キラキラ号で新宿へ来た。災難に遭った。
何か芸能関係のイベントが名古屋であったらしい。風変わりな装束の若い女の子が名駅をうろうろしていた。そしてその一部がキラキラ号に乗ってきた。こういう女の子たちには世間の常識が通用しない。消灯時間を過ぎても延々とヒソヒソ話を続けてやかましかった。すぐ後ろの席だったし。
前の席の男が、真っ暗になってから携帯電話で何かをしていた。あれってかなり眩しいんだよね。すごい迷惑。でも、その男、自分が他人に迷惑をかけているなんて、ツユ思わないんだろうな。周りのことなどまったく気にしない馬鹿だ。
しかし、最大の災難は隣の席のデブだった。あっちやこっちに脂がついているらしく、席からはみ出して、私の領域へ大きく入り込んでくる。私は体が大きいので、自分の座席でいっぱいいっぱいだ。そこへはみだしてくる脂身。(とうか、脂身だらけの腕とか肩とかいろいろ。)さらにイビキ。
こいつ、なんで生きてるんだろ?
久しぶりに殺意が沸いた。
このごろは物騒な事件が多く、ささいな原因で人殺しが起きる。嘆かわしいかぎり。でも、報道で聞き知ることと、現場で当人が感じることは、たぶん違うと思う。たとえば、バスという密室の空間で、隣のデブが席をはみ出してきて、イビキをかいて寝ている。それに追いやられてほとんど眠れぬまま夜をすごす。これはものすごい苦痛だ。普段は温厚な私ですら、ちょいと殺意が沸く。でも、ここで本当に殺してしまったら、たぶん「イビキがうるさいこと腹を立てて、衝動的に殺した」と報道されるに違いない。そしてワイドショーでうさんくさいコメンテーターがしたり顔で「物騒な世の中ですね」とか「キレやすい大人が増えています」とか言うんだろうな。
私はデブであること自体を咎めるつもりはない。日本は民主主義の国で、限られた範囲の中とはいえ、人は自分の人生を選ぶ権利がある。デブという人生を選ぶことは決して違法でもなければ、人道に反することでもない。ただ、勘違いしないでほしい。人は誰もが一人前の権利を主張することができるが、それ以上ではない。一人前として与えられたスペースを越えて、他人のスペースへ侵入する権利はない。デブであろうが、何であろうが、それは同じだ。私は自分で選んだわけではないが、背が高くなった。だからいつも座席が窮屈だ。しかしそれでも隣へ体がはみ出さないように気をつけている。そして、座席の小さいオリオンツアーやWillerExpressのバスは乗らないことに決めている。自分が窮屈なだけならまだしも、他人に迷惑をかける心配があるからだ。
周りに気を使わずノウノウと無神経に生きているから、豚みたいにぶくぶく太るんだ。それがテメーの選んだ人生だ。デブという人生だ。一人前のスペースに入りきれないなら、バスには乗るな。バスに乗るなら、一人前のスペースに体を収めろ。猪鹿蝶というのは聞いたことがあるが、テメーには豚馬鹿というのがふさわしい。
よほど文句を言いたかったが、ぐっと我慢した。とにかく東京まで隣に座っていなくてはいけないのだ。こんな馬鹿デブに文句を言って、そいつがカーッとなって、私にナイフを振りかざしたら、私は避けようがない。物騒な世の中、案外と「我慢」が身を守る切り札となることもある。それから、馬鹿とあれこれ話をしたくなかったというのも事実。馬鹿と関わると馬鹿が伝染るのだ。極力馬鹿とは関わりたくない。話したくない。
アメリカでは肥満が大きな社会問題になっている。そんな中で、肥満は自己制御ができない証拠であるとして、デブを管理職に出世させない企業があるという。子供のころその話を聞いて、「ずいぶん極端な話だな」と思った。今では、結構的を得たやり方だと思う。無神経で愚鈍な魂がデブを生むのだ。そして今日私は誓った。絶対にデブにはならないゾ、と。
何か芸能関係のイベントが名古屋であったらしい。風変わりな装束の若い女の子が名駅をうろうろしていた。そしてその一部がキラキラ号に乗ってきた。こういう女の子たちには世間の常識が通用しない。消灯時間を過ぎても延々とヒソヒソ話を続けてやかましかった。すぐ後ろの席だったし。
前の席の男が、真っ暗になってから携帯電話で何かをしていた。あれってかなり眩しいんだよね。すごい迷惑。でも、その男、自分が他人に迷惑をかけているなんて、ツユ思わないんだろうな。周りのことなどまったく気にしない馬鹿だ。
しかし、最大の災難は隣の席のデブだった。あっちやこっちに脂がついているらしく、席からはみ出して、私の領域へ大きく入り込んでくる。私は体が大きいので、自分の座席でいっぱいいっぱいだ。そこへはみだしてくる脂身。(とうか、脂身だらけの腕とか肩とかいろいろ。)さらにイビキ。
こいつ、なんで生きてるんだろ?
