Suezaの随想録〜徒然なる一言日記2〜

Suezaの瑞希とゆう希のブログです。日常生活、くっだらないこと、CDやLiveについて宣います!

I love Youをなぜ言うの??(リバイバル)

2018-08-17 20:42:36 | 日記

 瑞希です。

 昔書いたエッセイなのですが、ふと思い出したので、ひきずり出してきました。皆さんどう思いますか? (笑)

【本文】

 米国人の男性はなんでいつも自分の恋人や奥さんに“I Love You!”を言うのでしょうか? いや言い続けなければならないのでしょうか? そういうことをみなさんは考えたことがありますか?

 日本人の男性の場合、まず面と向かってそういう言葉を口にすることはありません。せいぜい最初に女性を口説くときとか、プロポーズでそのようなしゃれたことをのたまうことはあるかもしれませんが、それ以外にはまずしないと思います。彼女からそういう言葉をせがまれるようであれば、「そんなの恥ずかしくて、言えるかい!」というのがオチです。下手をすると、つきあってから結婚するまで「愛してる」とかいうストレートな言葉を聞くことなく結婚してしまう人もいるでしょう。

 日本語の場合、例え「愛してる」という表現を使わなくても、湾曲的な言い方から相手に自分の気持ちを伝えることができます。それだけ豊富な表現の仕方が存在するのです。ところが、英語の場合はそういうまわりくどい言い方というか、そういうことを匂わせる表現というのがあまりありません。というよりも、そんなまわりくどい言い方をするのではなく、「もっとストレートにはっきりと意思を伝えて欲しい!」と相手から言われてしまうのです。この辺には日本語と英語の根本的な文化の違いが存在するからだと思います。

 ではこういう文化の違いは何故起きるのでしょうか?

 まず第一に、日本語と英語には「表意文字文化」と「表音文字文化」の大きな違いがあります。日本語はひらがな+かたかな+漢字から成り立っています。日本人として満足かつ十分な表現をするためには、2,000語前後の文字を覚えなければなりません。英語の場合は26の記号文字だけです。漢字に関して言えば、更に一文字ごとに読み方も複数あり、また文字自体に意味もあります。アルファベットのように1記号文字と、1文字に複数の発音と意味を持つ漢字とひらがな・カタカナを持つことで、日本語は途方もない数字の表現力を有することになります。しゃべるだけだったら、同じかもしれませんが、そういう会話の中から漢字の文字が頭に描かれ、更にそれの意味を考えることになるわけですから、たった一言でも日本語と英語ではその複雑さに格段の違いが存在します。英語の場合記号文字の組み合わせですから、どんなに組み合わせても一回に発音できる文字の長さにも限界がありますし、その限界は必然的にボキャブラリーの限界・意味をもつ言葉の数の上限を意味します。組み合わせでの意味に限りがあるわけですから、どれだけ文字を駆使しても「表現力」という点では、日本語にはかないません。日本語だったら、いろんな表現ができたとしても、英語では自ずと表現が限られてしまうのです。

 第二に、歴史的な背景があります。日本という国は非常に長い歴史を有する国です。ところが、米国は建国して300年弱の歴史しかありません。おまけに前者が島国で単一民族国家(ちなみに世界では他に単一民族国家でこれだけ長い歴史を持った国はありません。)であり、後者は移民を中心とした他民族国家です。こういう歴史的背景の中では、日本人は共通のバックグラウンドを持つことが非常に簡単です。だれでも同じような考え方ができる、共通の意識を保てるということは、お互い同士の認識・意思疎通を容易にすることが可能なのです。「言わなくたってわかるだろう?」とか「察してくれよ!」という言葉は日本人だからこそ通じる言葉で、他の国の人にはなかなか理解できないことだと思います。一方米国の場合、前にもいいました通り移民をベースに成り立っている国家です。まず同じ国の中で生活を始める前に、全く文化の違う人間と意思疎通を図らなくてはなりません。英語という共通の言語しかない中で、その理解を始めるにはまず相手に「自分自身を理解してもらう」必要が出てくるのです。どうにかして、なんとしてでも自分のことを相手に理解してもらわなければならないのです。それができなければ、何もはじめられません。したがって、彼らのまず最初の行動は「英語を使って、自分自身の言いたいことをはっきり伝え、相手に理解してもらう」ことからはじまります。要は通じれば良い、通じるためのみの言語が必要なのです。そしてもちろんこれは単に取引などだけにとどまらず、恋愛の手段としても同じです。自分が「相手を好きだ!」とはっきりわかってもらわなければ、決して恋愛に進まないのです。共通の歴史的背景・バックグラウンドがあればいろいろな言い回しで相手に気に入ってもらえるのですが、米国ではまず「自分の気持ち」をわかってもらわないと話にならないので、ストレートな表現が優先されるのです。

