またもやホームステイ話を。
長いですよ。
次に私が海外脱出を試みたのは高2の夏。
私の住む町が中高生を対象に研修のような感じで姉妹都市に旅行行くぞ、と企画したものでした。
これもまた前回と同じようなもので観光とホームステイの2本立てでした。
場所はアメリカのオレゴン州ポートランド。
お世話になった家庭は12才くらいの女の子・ミシェル(仮名)と7才くらいの男の子・トム(仮名)と両親の4人暮らしでした。(実は名前忘れたのです)
このミシェルがとてもかわいくて仲良しになりました。(と私は思ってます)
覚えてたての洋楽の話をしましたが彼女と趣味は合いませんでした。ローリンヒルやメアリーJブライジのことを言ってみたのですがピンときてないようでした。
今だと12歳の白人の女の子にはぴんとこないだろうとは思えるのですが。
えーと、白人の歌手・・・と思いついたのがカーディガンズ。
でも「あ~あたし嫌いなの」と軽くあしらわれました。(こう書くと冷たい女の子に思われますがそんなことは決してございません。)
「日本語教えて!」と言うので紙に体の絵を描いてみみだのくちだの説明するとすぐ覚えてました。
私はそのころ紺色のペディキュアをするのが好きでその時も塗っていると
ミシェルが私のペディキュアを見て
「いいね~その色」と言ってきたので持って来ていたマニキュアをあげました。
超喜んでくれて何度もありがとうと言われ「あげてよかったな~」と思ってました。
次の日スーパーに行ったときゴールドのマニキュアをくれて(新品)さらに嬉しかったことをまるで昨日のように思い出します…。
「次の日の夜は私が日本食を作ります」と言ってすし太郎の力を借りてスシをつくりました。
しかし鍋でご飯を炊くことが初体験の我々は大失敗。
米はベチャベチャになり見るも無残。
本当にごめんごめんと言いながらパパの皿に山盛りにし食事開始。
みんな気を使ってくれ「おいしいよ~」と食べてくれました。
パパは完食してくれました。
今言いたい、心からありがとうと・・・。
食べている時に我ながら「まっずいなぁ」と思っているとトムが下を向いてママに怒られています。
ママ「食べなさい。せっかく作ってくれたんだから」
トム「やだ。食べたくない」
どよーんとなった雰囲気の中彼は後一口食べたら部屋に行っていいという条件をゲット。
私もそうしたかったがまだすし太郎の味が好きなので我慢して完食。
また翌日は誰かの誕生日があるからスーパーにケーキなどを買いに出かけました。
誰の誕生日かミシェルに聞くと「お姉ちゃん」と答える。
どうやら彼らは3人姉弟らしい。
しかも姉は結婚していると言う。
息子もいるんだって。
だからトムは7歳で叔父さんということに。
カルチャーショック
さてパーティ。姉家族3人がやってきた。
なぜか見知らぬ東洋人二人にもお祝いされた姉。一体あの時何歳になったのだろうか。
10代であったことは確かだろう。彼女の息子は1歳をとうに過ぎていたと見られる。
これまた美人な姉だったが食後にベランダに出てママと二人でタバコをすっている姿を見たときにはこれまたカルチャーショック(当時私のまわりにはタバコを吸う女性がいなかった)
彼女の旦那がNAUTICAのTシャツを着ていて私は「わぁ~おっしゃれ~本場~」と陰からジロジロ観察していた。(当時私の周りではめちゃくちゃ流行っていた)
まぁとにかくこの家には遊び物が沢山あってずっとトランポリンをしていた。
家に着いて案内してもらってすぐにトランポリンをし始めた。
飛び跳ねているとなぜか笑いが出てくる。このトランポリンのお陰で仲良くなる突破口が出来た。
よく考えてみると17歳の女がトランポリンで数時間も過ごせるとはお前精神年齢いくつなんだ?って話ですけど。
まぁ24になっても中2の頃と考えることいまだに変わってないですけどね。
そんな宴も終わり次の日にはお別れ。
他の参加者+ホストファミリー全員が集まってご飯を食べたりバレーボールをしたりのお別れ会のようなものが開かれました。
トムは別れとかそういうことよりも
この会の後に家族で行くキャンプの方が楽しみなようで私はちょっぴり寂しい気がしましたがそれも人生と思いぐっとこらえていました。(何を?)
これまた涙のない別れでしたが「絶対手紙書くからね-!」と言って別れ
私が手紙を書いたのは4ヶ月後のクリスマス。返事はありません。
へへへへ
私いつもこんな感じ。
でも楽しい思い出しかない良い経験でした。