美容室シンデレラ 心に響くエッセンス

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乗り越えなければならない大きな壁にぶつかった時
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山陽・九州新幹線「さくら」に乗車

2011-08-20 16:16:05 | 九州新幹線
 
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8月15日 (月)
 
今日から4日間、私の夏休み。
この日、私は朝8時1分 高知発岡山行の南風6号に乗車。
岡山からは山陽新幹線に乗り換えて、本州の最南端にある、
山口県下関市へと向かいました。
 
下関には、母の姉(叔母)が住んでいるのですが、昨年母が亡く
なった3ケ月後に、その叔母は、まるで、母を追いかけるように
天国へと旅立ってしまったのです。
     
本当に不思議な出来事でした。
9人兄弟の末っ子として生まれた母は、3歳の時に父親を亡くし、
その後、母の母(お祖母ちゃん)は未亡人となり、残された9人の
子供達をかかえ、壮絶な人生を歩むことになるのです。
 
当時は現在のように、女性が働く場所もなく、限られた仕事の中
で、時には土方まがいの仕事までをも強いられ、9人の子供達を
死にもの狂いで育てたと聞きました。
けれど、所詮、はかない女一人の力です。
 
途中、栄養失調で4人の子供達を順番に失っていったのです。
そんな辛い環境で育った兄弟たちでしたから、大人になっても
深い深い絆でしっかりと結ばれていました。
だからでしょうか?
母が亡くなった後、本当に直ぐに逝ってしまいました。
 
叔母の葬儀はナント、大晦日の日でした。
年越しもせずに逝ってしまった叔母の葬儀でしたが、
余りにも急なことで、しかも遠方であり、その日は全国的に
天候も大荒れで、高速道路も通行止めになっていました。
 
仕事も30日までみっちり入っていた私は、とうとう叔母の
葬儀には出席できず、取り敢えず香典と供物だけ送りました。
 
「年が明けたら、必ず線香をあげに行こう。」
そう決めていたのですが、私も仕事を持ちながら、母の
遺品の整理や、実家の家の片付けにずっと追われており、
ものすごい不要品と処分するゴミの山と闘い続けていました。
 
そして気が付けば、約8ケ月もの間、たった一人で家の整理をして
いた訳で、体もそろそろ限界が来ていました。
 
こんな長い夏休みを取ったのは、シンデレラOPEN以来、初めて
の出来事でした。
休みの少ない職業なので、こんなまとまった休みがない限り、
旅行すらできません。
そして、とうとうこの夏、念願の下関の叔母のところに、線香を
あげに行けることになったのでした。
 
岡山から乗車した新幹線は、今年の春、九州新幹線が開通し、
大阪から鹿児島の区間を運行する新幹線として誕生したのが、
「さくら」「つばめ」「みずほ」と呼ばれるもの。
 
「さくら」は亡き母が大好きだった桜にちなんで個人的に、是非乗車したかった車種たったので、本当に嬉しかったです。
 
 
  Sakura3_3
 
車内はモダンで落ち着いた「和」のイメージで統一されており、
座席も従来のものに比べてゆったり設計。
2列×2で通路も広く、歩きやすい。
 
  Sakura4_2   
  Sakura2
 
 
 
デッキも洒落たデザインで、ちょっとした豪華客船の廊下を思わせる。
トイレも男女別で従来のものより断然使い勝手がいい。
大きな鏡付の洗面台も嬉しい。
 
  Sakura5_2
 
  Sakura1_2
 
 朝8時に高知を出発して、山口県 新下関駅に到着したのは
 昼の12時12分。
 ホームから改札口に降りると、叔母の夫(伯父)と従妹とその
 子供達が私を出迎えてくれました。
 
 「本当に遠いいところありがとね。よう来てくれたね。」
 皆に口々にそう言われ、こころがとても温かくなりました。