 第三に、文化的な背景の違いがあります。日本という国は何事に置いても組織化されています。だから突拍子もないこととか、普段のルールと違うやり方を極端に嫌うのです。「出る杭は打たれる。」ということわざにあるように、自分勝手なやり方、強い自己主張は理解されません。したがって誰もが上や下や横をみながら、どうしたら相手の気分を損なわないようにうまくやれるかということを考えがちです。こういう考え方は、人間関係のつながりをより密着させ、理解しあうことにより「共通の意識基盤」を作ることになります。一方米国の場合、個人の意思が極力尊重されます。「自分の意見を主張し、相手の意見を聞き入れ、その中でベストな選択をしていく。」という基本理念があるわけで、この考え方からすれば、組織的な考え方をする前に、「まずあなたは何を考えているのか?」ということを聞かれることになります。こういう基盤があるわけですから、米国では自ずと自分自身をアピールしなければなりません。好きな彼女に対してもしっかりと、“I Love you!”といわなければならないのです。

 こういうこともあり、日本人に比べると米国人のほうがはっきりとストレートに愛情表現をするのです。普段こういう扱いになれていない日本人女性からすれば、米国人のストレートな表現に参ってしまうのもわからないではありませんが・・・。

 さて、同様なことがメインテナンスの部分でも出てきます。日本人なら「釣った魚にえさをやらない」と言ったように、彼氏・彼女の関係になったり、結婚してからもそんなに「愛情表現」を相手に対しすることはありません。これはやはり「私の気持ちはわかっているだろう? そんなの聞くだけ野暮だよ!」という考え方が根底にあるからです。男も女も長い日本での組織的教育の中で、そのような素養を身につけさせられているわけです。だから、お互いにわかりあっているのです。いや、わかりあっているふりをしているのです。わかりあったふりをしているというのは、昨今の離婚件数の増加は明らかにこのようなお互いの理解が不十分であったが故、時間が経つと「夢から醒める」ことを意味しているのです。そう考えるとストレートな愛情表現でのメインテナンスは日本人には必要なのかもしれません。

 ところが米国人の場合は、お互いに自分を主張しないとわかってもらえないわけです。それも一回だけではダメなのです。というのも、共通のバックグラウンドが存在しないわけですから、相手の考えていることが常にわからないのです。そして常にそういう状態にあるということは、相手に対する自分への考え方に始終疑念が生じる可能性があるということなのです。これを打破するためには、常に愛してる、愛されているというメインテナンスを継続しなければならないのです。だから、彼らはしょっちゅう彼女や奥さんに電話をかけまくるのです。日本人の男性だったら、「なんて面倒くさいことをするのだ?」というかもしれません。でもこれをしないと、彼らは相手からの信頼を得られないのです。

 よくある光景ですが、米国人男性は夜昼かまわず彼女や奥さんに電話をしています。大事な仕事や楽しい宴席でもそうです。そういうのを見ていると、「この人も大変なんだなぁ?」と同情してしまいます。でも彼らからすればこういうメインテナンスは義務であり、相手からの信頼を受けるための必要不可欠手段なのです。こういう風に考えると、「私は日本人に生まれてよかったなぁ・・・。」としみじみ思うことが度々です。もしあなたの周りにそういう米国人を見かけたら、きっと彼らも苦労をしているんだと思ってください。

 こういう風に考えると、彼らを見る目も少し変わってきませんか?


「モチベーション」と「好き」の関係

2018-08-17 12:28:07 | 日記

 瑞希です。

 Motivationという言葉、よく使われますよね? 「動機、刺激、やる気」というのが日本語での意味なのですが、要は特定の行為を行う為の自分の気持ちの駆り立て方という方が素直かもしれませんね。ただこの言葉、どちらかというと私はNegativeな意味合いで感じることが多いです。

 というのも、基本自分の好きなことをやっている時は、それが楽しいから別のことなんて感じませんよね? Motivationという言葉を使う以前から既に気持ちは昂ぶっているわけですから、いちいちそれを感じなくても良いわけです。ところが、だいたい動機づけとか刺激が欲しいというのは、自分があんまり気乗りしないことをどうにかしてやる為の(自分への)言い訳とか、自分を動かすための起爆剤みたいなものでしょう? それにやる気というのは、自分がNegativeなところを何とかPositiveにしたいがためだと思うのです。

 大切なのはMotivationを探すのではなく、「好き」になることではないでしょうか? 好きなことであればMotivationなどと言わずとも、自然と物事が動いていくんでしょうけどね。

 実は最近、いろいろと考えることがあって、何をやってもしっくりこないんですよ。ちょっとしたこと、たわいもない一言、そういうつまらないものが喉につまっているだけなのかもしれません。ただ、それが次第に少しずつ大きくなって自分をNegativeな方向に追いやっているだけなんですよ。「それじゃダメだから、何とかしなくちゃ!」という気持ちがどこかで働いて、Motivationは何?って自問自答するんですよね? 正直今なんで自分がしっくりこないのかという理由はわかっているんですけど、うまくPositiveに展開できないんですよ。そんな時に、Motivationという言葉を見たので、「あぁ~、今自分は楽しめてないんだ~。」というのを実感してしまったわけです。

 こういうのは時間が解決するんでしょうけどね。でなければ環境を変えるかなんだろうけど。

 とはいえ、コニミズのレコーディングの準備も何とか終わったし、これから曲を作り上げていく段階に入ったので、ちょっと気分は楽になりました。(笑) この上昇気分がきっと今悩んでいる考え事を少しずつSwipeしてくれると思っています。そうすれば、もうMotivationがどうこうなんて言わなくなるでしょうね! 気分を切り替えて、やっていきたいな!と思う今日この頃です!