cowboy-平松の部屋

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MX250ccリードバルブENGを三個載んだF750・BIKE

2023-04-22 17:18:31 | マイフェバリットシング、お気に入りBIKE
マイフェバリット、お気に入りのBIKE-3

MX250ccリードバルブENG(シリンダー)を三個載んだ、F750・BIKE

F750:AMAのレギュレーションで、ハレーの4ST(サイドバルブかな)は750ccまで、他は500㏄でした。ですからこのクラス
には スズキTR500(空冷2ST、2気筒),カワサキH1R(空冷2ST,3気筒)、ヤマハはTZ350(市販レーサー)等が出場してました、
 レギュレーションが750㏄のみとなり、スズキはTR750(水冷2ST、3気筒),カワサキはH2R(空冷2ST,3気筒750cc)、共に
量産車ベースで、シリンダーブロックはいじれません(量産のシリンダーをポーティングするという事ですかね)
ヤマハはTZ350を直列につないだTZ700(水冷2ST,4気筒)市販レーサー(30台以上をUSAに輸出する)を出してきましたね。

KR750をデザインした時、1974年8月にスズキを退職して9月にKawasakiに入社し即KR750のデザインに着手しました。
ENGは水冷2ストローク3気筒750cc、オールニューでH2Rの水冷版かと思いきや何か違う、後で話します。
1975年のホモロゲを取りUSAのF750に出場するとのこと、その第一戦は3月第一週のデイトナですね、設計製作を含め
H2Rの基本部品を流用し、基本フレームワークをレイアウトすることになります。大きなENGですからラジエター、バンク角で
ほぼレイアウトは決まります、H2Rよりピボット部、スイングアームを強化して、タイムアップでしたね、、タンク、シートは流用
サスペンションも流用、カウリングはH2Rのイメージを残し削りました。とにかく時間がありませんでしたね。

国内ではあまり登場しないF750クラスですが、USA,ヨーロッパ、豪州で盛んな時があり、KR750戦績が記録に残ります
スズキのTR750も私のデザインで、KR750共々に,YのTZ700(750)に、ちょっと負けた、記憶だけが残ります、
残念ですね。後日写真を見るたび、残念が募ります。

そして、欲しかった、F750用ENG形式は、

水冷、MXの250㏄ピストンリードバルブを積んだ3気筒、前傾シリンダー、#2シリンダーと#3シリンダー間からパワーを取り出し
クラッチへ、具体的にはTR750(スズキ)のレイアウトに2stMXの250㏄シリンダーリードバルブを載せるイメージですね。

理由
1,水冷化; Kawasaki H2R(空冷)は素晴らしいマシンだったが冷却に問題があり、焼き付き、セッテイング困難を抱えていた

2,2ストロークモトクロッサーの250㏄ピストンリードバルブを3ケ搭載
   MXサーがピストンバルブからリードバルブになったと同じ理由です、ピストンバルブのパワーの急激なたちあがり
知ってますか、ましてKR750(カワサキ)はピストンバルブ、6000rpmからドカンと立ち上がります、怖いですよ。
ワークスの2stMX250㏄ピストンリードバルブのマシンに乗ったこともあります、加速がスムーズで乗りやすいですよ
125ccは半クラでガンガン回して乗りますが、250はアクセルワークで乗れるので楽で、楽しいですね。

 まだ重要な項目があります、TR750,TR500-Ⅰ(空冷)、KR750もシリンダーの掃気ポートが進行方向に対してツイストしているんです
キャブ、インレット、掃気ポート、排気ポートがシンメトリー(左右対称)でないんです、左右のシリンダー間の主掃気ポートを
ずらして(斜めに)クランク軸距離を短くしようとしているようです、誰が考えても流体(混合気)はシンメトリーに流れたほうが
綺麗な出力が出そうですよね。TR500-Ⅱ(スズキ水冷2気筒))でシンメトリートにして綺麗な出力が確認されました、
しかし#1シリンダー♯2シリンダー間が狭いため(量産のケース流用)、主掃気ポートの容量が十分に取れずMAXパワーは
残念でした。そして当然、MX250のシリンダーポートレイアウトはシンメトリーで、十分な主掃気の面積を持ってます。

