With the I Ching

易経や四柱推命、暦、占星術などの運命学の記事がメインです。

今日、1月26日は旧暦2009年の始まり。

2009-01-26 22:38:19 | 占い全般のコラム
先にUPした「定気法と平気法」のコラムを書いていて頭の神経(!?)と視神経が疲れてしまったので、ここでの話は気楽な感じにしようと思います。

タイトルにも認めたように(※「したためた」ってこういう字を書くんだぁー。変換してみて初めて知った^^;)、今日から旧暦2009年が始まりました。

以前、日本とか各国の年運を書きましたが、世界的に暗さが抜けない時期ではあります。ただ、オバマ大統領に注がれる期待にもみられるように、人々の心は希望を失ってはいません。

僕らは混迷の時代に生きてはいるけれど、「だからツライんだよー」とか悲観的に考え始めたらキリがありません。グルグル・ねちねちと同じ事を考え続けて夜も眠れない・・・そういうのをネガティブ・スパイラルと呼ぶそうですが、思うに、そこから(ある意味「底から」)抜け出す方法は、世間一般によく吹聴されるような「ポジティブ・シンキングしろ!」みたいなことではなく、――単に、本当に単純に、


結局のところ、キミはどうしたいんだい?


ということなのではないかなぁ、と思います。僕はいつも、そういう状態に陥りそうになったり、陥っている自分に気が付いたら、「結局、おまえはどうしたいんだ?」と自分に問いかけて、そこでとにかく《今》何ができるかってことを模索します。

どんな状況でも本当に“何もできない”ということはないはずですから、とりあえずでも曲がりなりでもいいから、何か「できること」なり「やること」を“決めて”(←これが大事)、ポンッと自分自身の心のEnterキーを押せばいいんです。

決断の指標としての易占でもそうですが、占いが具体的に何かを手伝ってくれるわけではないので――お金を空から降らしてくれるわけでも、パトロンを寄越してくれるわけでも、恋人を連れてきてくれるわけでも、よもや芥川賞を受賞させてくれるわけでもない――(当たり前だけど、占いに夢を見すぎちゃいけないぜ)、やっぱり、最後の最後は、悩みの対象が何であれ、自分が「する」か「しない」か、「やる」か「やらない」かを決める(←また出た)、それが全てじゃないかと思います。

何に意志を発揮するか、あるいはしないのかを決める(←頻出! 重要だから何度でも出る)、ただそれだけを意識すればネガティブ思考の渦(海底)から抜け出せるのではないかと思います。・・・というより、僕自身はそういう方法をとっています。

「できる」・「できない」でウダウダ考えていると、いつまで経っても何も解決しませんし、問題を気にすればするほど、駄々をこねる子供にしがみつかれるようにしつこく付きまとわれます。

だから、そういうことは頭の中からサヨナラして「気にしない」と決めて(!ほらね)、「できるか」「できないか」も、簡単な問いに置き換える。つまり、「する」か「しない」か、のどちらか。それだけで、随分と心の状態が変わります。


まあ、「We can CHANGE !!」と声を張り上げて世界や国や社会を変えるのもいいけれど、その前提として、まずは自分自身を見つめ直して、身近な生活態度なり普段の考え方なりを改善していくことが先決だと思います。

易経の中の風火家人という卦では、「家が治まることで地域社会が治まり、地域社会が治まることで国が治まる」ということが述べられています。
もっと言えば、各個人が自立することで周囲と調和できるようになり、その輪が広がって社会が落ち着き、それらが集合体となって国の基礎となる。さらに、国同士が協調することで世界が家族のようになっていく・・・ということ。(まあ、拡大解釈ではありますが)

そして、どんな変化であっても、そこには何かを捨てたり、新しく手に入れたり、責任を受け入れたりするようなことが伴ってきます。そうしたことはとても勇気の要ることですが、いきなりフルパワーで臨むのも難しいので、とりあえず勇気も分割(リボ)払いにすれば気が楽じゃないかと思いますね。

いきなり一括で払える人(勇気をドカン!と出せる人)はそれでもいいけれど、一歩踏み出すのに悩み、ためらってしまうタイプの人(かくいう僕もそうだけど)は、前金ならぬ前“勇気”をチョットばかし支払って、先に欲しいモノを手に入れてから(留学でも事業でも、今流行り?の婚活でも何でもいいけど)徐々に残りの勇気を払っていくことにしようと考えたらどうでしょうか。

少なくとも僕自身は、全部で100の勇気が必要なことに対して、いきなり100は無理なので、とりあえず10くらいの勇気で踏み込むことにしています。スキルアップは徐々にしていけばいいでしょうし。・・・まあ、それで壁にぶつかることもありますけど、だからといって決して無謀だとは思いません。この世には、しないよりも経験してみたほうが断然いい、ということのほうがずっと多いはず(・・・と勝手に思っている)。

だから、これはポジティブ思考というよりは、単純な“意思”であり、自分がどうするのかを決める“意志”(また出た! 入試に出るかも!?)です。

どういう働き(生き方・生活・行動)を意思するのか、そして何をしようと意志(実際の活動)するのか、それを自分自身の中で設定してボタンを押す。で、一握りの勇気を携えて(ケータイ感覚でいいので)、とりあえず考えたこと=自分で決めた事を「してみる」・「始めてみる」。深く追求したり長く関わっていくべきかの判断は後から。とにかく試してみないことには意味も何も生まれないですし。

世知辛く複雑な時代ではあるけれど、人間の行動原理はいつだって単純なものです。夢などの目標設定にしても、すべては自分を含めた「人」の“意思”から始まり、“意志”によって実行され、実現に向かっていく。あまり難しく考えないようにしたほうが、生きやすくなるというのは本当だと思います。


・・・ま、なにはともあれ、できることをやっていこう、というのが今の僕の信条です。
自分自身のキモチに嘘をついたり、心が求めていることにするのはやめて、素直に生きていきたい――それができたら、基本的にはいい人生になるんじゃないかなぁと思っています。


なんだか、まとまりのない文というか、取り留めのないことをつらつらと書いただけになってしまいましたね。読みづらかったらすみません。

それでは、おやすみなさい。

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