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メルサがあるがね

名古屋郊外・春日井で暮らす日々

名古屋-清水戦観戦記(長い)

2005年10月30日 | サッカーの話
今日ほどサッカーについてあれこれ考えたことはない。そういう試合だった。勝つためには何が必要か、負けないためには何が必要か、そして結局チームをよくするためには何が必要か。理念とか哲学とかそういうレベルであれこれ考えさせられた。今日はやり方によっては勝てるはずの試合だった。しかし結果として勝てなかった。ここ何試合かのうちでは、内容がよかったと思う。少なくとも後半についていえば攻撃の意識が高かった。中田体制になってから「何もできず敗北」→「守備はできるけど攻撃の意識がゼロ」→「少しは攻撃をして点を取った」という具合に進歩している。しかし、今のグランパスに求められているのは漸進的な進歩ではなく、J1残留を確かにする勝点である。誠に残念である。

けが人の多い清水、今日は勝てるだろうという前向きな気持ちでスタジアムに向かう。橋の向こうにそびえる巨大スタジアム。何かの甲殻類動物のようだ。



負けがこんで、J1残留争いが他人事でなくなって、ゴール裏の ULTRAS NAGOYA の面々は殺気立っている。同じファンとして気持ちはわかるけど、どうしてもこの人たちは好きになれない。第1に集団でつるんでアレコレというのが性に合わない。次に、ゴール裏では自分たちが偉いと思っているのか、他のファンに大して高圧的な態度に出る(輩が一部にいる)からだ。それだけいばっておいて、禁煙地帯でたばこをすう奴もいる。



ULTRASがいなかったナビスコ杯予選のアウェイ清水戦、素直にグランパスが好きな人たちが思い思いに応援していて、風雨の中、ただグランパスに勝ってほしいと思う人たちがコールしたり、選手に声をかけたりして、実にいい雰囲気だった。たしかにカップ戦の文脈としては単なる消化時代だったけど、無邪気なグランパスファンとしてはいい思い出だ。さて話を戻そう。

きっちり守ってカウンター狙いという戦術だったのだろうか、前半は横綱相撲のような受け身サッカーを試みる。ネルシーニョ時代に何度も痛い思いをしたはずだ。3バック+安英学の合計4人で受けきれると思ったのだろうか? どう考えても人数が足りない。そして、古賀も角田もここ一番では足を止めてボールウォッチャーになってしまうのである。サイドからの放り込みやセットプレーのごちゃごちゃにおいて、この2人はほとんどいないも同じである。増川だって似たようなものだ。

最初の失点はCKから。流れたボールを切り返したとき、ペナルティエリア内で清水の選手がぽっかりフリーで決められた。セットプレーからの切り返し、ボールウォッチャーの並ぶグランパスDF陣には最悪の状況。2点目はカウンターっぽい攻撃から斜めにクロスを入れたのが、そのままゴールへ入った。ゴール前は楢崎を除いてほとんど無人。まったく話にならない。相手の攻撃をしっかり受けてカウンターを狙うのであれば、もっと後ろに人数をかけなくてはいけない。守りに人数をかけないのなら、受け身のサッカーをしてはいけない。はっきりいって、これは戦術上のミスだと思う。

前半はルーズボールをほとんど全て取られていた。ヘディングでつなごうとしたのもほとんど全て奪われいた。次のプレーをイメージしないままボールを受けて、動きだしが遅く、はさまれてボールを奪われる場面が多かった。安英学、大森、クライトンが特にひどかった。イメージをもってプレーしていたのは藤田と中村ぐらい。

3バックでサイドが手薄になることもあり、右の杉本も左の大森も裏を取られるのを恐れて下がりすぎていた。大森はほとんどDFラインぐらいに下がることがあった。だから攻撃の起点になれなかったし、またボールを奪われたときに高い位置からプレッシャーをかけることができなかった。

前半40分すぎて、最前線から積極的なプレスをかけるようになり、清水のDFはパスミスを連発、得点にはいたらなかったものの、攻撃の糸口を見つけた。逆襲するというほどではなかったが、少しばかり希望を感じた。動きの中で修正ができたことは評価していいと思う。

後半、名古屋は果敢に攻める。後半だけに限っていえばかなりいい内容だった。前節のアウェイ鹿島戦で、まったく攻撃の意識がなかったという評判を聞いたことを思うと、ずいぶんマシだったのではないだろうか? 結果として1点しか返せなかった。そして負けた。しかし、攻める意志は感じられた。それは評価していいと思う。満足はしないけどね。