3,クランクとミッションのレイアウト: H2Rはシンメトリーのシリンダーです、KX250(KのMX)のピストンリードバルブ
  のシリンダーを3基乗せるとクランクが長くなり、#1シリンダー側の電装部のバンク角が厳しくなるでしょう、H2RもKR750も
#3シリンダー側端からパワーをクラッチに繋いでます、クランク左端の電装から右端のクラッチまでの長さ(幅)が相当あります
TR750は#2シリンダーと#3シリンダーの間からパワーをクラッチに伝えるため、クラッチが内側に入り、#3シリンダー側の
クランク端がバンク角端になります。TR750と同じ、クランクとミッションのレイアウトを参考にするとコンパクトになりそうですね
TR750はクラッチが#3の後方にあるためにクラッチ(湿式から乾式に変更)冷却のためダクトが必要でしたが。

4、前方排気の3気筒: TZ750は4気筒、必然的に#1チャンバーは必ずチェンジシャフト近傍から上方に曲げキャブの
後方を通さなければならない、そして、TR750同様、チャンバーはクニャクニャ曲げたくないです、
MX250のチャンバーはグランドヒット対策からからアップチャンバーに変わりましたね、シリンダーの前方でトグロ巻いて納め
てますが、ベンチでの出力(ストレートチャンバーで性能確認してます)特性を再現するのが難しいんですよ、チャンバー
はストレートでレイアウトしなければならないのです。
2STのチャンバーはテールコーン部から排気脈動波が跳ね返りエキゾースト部を塞ぐとのことですが、とぐろを巻いていては
ベンチの出力の再現は難しいのではと思います。

5,出力的には:ピストンリードバルブのMX250は45~50PSぐらいでしょう、当初のKR750は116PS/9000rpm、TZ700は
TZ350×2=58×2=116PS/10000rpmぐらいでしょう、MX250(45~50)×3=135~150PSは望めそうです。 YZR750は
最終的には160PS(クランクケースリードバルブ)あったそうですが、

6、後方排気の4気筒750(500と同様なレイアウト)は、チャンバーの長さ処理が、500でギリギリでしょうから辛いでしょうね、
前方キャブや、ダウンドラフトキャブはキャブへの空気取り入れ方法が難しいんです、ファンネル前方に何ミリ必要で、キャブ室
の容量が小さいとアクセルの反応が悪くなるとかとかでキャブ室の容量及び流入通路がENG性能に大きく作用します、
又大きな面積のラジエターも必要で、容量が足らないと分割した複数のラジエターが必要です、レイアウト的に大変なんです
ラジエターの設計はフレーム屋なんですよ、はっきり言って、無理難題を押しつけられているだけで、やりたくないですね。


7、後方排気の3気筒は上記6よりチャンバーが、よりレイアウトが辛いでしょうね、ましてENG下部のトグロチャンバーは性能
向上の余地はないでしょう。チャンバーは何度でも言いますがストレートでレイアウトしたいですよね。

結論:さて、#2シリンダーと#3シリンダー間からパワーを取り出したMX250のピストンリ―ドバルブのシリンダーを3個積んだ
エンジンが手に入ったらチャンバーからレイアウトします、#1チャンバーはチェーン側にチェーンスライダーは必要でしょう
#2#3はチャンバーは右側にスイングアームはへの字を採用し#2チャンバーを大きく逃げ、#3も通すレイアウトが必要
でしょう。リヤリンクサスのフレーム下側の支点が#2チャンバーと干渉するぐらい、そのへんのレイアウトが楽しそうですね

私たちフレームデザイナ―はいつもENGありきなんですよ、ENGデザイナー系が偉いさんに、社長に、宗一郎さんもENG系ですよね、
最高出力さえあれば勝てると思っているENG屋が、多いいですね、サーキットで阿部ちゃんに、どうかねパワーは足りてるかねと
陣中見舞いに来た“ミスターホースパワーさん“にしっかり阿部ちゃんがパワーについてお話ししたそうですが.。?でしたね
そして、スズキでRG500を担当した時にENGマウント位置はフレーム屋の私が決めたいと懇願しました、トータル的にバランスの
とれたマシンにしたかったからですね。   はい、今回テーマにしたトータル的にバランスの取れたマシンをレイアウトするって、
難しいですよね。

