cosmosのたわごと

コズモと申します。
笑いを日々求めて生きている女のたわごとです。
聞いてやってください。
チョイナチョイナ~

あ、そうだ

2006-11-30 | stupid things

お絵描きはなかなか体力を消耗します。
最近目が疲れてます。もちろんお絵描きのせいだけではありません。えへっ!

今日は~どうでも良い~ご報告を~。
以前、英検受けてた私です。こちらに書いてました

英検2級受かっておりました。イエーーーィィィ!

33点満点中29点でした。
満点とる人ってどんな感じなんだろうか・・・。
実は満点狙ってたのに・・・。←無謀


面接の前に話しかけたかわいこちゃん(この記事参照)に
「アティチュードで3点もらえるらしいですよ。それ満点取れるんですって。」
とアドヴァイスをいただいていたにも関わらず
2点でした。1点足りない・・・態度悪かったんかなぁ。と思ってたのですが

アティチュードは
3:特に優れている
2:優れている
1:普通

とはがきに書いてありました。

まぁ、一応優れているみたいなのでホッと一息、ゆうこです。←知ってるかな?

あーー、赤っ恥かかなくてよかった。
点数おっぴろげにする必要もないとは思ったんですがねぇ。
まぁ、「満点でした」って言ってもよかったんですがねぇ。
ありのままの私を、みたいな?チェケラー??うざっ!


ウォーキング

2006-11-29 | in New Zealand
今日も思い出話をひとつ。よければお付き合いくださいませ。

ある日の夕方、心地よい晴れた日の午後。
学校から帰ってくるとママンはウォーキングに誘ってくれた。

   

特にすることもなかったので「行く行く~」と答えた。
みんなでウォーキングを時々するらしい。

外に出るとママンとデイビッドはバギー(乳母車?)を持っていくかについて話し合っていた。

   

以前ウォーキングしたとき、このこどもは途中で「疲れた」と言い出し
残りの道はママンがおんぶして帰ったらしい。
5歳にもなると結構な大きさなので大変だったであろうことは想像できる。

しかし、デイビッドは「必要ないんじゃない」と主張する。荷物になるし。
それに、その頃よりこどもは成長しているので大丈夫だろう、と。

こどもは外に出てはしゃいでいる。私は別にどっちでもよかった。

結局ママンはバギーを持っていくことに決めた。
ガラガラ引いて私たちは歩き始めた。近所を一周まわることになった。

この街に住み始めて1ヶ月は経った頃ではあったが、家の周辺は歩いたことがなかった。
見るものすべてが新鮮で緑もたくさんあるし、気温も丁度いいしとても心地よかった。

   

外国の家の造りに感動し、他人の家のガーデニングに感心し、
どこまでも続く一本道に異文化を感じていた。

さて、半分の道のりに来たあたりだったろうか、こどもがいきなりしゃがみこんだ。

   

「つかれた~もう歩けない~」

ママンの予想が当たった。さすが母、息子のことをよく分かってらっしゃる。

すると彼女はデイビッドの方を向きこう言い放った。

   

「ほれみたことか!!」

ひぃーーーー!
確かに彼女は英語で言った。しかし私の頭の中に残った言葉がこれだ。

次の日、日本人に日本語でおもしろおかしくこのことを言ったらヒーヒー言ってた。
「ほんで英語では何て言ってたん?」(from関西)
と聞かれたが私は答えられなかった。ママンが英語でなんと言ったのか全く覚えていない。
でも確かにほれみたことか!と言ったのだ。

韓国人の訛りの強い英語は私の頭の中で勝手に東北弁風に訳されるし、
テンションの高い欧米人だと外国のテレビショッピングの吹き替え風に訳される。

みなさんどんな感じで対応してらっしゃるんでしょうか?

デイビッドさんこんにちわ

2006-11-28 | in New Zealand

今日も思い出野郎でっせ。

さて、私はニュージーランド滞在中ホームステイをしたのですが、その家がちょいと複雑だった。
ママンはフィリピーノ。息子は白人よりの風貌。親父はフィリピーノ。

んん???

