あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

冬の青い森  ④

2019-05-04 17:53:51 | 冬の青い森

        酸ヶ湯温泉は狩人が、「手負いの鹿が俊敏に逃げ去ったのを見て付近を

   探索すると温泉を見つけ『鹿の湯』と名付けた」由来がある。

 

 

  旅の間は異例に暖かく、雪は相当融けたようでしたが、それでも八甲田山や酸ヶ湯温泉への道路の両側にはそそり立つような雪の壁ができています。だけど道路に雪は残らず、バスは問題なく登っていきます。ああここは完璧な除雪作業があるから「豪雪もなんのその」なのね。

 

 

  青森空港も日本一雪深い空港ですが、「青森空港除雪隊・ホワイトインパルス」と呼ぶ、交代制で除雪を行うプロ集団が組織されています。彼らは積雪3cmで出動し、東京ドーム12個分の広さを40分で正確無比に除雪するそうです。こうしたシステムや技術で、主要道路も楽々通行できるのですね。頼もしい~。

 

 

  4日目2/21は「津軽鉄道に乗ろう!」と思ったけれど、(冬時期のためか?)鉄道の本数が少ないし、移動の電車も時間がかかりそう、結局やっぱレンタカーを1日借りました。もしかして私って結構イラッチなのかしらん?鉄道の旅には向いていないのかな?

 

 

  大好きな津軽三味線をぜひとも本場で、と金木町の「津軽三味線会館」に行きました。なにしろ朝一番でもあり、素晴らしい三味線の実演は独り占めで堪能しました♪♪

 

 

  案内によると津軽軽三味線の起源は、「ボサマ」と呼ばれる盲目の「門付け芸人(かどづけげいにん)※大道芸の一種を家の門口に立ち・行い、金品を受け取る芸人」が各地をまわり、家の前で三味線を弾き、唄を歌い、お金や食べ物を貰うことから生まれました。その後明治に入り民謡の伴奏となり、やがては単独楽器として独自の世界を確立したそうです。

 

 

  激しくリズミカルなバチさばき、強弱多彩な音階のなかに、えもいわれぬ哀調が漂っている音色が心に響きます。津軽三味線の元祖と呼ばれる「神原の仁太坊こと秋元仁太郎」がここ金木町の出身です。

 

  午後は弘前市に向かいます。

 

  パンフレットに「弘前城 冬の桜」とあり、「どんな桜?」と興味津々です。駅で聞くと、案内の人は「雪を桜に見立てたものだけど、雪がないので・・・この冬はもう終わりました」とやや困った表情・・・。つまり雪の花をピンクにライトアップして桜に見立てたイベントだったのね~。

 

 

  すると先日、ちょうどTVニュースで弘前城の満開の桜、花吹雪、そして堀に浮かぶ「花いかだ」の映像を流していました。「あっ、たしかに雪の花もこんな雰囲気になるよね」と納得。

 

 

  ところで弘前市は東北きっての名城「弘前城」がある一方で、洋館も多くフレンチ料理店も人気が高いという個性的な街です。明治から大正にかけて外人教師を招聘するなど、積極的に西洋文化を取り入れて、当時の建物が多く保存されているのも素晴らしいです。駅前に立ったときからレトロでハイカラな雰囲気が感じられるのが不思議でしたよ。

   ***「冬の青い森」旅を終わります***

 

    酸ヶ湯温泉ひとつ手前の「城倉温泉」に除雪隊基地

    最後に花吹雪が舞う津軽三味線の実演

    津軽三味線会館の斜めにある「雲祥寺」の「お化粧地蔵」

    幼くして亡くなったこどもの衣装の着替えをさせるのは

    津軽地方独特の祀り方

        「弘前城近くの洋館」夕暮れ時、いい雰囲気

   弘前城の堀、ここに雪の花があったら確かに「冬の桜」だね~。


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