COWBOY-平松

HRCの設計者 工藤君 への私からの追悼文です。

2022-05-22 15:33:39 | 私を育ててくれた人ー
HRCの設計者工藤隆志君が2020年死去され、追悼文を工藤君の弟さんにお送りしました。

以下 工藤隆志君の弟さんにあてたメールです。

私、平松絹男は1949年(昭和24年)生まれで、工藤君より6歳ほど年上だと思います。
スズキ、カワサキを経て、32歳の時にHRC(工藤君と同じ)に中途入社しました、ロードレースのフレーム設計者です。
雑誌記事(平松絹男でHITします)も書いており、また、ブログ(平松の部屋・COWBOY-平松)も書いており、
読んでいただけたら、私なりが解ってもらえると思います。
そんな私が同業者(フレーム設計者)で面白い設計者、特異な設計者、技術者だなと感じたのは工藤君でしたね、
私に持ってないモノを沢山持っていましたね、次に何やらかすんだと注目していました。
HRCは工藤君の個性を引き出しきれたのかな、またHGAで訳の解らん(私にとって、失礼)組織の中でのカツヤクはちょっとは
伝わってきていましたが、会社側から見ると、工藤君より思考的(技術的)に上位の人間がいなかったので、
使いきれなかったと思います。 工藤君は素晴らしい技術者でした。

工藤君と付き合いのあったライダーに訃報を伝えると、えっうそー、工藤さんの作ってくれたVF400のプロアーム
の剛性は的確でスムーズにスライドが出来、ENGもキャブもSTDだけど、タイム出ましたよ、又アジャストのたくさん付いた
RRサスも嬉しそうに持ってきてくれましたよ、と私に話してました、ライダーの要求するマターが解っていたんでしょうね。
それ、設計者にとって非常に重要なマターなんです、私は阿部ちゃん、利一さんから叩き込まれましたが、
工藤君は何処からそのマターを得られたのか、一度飲みながら聞き出したかったです。
そのライダーが言ってました、工藤さんテスト中なのに鈴鹿のスタンドで飲んでましたよ、いいのかなー。いいです,時効です,
工藤さんいろんな意味でセンス(マターを持ってる)のある素晴らしい設計者でした。

私がカーボンフレーム(ツインチューブ)を提案して、(カーボンの)作り方に四苦八苦しているの見て、工藤君はアルミの日の字、目の字
の押出材をさっさと作り(型費が40万ぐらいです、高くないですね、でも私はそのような発想はその時まだ無かったです)
さっさとアルミのツインチューブを作ったのは工藤君でしたね、当初はVFR400だったとおもいます。それから
NF5で、私の機種ですがアルミツインチューブフレームの設計を彼に依頼しました。
VFR系のプロアームもとんでもない、仕様で、加工屋さん泣かせでした、ブロックから薄い壁を削りだすという難技術でしたが、
加工屋さんの加工技術の修練の末、軽量のとんでもないプロアームが出来たようです。(出来るのが解っていたようでしたね)
上記のライダーとはBBの小園さんです。仕様ががぴったり合ったんでしょうかね。リヤのスライドがスムーズだと言ってました。
そして小園さん(ライダー、試作屋さんでもある)は、0.4mmの Ti チャンバー、EXhだったかな作らされたようで、
今でも、苦労した記憶があるとのことでした。

工藤君の設計は、2Kテストで壊れた箇所を設計修正するやり方でしたね。2K担当者が嫌な顔で報告すると、
工藤君は、やっぱりねって顔してました。予測していたようです。私は安全率1.25位で設計しようとしてますので、軽量化は
苦手でした。工藤君は安全率1.1~0.9位を目標にしていたようですね、軽いフレーム、スイングアームが出来たようです。
どこを根拠にそんな設計が出来るのか、不可思議な奴でしたね。質問しても、いつもニタニタ、私から見ても不可思議で
私には無い物を持った設計者でしたね。

10~12年前に私が定年後も開発していた(上記のライダーと共に、茂木のW-GPの参戦した)、Wスイングアームの
英文の資料(カワサキ時代の)を工藤君が興味があるとのことでお渡ししたことがあります、
在職中に知りえた技術がどうのこうの言いたい奴もいましたし、もしありましたら、平松まで返送していただくか
焼却処分ください。もし返却していただけたら、そのライダーと私と工藤君(写真)と飲みます。
このWスイングアームに興味を示したのはHONDAでは工藤君と,宮腰さん(W-スイングアームの出願多数あり)でしたね。
HGAの連中は、スイングアームが一本増える、コストが上がるから要らんでした、(ノーノー)技術集団でしたね。
私が退職後小園さんに開発したいと話したら、私財でWスイングアームの開発にのってくれたんですよ、W-GPに出場しましたね。
W-スイングアームは私のブログ(平松の部屋)に記してあります、お読みください。何かヒントありますよ。

