大衆娯楽として「政治」が終わったのだと思う…自動記述日記4

2019年11月25日 12時24分55秒 | 自動記述日記
  2019.11.17(日)~

 今日は日曜日。2019.11.17。一希は学校で「のちフェス」があるのだが登校していないだろう。新見で「木のおもちゃの会」があるらしい。
 見保は東城で休息しているだろう。一人でいる時間がいいのだろう。午後3時にはここに訪れるはずだ。あかりも一希も夕方には現れるだろう。
 よく晴れていたが空が曇ってきた。天候がかわりやすい。秋から冬へとしだいに季節が移る。今年はまだ暖かい晩秋だ。時折、夏の名残のような晴れ上がりを見せる。

 昨晩はよく眠った。深い眠りだった。奇妙な夢を見たが覚えておく必要はない。脳は深く記憶して、毎晩見る夢を意識下に残している。

 いま血圧の薬を飲んだ。軽い薬だろう。アムロジピン5mg。インスタントコーヒーを飲んでいる。朝食はとらない。パソコンでNHKラジオニュースを聴いている。山々は紅葉しているが奇妙な暖かさの晩秋だ。9月、10月は台風が荒れた天気をもたらしたり、暖気を運んだりした。

 紙のノートは、しまい込んでデバイスに日記を記録して保存しておこうと思う。部屋中がノートでいっぱいでもう置いておく場所がないのだ。結婚する前からだからもう36年以上ノートに日記を書いている。字が書けなくなって指が細かな動きができなくなった。精神薬のコントミンの副作用に字が書けなくなる作用があるらしい。年取って脳が老化しているのだ。

 家族がばらばらに分解してそれぞれの孤独な暮らしが続いている。家族は同じ家に一緒に暮らすのが本当なのだろう。一緒に暮らすと人間関係が悪化する。距離を置いておくほうが良いのか。芸術は”孤独”なものなのだろう。

 10月から11月にかけてパソコンで将棋や囲碁やオセロのゲームにはまっていた。いくらやっても人工知能に勝てないのだ。おかげでずいぶん脳のトレーニングになった。

 11時20分。ぼんやりしていてはいけないのだが61歳。仕事が見つかるわけでなし。ぼんやりしているしかほかにできないのだ。65歳から年金暮らしを想定しているのだが。見保が退職して働けなくなったら生活は貧窮するだろう。母親も亡くなってしまえば家の交際のためにたくさん金が必要になる。とても余裕のある暮らしはできないのだ。困ったことだが。困窮はにわかには解決しないのだ。

 貧窮と孤独。詩人という芸術はもともとがそういうものなのだろう。宿命だと思っていよう。孫の一希に「貧窮と孤独」をよく教えてやった方が良い。

 トイレに立つ。バナナ一本。ばあさん(母親)が畑に出て、大根を抜いて収穫している。部屋のストーブに火を着けた。暖かい方がいい。

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 午後8時。日が暮れた。ひどく神経の疲れが出た。口内の左壁に膿がたまって排出する。頭部から全身の神経系統にしびれるような疲れを感じる。目の周りにも神経の疲れを感じる。
 午前中パソコンをつついて将棋をしたり囲碁ゲームをしたりしていたら、12時まえに見保が現れた。こたつで休んでシチューを食べた。あかりと一希は野馳から13km自転車で神代まで来るという。12時半ごろやってきた。しばらく休んで、見保のmoveでみんな一緒に新見に出た。新見公立大学体育館で「木のおもちゃの会」イベントをやっていた。しばらく観覧。備北民報の桂くんがいたので遠くから見た。お互いに敬遠している。人がいっぱい集まって知った人もいたが声をかけることは無い。唯一実行委員長の藤本先生が向こうから声をかけてくださった。見保にもあいさつしてくれて一希やあかりのことも見てくださった。一希は祭り気分で木材を使ったジャッグルジムの作成を手伝った。あかりと一希を会場に残して見保と二人で新見図書館に行った。しばらく図書館で静かにしていた。一希が見保のスマホに電話してきて、公立大学から歩いて川のそばから新見駅に向かっていると言う。見保とmoveに乗って行った。一希は川の土手で遊んでいた。ちょうど江戸時代の高瀬舟の船着き場があったところだった。
 みんなで喫茶店”標(しるべ)”に立ち寄った。一希はオムライス、コーラフロート。見保とあかりは紅茶とケーキ。おれはコーヒーをたのんだ。店内の油絵の掲示を見たり、入ってきた客の様子をうかがった。
 フレスタで見保が買い物をしてから、みんなで神代へ帰った。それからあかりと一希は自転車に乗って13km野馳へ帰って行った。
 見保と休息。おれはひとりで農道と水車を一周歩いた。見保はこたつで休息してから風呂に入った。見保が風呂から出たので肩のマッサージをしてやった。夕食もシチュー。見保はゴミの片付けをしてから野馳の市営住宅に帰って行った。一希は見保といたいのだ。帰り際「一希は学校に行けなくて悲しいんだ」と言ったら、見保は黙って頷いた。一希はきょう「のちフェス」に登校しなかった。見保も口内炎が出たらしい。神経の疲れが出るのだ。
 きょうは何と言うことも無いが、木のおもちゃの会や図書館で若い人たちの姿を伺ったりしたので特に疲れが出てきたのだろうと思う。今晩就寝時に葛根湯を飲んで寝よう。

