cowboy-平松の部屋

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HRCの入社試験で ばかやろー

2019-12-20 16:48:45 | 阿部語録 -HRC時代-
阿部語録ーHRC時代ー5

HRCの入社試験で ばかやろー

明石(カワサキ)から阿部ちゃんにオレを引き取ってくれと電話した時に、阿部ちゃんはM腰さんに面白い
ヤツがいると紹介してくれたようで、一度、朝霞に近いスナックでM腰さんと歓談(酒)した事が有りました、
その後正式に中途入社試験&面接を受けてHRCに入れました、私は32歳になっていましたので
特別推薦していただいたと思われます、そこでの面接の時に、デビューしたNS500について聞かれました
私はこのNS500のデビュー戦、スペンサーもデビュー戦、アルゼンチン、(フォークランド紛争時)の現場にいました
このコースの最終コーナー立ち上がりはピットの壁に向かってきて、サインボードを出す我々に飛んでくるよう
でした、特にスペンサーの”アケップリはナンダコイツは”で我々も怖かったです、ケニー・ロバーツ(ライダー会長)は
危険だとストロバリーでシュケインを特設しましたね。NS500の速さというか、スペンサーのライディングに驚きました。
NS500は3気筒ですから、4気筒より各チャンバーの管長は長く、太くなるのでチャンバーのレイアウトは難しく
なりそうです、高出力を要求された時のセンターチャンバーはサイレンサー含めて苦しそう(無理そう)ですね。
私はTR750,KR750、(H1R)と3気筒を経験してますので、チャンバーの通し(レイアウト)がいつも気になります
面接官(市販RS500のLPL)に総合性能(ドライバリティー、軽量)を追及するのは解る、しかし、このクラス
でも最終的には、4気筒のパワー(高回転)競争になりますと答えました、採用試験は通りましたが。
阿部ちゃんに しこたま怒られました、HRCが自信もって開発したNS500は、ハイハイ良いBIKEだ言って
おけば良いのだ、”バカヤロー”  そうですよね 良いBIKEじゃあなければチャンプ獲れませんよね。 
HRCに入社して、M腰さんに、いまさら実習はいらないだろう 今日から、このNS500の市販車のPL
(図面を書け)をやれでした。このばかやろーには2通りの解釈をしてます。まず、NS500の戦闘力
(チャンプ取った)が解らないのかばかやろー、良かれと思ってもベラベラ喋るなばかやろーです

ステダンでもう一話し、死んだふり事件、菅生でステダンロック

2019-04-16 23:15:59 | 阿部語録 -HRC時代-
阿部語録ーHRC時代ー3

 ステダンでもう一話し、死んだふり事件、菅生でステダンロック
ステダンでもう一話し、阿部は本コースに出る前のPITロードエンドで、ステダンを最強にして確認するそう
です。菅生で阿部ちゃんがPITロードエンドで転倒、動きません、ステダンロック(固着)で転倒したそうな
(後日聞きました)するとスズカで一緒(RSC時代)だった○○メカが猛ダッシュで阿部ちゃんに駆け
寄っていきました。.メカが阿部ちゃんのところに着いても、暫く動きません、突然むくって起きて
そして、そのメカがピットロードをBIKEを逆に押して帰ってきました。
そして阿部ちゃんが”誰がオレのところに一番先に走ってくるかと、死んだフリしてたんだよ、よー
解ったよーオメーラ
” と大声で叫んでいました。これが、死んだふり事件、菅生でステダンロック
実に笑えない(後で笑える)事件でした。

カーボンの釣り竿の解説

2019-03-22 21:31:06 | 阿部語録 -HRC時代-
阿部語録ーHRC時代-3

カーボンの釣り竿の解説
   
2009年9月381号の別冊モーターサイクリスト誌、(カーボン)軽く、強く②148P~149P
2009年10月382号、別冊モーターサイクリスト誌、(カーボン)軽く、強く③108P~109P
AW7 カーボン製フレーム(ツインチューブ)が記載されてます

カーボンフレームは違和感がある、フィーリングがゴルフクラブや釣り竿のように硬い、人間に感じる
シナリとか、タワミといったフレキシビリティーに乏しかったようで、つまり路面からの伝達
が早すぎて人間の反応が追いつけない訳です。  解ります?