速いBIKEのコーナー出口写真を見ると後輪がアウト側にスライドしています。各フレーム部位の剛性バランス、エンジンの出力
とのバランス等、ライダーが感じコントロールしなければなりません。レースBIKEを設計するのにはセンスが必要ですね
工藤君はユラリノラリと我をトウシていたようですが。センス(マターを持ってる)のある不可思議な設計者でしたね。

COWBOY-平松


中学から、ニレ(スズキ2輪レースGr)に所属できるまで

2022-04-17 15:10:48 | オレが経験したおもしろ話
俺が経験したおもしろい話ー9
中学がら、ニレ(スズキ2輪レースGr)に所属できるまで

 中学の時からBIKE系の仕事に進みたかった。父親の浅間のレースを見た話や、雑誌オートバイ
モーターサイクリスト誌を読み、GPレーサーのスペック表を作ったりしてやっぱり、2STは速いなーとか
普通高校→工業大学って考えると7年も、大学ではBIKEを教えてくれる訳でも無いし、そんなに勉強は
好きでもなかったので、高専(5年)だなって決めて、とにかく中2の夏は猛勉強しました、ドリルを
片っ端から解きあさりました。何故か中学の進路担当教師は高専を嫌って受験票を渡してくれなかった
ですね。それは音楽担当の教師だったかな、よく授業中に喧嘩しました。
 群馬高専は一期校で県に一校しかなく、田舎の秀才が集っており、また教授の方々も老練の方や
バリバリ張り切っている若い教授が多くおりまして、社会のニーズにそくした即戦力育成が目的でした
秀才でなかった私は大変でしたよ。その中で実習は得意でしたね、バイトで購入したC2SS(kawasaki)
を工場でMXサーに改造(フロントアクスルを旋盤で削ったり、チャンバーを溶接したり)したり、自動車部
でFRPの製作技術を習得したり、BIKEメーカーへの道へますます向かっておりましたが。又、進路担当の
教授がスズキ、ヤマハの受験票を渡してくれません、クラスTOPは東工大へ、2位は東洋工業へと
でしたから、末席の私にはなかなか渡してくれませんでしたが、教授室の前で雪隠攻めを敢行して
受験票を頂きました。
 スズキ、ヤマハの入社試験を受けました。ヤマハの英語は憲法の序文みたいでサッパリ解りませんでした
スズキの英語はENGのクラッチの機能が出題され十分訳せました。ヤマハの面接で貴方の英語力は
ダメですねと言われ、はい、私はヤマハさんに英語を訳しに来たのでなく、BIKEを作りたいのですと
返答しました、ダメですね。ヤマハの工場でTD1(空冷2気筒の市販レーサー)を見てカッコ良かったなー
 スズキに入社しました、研修1、工場実習、研修2、各課配属、研修3、とまあこんな工程で社会人になって
行くわけで、生産技術のコスト係に配属になりました。図面から部品コスト算出し、他、経費、儲け,等
積上げ、販売価格決める重要な業務です。が、 研修1,2で希望する課をレースGrと申請してたので、
人事課に行って 何故レースGrに配属されなかったのですかと尋ねました。すると研修も担当している
若い方が 貴方の入試テスト成績ではねーと、事務方風の一返答の説明でした、私はあなたは何で
スズキに入社したのですか(まあ文系の方は地元に仕事があるからでしょう)……。スズキでレースを
やりたくって入社した人間の気持は解らんでしょうねと抗議している間に涙が出てきてしまいました。
人事課のたくさんの女の子の前で、すごくカッコ悪かったですが、おかげで名前を覚えてもらいました。
配属後の研修3で人事課の若い方が 約1名の人が配属先に不満があるようですが、新入社員の皆さん
頑張ってください、エイエイオーってやりたかったのかな、すると新人研修代表気取りの××が『与えられた
職場でガンバリましょう』と大きな声で答えてました。私はすくっと立ち、『会社に気に入られる事ばっかり
言ってるんじゃ―ねーよ あんた一人で頑張ったら』と言い返しました。目立っちゃいましたね。それから
研修での平松チェックのきつい事、悪チームのリーダーやらされたり、訳もなく怒られてましたね。
 私は生産技術の課長に、レースがやりたいからスズキを選びました(ヤマハも受験しました)と直接
真剣にお話ししました。すると課長は今までこんなに真剣に言ってくる奴はいなかった、解った!。
暫くして、富山工場に出張中に本社に帰ってこい、ニレ(2輪レースGr)に行けとの指示を貰いました。
生産技術課長とレースGr課長どうしでトレードしてもらえたようです。まあ、元気な奴がいるから
ニレで引き取ってくれやでしょう。当然ニレには新規採用者はいるわけですから。よーし、まず
メカニックGrに入れてメカの親分(利一さん)の元 鍛えて(モノを作る実践)から設計させようと
徒弟制度が残っていそうな職場に目出度く入れました。GPライダーの伊藤光夫さん市野三千雄さんも
居られて、真に『ニレ』でBIKEの基礎を叩き込んで頂きました。
高専入試、入社試験時も担当教師、担当教授に私の進みたい方向をちゃんとお話しし、またスズキに
入社後も、上司(生産技術の)に真剣にお話しして、自分の歩きたい道を得られたと思ってます。
 そうです、この職場に阿部ちゃん、増田耕二さんも入って来ました、(太一さんは契約ライダーでした)
私は怒られても怒られても楽しく鍛えてもらいました。ここが私の原点でしたね。
 この私のブロブに 私を育ててくれた人(師匠) 伊藤利一さん、小島松久さん、阿部ちゃんを記してます
この原点で お会いできた方々です。     だから今があるんだろうなー

