サラリーマン日々是修行

中年サラリーマンの趣味、菜園、旅行記です。お気に入りの場所でのスローライフに憧れてます。

ペーナ宮殿

2010年04月04日 | ポルトガル(2010.02.06~)
2010年2月9日(火)その2

ムーアの城跡から巡回バスにのってペーナ国立宮殿へ到着。 まだ霧がかかる坂道を冬なのに汗かきながら上ります。


突然、坂の上の霧で霞んだペーナ国立宮殿が見えてきます。


イスラム、ゴシック、ルネッサンス、マヌエルといった各様式の寄せ集めのチョット変った宮殿です。


このアングルはゴシック様式


なかなか可愛い宮殿です。でも、中はとても豪華でしたよ。撮影は禁止のため、写真はありません。


宮殿の通路は狭く入り組んでいて、中を見て廻るとサロンや寝室など見所も多いです。 至る所に制服を着た係員のお姉さんが立っていて、「リュックは前に抱えてね」と注意されてしまいました。


晴れていれば宮殿のテラスからリスボン市や大西洋が見渡せます。


宮殿に住んでる?黒猫。


この看板が巡回バスのバス停です。


シントラはリスボンから近いので、気軽に日帰りできますよ。緑豊かな素敵な避暑地です。

ムーアの城跡

2010年04月04日 | ポルトガル(2010.02.06~)
2010年2月9日(火)

ポルトガルはこの時期は雨季なんです。旅行中は半分雨、半分は晴れでした。 それでもヨーロッパの中では一番温暖な国なので、日本の秋のような気温でした。
この日はロシオ駅から電車でSintra (シントラ)へ向かいました。 ロシオ駅で周遊券を購入するといいですよ。


約40分程で到着です。 夏の避暑地として王侯貴族に愛され続け、その豊かな木々に囲まれた町並みは、ポルトガル人からはもとより観光客からも人気があります。


シントラ駅舎は小さくてかわいいです。 改札出て右へ行くと巡回バス乗り場です。


この434番のバスに乗ると、シントラ・ヴィラ~ムーアの泉~ムーアの城跡~ペーナ宮殿の順番で廻ってくれます。


ムーアの城跡の入り口付近です。なだらかな山道をテクテク歩いていきます。 途中、ベンチが置いてあるので夏ならば、森林浴もできそうです。


やがて7~8世紀にムーア人が作った城の跡が見えてきます。 城跡内に入る小屋のおじさんにチケットを見せて入ります。 おじさんはとっても親切に見て廻るコースの説明を「ポルトガル語」で説明してくれます。
>おじさん「日本人か?」
>私「シム(はい。)」
>おじさん「おぉ、よく来たなぁ。。。+*?”#$%&’‘*+?*’&#”!」
しかーし 私はポルトガル語は分かりません。
でも、おじさんありがとう。気持ちは伝わりましたよ。


城壁の上は狭い通路なので、風に吹き飛ばされないように注意が必要です。柵などは一切付いてません。天気が良ければ、大西洋とシントラの街並みが見渡せます。


詩人バイロンが「エデンの園」と讃えたシントラは、ユネスコの世界自然文化遺産にも指定された美しい町です。中央に見えるのは、レガレイラ宮殿です。ゴシック様式の王族の別邸です。


帰る頃に霧に囲まれて前が観えなくなってしまいました。 チョット怖い。
帰り際に先程のおじさんに、
>私「オブリガード!」
>おじさん「ペーナ宮殿はあっちだぞ~!」←たぶん
>私「アデウス!」
こんなコミュニケーションも旅では楽しいものですね。


あ、、、夕べのホテルの食事は日本人に馴染みのある味付けでした。ポルトガル料理は日本人の味覚に合うみたいですよ。ワインも美味しいし、人は親切だし言うこと無しです。

スーペルボック

2010年04月04日 | ポルトガル(2010.02.06~)
2010年2月8日(月)その6

さすがに5箇所をバスで忙しく巡ると疲れます。 リスボンに帰ってきた時には既に日が落ちて夕食の時間です。 街中では冬の名物、焼栗売りの屋台が出ていました。


ホテルまで送ってもらってから再び外へ食事に行くのも疲れるので、ホテル内のレストランでゆっくり頂きました。もちろんワインも美味しく頂きましたよ。


若鶏とアスパラのステーキです。外側の衣がパリパリで、お肉はジューシーなカンジ。赤ワインとよく合い美味しかったですよ。


部屋ではポルトガル・ビールSuper Bockの330缶で乾杯です。Super Bockは麦芽の甘みとホップの爽快さがキチンと感じられて本当に旨い。ライトな飲み口で水のようにガブガブ飲める素晴らしいビールです。

