cowboy-平松の部屋

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4ST市販レーサー、NSF250Fが出来るまで

2019-09-30 13:27:39 | 開発したBIKE-HRC編
開発したBIKE-HRC編ー1

4ST市販レーサーNSF250Fが出来るまで

HONDAがエミッションの対応で2STの開発は中止すると公開しました。CRMに排気バルブ仕様が
ありましたが、ガソリンをクリーンに燃焼させないと対応できないんでしょうね。MXも2ST125ccクラスは
4ST250cc単気筒に、2ST250ccクラスは4ST450cc単気筒に移行しております。    RS125R
(2ST市販ロードレーサー)は当時もMssで生産されてますが。販売台数は下行しており、ロードレース界
の活性化には程遠い状況です。まあ、誰でも考えるには、NEXT・RS125Rは単気筒4ST250cc
のロードレーサーが期待される、当然でしょう。
でもね不思議な話しが出てくるんですよ。あるHRCの役員Nさんは、RS125Rが売れなくなるから
やらん、……意見する気にもならなかったです。又、FIMのHONDAの役員Tさんは、2ST125cc
クラスのNEXTは決まってないです、でした。レースは走る実験室(これは企業ニーズですけど)と言わ
れたレース界もエミッション問題を直視しHONDAから4STにすべき、又は4ST単気筒250ccを混走させ
てくれと提案すべきでしょう。なんのための役員なんでしょうね。ワークスばっかりに目をやってんじゃ
ねーよ、ロッシーだっていマルケスだってノービス(ライダーの底辺)の頃はRS125Rにのってステップアップして
きたのでは、ロードレース界を活性化するにはと考えるのはHRCではペーペーの私位なんですかね?
まあそんな事で、既成事実を作って、認めさせるしかないなと思い、その第一弾  GP-MONO
を国内で4ST250cc単気筒を走らせて、仮認知させる。MX用ENGが直押しでないので苦労ばか
りで、面白くないレースになってしまいそうですが、2ST-125と同走できると証明するためです。
これも、HRC営業の軍資金の元。BBの工場で改造(長期休暇中に床の上で作図)。ハルクの社長に
必ず、ちゃんとした市販レーサーを作りますから,その間に 一時しのぎですが このGP-MONO
で走ってくださいと お願い致しました。
第2弾の、NSF250Rは、私がHRCを退社する2~3年前、HGA(MSD)時代にHGAのお偉いさんに
お願いして(ちょっと脅かして)オレがいなくなったら、RS125RのNEXT-BIKEを作れるヤツはいなくな
るよ、オレにやるように開発指示を出して。LPLは若い奴にやらして、オレが補佐(鍛える)するから
オレはRS125Rを最大限流用するようフレーム設計の実務をやる。ENG屋は上記の直押しでない
MXのENGをムカムカしながら設計した若いヤツに、ブン回るENGを好きなように作れと指示するから。
企画の段階でもMXのENGを使えないかとか、えっえ、宗一郎さんがチャレンジしたレース界にマイナス
思考する輩がいるんだって再確認した。相当覚悟しないと、このプロジェクト推進できないと感じました
実作業はスゲー楽しい仕事でした。  排気系は211Vの最も短いエキゾースト諸元を流用、サイレンサーは
8耐のV4を流用とか極力省エネ(パクリ)手法で出力確認はシャシーでこんなもんで’OK”でした。
ENG屋もクラッチ、ミッション系(クランクケースの後方)はRS125Rを流用、出力系(クランクケースの前方)を4ST
単気筒250ccに、シリンダーは後傾にし前方吸気に、走行風をダイレクトに燃焼室に放り込むという
意欲的な設計でした。そして、十勝サーキットの実走行で目標タイムをクリアー、開発終了となりました。
しかしポシャリました。少量生産に耳を貸さない本社の資材や熊本ssが入ってくると。生産はいかに
作ろうかでなく、いかに作らないかの手法になってしまいます。NF4を製作した浜松SSは積極的
に作ってくれました、宗一郎さん出身 ポンポンの町、浜松の人の気質 BIKEが好きなんでしょうね。
 中本が、F-1からHRCに帰ってきて。平松さん私が作りますよ、熊本には知人がいるからやります
と、私の定年退職祝いに言ってくれました。彼は最高峰のレース現場から、底辺レースの重要性を
感じてくれていたんでしょうね・。彼とは新人研修(私は中途入社で32歳)がいっしょで、市販車
(RS125R/250R)を共に開発し、私が設計彼が業務を推進しまとめ(職務上、正しくは逆なんですが)
くれました。その業務推進パワーがF-1に抜擢されたんでしょうね。
レギュレーションはHONDAが4ST単気筒250ccの市販レーサーを供給しますとFIMに申告すればOKでし
よう。これも中本が通達したのかな。
MOTO-2のENGをHONDA-CBR600を供給しますと、FIMに通達したのも、中本でしたね。
 退職後、NSF250Rが市販される時、青山本社で発表されるとの情報を知らせてくれて、私と
いっしょに行きましょうと言ってくれたのはジャーナリストの方でした。HRCから発表を見に来てとの
情報は有りませんでした。まあいいっか