 8時20分。ブルースを聴いている。BBキング。ひとり休息している。ネットのブログの題名を”貧しさと孤独 山のじじいのひとりごと”に変えたが辛気くさいので取りやめた。もとの”大衆娯楽として「政治」が終わったのだと思う”にした。

 孤独といってもあかりも一希も見保もいつも一緒にいて近い関係にあるし、孤独をひとりで癒やす方法もある。芸術家の孤独なんていってもおれの「孤独」は孤独じゃ無い。貧しいと言っても食うに困っているわけで無し。そんなことを言ったら人が怒るか笑うか。「下積みの人生だった」とおれがつぶやいたら、見保は本当の下積みの人が聴いたら怒るとおれのことを評した。おれは幸福者なのだ。なんの苦労も無い。

 きょう藤本先生に「ボツボツです」と言ったら、「ボツボツぐらいがええ」と藤本先生は答えた。ああしてイベントで知り合った人に一言だけ声をかけるのだろう。おれは孤独なんかではないのだ。

 さ、精神薬も飲んだし、風呂に入って、葛根湯を飲んで寝よう。見保に肩と腕の痛みを整体師に診てもらったらどうかと言ったら、「金が高い」と返答した。見保は贅沢は嫌うのだ。

 あすは月曜日。見保とあかりは、仕事に出る。一希は行き場の無い日々をなんとかやり過ごす。見保の職場のヨシオに行って見保に世話してもらうのだろう。おれはあたたかくして休息する。おやすみなさい。

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11月18日(月)10時30分

 昨晩11時頃就寝したがなかなか寝付かれなかった。0時過ぎてから眠り込んだ。トイレに2回立つ。夢を見て10時過ぎに起床。うがいしてからアップルジュースを一杯飲んだ。部屋にストーブをつける。外は曇り空だ。雨が降る予報だ。カーテンを開けて休息。アムロジピン5mg。インスタントコーヒーを淹れる。ラジオミュージック。

 きょうは月曜日。何にも予定は無い。外にも出ない。一希は学校に行かずにひとりで遊ぶだろう。午後、”とも”に行って犬や猫と遊ぶかもしれない。西紀子さんちでお世話になって、犬や猫と遊ぶ。西さんがよくしてくださるのだ。一希は安心して遊んでいる。

 夜に見保が電話してくるだろう。なんにも話すことは無いが、一日中誰とも会わず、誰とも会話しないで、ひとり部屋にこもっていると”退化”する。人恋しくなるのだ。

 昼に葛根湯を飲んでおこう。口内が炎症を起こしている。昨晩就寝前に葛根湯を飲んで寝たら、やはり効いている。炎症を起こすと葛根湯でやり過ごす。さて、パソコンでもつついて、将棋、囲碁、オセロ。一人遊びだ。インスタントコーヒーを飲んだら目が覚めた。ラジオで音楽を聴いている。

 午後1時10分。昼食に少し食べた。シチューなど。午前中はパソコンで囲碁、将棋、オセロのゲーム。レゲエのCDが一枚届いたので、さっそく聴いている。外は小雨が降って寒い。外には出ない。……

 午後6時30分。夕食。ウインナーをゆでて。のりをおかずにご飯をどんぶり二杯食べた。ご飯を炊いたら、水が足りなくて固いご飯ができた。のどを通らないのでアップルジュースを飲んで流し込んだ。TVチェック。新見iチャンネルのニュースを見た。木のおもちゃの会の藤本先生はちらりと映っただけだ。インタビューはなかった。腹が満ちたので二階に上がって休息している。あかりが住宅に帰宅した時刻だ。一希は”とも”に行ったのかもしれない。見保が送り迎えをする。寒いので大変だ。きょうは雨が降って、薄ら寒い一日だった。外には出なかった。一日家の中にこもっていた。外に出ると身体が冷えるので、外出しない方がいい。

 あすは火曜日。生協の品物が届く。晴天の予報だ。散歩にでも出たいと思う。三信(さんのぶ)に行ってみようと思う。気晴らしになるから。あのあたりは気になって困るような人物がいないので気が楽だ。見保とあかりは仕事。一希は午前中住宅にひとり。午後”とも”に行って犬と戯れるのだろう。心が癒やされるのだ。

