cosmosのたわごと

コズモと申します。
笑いを日々求めて生きている女のたわごとです。
聞いてやってください。
チョイナチョイナ~

レイン

2006-12-21 | in New Zealand

さてさて、私は4年ほど前、ニュージーランドにちょろっといたのですが、
その頃語学学校に通っておりました。

クラスには日本人、韓国人、中国人、台湾人、タイ人がおりました。
全部で15人くらいだったと思います。
20歳そこそこの子もいれば、30歳の人もおり、良い人もいれば嫌なヤツもいる。
そんな中楽しくやっていた私であります。

   

さて、ある日、先生(白人のおばちゃん)が前に立って何かを説明していた。
すると中国人のケン(30歳くらい)が意見してきた。

ケンはいつも意見してくる。それ自体は悪いことだとは思わないが、時としてうるさい。
分かりきったとこや他の子が言ったことを自分の手柄のように喋るので感に触る。
でも悪い人じゃなかった。あたしゃ何が言いたいんだ・・・。

そのケンは喋っているなかで「ねずみ」という意味の「マウス(mouse)」を言った。
彼は複数形にするつもりで「マウシーズ」とマウスにSを付けたのだが
正しくは「マイス(mice)」になるので間違っていた。
先生は一応そこをさらっと指摘した。

   

もし私が彼の立場だったら、
たとえmiceを理解していなくても、自分が喋っているわけだし
彼女の発言を軽く受け止めて流していたことだろう。

しかし、彼は曲がったことが大嫌い。
確かに私より英語を喋る能力は数段上だった。
先生にも指摘しやがるびっくりな人だ。

彼は先生に言った。

   

彼は自分が間違ったことにまったく気づいていなかった。
そればかりか、先生が自分の話を理解していないと思い
先生に何度も「いや、ねずみたちですよマウシーズ、マウシーズ」と言っていた。

そのとき、私の隣に座っていた24歳くらいの中国人、レインがそわそわし出した。

   

シュッとしていて、今思うと結構いい男だったレイン。名前はRain。なんでやねん。

辞書で何か調べていると思ったら、おもむろにケンと先生の方を見て言った。

   

タラッタラッタラッタうさぎのダンス~♪
ではない。すんません。。。

「ラッタァ~、ラッタァ~、ラッタァ~!!

   

唯一彼の一部始終を見ていた私と日本人の友達だけが爆笑していた。
もちろん堪えてたんだよ。
いやいや、真剣な討論を見守っている最中にいきなり割り込んできて
「ラッタァ~!!」ですよ?死にますよそりゃ。

どうやら彼は「マウスの複数形をマイスと言うのだよ」とケンに教えてあげたくて、
マウスの他の言い方を探し、「ラット(ねずみ)のことだよ~」という
的を得てるアドバイスだかなんだかわからない単語を3連発でブチかましたらしい。

タイミングといい、彼の必死な表情といい(絵には表現出来なかったのだが)、
見事に私たちのつぼに入った。

でも、他国の人々に日本人の印象が悪くなってもいけないためホント?
私たちは耐えに耐え、声を出さないことに終始した。

結局レインのアドバイスも虚しく、ケンは納得できないまま話をすすめていた。

それにしても、どうして他国の人々はイングリッシュネームを持ってるんでしょね。


ウォーキング

2006-11-29 | in New Zealand
今日も思い出話をひとつ。よければお付き合いくださいませ。

ある日の夕方、心地よい晴れた日の午後。
学校から帰ってくるとママンはウォーキングに誘ってくれた。

   

特にすることもなかったので「行く行く~」と答えた。
みんなでウォーキングを時々するらしい。

外に出るとママンとデイビッドはバギー(乳母車?)を持っていくかについて話し合っていた。

   

以前ウォーキングしたとき、このこどもは途中で「疲れた」と言い出し
残りの道はママンがおんぶして帰ったらしい。
5歳にもなると結構な大きさなので大変だったであろうことは想像できる。

しかし、デイビッドは「必要ないんじゃない」と主張する。荷物になるし。
それに、その頃よりこどもは成長しているので大丈夫だろう、と。

こどもは外に出てはしゃいでいる。私は別にどっちでもよかった。

結局ママンはバギーを持っていくことに決めた。
ガラガラ引いて私たちは歩き始めた。近所を一周まわることになった。

この街に住み始めて1ヶ月は経った頃ではあったが、家の周辺は歩いたことがなかった。
見るものすべてが新鮮で緑もたくさんあるし、気温も丁度いいしとても心地よかった。

   

外国の家の造りに感動し、他人の家のガーデニングに感心し、
どこまでも続く一本道に異文化を感じていた。

さて、半分の道のりに来たあたりだったろうか、こどもがいきなりしゃがみこんだ。

   