ファティマ

2010年04月04日 | ポルトガル(2010.02.06~)
2010年2月8日(月)その5

ツアーの最終目的地、ファティマへ来ました。 ここは、1917年にこの地で聖母マリア出現の奇跡があったと伝えられ,以後毎年約20万人の巡礼が訪れる神聖な場所です。奇跡はバチカンにも公認されたそうです。あのパウロ2世の襲撃がマリア様の3つの言葉の一つであることが後で発表されました。


バジリカはあまりにも巨大な建物で写真に収めることができません。高さは65メートルだそうです。バジリカ前の広場は30万人収容できるそうです。ちなみにキリスト像の足元がら泉が湧き出ていて、ペットボトルに泉を汲んでのむことが出来ます。


バジリカ内の聖堂です。聖母マリアの大きな絵が印象的です。


熱心な信者はこのコンクリートの道を跪いて進みながら祈り、出現の礼拝堂へ向かいます。


出現の礼拝堂です。中央の白いマリア像があの奇跡が起きた場所らしいです。雨の中でも常に巡礼者が後を絶ちません。


出現の礼拝堂からみたバジリカ。奇跡が起きたときにマリア様が当時何も無かったこの場所に礼拝堂を建てるようにとお告げしたそうです。


バジリカにはフランシスコとジャシンタ兄弟の墓もあります。3人目のルシアも最近亡くなってしまい、奇跡の真相はバチカンのみが知るところとなりました。


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ヨハネ・パウロ2世の祈り

人間ひとりひとりと諸国の民の母マリアよ、私達をおびやかす悪の力に打ち勝てるようお助け下さい。
現代人の心にこれほど容易に根ざしてしまう悪、そのもたらす計り知れないもろもろの結果によって、すでに現代の人々のいのちを危険にさらし、未来への道を閉ざそうとしている悪から私達をお救い下さい。
飢餓と戦争、核戦争、計り知れない自己破壊、あらゆる戦争より、主よ、私達をお救い下さい。
あがないと救いの無限の力、神の慈愛の力が世界の歴史において、再び発揮されますように。
神の慈愛が悪をおしとどめ、人間の良心を正し、あなたの汚れなきみ心によって、希望の光が全ての人々に示されますように。

バターリャ

2010年04月04日 | ポルトガル(2010.02.06~)
2010年2月8日(月)その4

お腹も落ち着いて次に向かったのは、バターリャ(Batalha)です。ポルトガル語では「戦い」の意味だそうです。正式名は「勝利の聖母マリア修道院(Mosteiro da Batalha)」といいます。 右側に少し見えるのは、「未完の礼拝堂」です。


修道院の中には中央にジョアン1世と王妃フィリパ・デ・ランカスターの石棺が並んで配置されていました。周りにはエンリケ航海王子やアヴィス朝の歴代の王様たちが眠っています。何だか凄いです。


教会の内部は高い天井をいくつもの柱が支えている質素な造りになっています。


白い教会の中でステンドグラスの光が彩りを添えていました。


ほんとうに高いいんです。見上げていると首が疲れます。。。


この修道院には「未完の礼拝堂」と言って、天井部分が無い礼拝堂やマヌエル様式の装飾が美しい「王の回廊」が見所です。 が、しかしまたもやツアーの悲しい運命で観ることができませんでした。


写真では再現されていませんが、ステンドグラスの光が綺麗に差し込んでいるの図です。

ナザレ

2010年04月04日 | ポルトガル(2010.02.06~)
2010年2月8日(月)その3

ちょうどお昼時にナザレに到着です。白い砂浜が眩しかったです。


ナザレの町は長い砂浜に沿って広がるブライア地区と崖上のシティオ地区、ペデルネイラ地区からできています。夏ならこんな場所でリゾートしたいです。


崖上のシティオ地区には、聖母マリアの奇跡が起こった場所にメモリア礼拝堂が建っています。他にも伝説の聖母像が祀られているノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会などの見所があります。


