cowboy-平松の部屋

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H2R,H2Rフーバーは素晴らしいBIKEです。

2022-02-23 15:14:18 | 開発したBIKE-kawasaki編ー
H2R&H2Rフーバーは素晴らしいBIKEです。

AMA(米国のモーターサイクル協会)のF750はハーレーのサイドバルブは750ccまで OK 他は
500ccというカテゴリーでした、カワサキでは当初はH1R(500SS マッハⅢをベース)で出場してま
した、750ccがOKになりH2R(750SSをベース)をKHI(kawasaki-明石)とKMC(US-kawasaki)と契約
したTEAMハンセン(KMCの敷地内)に開発が託されました。同敷地近郊にMgホイールのモーリス
や、ダートレースのフレームビルダー等が隣接していて開発村みたいな環境でしたね。
 
私が'74年9月9日にKawasakiに移りKR750のフレーム設計に着手しました、次年(’75)のデイトナに
出場するために30台完成車を輸出しなければならないのです。タンク、シート、フロントフォーク
FR,RRホイール系は、H2Rを流用し、フレームBODY、スイングアーム、カウリングを専用に設計
しました。そしてH2RのフレームBODY図を参考に見たら、ENGマウントが図に画いてませんでした

はてな(?)と思いましたが、H2Rの開発過程が写真データが示すようにENGクランクの前後上下
位置、カウンターの上下位置が相当テストされているようです

私はH2Rに乗ったことはありませんが、次モデルのKR750に乗ったことがあります。Kiyoさんから
乗ってみろと言われてFujiのストレートで乗りました、6000rpm付近から急激にパワーが吹きあがり、
目の前が白くなった感じで(ウイリーして空が見えたのか、脳みそが後方に押し付けられて白くなっ
たのか?)シフトアップしようと思いませんでしたね。KR500はKR250の(同爆のトルクの塊)×2
で急激な加速感は無く、いつの間にかスピードに乗って怖くはなかったです。まあ、ライダー失格の
フレームデザイナーのインプレですが。

H2RもKR750も2ST直列3気筒750㏄、ピストンバルブで爆発的な出力によりフロントの荷重
が軽くなり、操縦安定性への影響。ENGケース幅が長い(広い)為、特にL/Hの電装カバーの接地
又、単気筒250ccに相当する太いチャンバーを3本後方に通すためのバンク角の確保、すべて
マッチングさせなければならない。重要なテストがなされたと思われます。

当時のライダーはY・ドハメル、G・ニクソン、和田さん等 爆発的パワーをリーンウイズでねじ伏せる
ライディングであった為バンク角の設定はきつかったと思われる(クランク高を下げると接地する)
(当時はフルショック ・ 45度でバンク角を設定してましたが、現在は50度あるようですね。)
今風のぶら下がりライディングスタイルだと爆発的出力によるテールスライドに対応できず振り
落とされる思われます。(電子コントロールだとか、プロリンクの方向だとかありますが質問がある
方は別途お答えします)

カウンター高さはスコートとの関係からあまりいじれません、クランク高さはバンク角からケース
接地するギリに,  クランクの前後はフロント荷重重視で前に決まった思われます。

レースの最前基地(TEAMハンセン)での開発ですから新技術、先端技術の流用も素晴らしい事例も
多くありますね、Mgソリッドホイールの採用+チューブレススリックタイヤの採用。航空機の給油
システム(クイックチャージ)。SUSメッシュのブレーキワイヤー&ジョイントシステム。アイデア的に
私が素晴らしいと思っているのは船舶のバルバス・バウ(球状船首)を模したダウンフォースを
得られるカウリング形状。KHIで開発されたと思いますが、アルミのDISKプレート、これはアルミ
DISKの表面に溶けた鉄を吹き付(溶射)けた軽いDISK板です。軽量H2Rならではのパーツですね、
まあ、キャリパーまだ量産流用のコレットタイプでしたね。

