馬乳酒のみで過ごしていることが旅行記に記されている。ただ乳糖不耐症のモンゴル人もなかにはいる。

 チベットやモンゴルでは輸入品である団茶(固形茶)が貴重品ゆえに貨幣の役割をも担った。 淡水魚、野菜、果物は通常入手できないため、ほとんど食べない。 上記のように肉(馬肉や山羊肉。ホルホグなど伝統料理がある)、乳製品、馬乳酒が必要なエネルギーとタンパク質を提供し、不足している糖分は体内でのアミノ酸からの糖新生で補われ、ミネラル、ビタミン類は馬乳酒が提供し、酵母と乳酸菌が食物繊維の代替を果たしている。必須脂肪酸については、家畜が自然の草を餌とするため肉、乳製品、馬乳酒にω-3脂肪酸とω-6脂肪酸がほどよいバランスで含まれている。偏った食事ではあるが、必要な栄養素はすべてそろっていて健康を維持できることになる。また魚を食べることもある。

    〔ウィキペディアより引用〕


CTNRX的文化人類学 ー 生活様式としての民族① ー

2023-05-13 21:00:00 | 自由研究

 ■生活様式による民族分類

 狩猟採集民族、農耕民族、遊牧民族、騎馬民族など多岐にわたる。

 ▼騎馬民族 
(きばみんぞく)

 馬を移動手段とし、非定住生活を送る遊牧民である。
 騎馬民族の生活はステップに適応した生活形態である。騎馬民族は必然的に馬術に優れ、騎兵としての軍事能力が高かったため、かつて中央ユーラシアを席巻したが、現在では純粋な騎馬民族はほとんどいない。人種はスキタイ系などがコーカソイド、モンゴル高原(アルタイ山脈付近)からカザフステップ(ウラル山脈付近)を原郷とするウラル・アルタイ語族がモンゴロイド(新モンゴロイド)とするのがおおよその定義である。彼らは農業と遊牧を両立した民族であり、現在の中国には遊牧民の数が少ないが、歴史的に遊牧や農業を両立した民族の人口は農業をやってきた民族と人口の差はなかった。
  
 ー 騎馬民族の例 ー

 ★インド・ヨーロッパ系民族 - クルガン文化を担い、東欧・ウクライナ草原が原郷。

 ◆スキタイ、紀元前8世紀~紀元前3世紀頃に繁栄。
・月氏
・烏孫
・堅昆
・エフタル
・キンメリア

 ◆アルタイ系民族、テュルク系民族
 紀元前5世紀~12世紀頃に繁栄。
・丁零
・匈奴
・高車
・鉄勒
・突厥
・回鶻
・フン族
・アヴァール

 ◆モンゴル系民族
 12世紀~17世紀頃に繁栄。
・東胡
・烏桓
・鮮卑
・柔然
・室韋
・契丹
・タタル部
・モンゴル部

 ◆ウラル系民族
  ウゴル系民族
・マジャール人
 ◆シナ・チベット系民族
  チベット系民族
・羌 氐
・吐蕃
・党項

 〔学説〕

 騎馬民族征服王朝説 - 江上波夫が唱えた説。東北ユーラシア系の騎馬民族が南朝鮮を支配し、やがて弁韓を基地として日本列島に入り、4世紀後半から5世紀に、大和地方の在来の王朝を支配ないしそれと合作して大和朝廷を立てたというもの。21世紀の現在においては殆ど否定されている。

   〔ウィキペディアより引用〕


『モナ・リザ』の微笑 ③

2023-05-12 21:00:00 | 自由研究
  
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  ■知っておきたい『モナ・リザ』         
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 ★モナ・リザの「モナ」は「婦人」を意味し、「リザ」が名前です。 つまり、モナ・リザは訳すと「リザ婦人」になります。
 ★モナ・リザは輪郭線がないスフマートという技法で描かれています。 うすい絵の具を何層にも重ねることで輪郭線ではなく、光と影で形を浮かび上がらせます。
 ★レオナルドは、1452年にヴィンチ村からすぐのところにあるアンキアーノと呼ばれるトスカーナ地方の村で生まれたといわれている。1519年にフランスで亡くなった。彼は芸術家としてだけでなく、工学者、思想家、発明家でもあった。
 ★『モナ・リザ』と『最後の晩餐』はレオナルドの最も有名な絵だが、人体の比率を示すウィトルウィウス的人体図のような素描画も、あっという間に世の中で認知された。