久しぶりに殺意が沸いた。
このごろは物騒な事件が多く、ささいな原因で人殺しが起きる。嘆かわしいかぎり。でも、報道で聞き知ることと、現場で当人が感じることは、たぶん違うと思う。たとえば、バスという密室の空間で、隣のデブが席をはみ出してきて、イビキをかいて寝ている。それに追いやられてほとんど眠れぬまま夜をすごす。これはものすごい苦痛だ。普段は温厚な私ですら、ちょいと殺意が沸く。でも、ここで本当に殺してしまったら、たぶん「イビキがうるさいこと腹を立てて、衝動的に殺した」と報道されるに違いない。そしてワイドショーでうさんくさいコメンテーターがしたり顔で「物騒な世の中ですね」とか「キレやすい大人が増えています」とか言うんだろうな。
私はデブであること自体を咎めるつもりはない。日本は民主主義の国で、限られた範囲の中とはいえ、人は自分の人生を選ぶ権利がある。デブという人生を選ぶことは決して違法でもなければ、人道に反することでもない。ただ、勘違いしないでほしい。人は誰もが一人前の権利を主張することができるが、それ以上ではない。一人前として与えられたスペースを越えて、他人のスペースへ侵入する権利はない。デブであろうが、何であろうが、それは同じだ。私は自分で選んだわけではないが、背が高くなった。だからいつも座席が窮屈だ。しかしそれでも隣へ体がはみ出さないように気をつけている。そして、座席の小さいオリオンツアーやWillerExpressのバスは乗らないことに決めている。自分が窮屈なだけならまだしも、他人に迷惑をかける心配があるからだ。
周りに気を使わずノウノウと無神経に生きているから、豚みたいにぶくぶく太るんだ。それがテメーの選んだ人生だ。デブという人生だ。一人前のスペースに入りきれないなら、バスには乗るな。バスに乗るなら、一人前のスペースに体を収めろ。猪鹿蝶というのは聞いたことがあるが、テメーには豚馬鹿というのがふさわしい。
よほど文句を言いたかったが、ぐっと我慢した。とにかく東京まで隣に座っていなくてはいけないのだ。こんな馬鹿デブに文句を言って、そいつがカーッとなって、私にナイフを振りかざしたら、私は避けようがない。物騒な世の中、案外と「我慢」が身を守る切り札となることもある。それから、馬鹿とあれこれ話をしたくなかったというのも事実。馬鹿と関わると馬鹿が伝染るのだ。極力馬鹿とは関わりたくない。話したくない。
アメリカでは肥満が大きな社会問題になっている。そんな中で、肥満は自己制御ができない証拠であるとして、デブを管理職に出世させない企業があるという。子供のころその話を聞いて、「ずいぶん極端な話だな」と思った。今では、結構的を得たやり方だと思う。無神経で愚鈍な魂がデブを生むのだ。そして今日私は誓った。絶対にデブにはならないゾ、と。