H2Rフーバーの話をしましょう
レーシングマシンの設計本、著者リン・テリーさんの、インディーマシンやCan-Amマシンを解説した
本を阿部ちゃんから貰いました、フーバーの考え方が書いてあるから勉強しろです。KMC-R&D
のマーセルさんor細居さんからもらったものでしょう、前後サスのパラレルリンクの仮想交点をG
(重心)近くに設定してアンチノーズダイブ、アンチスコートを狙った機構でした。
H2Rのスイングアームを上下デュアル(私はダブルスイングアームと呼んでいます)にして、仮想
交点を前方にホイールベースの2倍ほどに位置させる、仮想スイングアーム長を長くしてウイリー
しにくくした機構です。4輪では 0~400マシン・ドラッグスター(全長9mの)とは別にファニーカー
(セダンタイプ・プラスチックの外皮を被った)にこの足回り機構が装着されているようです。
又、阿部ちゃんは焼き付いたときに巻き込まれないとも言っていました。焼き付いてリヤホイールが
作動(横滑り)した時にリヤアクスルが平行四辺形の短辺についているため上下に作動します、
リヤタイヤの接地点は横にのみスライドします。通常の1本スイングアームですとスイングアーム
ピボットを軸に円を描き、リヤタイヤの接地点が前方に移動します、焼き付いた時のタイヤの滑りは
横方向プラス前方にスライドします。ダブルスイングアームは焼き付いた時のタイヤの滑りは
横方向のみで、キレイにスライドし巻き込まないと考えます。
パワーのあるマシンはリヤタイヤをスライドさせ方向を変えてますね、フーバーはキレイにスライド
させる事が出来そうです。1本スイングアームはリヤタイヤをスライドさせるとき、いつもタイヤを
コジッテいるようです。ワンレース終了した時のタイヤの摩耗、グリップ感はいかがかなと,
面白そうですね。

特許については,古い公報で自転車で出願されてます。周辺特許は各メーカーから出願されてますよ
HRCのM腰さん(別ブログに記してます)からも出願されてます。ライダー失格やナントカプロリンク
も別ブログに書きました。長々となりましたが、私が欲しかった2ST直列3気筒750,(500)を別
ブログで書きたいと思います。

cowboy-平松

S1(エディー・ローソン レプリカ)を作った話し

2019-04-09 15:52:01 | 開発したBIKE-kawasaki編ー
開発したBIKE-kawasaki編ー3

S1(エディー・ローソン レプリカ)を作った話し

’2016年5月7日発行 RACERS Vol 38 KZ1000 SUPERBIKE
64P~69Pを参照下さい
 S1はフルコピーです。USAでのエディーのレース終了後いきなりKHI(明石のカワサキ)にそのマシンが送り
込まれてきました、いつもの、30台作れでした。
KMC(USカワサキ)でR・マジーがE・ローソンのスーパーバイク用に開発したもので、USAでの開発パーツは
US製を使用しなければならないようで。輸出する時は装着なしかテンポラリーパーツを付けるようです。
排気系はUS製のKERKERで装着なし,OILクラーラーも装着なし、RRサスは棒(日本用はKYB)です。
FFサスは。まず驚いたのは、サスが動かないんです、むちゃくちゃ固いんです。そのままカヤバさんに
送って、同仕様で作って下さい。即、なっんなんですかこのサスは(棒ですよ)でした。
 徳野とガードナーが組んで8Hrに出場した時が有りました、徳野が最終ライダーでピット待機していたら
ガードナーはガス給油後、ライダー交代なしですっとんでコースにでていきました、ガードナーはタイムの出ない
徳野にいらついて、チームオーダーを無視したんでしょうね。でもね、徳野にすれば、たまったもんじゃ
なかったんです。あんなガチガチのサスでタイム出せなんて、転倒しろでしたよ。
 ホイールはダイマグでKR500系のハブ、ブレーキディスク、キャリパーを流用しました。RRスイングアームは丁寧に
作ってあげました。KR1000をベースにトラス組んだFRーBOX部はOILキャッチタンクに、RR軸にはエキセン
を用い、重量も重く、パワーのある出力に負けないように配慮しました。R・マジーが補強したフレームを
ラインに持ち込み作ってくれーって現物で談判、どこかのH社では溶接一つ追加すると、歪む、保証
出来ない,治具が壊れる、うんぬんでNG。ここ男カワサキでは、うわー、このフレームでエディーが走る
んですか、よっしや作ってやるって、製作してくれました。アンコを抜いたシートは図面に”支給現物に
よる”と字面(字だけの図面)を出図しましたよ。30台の最終Assyは自分で工具を持ちこんで必要
な追加工をしがら、排気系や、○○の付いて無い完成車を組立てました。
パーツリストは当然無いですよね。私はいつも部品もれが無いように手書きのパーツリストを作りチェック
していました。そこそこな出来栄えなので、それが本パーツリストになってしまいました。
HRCのサービスGrで市販レーサーのパーツリスト・OMを担当した時も絵の修正程度はさらっと出来ましたね