「つかれた~もう歩けない~」

ママンの予想が当たった。さすが母、息子のことをよく分かってらっしゃる。

すると彼女はデイビッドの方を向きこう言い放った。

   

「ほれみたことか!!」

ひぃーーーー!
確かに彼女は英語で言った。しかし私の頭の中に残った言葉がこれだ。

次の日、日本人に日本語でおもしろおかしくこのことを言ったらヒーヒー言ってた。
「ほんで英語では何て言ってたん?」(from関西)
と聞かれたが私は答えられなかった。ママンが英語でなんと言ったのか全く覚えていない。
でも確かにほれみたことか!と言ったのだ。

韓国人の訛りの強い英語は私の頭の中で勝手に東北弁風に訳されるし、
テンションの高い欧米人だと外国のテレビショッピングの吹き替え風に訳される。

みなさんどんな感じで対応してらっしゃるんでしょうか?

デイビッドさんこんにちわ

2006-11-28 | in New Zealand

今日も思い出野郎でっせ。

さて、私はニュージーランド滞在中ホームステイをしたのですが、その家がちょいと複雑だった。
ママンはフィリピーノ。息子は白人よりの風貌。親父はフィリピーノ。

んん???

私は初めちっとも疑問に思わなかったのだが、彼らの方から説明してくれた。

   

そのときは離婚できていなかったのだが、ママンの新しいボーイフレンドが住みついていたのだ。
これだと言い方悪いですね。とにかく本当のお父っつぁんは別のとこに住んでました。
ときどき息子は遊びに行ったり、お父っつぁんもこの家に来たりしてましたよ。

まぁ、とにかく円満離婚を目前にしていたようです。

息子はワガママで糞食らえ!なときもあったのですが、思い返してみると良い思い出です。
かわいいこどもでしたよ。←フォローのつもり

このカップル(なんて呼ぶべきなのだろうか・・・)も、とってもよくしてくれて、
私はそれはそれは快適な生活を送ることが出来た。
2人でときどきタガログ語で話すこともあったがだいたい英語で会話してくれていた。
フィリピンなまりの英語で分かりやすいといえば分かりやすかった。

今日はこの男の話です。彼の名はデイビッド。
どうやら夜中に工場で働いているらしい。
そして、これまたよく分からないが、先生の免許をこの国で取って、
それが新聞に載ったこともあった。努力家のようである。

彼はママンにぞっこんラヴ(死語?)で「ダーリンダーリン」とママンのケツを追っかけていた。
ちなみにママンはTバックの愛好者らしい。←余計な説明。御免ママン

ある日、学校から帰ってきた私は体調が悪かった。家にはデイビッドがいた。
まだニュージーに来てから日が浅かったため私はデイビッドとあまり打ち解けていなかった。

   

とりあえず寝ることを伝え、部屋に行きベッドに入った。

   
私の部屋は全体的にピンクでちょっとしたお姫様気分だった。(ホントは壁もピンク)

吐き気をもよおしつつもウトウトしてきた。

その矢先音楽が流れてきた。大音量で。

   

一気に目が覚めた。

これは尋常じゃない音量だ。
日本のマンションなんかでこの音量で音楽を流そうものならたちまち苦情がくる。
まぁ、ここは一軒家だったのだがそんなに大きな家ではない。
そしてもの凄く近くから聞こえる。隣の部屋にいるデイビッドが犯人に違いない。

   

これがだいたいの間取り。いや、忠実な間取りです。
寝室は彼らの部屋。そこに3人は寄り添って寝てた。私はその真横の部屋。
空き部屋は、きっともう1人留学生を受け入れたりしたとき用と思われる。

彼の流している音楽は不思議な音楽。
なんつーか、ビブラートのよくかかった男が熱唱してましたよ。
インドみたいな音楽でねぇ、もうなんと説明したら良いのやら。
「これどう?」って聞かれたら何も答えられないような音楽。みんな困るはず。
たぶんタガログ語の歌でした。

一応音源の確認と、あまりにうるさいので小さくしてもらおうと思いベッドから出た。

   

するとデイビッドもちょうど部屋から出てきた。
やはり寝室から音楽は流れており、ドアも開けたまま聴いていたらしい。
そして聞いてもいないのにその曲の説明をしてくれた。

   

「今の曲が聞こえるかい?(聞こえるにきまっとるわ!!)
 あの曲は僕の友達が作ったんだ。(へーすごいじゃん、でもさ・・・)
 もうその友達は死んだんだけどね・・・。(ちょっと感傷に浸っている)



え??