私は初めちっとも疑問に思わなかったのだが、彼らの方から説明してくれた。

   

そのときは離婚できていなかったのだが、ママンの新しいボーイフレンドが住みついていたのだ。
これだと言い方悪いですね。とにかく本当のお父っつぁんは別のとこに住んでました。
ときどき息子は遊びに行ったり、お父っつぁんもこの家に来たりしてましたよ。

まぁ、とにかく円満離婚を目前にしていたようです。

息子はワガママで糞食らえ!なときもあったのですが、思い返してみると良い思い出です。
かわいいこどもでしたよ。←フォローのつもり

このカップル(なんて呼ぶべきなのだろうか・・・)も、とってもよくしてくれて、
私はそれはそれは快適な生活を送ることが出来た。
2人でときどきタガログ語で話すこともあったがだいたい英語で会話してくれていた。
フィリピンなまりの英語で分かりやすいといえば分かりやすかった。

今日はこの男の話です。彼の名はデイビッド。
どうやら夜中に工場で働いているらしい。
そして、これまたよく分からないが、先生の免許をこの国で取って、
それが新聞に載ったこともあった。努力家のようである。

彼はママンにぞっこんラヴ(死語?)で「ダーリンダーリン」とママンのケツを追っかけていた。
ちなみにママンはTバックの愛好者らしい。←余計な説明。御免ママン

ある日、学校から帰ってきた私は体調が悪かった。家にはデイビッドがいた。
まだニュージーに来てから日が浅かったため私はデイビッドとあまり打ち解けていなかった。

   

とりあえず寝ることを伝え、部屋に行きベッドに入った。

   
私の部屋は全体的にピンクでちょっとしたお姫様気分だった。(ホントは壁もピンク)

吐き気をもよおしつつもウトウトしてきた。

その矢先音楽が流れてきた。大音量で。

   

一気に目が覚めた。

これは尋常じゃない音量だ。
日本のマンションなんかでこの音量で音楽を流そうものならたちまち苦情がくる。
まぁ、ここは一軒家だったのだがそんなに大きな家ではない。
そしてもの凄く近くから聞こえる。隣の部屋にいるデイビッドが犯人に違いない。

   

これがだいたいの間取り。いや、忠実な間取りです。
寝室は彼らの部屋。そこに3人は寄り添って寝てた。私はその真横の部屋。
空き部屋は、きっともう1人留学生を受け入れたりしたとき用と思われる。

彼の流している音楽は不思議な音楽。
なんつーか、ビブラートのよくかかった男が熱唱してましたよ。
インドみたいな音楽でねぇ、もうなんと説明したら良いのやら。
「これどう?」って聞かれたら何も答えられないような音楽。みんな困るはず。
たぶんタガログ語の歌でした。

一応音源の確認と、あまりにうるさいので小さくしてもらおうと思いベッドから出た。

   

するとデイビッドもちょうど部屋から出てきた。
やはり寝室から音楽は流れており、ドアも開けたまま聴いていたらしい。
そして聞いてもいないのにその曲の説明をしてくれた。

   

「今の曲が聞こえるかい?(聞こえるにきまっとるわ!!)
 あの曲は僕の友達が作ったんだ。(へーすごいじゃん、でもさ・・・)
 もうその友達は死んだんだけどね・・・。(ちょっと感傷に浸っている)



え??

   

なんだかそのときの私にはもの凄く衝撃的なエピソードで返す言葉がなかった。

そんな話を聞いて誰が「音量下げてくれ」なんて言えようか。

「そうなんだ・・・」としか言えなかった。

私はすごすご部屋に戻りまたベッドに入った。
彼との会話中ももちろん音楽は流れており、部屋に帰ってからもしばらく流れていた。
人間とは順応性のある生き物らしく、私はその大音量のなか眠りについた。

それ以来このような事はなかったのは不幸中の幸いだ。

んー、とにかく、その友達のご冥福を祈ります。なんともスッキリしない話。


アルパカ

2006-11-27 | in New Zealand

どうも、思い出野郎のコズモです。今日も思い出を語ります。

それは私がニュージーランドにいたときのこと。
10月だか11月だかにA&Pショウというお祭りみたいなのが開かれている。
そんなイベントはめったになさそうだったので私も友達と行ってみた。
農場的なお祭りらしい。←テキトウ