街中には青いアズレージョで飾られた可愛い教会も。


昼食はマール・ブラヴォと言う海岸線を見渡せるレストランにてお魚料理とワインを頂きました。 美しい海を観ながらブラジル人団体観光客と一緒に。。。←うるさくてわがままで。。。勝手で。。。疲れました。


ナザレガール この地区の伝統衣装(7枚重ねのスカート+エプロン)を着た、数十年前だったらギャルが露店の準備中でした。


結局、ナザレでは食事をしただけで、観光はありませんでした。天気が良かったので少し見て回りたかったです。やっぱりツアーだとあわただしいですね。

メモリア礼拝堂とは、、、“聖母マリアの奇跡”が起こった場所と伝えられている、小さな白い礼拝堂。狩りに出かけた城主が鹿を追ってシティオの岬まで行くと、鹿は忽然と姿を消した。そこは断崖絶壁で、馬の前足が飛び出している。そこへ聖母マリアが現れて命を救ってくれたという。礼拝堂にはキリストと、幼いイエスに授乳するマリア像がある。

サンタ・マリア修道院

2010年04月04日 | ポルトガル(2010.02.06~)
2010年2月8日(月)その2

オビドスの次は、アルコバサ【Alcobaça】へ向かいました。 ここにはシトー派の修道院、サンタ・マリア修道院があります。その名の通り、聖母マリアに捧げられた修道院です。


修道院の前には広場があり、オープンテラスが沢山並んでいました。暖かい時期ならばゆっくり寛ぎたいところなのですが、寒くて断念。と言うより忙しいツアーなので休んでなんていられません。


ファサードは他のそれと比べるとかなり質素です。


中に入るとさらに質素です。しろい支柱だけが並ぶ装飾を一切排除した、ステンドグラスも無い聖堂です。


奥の祭壇の横に、中世の悲哀物語として語り継がれているペドロ1世とイネスの石棺が並んで配置されています。(物語の概要は、リンクを読んでください。)この二人の恋物語は涙無くして語れません。写真はペドロ1世の石棺です。


祭壇に上ってもいいよ、と言われたのでマリア様の銅像とイエスの十字架の写真を撮らせて頂きました。


中には他に何もないのです。だけど、地元の人がお祈りに通ってきていました。


本当なら、この修道院の中にある「沈黙の回廊」や国立ワイン博物館も見たかったのですが、ツアーはここまで。残念。

オビドス

2010年04月04日 | ポルトガル(2010.02.06~)
2010年2月8日(月)

この日は現地ツアーに参加しました。 バスで一時間ほど向かったのは「谷間の真珠」と言われているオビドスです。  13世紀にディニス1世の妃イザベルが山間のこの地を気に入り、村全体をプレゼントされたとのこと。


イスラム時代に造られたオビドスのメインゲートで、ポルタ・ダ・ヴィラと言うそうです。 内部は細かいアズレージョで覆われています。 オビドスの城門は全部で6ヶ所あります。 中でも最も美しいといわれているのが、街の西側に位置するポルタ・ダ・ヴィラです。


ディレイタ通り。町の中は細い路地の両側に可愛い家やお土産屋が連なっています。


夏には色とりどりの花が町中を飾るそうです。確かに女子受けする可愛い町です。


お土産屋のショーウィンドー。手造りの小さなお土産が沢山売っていました。


町の中ほどにあった、オビドスらしい可愛い家。


町の突き当たりにある、今はポザーダ(ホテル)として使われているお城。


「谷間の真珠」と言われるように、夏にはブーゲンビリアやゼラニウムで町中が華やぐそうです。


お土産屋さんの入り口。


猫が多い町でもあります。 みんな観光客慣れしてました。

カルサダ・ド・ドゥケ

2010年04月02日 | ポルトガル(2010.02.06~)
2010年2月7日(日) その8

今夜のディナーのことを考えながらブラブラしてたら、美味しそうなショーケースがやたらと目に付いてしまいました。


再びアウグスタ通りです。


学生達がパフォーマンスしてたり。。。


ストリートミュージシャンがいたり。。。


路地裏には何やら怪しいウィンドーがあったり。


さきほど見つけたカルサダ・ド・ドゥケの階段下にあったレストランでディナーをいただくことにしました。お店の手前のカウンターには地元の人達がサッカーをみながらワインを飲んでいました。私は奥のテーブル席へ。