阿部ちゃんがそのテストライダーから聞いた話を解説いたします。 池、沼、での釣りで
タナゴやヘラ鮒の繊細な アタリ は和(しの、竹)竿でないと、手に伝わって来ないのだ、
カーボンの竿だと硬くってキンキンときて、合わせずらいんだそうな、ようするにBIKEでも
タイヤのスベリ(ヘラブナのあたり)がキンキンと来て、人間の慣性に合って無いのだそうです。
ワカリマス、私は解ります。 キンキンは唐突と訳せば良さそうです
阿部ちゃんから、バカヤローこんなフレーム作りやがって、でも 平松 お前らしいな、プロトの1号機で
走れちゃう、そして作り易そう、 雨のスズカではそこそこ走しれたそうだが、でもカーボンは、いかん
形状、材料を再考すれば、ビッグバンすると阿部ちゃんも予知した。そして、目の字断面の
アルミ押し出し材を使った、(アルミ)ツインチューブが世の中を席巻する事になる。
ツインチューブの基本構造の特許はこのプロジェクトで申請しましたが、まだ保証料は貰ってません
また、お話しします。

COWBOY-平松

NF4のジオメトリー解らん、Iさんに聞け

2019-03-17 19:14:53 | 阿部語録 -HRC時代-
阿部語録ーHRC時代ー2

NF4のジオメトリー解らん、Iさんに聞け

2年後の1988年に、W-GP125のレギュレーションが単気筒に変更になります。国内GP125クラス用に
RS125R(ND4)をHRCから市販していましたが   エンジン(NEW-CRベース)、フレーム共新設計で
単気筒に変更となる1年前の1987年にNF4を上市し、走り込み、セットアップ、トラブルをシューティングし、
1988年から市販レーサーでW-GPチャンプを狙う意気込みで私(LPL)は計画してました。
そのNF4を設計するにあたり、モトクロッサーから進化してきた鉄フレームのND4をベースにジオメトリーを
発想する気になれず、また、ヨーロッパの50,80のチャンプ車を参考にしても、ENG位置や前後ウエイト比、
ジオメトリーに個性が有りすぎて参考にならず。走行系の親分も教えてくれるフリして逃げの一手でし
たね。阿部ちゃん、どうしょぅーと聞いたら、”オレも解らん、125のスペシャリスト Iさんに聞け”の一言
そうでした、Iさんは125で日本チャンプになり、MFJからのご褒美で自分の単気筒125を持って、
スパ・フランコルシャン(W-GP)に出場、当時はIさん以外は2気筒でしたので、ズバズバ抜かれて
怖い思いをしたと言ってました。そして、リベンジで、自分用の実戦車のレイアウトを画いてました。
オー,平松っあん、オレ(Iさん)のレイアウトを使ってくれ でした。日本チャンプが実戦から得たジオメトリー
ですから、即、納得がいきました。そのNF4を浜松工場で作ってもらい、3年後(1989年)に安価な
市販レーサーでW-GP 125クラス・チャンプをGET。私の計画は達成できました。そしてNF4は(8000台)
以上生産され レースの底辺を支え レースショップも潤い、MOTO-GPのチャンプ(かな)も育てました。
阿部ちゃんは他のクラスのエキスパートをちゃんと見ていて、平松、あいつはスゲーゾ、オレに無いものもって
いる、Iさんにちゃんと聞けでしたね。
NF4の最終確認はスズカのYYさん(阿部指名)に走行して貰いました、鉄のフレームとはフィーリングが違うが、
乗り方変えれば速く走れますでした。
これはフィクションであり、実名は出せません。