   

なんだかそのときの私にはもの凄く衝撃的なエピソードで返す言葉がなかった。

そんな話を聞いて誰が「音量下げてくれ」なんて言えようか。

「そうなんだ・・・」としか言えなかった。

私はすごすご部屋に戻りまたベッドに入った。
彼との会話中ももちろん音楽は流れており、部屋に帰ってからもしばらく流れていた。
人間とは順応性のある生き物らしく、私はその大音量のなか眠りについた。

それ以来このような事はなかったのは不幸中の幸いだ。

んー、とにかく、その友達のご冥福を祈ります。なんともスッキリしない話。


アルパカ

2006-11-27 | in New Zealand

どうも、思い出野郎のコズモです。今日も思い出を語ります。

それは私がニュージーランドにいたときのこと。
10月だか11月だかにA&Pショウというお祭りみたいなのが開かれている。
そんなイベントはめったになさそうだったので私も友達と行ってみた。
農場的なお祭りらしい。←テキトウ

どこからやってきたんだ?と思うほど会場までの直行バスは混雑し、会場も人で溢れていた。
丸太の早切り競争があってたり動物がたくさんいたり、小さな観覧車やゲームコーナーもあった。
トラクターみたいな農業用の機械が展示されたりしていた。なんのこっちゃでしたけど。

そこで私はアルパカに目を奪われた。

   

リャマとアルパカ、どっちだったか迷ったが、たぶんアルパカだったと思う。

すました顔のアルパカはなんだかとてもかわいかった。
さわるととてもきもちよい肌触り。衣服に加工されるらしい。

   

アルパカは気まぐれで、他にも寝てたり座ってたりうろうろしてるのがいた。

すると青年がガムを噛みながらちょっとテンション高めでやってきた。

   

彼が私の方を向き、何か言った。

   

「ファッキン羊だね」

・・・?ん?違うよ。アルパカだよ。私は訂正してあげる。

   

しかし彼はまた繰り返す。

   

「いや、ありゃファッキン羊だ」

うーん、ファッキンでもなんでも良いんだけど、私はそれより気になることがあった。

   

鼻の頭に白いクリームのようなものが塗られていた。
日焼け止め?何なのそれ??でも街なかで時々見てたんだよね。

いまだに謎。日焼け止めもファッキン羊も。
知ってる方います??テルミー。

とにかく彼は爆笑し、去っていった。

   


ホームステイ ~私の場合2~

2006-06-30 | in New Zealand

今日はホストの息子のはなし。

彼は当時5歳。かわいい顔をしていてすぐなついてくれたのでかわいかった。

しかしもともと末っ子の私は子供の扱いに慣れていない。

親戚の子供ならまだしも、他人様の子供はどんな対応をとっていいのかわからず
いつも立ちつくすばかりだった。

しかし彼とは毎日暮らしていたのでだんだん接し方もわかってきた。

かわいかった彼の本性。
しつこい
エロス
わがまま
すぐ泣く

子供はこういうものなんでしょうけどいかんせん私も子供から脱皮できない大人。

我慢しよう我慢しようと理性を働かせようとするものの時には理性君は飛んで行き・・・。


ある日の夕暮れ彼とリビングで楽しく遊んでいました。
すると彼は私の股をくぐろうとしました。
反射的に股を固く閉じると彼は爆笑しながらしつこく股を突破しようと試みます。

しつこくやるのでだんだん疲れてきた私の脳裏には悪魔が出てきました。

悪魔「おい、股開けちゃえよ。そうすれば終わるじゃん」

いやいやだめよ。彼ころんじゃうかもしんない。すごく力入ってるもの。

でも…でも・・・

パカッ

どてんっ!!

「ぎゃぁぁぁぁ~」

号泣する彼。
青ざめる私。

うつ伏せになっている彼の顔を見てみると口から血が。

ひゃぁぁぁぁ

ティッシュをとり血をぬぐう私。なお泣く彼。

歯が折れたのかと思ったのですが唇が切れただけのよう。ちょっと安心。

でも結構流血。

この赤いティッシュを彼に見られると余計恐怖心をあおってしまうと判断した私は
とっさに新しいティッシュを用意。
血がついたほうはポッケにIN。

その直後彼は一瞬泣き止みちらっとティッシュを確認し再び泣き声を出していたがその威力は以前より弱まっていた。

わたしナイス判断!!(こういうときだけ機転が利く)

ママさんが濡らしたタオルを持ってきてくれだいぶ血がとまった。

ママさん笑ってた。

よかったよかった。

「ごめんね~」を繰り返しご機嫌取りをしていたら数分後には仲直りできたので
よかったよかった。

私はこの滞在中度々彼を泣かせてしまった。

申し訳ない。