後半13分ぐらい、思いきり人数をかけて波状攻撃をしかけたが、ゴールを奪えなかった。残念なことに、ペナルティエリア内でボールを受けた選手がだれ一人としてシュートを打たず、無難にボールをさばいてしまったことだ。ペナルティエリア内でボールを受けたら、まず最初に考えるのはシュートであるはず。直接決まらなくても、こぼれ玉を誰かが押し込むかもしれない。強く振り抜けば、何かが起こるはず。しかしそのときのグランパスの選手は誰1人としてシュートを狙わなかった。まるでシュートを打って決まらなかったときに責任を取らされるのを拒むかのごとく。あるいは、特定の誰か以外はシュートを打つことを禁止されているのか?。そんなやり方で勝てると思っているのだろうか? いや、そもそもグランパスの選手たちは勝ちたかったのか? そういう疑問すら感じさせるような内容だ。

得点シーンはCKのこぼれ玉を安英学がシュートして、そのこぼれ玉を豊田が押し込んだ。記録上では一緒にかけこんだ角田のゴールになっているらしい。どちらでもいいのだが、要するに一発で決められなくても、こぼれ玉を狙った動きができれば、それで得点チャンスが広がるのだ。そういう意識が徹底していれば、もっと積極的にシュートを撃てると思う。しかし実際にはそれができていない。せっかく敵ゴール前でボールを受けたのに、シュートを打って決められないかもしれないリスクを回避して、サイドの選手に流そうとする。そういう消極的なプレーが13分だけでなく随所にみられた。これでは勝てない。

右サイドから切り崩して、中村がゴールライン際をえぐり、ゴール正面までもちこむチャンスがあった。しかし中村のシュートはゴール左に大きく逸れ、ゴールならず。目の前でそれを見ていたグランパスサポから悲鳴とため息がもれる。あれは決めてくれ。

そんなこんなでゲーム終了。2-1で敗れた。



ブーイングはあまり起こらなかった。呆れ返ってブーイングする気にもならなかったのか、子供がたくさんいたから遠慮したのか、それとも後半がそこそこよかったので、満足したのか? 子供に配慮といえば、私が座ったところには子供が何人もいた。そういうところで、口汚くあれこれ叫ぶのは教育上よろしくないと思い、最初は普通に応援していた。しかし、子供がどこかへ行ってしまってからは、「縦へ行け!」「ゴールはどっちだ!」「左サイド空いてるだろ!」「もういっちょ行け!」などと大声で叫んでしまった。特にこの試合ではたくさん叫んだ。ULTRASにあれこれ言われなくても、私はいつも以上に気合いが入っていたのである。おかげで後半にはすっかり声が嗄れてしまった。

外はすでに暗く、風は冷たかった。冬の気配を感じる。そして何より、心が冷え冷えだった。リアルに「残留争い」の4文字が脳裏に浮かぶ。Jリーグ創設当初の何年かを除いて、これほど下位に落ちたことがあっただろうか? 本当にJ2陥落の危機におちいったのは初めてではないだろうか? 

サッカー観戦のあとはお風呂である。豊田スタジアムで観戦したあとは、「鶴の湯」で汗を流し、その日の試合を振り返り、興奮を冷ますのが、私のなわらしだ。ファミリーレストランのある交差点を渡ったところで、左に折れ、次の角を右に入って、つまり大通りより一本左へ外れた裏道をゆくと、右手に見えてくる。



今日の下足ロッカーは「苦悩」の9番(笑)。脱衣所にはいつものようにクソ演歌が流れている。勝ったときには何とも思わないのだが、負けた日には、これがキツい。演歌は最初から負け犬根性丸出しである。こちらは選手たちとともに必死に戦い、(文字通り)声を嗄らして声援を送り、しかしそれでも負けてしまったというのに、演歌歌手は負け犬根性丸出しの歌を朗々と歌っているのである。「ふざけんな、こんな歌うたってないで、てめぇも戦え!」などと理不尽なことを思ってしまう。まだスタジアムの興奮が心の底でくすぶっている。暖かいお風呂で心をほぐさなくては。

お湯につかって、あれこれ考えをめぐらせる。

(1)全体としては漸次進歩しているのだと思う。残念ながらアウェイ広島戦、ホーム川崎戦、アウェイ鹿島戦を見ていないので、中田体制になってからの試合内容の変化がよくわからないのだが、「攻めも守りもチグハグ」→「とりあえず守りの意識ができた」という流れらしい。この試合では不用意に2点とられたが、完全に崩されたという感じはなかった。それでいて、前半40分すぎからは、積極的な攻撃が見られたし、点を取ることもできた。試合には負けたが、チームはいい方へ進んでいる。ただし、今求められているのは進歩ではなく結果である。漢方のようにじっくり効く薬ばかりでなく、抗がん剤のように瞬間的に強力に効く薬を処方する必要がある。中田監督にそれができるだろうか?

