日々楼(にちにちろう)

古今東西・森羅万象の幾何(いくばく)かを、苫屋の住人が勝手御免で綴ろうとする思考の粉骨砕身記です。

長髄彦の出自

2012年03月25日 | 日記

今日は長髄彦の出自について考えます。

A.自責

私には今、ひとつの自責があります。

前回、孝元(こうげん)天皇は饒速日命(にぎはやひのみこと)であり、開化天皇は、饒速日命が長髄彦の妹君の三炊屋姫(みかしやひめ)を娶(めと)られて、お生まれになった可美真手命(うましまでのみこと)であることを明らかにしました。

そしてこのことから、神武天皇の実在と神武天皇と崇神(すうじん)天皇は同一人物か、親子・御兄弟かの代続きの天皇でいらっしゃり、『古事記』や『日本書紀』(以下、『記・紀』と略記)は、神武天皇の記述を東征の事跡として、成立した朝廷の治政(為政)の事跡を崇神天皇の業績として記述していることを、述べました。

そして、長髄彦は『古事記』が孝元条で記すところの内色許男命(うつしこおのみこと)であるという比定も行いました。

これらのことは、『記・紀』に黒澤系図(奥州安倍系図)を十分に考え併せれば、誰にでも分かることです。

しかし、このことを広くブログなどで語るのは、私が初めてだろうと思います。

またしかし、このことは、恐らく秋田系図の作成に意を注いだといわれる秋田実季(さねすえ)には、分かっていたことだろうとも思います。

そして、思います。

昨年の3月11日に日本を襲った東日本大震災で大槌の町は流失し、まだ町はないままです。

こんな時、自分たちは孝元天皇の末裔だと誇らしく生きて行こうとしている人たちがいらっしゃったら、その人たちの心を痛く傷つけることになったのではないか?

しかし、また思います。

私たちは歴史を前に進めなければなりません。

長髄彦=内色許男命の血は、安倍(阿部)、物部、蘇我の中に引き継がれ日本の歴史を作って来ました。

今、また日本を新しく作り直す時にあるこの時に、自分たちの出自を見つめ直して新たな決意を抱くことは、当事者にとっても私達にとっても良い事ではなかろうか、と思うのです。

そしてそうだと思います。

そして新たな決意と希望の中から、歴史のページにその名をを刻む人、しかも善い仕事をする人が出てくれば良いと思います。

しかも、社会はそれを望んでいます。

そのような人達の仕事の集積が新しい社会となります。

そして歴史が進みます。


B.長髄彦=内色許男命の出自

その出自を考えるに文献は限られています。

1.『三国志・魏志』、『後漢書』、マーヴィン・トケイヤーというアメリカ人ラビの著、“日本・ユダヤの封印の古代史 JAPAN AND THE TEN LOST TRIBES OF ISRAEL”
『旧約聖書』のヤコブとモーセの祝福、そして文献とは言えませんが、私の知る安日王の裔の人々とユーチューブにある現代のイスラエルの人々の貌(かお)の映像の比較、 そしてメディアを通した伝聞です。

それ故、記述は学問的とは言えず、直観のものとなります。

a.『三国志・魏志』は、女王国の北にあり、そして女王に属する国々を列挙した後、「其南有狗奴国 男子為王 其官有狗古智卑狗 不属女王」(その南狗奴〈くぬ〉国有り、男子を王と為し、その官に狗古智卑狗〈くこちひこ〉有り、女王に属さず」と書きます。

b.『後漢書』は、「自女王国東度海千余里 至狗奴国 雖皆倭種 而不属女王」(女王国より東、海を渡り千余里、狗奴国に至る、皆、倭種といえども女王に属さず)と書きます。

c.天照大御神(あまてらすおおみかみ)(=女王)は、丹後一宮、籠(この)神社に秘蔵されていました海部(あまべ)氏の勘注(かんちゅう)系図によりますと、市杵嶋姫命(いつきしまひめのみこと)でした。市杵嶋姫命が斎(いつ)き祀(まつ)られているのは九州です。

2-1.a.b.c.から推論比定することのできるのは、饒速日命(にぎはやひのみこと)や神武天皇が入られる前の大和(やまと)地方には、女王国と対立する狗奴国があり、その国の人達は女王国の人達と同種の人達であったということです。