'87RS125Rのアルミフレームの話し

2019-09-28 17:16:44 | アルミ(材料等)の話し
アルミ(材料等)の話しー1

アルミ材料の話しNF4(HAZ-2とロストワックス製法の話し)

NF4(’87RS125R)を鉄のフレームで作るつもりはなかった。鉄なら 100円/Kg、アルミなら1000円/Kg
と材料費は鉄の方が安いが、現RS125Rのような鉄パイプフレーム(小径丸パイプを組み合わせた
スペースフレーム)は加工工程が多く、複雑でコストメリットが無い、また、技術的アピールするものが無い。
それで私が考案したツインチューブ構造なら構成部品も少なく、ヘッドパイプ、ピボット部(工法)を工夫し
左右対の矩形パイプで合体させれば面白いフレームが出来そうです。
チャンスはあるもんですね、材料屋(3K)に自分と同じに ノッテ 居る奴がいましてね、ヘッドパイプ、
ピボット部に新材料の”HAZ-2”を使おうと言うんです。HAZ-2はA7N01と同成分の鋳物-熱処理
材です、T6処理後、溶接部は時効硬化しT4相当に戻る、高強度のアルミ鋳物材です。でも、湯流れ
が悪い為、通常の鋳造では出来ません。”ロストワックス”という製法で作ります。 説明いたします
ロスト(失う)ワックス(蝋=ロウソク)製法とは、たとえば、海老の天ぷらをイメージして下さい。海老を
小麦粉液に漬けパン粉をまぶしまて、油で揚げると海老天になります。その海老をワックス(蝋=ロウソク)
でつくって、油で揚げて(炉に入れて)ワックスを溶かし出すと、パン粉の殻(ころも=”鋳物の型”)の
中に海老の空洞ができます。 海老の空洞を作ると同じ工程で”鋳物の型”を製作し溶けた金属
を注入する工法がロストワックス工法です。実工程は温度の高い炉(窯)の中で金属を注湯しますので、
1個作る訳にいきません、ワックスで作った中心軸(木)の回りに、炉の入る個数分のワックス(製品、葉)を
ぶらさげる(木の枝葉の様にワックスでつなぐ)とクリスマスツリーの様に見えます、これをツリーと呼んでます。
これからが海老天と同じ(作業手順)です、ツリーを小麦粉液の様な液体に漬けます、液体から出して
パン粉の様な鋳物用砂を吹き付けます。炉に入れて、鋳物の型を焼結(炉に入れる)すると共に
ワックスを溶かし出します。加熱された鋳物の型に、溶けたHAZ-2をを注入します。型も熱いですし
型の厚さ(ころも)も薄く型内のエアーも抜け易く、湯流れの悪い材料も容易に鋳造できる訳です。
私はロストワックス工場のロビーで、アルミのトンボ(鬼ヤンマだっと思います)と、アルミの戦艦大和(ベースは
プラモデル)を見ました。このロストワックス製法でハンディーカメラの肉薄のボディーやターボエンジンのインペラー
(ステンレス製、耐熱強度はあるが湯流れが悪い)も作られてます。精密鋳造で0.2mm単位の公差で
鋳造できます。NF4のメインフレームBODYは、カットと曲げ加工された左右対の矩形パイプ、ロストワックス製
のヘッドパイプ+ガセット部、ロストワックス製のピボット+クロスメンバー部の4点で構成され、溶接部のインロー部は
精密鋳造なので、摺り合わせ加工等は不用、4か所を1周溶接するだけで完成です。
アルミ溶接の強度は溶接長さによります、幅の狭い矩形パイプで長手方向に溶接できるので、
アルミツインチューブには向いているようです。パイプフレームですとヘッドパイプと2対のパイプ(アップ、ダウン)を
補強するガセット(プレス)で構成されますが、ツインチューブは一体鋳造できます、加工工数削減でき
アルミ鋳物ツインチューブのメリットをだしました。