日仏合作の605B(KR1000)とロセ

2019-04-09 15:44:59 | 開発したBIKE-kawasaki編ー
開発したBIKE-kawasaki編ー2

日仏合作の605B(KR1000)とロセ

 2011年11月7日発行 RACERS Vol 11KAWASAKI Z RACER
64P~91Pを参照下さい。
 我々が谷田部でKR500のテストしていたら、いきなり、PEM(パフォーマンス)のBIKEが届いた、なにこの
BIKEって感じでした。見ただけで、スイングアームが歪んでいるのが解りました、後ろから見るとショックの
無い左側が上に捻じれ、リアタイヤがが右に傾いていたのです。 テスト走行はしていません。
カワサキって、いきなり実車をどんで、作れってあるんです。S-1もそうです(8耐もいきなり2チームに)
明石に戻って、パフォーマンスのロセさんと打ち合わせしました。私は’79のヨーロッパの耐久選手権を知ら
なかった、このPEMフレーム(ENGはワークス)で相当の成績をだしたが、フレームをなんとかしてくれとの
事です。たぶん、ENG屋がストーリーを作ったんでしょう。当時私は、KR250、350、それとKR500と
格闘していました。フレーム設計は私と助手1名、前年、外装ボロボロの605Aをでっち上げましたが
これ以上オレにどうしろって言うんだ!打ち合わせで、ロセさんのこれまでの実績、熱意を充分に感じ
私から提案しました、カワサキ(日本)で出来るのは、605Aレベル(メインフレーム、ENG,排気系?、前後サス、
ブレーキ系、スイングアーム)。パフォーマンス(仏)で カウル、シート、タンク、燈火系、クーラー系、等を製作して下さい。
そして、カワサキ(日本)分も作って日本に送って下さい。RRサスはロセさんの要望で1本サス(F2のパーツ
が流用出来るとの事)を採用、ガスタンクはカワサキ(日本)から型を送ります。カウル、シートは、゚フォーマンス製
を採用したい、実戦から生じた外装は理にかなっていて、カッコ良かったです。
この様にお互いに出来る事と出来ないことを、隅分けて日仏合作の605Bの合作計画がまとまった
のです。  実は、ロセさんから外装を入手することにより、私の次年でやらねばならない仕事が
減りました、そうです、ロセさんの手を借りて、ボロボロの605Aを 605Bに仕上げられたのです。
 '80-8耐で E・ローソン、G・ハンスフォードが2位をGETしたマシンが フレーム・ENGが日本製 外装が
フランス製の605Bでした。パフォーマンスチームも2台走ってました。ライダーはユゲ、モアノー、ロッシュ、ラフォンかな
8耐での共同作業、レースの打ち上げ宴会等、すげー楽しかったです、

KR1000が出来た訳  605A(KR1000)

2019-04-09 15:37:08 | 開発したBIKE-kawasaki編ー
開発したBIKE-kawasaki編ー1

 KR1000が出来た訳  605A(KR1000)

 2011年11月7日発行 RACERS Vol 11KAWASAKI Z RACER
64P~91Pを参照下さい。
 エンジン実験屋の加藤(弟)さんがエンジンは有るのに、車体はねーのか?だらしねーなーって喧嘩を
売ってきたんです、カッチンときましてね、外装まで手は回らんけど、作ってやるわ―。加藤さんも私
の性格知ってたんでしょうね、”エイ、ヤッ”で作らされました。
ENGのでかいBIKEはフレームレイアウトの自由度が無いんです、フルショックのバンク角でENG高さが決ま
ると、後はKR750とのENGをスワップし、当たりをチェックすればほぼ、レイアウトは決まります
機能パーツのFRサスは603(KR500),RRショックは602(KR750)、
FRカウルは602をカット、シートは601A(KR250A),極めつけは、ガソリンタンクで発砲スチロールを私が削って
後は職人さんが、その型に直接FRPを積層して、中身のスチロールは溶かして作っちゃんです。
格好はとても、ワークスマシンではなかったですね。でも抑えるところはキチットやりました、4連キャブ
のファンネルを逆ハの字に内側向けてもらい、ライディングのニーグリップ性向上をはかった、自分でタンクを
を削るから、ニーグリップ性やエルボーグリップ性を考慮したマシンがつくれます。エンジン屋の要求でキャブ
セット時、キャブを外しやすいように、メインフレームが非対称形状になってます。スイングアームは下方トラス
構造(シデムのトラス構造を意識し)剛性は相当強く、後の605Bの1本サスにそのまま適用しました、
中空部はOILキャッチタンクにしました。
そして、8耐の予選で、徳野がクロスビーに続いて2ndポジションをGETし、結果オーライでしたね
耐久レース車は給油装置の製作や、スペアパーツの準備(サブAssy)、等に人員的にも応援してもらい、
盛り上がりましたね。明石からの応援バスが到着前に、2台ともリタイヤしてしまいました、すいま
せん、開発ナンバーも無しで、担当者同士の勢いで、一機種を立ち上げてしまう。カワサキッポイで
しょう。私は、加藤さん(同じ年、同じ血液型でB型)に喧嘩を売られた事に感謝してます。
次年の605Bに繫がりました。エンジン屋の本田君と加藤さんが605Aを立ち上げるストーリーを作って
いたと思います。