(2)敗戦の原因は不用意な失点だ。その不用意な失点は、相手の攻撃に対して受け身に回ったことに原因があると思う。5人も6人もゴール前を固めていれば、それはそれでいい。しかし、実際には3バック+安英学の4人しか迎え撃つ体制の選手がいない。大森も杉本もクライトンも藤田も戻ってくるけど、守備的な局面において追いかける選手にできることは限られている。迎え撃つ体制のDF陣が少ないのに「守ってカウンター狙い」は無理だ。別の言い方をすれば、後ろの人数が少ないならば攻撃的に、ボールをキープし、奪われたら高い位置からどんどんプレッシャーをかけて奪い返し、なるべく自陣へボールを入れさせないようにしなくてはいけない。布陣と選手のプレー内容が一致していない。これは戦術的な問題だ。中田監督の指導ミスだと思う。

(3)速いパス回しで相手を翻弄するという場面が少なすぎた。グランパスの多くの選手はボールを受けてから次のことを考える。だから相手は対応することができる。はさまれてボールを奪われる場面も少なくなかった。ボールをもっているときももっていないときも、常にスペースを探して、なるべく少ないタッチでそこへけり出し、仲間を走らせるというプレーが少ないのだ。中盤には充分すぎるほど選手がいる。うまくスペースをつけば、走り込む選手はいるはずだ。仲間を走らせるパスを出すこと、また動きながらパスを受けること、こういうパスサッカーの基本をもっと徹底すべきである……いや、もしかしたら守備が手薄なぶんだけ中盤が厚くて、選手が密集しすぎているのかもしれない。そして自らスペースを消してしまっていたように思われる。よいパスサッカーをするには、それに適した「人口密度」があるのだろうか。これについて今のところ何とも言えないけど。

(4)守備的MF=ボランチであろうか? クライトンは自分をボランチと位置づけている。そして彼は果敢に前線へボールをもちこむ。もちすぎ、判断遅すぎという難点があるが、今はそれを問題にしない。ポジションのことである。中盤の底で相手方の攻撃を迎え撃つという場面は少ない。実質的にクライトンは攻撃的MFである。ポルトガル語の volante は「回す人」という意味である。ボールをさばき、つなぎ、パスを出す人である。必ずしも守る人ではない。(「司令塔」に当たる armador という言葉もあり、ある程度ポジションわけはあるが。)実際のところ、グランパスの攻撃がよく機能していたときには、藤田とクライトンが中央でつるべのように交互に上がり下がりしていた。

   クラ  藤田
   ↑↓  ↑↓
   クラ  藤田
     アン
中谷 増川  古賀 角田

だから、中田監督はクライトンについて「ボランチ=守備的MF」という前提をとっぱらい、クライトンを自由に動かすためにも、もう1枚DFか守備的MFを増やして、安定した布陣にすべきである。

(5)陽平1トップは無理だ。全くポストができない。DFを背負って踏ん張ることができず、すぐにペタンと倒されてしまう。原因は簡単。ヒザを伸ばして突っ立っているから、ちょっとしたボディコンタクトで倒されるのである。もっとヒザをしっかり曲げてしっかり踏ん張らなくてはいけない。ポジションを競っているときにDFより背が高い必要はない。ヒザを曲げ、腰を少し静めて、少しぐらい押されても倒されないようにすべきである。そして、空中で競る瞬間にタイミングよく飛び上がって、その瞬間だけDFよりちょっと高いところでボールにヒットすればいいのだ。せっかく恵まれた体格とよく鍛えた足腰があるのだから、正しい体の使い方を身につけて、プレーの幅を広げてほしい。

もっとあれこれ考えたが、まあこれぐらいにしておこう。

お風呂の次は、豊田駅近くのお気に入りの某飲み屋へ直行。大好きなサッポロビールでのどを潤し、この店自慢(?)の酢サバをいただく。肉厚で、漬かり具合もよくて、とてもおいしい。私の中では豊田名物はこの酢サバである。次のホーム試合・G大阪戦では、勝利の美酒+酢サバといいきたいものだ。

帰り、高蔵寺駅構内で菊が展示してあった。なかなか見事なできだ。



次の試合ではこの菊のような大輪の花を咲かせてくれ、グランパスよ!

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