COWBOYー平松

H2R,H2Rフーバーは素晴らしいBIKEです。

2022-02-23 15:14:18 | 開発したBIKE-kawasaki編ー
H2R&H2Rフーバーは素晴らしいBIKEです。

AMA(米国のモーターサイクル協会)のF750はハーレーのサイドバルブは750ccまで OK 他は
500ccというカテゴリーでした、カワサキでは当初はH1R(500SS マッハⅢをベース)で出場してま
した、750ccがOKになりH2R(750SSをベース)をKHI(kawasaki-明石)とKMC(US-kawasaki)と契約
したTEAMハンセン(KMCの敷地内)に開発が託されました。同敷地近郊にMgホイールのモーリス
や、ダートレースのフレームビルダー等が隣接していて開発村みたいな環境でしたね。
 
私が'74年9月9日にKawasakiに移りKR750のフレーム設計に着手しました、次年(’75)のデイトナに
出場するために30台完成車を輸出しなければならないのです。タンク、シート、フロントフォーク
FR,RRホイール系は、H2Rを流用し、フレームBODY、スイングアーム、カウリングを専用に設計
しました。そしてH2RのフレームBODY図を参考に見たら、ENGマウントが図に画いてませんでした

はてな(?)と思いましたが、H2Rの開発過程が写真データが示すようにENGクランクの前後上下
位置、カウンターの上下位置が相当テストされているようです

私はH2Rに乗ったことはありませんが、次モデルのKR750に乗ったことがあります。Kiyoさんから
乗ってみろと言われてFujiのストレートで乗りました、6000rpm付近から急激にパワーが吹きあがり、
目の前が白くなった感じで(ウイリーして空が見えたのか、脳みそが後方に押し付けられて白くなっ
たのか?)シフトアップしようと思いませんでしたね。KR500はKR250の(同爆のトルクの塊)×2
で急激な加速感は無く、いつの間にかスピードに乗って怖くはなかったです。まあ、ライダー失格の
フレームデザイナーのインプレですが。

H2RもKR750も2ST直列3気筒750㏄、ピストンバルブで爆発的な出力によりフロントの荷重
が軽くなり、操縦安定性への影響。ENGケース幅が長い(広い)為、特にL/Hの電装カバーの接地
又、単気筒250ccに相当する太いチャンバーを3本後方に通すためのバンク角の確保、すべて
マッチングさせなければならない。重要なテストがなされたと思われます。

