cowboy-平松の部屋

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阿部ちゃんと共に自分達のもっているものを研鑽しながらレースBIKEを

2021-03-27 18:25:17 | 私を育ててくれた人ー
私を育ててくれた人  7 阿部孝夫

阿部ちゃんと共に自分達の もっているもの を研鑽しながらレースBIKE
を創りました。

 ブログ(平松の部屋)『お前は乗るのがヘタクソだからオレのBIKEを
設計しろ』 から
阿部ちゃんと出会えて幸せでした、お互いの出来ること、出来ないこと、
知りたいことを二人で考え、オレには乗るセンスがある。お前には乗る
センスがないからからオレのBIKEの図面を画け。 まあ阿部ちゃんが、こんな
BIKEを作ろうぜといったとき、その阿部ちゃんのコンセプトを具現化出来る
設計センスは必要ですけどね。
 ブログ『TR500-Ⅱ、アエルマッキ かっこいいな』 から
アエルマッキのパイプフレームの構成(写真)から、スイングアームとピボット
部はタイヤの挙動(すべり)がお尻で感じられるようにしっかりと、そして、
ヘソの下あたりでフレームを捩じらせろとの指示が 私の頭の中で
設計基準がすごく明確になりましたね。
 ブログ『TR500-Ⅱ 流してたら26.2出たぞう』から
阿部ちゃんも私もこのTR500-Ⅱの開発で、開発ライダーとしてフレーム
設計者として、自信を持つことができました。
 ブログ『プルプルは最高なステダンなんだ、ヒューエルタンクの形状も重要
なんだよ』から
ライディングポジションの重要性は叩き込んでくれましたね。タンク形状は
私自身で発砲型や木型をライダーの気持ちになってハングオンしたりして
削りました。
 ブログ『601C(KR250-Ⅲ)は高速コーナーでタイムが出せるマシンを作ろう
ロングホイルベースにしよう』から
阿部ちゃんの指示をベースに、部品一つ一つを見直し(キャリパーの
自前化、RRサスのリンク採用等)キレイに作りました。キレイなBIKEは速い
そして納得して設計した部品は正しく動作しますし、壊れません。
阿部ちゃんがドラフターの後方で目を細めて見てましたね、K-バリントン
A-マングを擁して計8回 W-GPのタイトルを獲得したBIKEを作りました。
 ブログ『オレのBIKEを作れ、勝ってやる』 では
私はHRCで市販レーサーを担当しましたので、阿部ちゃんのBIKEを設計
してません。RS250Rの16インチで四苦八苦している時に、『オレのBIKEを
作れ勝ってやる』と言って勝ってくれました。阿部ちゃんは私の仕事をじーっと
見ていてくれたんですね。
 ブログ『NF4(RS125R,)のジオメトリー解らん,飯田さんに聞け』 
W-GP125クラスが単気筒に変更されるのを機に新規開発NF4をキレイに
作り、市販車でW-タイトルを狙ってました。設計者たる者、当然ですよね。
阿部ちゃんはジオメトリー・オレにも解らん、そのクラスのオーソリティー
飯田さんに聞け、そして、平松、あいつはスゲーぞ、オレのないものもってる
飯田さんに聞けと助言してくれました、阿部ちゃんは他の人の良いところを
見出す感覚に長けてましたね。
NF4は’87年に市販され、’90、’91年R-カピロッシがW-GPチャンプを獲得
し、’93 ラウディスもチャンプを獲得してます。日本人ライダーもこのNF4で
活躍していますね。
HONDAが ’66年にR-タベリがライドし125クラスのタイトルを
125cc5気筒で獲得して以来です。NF4は70万円台の市販レーサーでですよ。
 KからHRCに移籍するにあたり、阿部ちゃんに相談しました、東京R&Dの
小野さん(KE時代の知人)のところもあるぞ、でも私はW-チャンプを狙いた
いので、HRCを選択しました(ちゃんと試験受けましたよ)。

 阿部ちゃんと出会えなければ、そして、意気投合しなければ、このような
ブログもなかったですね
 そして、ブログ『阿部ちゃんの葬儀』
千恵子さんを助けて、阿部ちゃんの葬儀をサポートできました。
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