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70代になり60代からの散歩が中心となりました。50代は健康維持のため何かスポーツをと、消去法でサイクリングでした。

「シンセサイザーの父」ボブ・モーグ博士が死去

2005-08-25 20:20:08 | 印象的な世の中の出来事
音楽の世界にシンセサイザーという新しい楽器を世に出現させ,
現在の音楽シーンに欠かせないものにした
「シンセサイザーの父」ボブ・モーグ博士が死去の記事が。

私のような楽器も弾けず音痴にも関わらずコンピューターとシンセサイザーの
組み合わせで音楽を演奏する楽しみを齎してくれた意義は大きい。
富田勲氏のシンセ音楽のLPは何枚も買いジャケットの機材を羨ましく思ったものだ。

モーグのような高級品に手が出なかった私の場合は、SHRAPのパソコンテレビX1と
ローランドのスタジオM100やSH1、ヤマハのDX1を組み合わせて、楽譜からX1の
ソフトに入力して自動演奏を楽しんだ。

が、周りにはあまりに機械的でセンスのない音に評判はすこぶる悪かった。
耳が痛くなるような金属的な音の仕上がりにしかならないようだ。
リバーブやエコー等のエフェクタも揃えたが所詮は素人のできばえ。
やがてX1が機能しなくなって、シンセサイザーはいつのまにかお蔵入りとなった。
きっと、今や懐かしいレアものとしてオークションにかければ高価に売れるかも。
まぁ、そんな奇特なひとはいまいが。

とにかく、私のようなものにまで影響を与えた人として記録して残す。

【以下引用】
 楽器としてのシンセサイザーの創始者であるロバート・A・モーグ博士が8月21日、脳腫瘍で死去した。71歳。

 モーグ博士の名前を冠したMoogシンセサイザーは「あらゆる音を出せる」ことを売り物に、あらゆる音楽家に愛用され、電子音楽のみならず、クラシック、ロック、ジャズをはじめとするほぼすべての音楽を変容させていった。

 シンセサイザーは、電圧制御でオシレーター、フィルター、アンプをコントロールすることによりさまざまな電子音を生み出す原理に基づき、さまざまな楽器音の模倣から、現実にはありえない音の創出、そしてシーケンサーを使った、人の手では不可能なサウンドを作り出すことを可能にした。

 1964年には最初のモジュラー型シンセサイザーである“Modular Moog”を披露したが、最初にこのサウンドが一般に知られたのはウェンディー(当時はウォルター)・カルロスの「スイッチト・オン・バッハ」(1968年)。それ以来、多重録音によるクラシック音楽の構築では冨田勲が、ポピュラーミュージックへの導入ではビートルズの「アビー・ロード」(1969年)における“Here Comes the Sun”や“Maxwell's Silver Hammer”、そしてリアルタイムでの音色変更やパフォーマンスの可能性ではエマーソン・レイク&パーマーでのキース・エマーソンが宣伝塔となった。

 音色の創出だけでなく、Moogシンセサイザーは、コントローラにおいても画期的なアイデアを生み出している。ピッチをコントロールするために用意されたリボン・コントローラや、ホイールは多くの競合製品でも使われ、ホイールのピッチベンドを使うことによりギター並みの表現力を備えたヤン・ハマーなどのパフォーマーを生み出した。

 現在でもMoogサウンドを再現したいというミュージシャンは多く、ラックマウントMinimoogやソフトウェアシンセサイザーが販売されている。

http://www.itmedia.co.jp/news/
(ITmediaニュース) - 8月22日17時21分更新
【引用終わり】

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