浜松工場の森井さん

2019-09-28 17:09:58 | 私を育ててくれた人ー
私を育ててくれた人-4

Mss森井さん(浜松工場でNF4を生産するのに適切な指示をしてくれました)
ボーリングはピボット軸基準

まだ、おもしろ技術あるんです、NF4のフレームボディーのピボット部のスイングアーム軸穴は溶接前に加工
しておきまして、ヘドパイプのステム軸穴加工(ボーリング)は溶接COMP前は未加工で、溶接COMP後
スイングアーム軸穴を軸(加工基準)に加工治具(専用治具を製作してもらった)にセットしヘッドパイプの
ボーリングをしてもらいました。
量産車の小排気量は溶接COMP後ヘッドパイプ自身をチャッキング(つかむ)しボーリングしそのまま完成、
大排気量はボーリング後、前から見た角度誤差(傾き)を油圧で修正しているようです。でもキャスターは
修正してません。ここが重要なのです、キャスターはレーサーの運動性に非常に重要なファクターなのです。
125cc(レーサー)でも最高速200Kmは容易に超えます、軽量でピーキーなパワーを駆使する、繊細な
レーサーです。ヘッドパイプのアングルを正確に加工する事はレーサーの命ですと懇願し、スペシャル加工治具を
製作してもらいました。浜松工場で生産する一年前から工場で打ち合わせを行っておりました。
浜松工場のTOP森井さん(浜松エスカルゴ)もレース(BIKE)が好きでCB125JX-SPLでレース出場
されたと聞きました。森井さんは、そうか、RS125Rを浜松工場で作るのか、よーし ヘッドパイプの
ボーリング加工なら、車製(車体製造)だな、班長に話しをしておくから、打ち合わせして来い、レースが
好きな変な奴が相談に行くぞって、話しを事前に通しておいてくれました。
レース好きな変な奴の浜松工場内の打ち合わせを潤滑にしてくれました、本田宗一郎さんを輩出した
浜松の市民性(BIKE好きなポンポンの町)に感謝いたします、ホンダ、スズキ、ヤマハも遠州浜松気質
なんですかねー。浜松工場では量産ライン外に、手押しラインを作ってもらって丁寧に素晴らしい
NF4(RS125R)を創っていただきました。おかげ様で
87RS125Rが上市でき、89RS125RがW-GPチャンプをGETできました。、有難うございました。
あまり、言いたくないけど、K工場(地域)はBIKEが好きでないようですね。
宗一郎さん(ホンダ)の社是、買う喜び、創る喜び、売る喜び、の中で”作らされる喜び”になってしまて
いるんでしょうね。解るかな、創ると作るとの差。 