当時のライダーはY・ドハメル、G・ニクソン、和田さん等 爆発的パワーをリーンウイズでねじ伏せる
ライディングであった為バンク角の設定はきつかったと思われる(クランク高を下げると接地する)
(当時はフルショック ・ 45度でバンク角を設定してましたが、現在は50度あるようですね。)
今風のぶら下がりライディングスタイルだと爆発的出力によるテールスライドに対応できず振り
落とされる思われます。(電子コントロールだとか、プロリンクの方向だとかありますが質問がある
方は別途お答えします)

カウンター高さはスコートとの関係からあまりいじれません、クランク高さはバンク角からケース
接地するギリに,  クランクの前後はフロント荷重重視で前に決まった思われます。

レースの最前基地(TEAMハンセン)での開発ですから新技術、先端技術の流用も素晴らしい事例も
多くありますね、Mgソリッドホイールの採用+チューブレススリックタイヤの採用。航空機の給油
システム(クイックチャージ)。SUSメッシュのブレーキワイヤー&ジョイントシステム。アイデア的に
私が素晴らしいと思っているのは船舶のバルバス・バウ(球状船首)を模したダウンフォースを
得られるカウリング形状。KHIで開発されたと思いますが、アルミのDISKプレート、これはアルミ
DISKの表面に溶けた鉄を吹き付(溶射)けた軽いDISK板です。軽量H2Rならではのパーツですね、
まあ、キャリパーまだ量産流用のコレットタイプでしたね。

H2Rフーバーの話をしましょう
レーシングマシンの設計本、著者リン・テリーさんの、インディーマシンやCan-Amマシンを解説した
本を阿部ちゃんから貰いました、フーバーの考え方が書いてあるから勉強しろです。KMC-R&D
のマーセルさんor細居さんからもらったものでしょう、前後サスのパラレルリンクの仮想交点をG
(重心)近くに設定してアンチノーズダイブ、アンチスコートを狙った機構でした。
H2Rのスイングアームを上下デュアル(私はダブルスイングアームと呼んでいます)にして、仮想
交点を前方にホイールベースの2倍ほどに位置させる、仮想スイングアーム長を長くしてウイリー
しにくくした機構です。4輪では 0~400マシン・ドラッグスター(全長9mの)とは別にファニーカー
(セダンタイプ・プラスチックの外皮を被った)にこの足回り機構が装着されているようです。
又、阿部ちゃんは焼き付いたときに巻き込まれないとも言っていました。焼き付いてリヤホイールが
作動(横滑り)した時にリヤアクスルが平行四辺形の短辺についているため上下に作動します、
リヤタイヤの接地点は横にのみスライドします。通常の1本スイングアームですとスイングアーム
ピボットを軸に円を描き、リヤタイヤの接地点が前方に移動します、焼き付いた時のタイヤの滑りは
横方向プラス前方にスライドします。ダブルスイングアームは焼き付いた時のタイヤの滑りは
横方向のみで、キレイにスライドし巻き込まないと考えます。
パワーのあるマシンはリヤタイヤをスライドさせ方向を変えてますね、フーバーはキレイにスライド
させる事が出来そうです。1本スイングアームはリヤタイヤをスライドさせるとき、いつもタイヤを
コジッテいるようです。ワンレース終了した時のタイヤの摩耗、グリップ感はいかがかなと,
面白そうですね。

特許については,古い公報で自転車で出願されてます。周辺特許は各メーカーから出願されてますよ
HRCのM腰さん(別ブログに記してます)からも出願されてます。ライダー失格やナントカプロリンク
も別ブログに書きました。長々となりましたが、私が欲しかった2ST直列3気筒750,(500)を別
ブログで書きたいと思います。