 一日一日時が流れて過ぎ去って行く。日々のニュースは悲惨が続いている。人間の暮らしが悲惨で圧倒されているのだ。昨日見保と居間で話したが、災害に遭って片付けに追われる人は当ても無いのだろうとおれが言ったら、見保は「ちょっと座る場所でも確保しなければならないので、迫られてやっているのだ」と答えた。新見で水害に遭った皆本さんもそうやって片付けをしていた。と見保は言った。哀れなのだ。誰も当てにはできないのだから。「自己責任」という冷たい言葉が返ってくるだけだろう。気休めにもならない気休めのような行政の施策も無いよりはましというぐらいだ。災害でひどい目に遭った人にしかわからない。

 もうすぐ見保と一希が住宅に帰宅するだろう。夕食と休息と風呂。おれがいない方が平和なのだ。おれがいるとトラブルになって一希がかんしゃくを起こすことになる。あまり邪魔をしないほうがいい。あすは晴れの予報なので散歩して気晴らしをしたいと思う。きょう手に入ったCDはとても聴きやすいレゲエだった。お気に入りが一枚増えた。ネットでたったの300円。お買い得だ。……

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………
………。
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 11月23日(土) 勤労感謝の日。小春日和。気持ちの良い晴天だ。一希がスポーツ少年団の野球の練習から帰ってきた。見保がクルマで一希を送迎した。こたつにあたって休息している。

 昨日は精神科の診療があった。主治医ではなく病院の院長が診てくださった。とてもやさしい方だった。一通り近況を報告した。外来は短い応対だがお互いに感じるものはある。瞬時に脳は働いているからお互いの印象はあるのだ。

 Twitterで「プロきゃびっと」さんが「『底まで落ちた』と言える『底』が存在するのか疑わしい。終わりを終わり続けている社会に生きている感覚だ」と書いている。人間が生きている限り「政治」は終わらないだろう。ファシズムに底はない。だが底は透けて見える。

 K.Marxの「ルイボナパルトのブリュメール18日」の冒頭に「ヘーゲルは歴史は二度繰り返すとどこかに書いていたが、一度目は悲劇として。二度目は茶番として、と付け加えるべきだった」とある。「茶番」とは「茶番狂言」のこと。ばかばかしい底の見え透いた猿芝居のことだ。つまり大衆演劇。大衆娯楽。

 一度目とは「1787年~99年フランス革命の一連の事態からナポレオン帝政」。二度目は「1848年フランス二月革命の一連の事態からルイ・ナポレオンの第二帝政」。K.Marxは二月革命から第二帝政の成立を「茶番劇」として描いた。
 人間の歴史はいつでも「茶番劇」なのかもしれない。文学としてギリシャ三大古典悲劇も、19世紀のフランスではバルザックの小説群のように「人間喜劇」に変じた。虚偽と不正義はいつでも勝利している。19世紀アメリカの作家ビアスは「悪魔の辞典」に「インチキ つまりこの世」と書いた。底は透けて見えているのだ。人間という「毛のないけだもの」にとって、「利欲と性」こそがつまり「底」なのだ。宇宙の存在がどんなに深淵だったとしても人間にとって底は浅い。動物行動学に拠るまでもなく、人間は「金と女(男)」が欲しいだけの生き物だ。「政治」に終わりが無くとも人間の底は見える。「政治」と「詐欺」は紙一重だろう。

 「大衆娯楽としての『政治』が、終わったのか」それとも「大衆娯楽として、『政治』が解消して行ったのか」。歴史はそのあいまいさを残したまま、始まったり終わったり、終わったり始まったりしている。日本列島に人間主体の「近代市民革命」は一度も存在しなかったのだ。近代総力戦の戦争に絶対天皇制大日本帝国が敗北しただけだ。虐殺と甚大な犠牲の堆積の上にあって、敗戦を主体的に受け止めるべき「人間」は未成長のままだった。当時の占領軍司令官マッカーサーの曰く。「日本人の精神年齢は12歳」。=Japanese monkeyってことだ。

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 11月25日(月) ETV「誰が命を救うのか」再放映を観ていた。列島が震撼した福島原発事故から8年と9ヶ月。現在福島第一原発の敷地内で毎日4000人の人が働いているという。原子力発電核廃棄施設の処理に多くの人があたっているらしい。そこには人々の目から隠された多くの真実が潜んでいるだろう。その現実は人々の日常の意識にのぼってはならないらしい。「政治」も「メデイア」も中心問題から目をそらすためにあるかのようだ。
 おれは多くの真実に目を閉ざして暮れゆく人生の老後を仮想の「現実」感のなかで漫然と消費していくだろう。「職」が無いと言っても福島原発の敷地内に「職」をもとめる現実は一部の人たちなのだ。黙って目をつむっていればいい。災害の被害額が何百兆円であろうと国家は通貨発行権を行使してしのぐのだろう。おれの村では、昨年の西日本豪雨の爪痕が無残に残っていまだ補修もされないまま手も着けられず野に晒されている。滅びていく、衰退していくのは直接の「被災地」の現場だけではないのだ。