 ★この作品が『モナ・リザ』と呼ばれているのは、16世紀のイタリア人芸術家、伝記作家ジョルジョ・ヴァザーリの著書『画家・彫刻家・建築家列伝』の「レオナルドは、フランチェスコ・デル・ジョコンドから妻モナ・リザの肖像画制作の依頼を受けた」という記述が元となっている。イタリア語の「ma donna」は「私の貴婦人」を意味し、短縮形で「mona」と綴られる。ヴァザーリが著作に書いているように「mona」が伝統的な綴りではあるが、現代イタリア語では「madonna」の短縮形は「monna」となることが多い。したがって「モナ・リザ」を現代イタリア語で綴ると「Monna Lisa」となるが、世界の多くの言語では一般的に「Mona Lisa」(または「Mona Liza」)と綴られている。
 『モナ・リザ』のモデルであるリザ・デル・ジョコンドは、フィレンツェとトスカーナに起源を持つゲラルディーニ家の出身で、フィレンツェの裕福な絹商人フランチェスコ・デル・ジョコンドと結婚した。フランチェスコが『モナ・リザ』の制作をレオナルドに依頼したのは、デル・ジョコンド一家の新居引越しと次男アドレアの出産祝いだったと考えられている 。
   〔ウィキペディアより引用〕

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 映画『ダ・ヴィンチ コード』


 『ダ・ヴィンチ・コード』
(The Da Vinci Code)
2006年のアメリカ合衆国のミステリサスペンス映画。
 ダン・ブラウンの2003年の同名小説を原作とし、監督はロン・ハワード、脚本はブラウンとアキヴァ・ゴールズマンが務めた。トム・ハンクス、オドレイ・トトゥ、イアン・マッケラン、アルフレッド・モリーナ、ユルゲン・プロホノフ、ジャン・レノらが出演する。

 〔ストーリー概要〕

 ルーヴル美術館の館内で館長であるジャック・ソニエールの射殺体が発見された。不思議なことにその身体はダ・ヴィンチによる「ウィトルウィウス的人体図」を模した形になっていた。
 さらに奇妙な事はそれがソニエール自身の意思によるものであることだった。 パリで講演を行い、書店でサイン会を行っていたハーバード大学のロバート・ラングドン教授は、フランス警察のベズ・ファーシュ警部に呼び出され、宗教象徴学の専門家として捜査協力を求められる。 
 ロバートとソニエールは面識があり、事件の当日突然連絡をしてきた彼と会う約束をしていたものの、約束の場に現れなかった。ロバートはすぐさま警部と共にルーヴルを訪れ現場の検証を行うが、ソニエールの意図は掴めない。
 困惑するロバートの前に現れた暗号解読官のソフィー・ヌヴーは、彼の身に危険が迫っていると告げる。彼女は、現場にソニエールの手によりロバートの名が残されており、すでにこの殺人の容疑者としてファーシュが逮捕する気であることを説明した。
 しかしソフィーによればソニエールは自分の祖父であり、現場に残っていたのは「ロバート・ラングトンを探し出して彼に託せ」という意味であるという。ロバートは今一度ソニエールが床に残したメッセージを見直し、そこからダ・ヴィンチの名と、絵の裏に隠された鍵を発見する。