cowboy-平松

2018Suzuka8Hrを見て & RS250RWの開発

2021-08-24 22:04:24 | オレが経験したおもしろ話

オレが経験したおもしろ話-8
2018 Suzuka 8hr を観て & RS250RWの開発から

2018,の8Hr見ました。4年連続でCBR1000はYに負けましたね、私はSKHのレース畑を渡り歩いて
いて、Hへに愛社精神は特にはですけど、宗一郎さんが作ったスズカで4連敗カッコ悪いしはずかし
いですね。CBR1000はユニットプロリンクでしたよね。RRリンクサスを開発するには〇△□云々、でも基本は
バネ下重量軽減、マスの集中、リンクの支点位置なんです。HRCのプロリンクはバネ下重量を軽減し、サス
の上部支点はライダーの尻の下部ありRRタイヤのグリップ、スライド感を感じられていたようようです。
HGAのユニットプロリンクはスイングアームにRRサス本体、リンケージが装着されており、そしてリンクの力点が
ENG方向(水平方向)にあり、ライダーの尻にRRタイヤのグリップ、スライド感は伝わらないようです。
私は阿部と多数開発した仲での彼のCBR1000をライディングしたコメントからもその様に理解しました。
ユニットプロリンクになってから、ハイサイトが無いとか、だからアクセルが開けられるんだと言う人がいますが
低レベルのコジツケだと思ってます。バネ下重量重増、尻にタイヤの情報無し、良いはずナシ
RRタイヤのグリップ、スライドを感じながらアクセルコントロール出来無いHGAレベル良しなんでしょうか
CBR1000がレーサーになった時に、伊藤真一がRRのグリップが伝わって来ないとコメントしたら、
即、朝霞研究所に呼び出されて、HGAの技術にケチを付けるなと言われたそうです。
怖いですね、技術屋集団ではナイですね.。
技術的に理解できなかったのでユニットプロリンクの考案者に質問しました。それは、熊本工場で
組み付けし易く、スイングアームにRRサス部品をサブAssyし、横にスライドさせ、PV軸、リンク軸をENG
後方に締め付ける、素晴らしい工場組み立て技術です、でもCBR1000がレースで使われると考えて
なかったとの事です。
WSB(ワールドスパーバイク)はKawasaki,Yamaha,ドカ以外は勝ってません。原因はなんで
しょうかね。

 私はHGAの技術ユニットプロリンクをRS250RWに使って、WGPで勝てと指示された事が有ります。
私の答えは”NO”でした。自分自身で理解できない技術で勝てるマシンを作れるはずがありません
いきなりW‐GPも無いです、と説明しても、役員はやれ、HGAの技術にケチを付けるな状態です
プロリンク車とユニットプロリンク車を2機種作ってライダーチョイスさせる事を提案しました。当然、
仕事(2機種作っているので、2倍の業務量)を家に持ち帰えり、超オーバーワーク、業務途中で
心筋梗塞で入院。若手に任せました(今MOTO‐GPで戦っているエンジニヤリングに)
結果、プロリンク車はペドロサがチョイスし,W-チャンプに。ユニットプロリンクは青山にのせ,苦労させました御免
HGAの役員は何を理解したか分かりませんが、レース終了後 LPL(チームリーダー)は営業に
転籍。役員指示に背いたのは私なのにね、.そして、ワールドチャンプを獲得しても、ご苦労さんの
一言も無し、謝恩会も当然なし。  ワールドGPのチャンピオンGETですよ
RS250RWの会議にHGA2Kの乗り屋(✖海)も来たな、こんな理論的におかしなユニットプロリンクを
使わなければイカンのと質問したら、理論でなく、根性論で使えここは”HGA"だったな。
訳が分からん、悔しさもわいてこない。  根性でテールスライド出来るか!
  CBR1000のKIT車に乗って、即転倒したユザーが、RRタイヤからのグリップやスライド感が
ないまま、転倒してしまった、こんなBIKE初めて、なんで?これからどう走れば良いか解らん
と、HRCに質問してきました。HRC営業に転籍させられた旧LPLは答える事が出来ませんでした。
私は聞いていて辛かったです。
 211VはHGAで作った初年度はユニットプロリンクでしたが、今(MOTO-GP)はプロリンクです。
212Vから改善していったLPLは平松さん大変ですよと覚悟をカタっていましたね。
 身を死にさらして、RS250RWでユニットプロリンクに引導を渡したつもりですがが。 8耐見ていて
悔しいです
 新CBR1000はプロリンクだそうです。伊藤真一がテストしたようですね期待しましょう。
RS250RWの同チームだったOG君が担当のようです、ガンバですね。
 註:私がHRCで一緒に仕事していたMXの2Kテストライダーはいつも言っていました,
全日本で走っている若いライダーに、N野さん全日本のタイムで走れないのに何で操安の良い
BIKE出来るのと、質問されて
『オレのBIKEを作ってるんじゃない、今までの経験で速く走れるBIKEを作るのがオレの仕事だ』
マッサン(増田耕二)はN野さんの仕事にNOを出しませんでしたね。

COWBOY-平松