ワインは分からなかったので、オススメをいただきました。


かなりお腹が空いていたので、牛ステーキプレートをいただきました。それにしてもデカスギ。。。


階段を降りた右側にこんな入り口があります。分かりやすいですよ。なかなかオススメのお店です。

バイロ・アルト周辺

2010年04月02日 | ポルトガル(2010.02.06~)
2010年2月7日(日) その7

バイロ・アルトとは、ポルトガル語で『高い地区』という意味です。 リスボンでも古い地区で、住居と商業地区があります。現在は人気のある地区で、ファドの聴けるクラブや酒場が多く集まっています。 これは、シアード地区の中心にあるアルマゼンス・ド・シアードというショッピングセンターです。


サンタ・ジュスタのエレベーターです。バイロ・アルトとバイシャ地区の高低差のある地形をつなぐ連絡橋となっています。


サンタ・ジュスタのエレベーターから見たアルファマ地区の丘とサン・ジョルジェ城。魔女の宅急便の町の雰囲気に似ていますね。


サンタ・ジュスタのエレベータで上ると、今は廃墟となっているカルモ教会の横に出ます。


サン・ロケ教会前からロシオ駅へ続くカルサダ・ド・ドゥケ通りです。 サンジョルジェ城の夜景が綺麗に見えるスポットです。 この坂には安くて美味しいレストランが道沿いに集まっています。


カルサダ・ド・ドゥケ通りです。地球の歩き方にも載っている写真は、このアングルですね。暖かい日には、通りにテーブルが出て、景色を楽しみながら食事ができます。


ロシオ広場から見上げたカルモ教会。


フィゲイラ広場から見たサン・ジョルジェ城。


さすがにリスボンの坂を歩くと疲れます。そろそろ休憩したいです。

サン・ロケ教会

2010年04月02日 | ポルトガル(2010.02.06~)
2010年2月7日(日) その6

バスで市内中央部へ戻って、ファドハウスがあるバイロ・アルト地区の丘を散策してみました。 ほんと凄い坂ばかりなので疲れました。 
これはグロリアのケーブルカーです。両側に家が立ち並ぶ坂を往復しています。


裏側はこんなスプレー落書きが。。。どこにでもいるんですね、イタズラ書きする若者は。周りにはカメラを持った観光客が沢山でした。


ロシオ駅近くのレスタウラドーレス広場から5分ほど上ってきます。


ケーブルカーを降りるとカモンイス広場へつながる坂がまた現れます。右の建物の小道を入っていくとレストランやファドハウスがあります。


日本とも関わりの深いサン・ロケ教会です。バイロアルト地区にあるイエズス会の教会。建造は16世紀。マニエリスム、バロック、ロココ様式が見られる。教会奥のサンジョアンバプティスタ礼拝堂はイタリアバロック様式の傑作として知られる。1584年、日本の天正遣欧使節が1か月間滞在した。


外観は質素ですが、内装は素晴らしかったです。


壁面やこの天井画など宗教画で埋め尽くされています。


地元のお年寄りがお祈りしていたので、静かに観させて頂きました。


バイロ・アルト名物の「宝くじ売りの彫像」だそうです。

パスティス・デ・ベレン

2010年04月02日 | ポルトガル(2010.02.06~)
2010年2月7日(日) その5

日本でもちょっと前に流行ったエッグタルト。ポルトガルで言うなら「パスティス・デ・ナタ」といいます。 このお菓子のポルトガル一有名なお店で、パスティス・デ・ベレンと言います。 1837年創業のナタの老舗です。


私は店内のカフェでいただきました。 食べる時は、テーブルの上にある粉砂糖かシナモンをお好みで振りかけて食べます。 ジェロニモス修道院から伝えられた配合と作り方のレシピを守る伝統の味です。外の皮はパリパリで中味のクリームは甘すぎず、日本人の好みに合うお菓子だと思いますよ。 ナタ×2個とビッカ(エスプレッソ)を頂きました。