どこからやってきたんだ?と思うほど会場までの直行バスは混雑し、会場も人で溢れていた。
丸太の早切り競争があってたり動物がたくさんいたり、小さな観覧車やゲームコーナーもあった。
トラクターみたいな農業用の機械が展示されたりしていた。なんのこっちゃでしたけど。

そこで私はアルパカに目を奪われた。

   

リャマとアルパカ、どっちだったか迷ったが、たぶんアルパカだったと思う。

すました顔のアルパカはなんだかとてもかわいかった。
さわるととてもきもちよい肌触り。衣服に加工されるらしい。

   

アルパカは気まぐれで、他にも寝てたり座ってたりうろうろしてるのがいた。

すると青年がガムを噛みながらちょっとテンション高めでやってきた。

   

彼が私の方を向き、何か言った。

   

「ファッキン羊だね」

・・・?ん?違うよ。アルパカだよ。私は訂正してあげる。

   

しかし彼はまた繰り返す。

   

「いや、ありゃファッキン羊だ」

うーん、ファッキンでもなんでも良いんだけど、私はそれより気になることがあった。

   

鼻の頭に白いクリームのようなものが塗られていた。
日焼け止め?何なのそれ??でも街なかで時々見てたんだよね。

いまだに謎。日焼け止めもファッキン羊も。
知ってる方います??テルミー。

とにかく彼は爆笑し、去っていった。

   


いま思うとちっともおもしろくないこと

2006-11-25 | stupid things
今思い出してみるとまったくおもしろくもなんともないのですが
死ぬかと思うほど爆笑してしまいましたのでそのことを。
なのであんまり、というか、まったく期待しないでくださいね。


それは晩ごはんを食べているとき。
ばあちゃん(御年90歳)は「あんず酒」という言葉を発したかった。


しかし言葉が出てこない。

話の流れを考えると「あんず酒」と言いたいことは分かっていた。

しかし誰も教えない。
それが優しさというものである。←なんじゃそりゃ

   

でもこういったとき、私はものすごくいらいらしてしまう。
いらちだ。関西弁なのかなこれ?

母がボソッと「あんず酒やろ」と言ったがばーちゃんの耳には届かなかった。
自力で言葉を出した方が脳も活発に動くもんである。
それをサポートするのが優しさというものである。←しつこい

   

「烏龍茶じゃなくて・・・なんだったかな・・」

まだ考えている。

いい加減いらいらも限界に達してきた。←勝手にイライラしてるくせに

「あ!!」

お、思い出したみたいだ。

   

あんじゅす!!!

正しくはあんずしゅだ。

間違ってる・・・なんか逆になっているというかなんというか・・

なぜだか知らないがもうとてつもなく面白く感じた。
これこそ「ツボに入った」というものだ。
私は笑うことを我慢した。それはそれは我慢した。
でもそのときの私にはもうたまらなかった。
我慢すればするほど笑いはこみ上げてくる。
ちょうどごはんを口に入れているときだったのでそれを考えると余計にこみ上げてくる。

   

 ぶっ!!!

久しぶりに漫画みたいなことをやってしまった。
米粒や葉っぱが出てきた。汚いな・・・すいません。

それから5分くらいひぃひぃ言っていた。
顔が真っ赤になった。涙も出てきた。

それを見てばーちゃんは
「そんなにおもしろかった?言葉が出てこなくなってねぇ」
とまったく違うところを突いていた。

そこじゃない。私が笑ったのはそこじゃない。
どうやら彼女は自分が間違っていたところは気づいていないらしい。

いつもは耳が遠いくせに、彼女の後ろの方にまわって
さらに笑っていると「まーだ笑ってる」と私の笑い声が聞こえていたようだ。

自由だなばーちゃん。

ほら、ちっともおもしろくなかったでしょ。
この記事書きながら私はクスリとも出来ませんでしたよ。
でも臨場感出たかな?ほんの数時間前の出来事でした。ちゃんちゃん