年の瀬のお稽古日記 ・フィギアスケートで使用の名曲?

12月29日
まだ2日もあります!年賀状が終わっていませんから。

①国連クラシックライブ協会の理事・応援団の皆様
②「赤毛のアン」参加者・関係者
③友人・小学校・中学校・大学・PTAの時・武蔵野の先生・白鴎大学の先生方・ 大学の教え子、ピアノの生徒等けっこう沢山になります。

3種類の年賀はがきが必要ですが、2種類しか作ってありません。それで浦和のメンバーには表にパルコの「バッハ物語招待」を入れて印刷し3種類目を作りました。

500通は出しましたが。役員が他に1000通出しています。1500通では足りなくなりそうです。最初からけちらずに、2000通印刷すれば良かったと後悔しています。

芸団協からの書類・文化庁関係の書類。う~ん休めないなあ。

フィギアスケート・名曲
昨日に続いてスケートを見ながら仕事しました。

浅田真央選手がショパンの「別れの曲」をバックに演技しました。
アナウンサーがこれはショパンの「別れの曲」です。どんな曲でも表現できるようになりましたねえ、とか言ってましたが、あれはショパンの練習曲なのです。
つまりチェルニー30番とかと同じなわけです。
もともと名前なんかないのです。

あとで誰か知らないけれどあまりに奇麗な曲なので勝手に練習曲に「別れの曲」「木枯らし」とか名前つけただけです。ショパンは別に「別れ」を思って作ったわけではないですよ。

「カルメン」もよく使いますよね。劇的ですから。
音楽というのはそれ自体は音の連続ですから、何も語ってはいないのです。
それが何故人の心を揺さぶるのか。不思議ですね。
別れの曲といえばそう聞こえる。
ベートーベン・歓喜の歌・これは歌詞がついているから当然歓喜に聞こえる。

ギリシャ時代“音楽とは何か!”を解明するためにソクラテスもピタゴラスも研究に研究を重ねたのです。
何故女性はテノールの美声に心を奪われるのか、何故男性は美しいソプラノに心震わせるのか!だからピタゴラスは平均率の計算をして音階を作ったし、当時の学者は数学と音楽を勉強して、作曲もしたのです。

ダビンチも作曲しました。他の方面では有名な学者も、皆音楽的才能がなくてつまらない曲しか作れなかったから作品は残っていません。

ただ当時から「何かを好きになる脳の部分」がどうも音を聞き分ける脳のそばにあるらしいことは分っています。
それが解明されれば「惚れ薬」も作れるかもしれません。
この音を聞いた後、最初に会った人を好きになるとか。。。

そうすると、プップカプー!あなた、好きよ!となります。

昔ならお正月料理の準備の最中でしょうね。
結婚する前に母に強引に料理教室に通わされて、(食べるのは好きだし・作るのも嫌いではありません。かたずけがダメなのです)昆布巻き・黒豆・たまご焼き・なます等を作りました。我ながらあのころは凄かった。しかし結婚してからやったことは1回しかありませんが。
きょうももう休みます。代表 小池雅代
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