筑波の親父(橋本)さん、

2019-09-28 17:01:09 | 私を育ててくれた人ー
私を育ててくれた人ー3

筑波の親父(橋本)さん

筑波の橋本の親父さん(説得と実践からのフィードバック)
HRCサービスショップはHRCの市販レーサー、KITパーツを販売し そのユーザーにメンテナンス等のアドバイスし、
レース日の気温、湿度、サーキットの高度等によるジェッティング等を指導し繊細なレーサーを確実に走らせて
ます。また、ユーザーからの情報を収集してトラブル等に対しHRCに報告してもらって対応を敏速に
行えるように活動してもらってます。そのHRCサービスショップを代表(仕切って)している親父さんが、
筑波サーキットのゲート前のショップさんにいるから挨拶(情報収集)してこいでした。
NF4(87RS125R)を創るにあたり、NF4の基本構想を筑波の親父さんに挨拶と説明にいきました。
 2年後にWーGPが単気筒になるから、その1年前に市販車(’87NF4)を上市し、1年間セットUPし、
不具合を対応し、2年後('88)にW-GPに出場しW-GPのチャピオンを狙う構想もってました
(NF4チームで私だけでしょう)。ENGはMXの新ケースを流用しフレームはアルミを考えてますと説明すると
親父さんは、W-GPは結構だけど,お前なあ、レースやってる子達はどんな生活しながら走っている
か知ってるか、アルバイトしながら即席ラーメンを食いながらレースやってるんだぞ、スペアパーツなんかも
毎年使い廻ししながらやってるんだぞ、アルミフレームの修理はどうするのだ、バカヤロー帰れでした。 
(阿部ちゃん見たい)出直しです、このBIKEは10年つくるつもりです(実力は8年でした)とまず、
意気込みを示しました、ノービス(国内底辺)仕様として、フレーム、ENGをしっかり作り、他のパーツも
現パーツを流用する事に留意しますが、親父さん例えば、この部品は設計が古過ぎますよ、私が
戦闘力を向上させ、10年先でも使えてる(これからのランニングコストも重視)設計にしますと、部品個々
に親父さんと検討し意見をもらいました。
HRCでしか供給できない基本のフレーム、ENGはしっかり作り、出荷仕様は国内ノービス仕様とし、
価格は安価にします。国内エキスパート仕様(サスペンション、ホイール、ブレーキ系の性能向上)は各ショップさん、
レーシングチームさんに開発、SPLパーツを取り入れてもらい、上級者レベルにUPしてもらって、W-GPでも
活躍してもらいたいとも説明いたしました。親父さんも鉄フレームのRS125は設計が古いのは解って
いますが、レースで走ってる子達への販売価格やランニングコスト負担を気にしていたのです。
2度3度説明に行き、2年先のW-GP,そのためにも設計変更を理解してもらいました。
よし、お前に任せると言ってくれました。若い子を育てて、船橋からの日本のレース創世記を経験
された親父さんの実戦からの意見は貴重で、ずいぶん設計にフィードバックいたしました。・
そした私を育ててくれたと感謝してます。
NF4を上市(市場販売)してかから、私は体調を壊し(スゲー激務でした、今で言う”うつ”でしょう)
設計から退きました。それから、サーキットサービス(営業)に転籍し、筑波サーキットに行くたびに 親父さん
に挨拶してからレース場へ、サーキットサービス終了してから挨拶に、そして、これから飲みに行くぞって、
可愛がってもらいました。2年後のW-GPのチャンプGETは出来ませんでしたが、3年後には
市販レーサー(安価な)でW-GPチャンプをGETできました。以前のHONDAの125ccチャンピオン記録は
4ST-125cc5気筒(コストは?)のワークスレーサーだったと思います。そして、8年間で8800台以上生産
(たぶんギネスもんでしょう)し、レース界、ショップさん界、を活性化し潤した思います。やったね。
余分な話し:これまでにW-GPチャンピオンをGETしようと設計に携わってきました。KR250/350(カワサキ),
RS125R、RS250RWと10数回W-GPチャンプをGETしてきましたけど、各会社から、ご苦労さん、金一封、
祝勝会等ありませんでしたね。NSF100も1000台以上販売出来たら菅生サーキット(1000台=仙台)で
パーテーすると言ってましたが、ナシのツブテです

また、お話しいたします。