店内は幾つもの部屋が奥へ奥へと廊下でつながっているので、手前の部屋が満席でもズイズイと奥の部屋へ進みましょう。 この写真の部屋は3番目の部屋です。まだまだ奥に部屋がありましたよ。


お店の前はたくさんの人。 そして店内ではお土産用に買って帰る人の行列があとを絶たない状態です。


ジェロニモス修道院前の道を向かって右に行くと直ぐにこのテントが見えます。 リスボンへ行ったら是非、オススメのお店です。


ちなみに、近くに公園(日曜市をやっていたところ)があるので、暖かい日には公園で食べるのもいいかもね。
値段も比較的お手頃価格で、ナタ×2個(€1.80)、ビッカ(€1.30)合計€3.10でした。

ベレンの塔

2010年04月02日 | ポルトガル(2010.02.06~)
2010年2月7日(日) その4

なかなか前に進まない旅行記でごめんなさい。
発見のモニュメントから川沿いに下ること5分程でベレンの塔に着きます。


発見のモニュメントは世界遺産ではないのですが、このベレンの塔は1983年に世界遺産に登録されています。


ここも日曜日は14:00まで無料(通常は€6)で入れます。なんだかとってもお得な気分 これでジェロニモス修道院と合わせて€12得しちゃいました。


塔に登る階段は要注意 狭くて、暗くて、急で、降りる人と上る人がお互いに壁に擦り寄って入れ違う用に上ります。まぁぁ当時この塔を建てた人は、観光名所になるなんて思ってもみなかったでしょうから。。。


ここは6階で王族の居室として使われていたそうです。


テラスからはテージョ川に浮かぶ船や対岸の景色が(晴れていれば)綺麗に見えます。


テージョ川を挟んで対岸の4月25日橋とクリスト=レイが小さく見えます。


あの「魔女の宅急便」の町の参考になった、なだらかな丘のリスボン。赤い瓦屋根が(晴れていれば)綺麗にみえたことでしょう。。。

発見のモニュメント

2010年04月02日 | ポルトガル(2010.02.06~)
2010年2月7日(日) その3

ジェロニモス修道院前の公園で、日曜市が開かれていたのでどんな物があるのか覗きに行ってみました。


一言で言えばガラクタ市なんです。可愛い置物やアズレージョなどもあって観ていると面白いものもありましたよ。


修道院前の地下通路を渡って、テージョ川沿いに出たところです。


1960年にエンリケ航海王子の500回忌を記念して建てられた発見のモニュメントです。


先頭はエンリケ航海王子で、天文学者や宣教師などが並んでいます。あのフランシスコ・ザビエルヴァスコ・ダ・ガマカモンイスもどこかに並んでいます。


発見のモニュメントからジェロニモス修道院方面を見たところ。広場の中央に人が集まっているのは、世界を発見した年号が書かれている地図(ウィンド・ローズ)があるところです。


日本をポルトガル人が発見したのは1541年(豊後に漂着)だそうです。


東南アジア各地から日本へ到達するまで30年掛かったのですね。

ジェロニモス修道院

2010年04月02日 | ポルトガル(2010.02.06~)
2010年2月7日(日) その2

コルメシオ広場前から市電15番でジェロニモス修道院前まで乗ってきました。南門の前には既に沢山の観光客が集まっています。


聖母マリアに捧げられたと言われる南門の中央にエンリケ航海王子の像が見下ろしています。細かなところまで彫刻が施されていて素敵です。


聖堂の中は柱まで装飾されていて超豪華です。さすが大航海時代の建物です。


大きな宗教画に圧倒されます。お祈りの準備が始まり、観光客は締め出されているところ。


あのヴァスコ・ダ・ガマの棺。歴史の教科書でしか知らなかった偉大な人がそぐそこに居るなんて感動です。


ポルトガル最大の詩人、ルイス・デ・カモンイスの棺です。


ステンドグラスから差し込む光が聖堂を優しく包み込んでいます。


美しい回廊も見たかったのですが、半端でない観光客の団体が入り口でたむろしていたので諦めました。
ちなみに日曜日だったので、拝観料は無料(14:00まで)でした。通常は€6です。