2-2.狗奴国の男王の名前は卑彌弓呼(ひみひ[?]こ=日見日子)と言い、女王国はこの国と戦争状態に入ります(『三国志・魏書』)。

2-3.「狗奴(くぬ)」を「球磨(くま)」・「熊」・「隅」「隈」・「雲」の文字に置き換えてみますと、現代でもその文字を地名に負う地方は、九州熊本以南、紀伊半島熊野地方、西日本出雲地方と広範囲に亘(わた)ります。

2-4.女王国は数次に亘る東征軍を出し、饒速日命(にぎはやひのみこと)も神武天皇の御二方(おふたかた)は、何れも大和に向かわれています。そこには繁栄した大和があり、大和が国(邦)の中心だという明確な意識が御有りになったのだと思います。事実、航空写真を見ればよく分かりますが、大和は周囲を山に囲まれ、南北を狭く開くのみの攻めるに困難な天然の要害でもあります。

2-5.この大和に、饒速日命は、神武天皇より早く入られ、神武天皇に王位を禅譲されます。それを『記・紀』は出雲の国譲りとして描きました。ここから饒速日命=孝元天皇が大国主命=大己貴神(おおあなむちのかみ)=大物主命(おおものぬしのみこと)であり、御子・可美真手命(うましまでのみこと)=開化天皇が事代主神(ことしろぬしのかみ)であるという風に比定することができます。

2-6.以前、『日本書紀』は、それぞれの書によって、大己貴神は素戔烏命の直接の御子として記述されたり、六世の孫であったりして、確定していないと書きましたが、本ブログでは、素戔烏命を当代とすれば、第二世、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命、第三世、天火明命=饒速日命=大国主命=大己貴神となります。

2-7.「狗奴」の「狗」を犬と読めば、狗奴国の人々は、烏桓(うがん)に通ずる特別の解釈も成り立ちます。烏桓の人々には、犬は、死後、自分とともに死後の世界へ旅立つ身近な存在でありました。物部氏と蘇我氏が仏教の導入をめぐって争った時、物部氏は敗れるのですが、物部の守屋(もりや=人名)の家を守っていた人に捕鳥部(ととりべ)の万(よろず)という人がありました。彼も奮戦むなしく自刃して死にます。そして屍は八つに切り分け、八つの国に散らしてくし刺せという命を受けます。この時、万が養(か)っていた白犬が、主人の屍の側を廻って吠えます。そしてその頭を、咥(くわ)え上げて、古墓に収め置いて、自分もそのそばで飢えて死んだという話を、『日本書紀』が崇峻条で載せています。日本には犬の話はたくさんあります。渋谷駅前の忠犬八公、西郷さんの銅像も犬を連れています。

2-8.しかしここでは、長髄彦の出自を北回りを取らないで、アッシリアからヒマラヤ山麓の南のルートをたどり、南西諸島と南九州経由でにで日本にやって来たイスラエルの人々である、という立場をとります。そしてその部族名は、日本の巷間において流布している、「帝(みかど)」の語源となったという、「ガド族」であるという立場をとります。

2-9.その根拠は、以前、現在の皇統を形成したのがダン族であると推論した根拠を、旧約聖書のヤコブとモーセの祝福に求めたように、今回もヤコブと特にモーセの祝福を根拠とするものとなります。秋田氏が家紋に獅子と牡丹を使っています。モーセがガドを獅子をもって祝福しています。「ガドを大きくするものは、ほむべきかな。ガドは、ししのように伏し、腕や頭の頂(いただき)をかき裂くであろう」(申命記33章)。

2-10.秋田氏の獅子紋については、現在確証をもって語れるものは何もありませんが、それが古来から引き継がれてきた伝承の基づくものであろうと、信ずるほかありません。

2-11.ちなみに、ダンの象徴もモーセは、獅子をもって祝福しています。「ダンはししの子であって、バシャンからおどりでる」。(申命記33章) 

3.ユーチューブにアップロードされているイスラエルの人々の映像のアドレスを下記に添付します。
驚くほど身近な人に似た人たちの像がそこにはあります。

http://www.youtube.com/watch?v=HQlRrrReua0&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=FJXKiW7S7Zw&feature=related

 

 

 

 

 

 

 


                    

                               紅梅

 

コメント (1)
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