 この鍵こそ、ソニエールが狙われた理由であり、二人に残した遺志に違いないが、その正体を見極める前にファーシュの手に落ちれば彼の死は無駄になり、濡れ衣を晴らすことも難しくなる。
 ロバートとソフィーは警察の目を逃れてルーヴルを抜け出すことに成功するが、ファーシュの疑念はいっそう深くなり、追及の手も厳しさを増してしまう。ロバートは旧友であるリー・ティービングの屋敷を訪れて意見を仰ぐが、そこで事件の背後に潜む恐るべき物語の示唆を受ける。それは聖書にも記される失われた聖遺物、聖杯を巡る確執である。長い歴史の中で何度も繰り返され、しかし明るみに出ることなく隠された戦い。それこそがこの事件を動かす者たちが持つ動機であるというのだ。
 そしてダ・ヴィンチもまた、作品を通じて暗号(コード)を残し、それにはキリスト教の歴史を根底から覆す意味が隠されているという。それが著名な壁画「最後の晩餐」だ。聖書では生涯を独身で終えたはずのイエス・キリストだが、実はマグダラのマリアと呼ばれる女性と結婚をしており、その女性とはヨハネのことであった。そして磔にされたとき、彼女はキリストの子供を身ごもっていたと、にわかには信じられない説をリーは語る。
 キリストの死後、マリアは女児を生み、その女児はキリストの継承者となったが、男性を権威の根源とするカトリック教会は彼女の存在を否定し、キリストの血を絶つために魔女狩りを行った。その後、マリアの遺体と彼女の子孫はシオン修道会によって秘匿されたという。

 ロバートは、聖杯の正体はキリストの継承者であるマリアの子孫だと確信するが、そこにカトリック教会と手を組むオプス・デイの殺し屋シラスが現れ、聖杯の暗号(クリプトロジー)を奪おうとする。
 シラスはリーに倒され、ロバートたちは駆け付けた警察から逃れるため、聖杯が存在するロンドンに向かう。一方、ファーシュはオプス・デイのアリンガローサ司教と連絡を取り、ロバートたちを追って渡英する。 ロンドンに到着したロバートたちは、聖杯が眠る可能性があるテンプル騎士団の墓所に向かうが、そこには聖杯はなかった。
 拘束を解いたシラスが逃げ出し、さらにリーのバトラーであるルュガルデが裏切り、彼を人質にして逃走する。ロバートとソフィーは聖杯を探すため、暗号を手掛かりにシオン修道会総長だったアイザック・ニュートンの墓所ウェストミンスター寺院に向かう。しかし、そこには連れ去られたリーが待ち伏せしており、彼こそが一連の事件の黒幕だったことを告白する。リーは、シオン修道会が「新世紀を迎えた時にキリストの継承者の存在を公表する」という方針を反故にしたことに反発し、オプス・デイを利用して聖杯の在処を暴き出そうと企んでいた。

 リーはソフィーを人質にして、ロバートにダヴィンチの暗号を解くように命令するが、彼はそれを拒否してクリプトロジーを放り投げてしまう。床に落ちたクリプトロジーは壊れて聖杯の在処は分からないままとなり、リーは駆け付けたファーシュに逮捕される。
 リーはクリプトロジーを破壊したロバートを責め立てるが、彼の表情から、彼が聖杯の在処を突き止めたことを知って狂喜しながら連行されていく。ロバートとソフィーは聖杯の眠る墓所に向かうが、そこには既にマリアの棺はなかった。
 しかし、そこにはシオン修道会が残した大量の史料があり、その中にはソニエールの物もあった。ロバートはその中から、ソフィーの家族が事故死した新聞記事を見付け出すが、記事には「家族全員が死亡」とあり、さらに一家の名前もソフィーとは異なっていた。
 ロバートは、ソフィーとソニエールとの間には血縁関係がないことを突き止め、彼女こそがキリストの継承者であるマリアの子孫だと語る。墓所を出た二人の前に、老女に率いられたシオン修道会のメンバーが姿を現し、マリアの子孫が戻ってくることを長い年月待っていたと語る。その老女はソフィーの本当の祖母であり、ソフィーは彼女たちに迎えられる。 ソフィーと別れてパリに戻ったロバートはルーヴル美術館に向かい、ルーヴル・ピラミッドの前に跪く。ルーヴル・ピラミッドの地下には、ソニエールによって運び込まれたマリアの棺が安置されていた。

   〔ウィキペディアより引用〕