 ローマ帝国の市民は、パンと娯楽を与えられて安寧だったのか。現代日本では、「政治」は人々の恰好の慰みだろうが、その娯楽劇を観て一時の慰みに興奮し、そして我に返って多くの人が白けていく。……。

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肩甲骨…自動記述日記3

2019年07月22日 08時51分36秒 | 自動記述日記

肩甲骨  ……自動記述日記3

      ちゅうたかずきちゅうたかずき忠田一希(ちゅうたしげる

 ポメラを購入したが、まったく手を触れない日が続いた。紙のノートがメモを書くのに捨てがたかったのだ。自動記述日記2を書いたのが六月十一日前後だった。もうはや七月下旬に入った。今日は七月二十二日。参議院の選挙が昨日終わった。むろん投票には行かなかった。「国政選挙」など興味は無い。本来人間は「自由」なので、「選挙」なんてカラスの勝手。「国民」の一人として「年金」にありつけばそれで不服は無い。年金なんて国家的詐欺の一種だけれど。
 一ヶ月半まえ六月五日水曜日だったろう。いつも就寝に使っている布団をまるめて、枕にして二十分ほど昼寝をしたのだ。そうして目が覚めたら、左腕から肩にかけて違和感と共にひどい痛みを感じた。一生治らない実存的な痛みを左側肩甲骨の奥に感じた。起き上がって重力が左腕から肩甲骨にかかるとひどいしびれと痛みがある。一週間ほど放っておけば治るさ。と高をくくっていたら治りそうも無い。一生痛い目に遭うのかとインターネットで調べてみた。肩関節の腱板損傷でも無い。腱板断裂でもない。神経痛でも無い。むかし村の年寄りが「けんびき」と呼んでいたものか。と調べてみると「胸郭出口症候群」という病名があった。
 病院に行くわけでも無い。じっとこらえていたら一ヶ月過ぎた頃から痛みがなくなった。治ったのだ。手術をせずに肩の痛みを治すのを保存的療法と言うらしい。
 はじめ、痛みが無くなる姿勢があるのに気がついた。寝転んで左腕を楽にしていたら痛みが無い。起き上がると重力がかかって痛む。安静にしていたら左腕の神経の過敏が収まった。それから散歩をしたり、草刈り機で草を刈る動作をしたり、ストレッチをして肩甲骨を動かすと痛みがやわらいで鎮痛の効果があるのがわかった。肩を動かしながら治療したのだ。風呂に入って温めると鎮痛の効果がある。ひなたぼっこをしていても鎮痛の効果があった。サウナも二度ほど行ったが間接的に効いた。そしてロキソニン入りの湿布を貼っても鎮痛の効果があった。どんな病気でも西洋医学的な対症療法は大事なことなのだと気づいた。対症療法が自然に治る自然治癒力を刺激するのだ。対症療法で痛みを緩和すると肩甲骨と肩を動かしやすい。安静にして神経の過敏を鎮めて、そして患部を温め、動かして治す。そうこうしているうちにふと痛みが半減して、妻にストレッチをして肩を動かしてもらったら神経が元の位置に戻って、完全治癒した。
 治らない病気や解決できない問題はこうやれば良いのかと思った。それともはじめからたいした病気ではなかったのだろうか。妻は昨年右肩を痛めた。十年前に左肩を痛めた。病院で調べてもらったら六十肩だった。一年経ったが後遺症と痛みが残っているらしい。いまでも車の運転は片腕でハンドルを握っている。隣村に住む妹もこの頃肩が痛むらしい。
 おれは、けがの功名ということもあるさ。とか、万事塞翁が馬。とか、禍福はあざなえる縄のごとし。とか思って自分を慰めていた。長男は「楽しく暮らせば痛みも軽い」と慰めにもならないことを語った。人間はいろいろな痛い目に会うのだ。

 この一ヶ月本を集めて読んでいた。藤原審爾の「死にたがる子」という小説を2時間ほどで読み上げた。おれが学生になったばかりの頃発表された小説だ。今から四十年以上前のことか。おれ自身もかつての「死にたがる子」だった。中学生の頃、若年者の自殺という現象が流行ったのだ。藤原審爾は「死にたがる子」の背景を生物学的に説明しようとしている。

 志賀直哉に興味深い一文がある。「志賀直哉随筆集」岩波文庫。1950年雑誌「世界」に載った一文。当時「世界」の編集長は吉野源三郎だったろうか。全面講和の論陣を張った。
 志賀直哉は「閑人妄語…『世界』の『私の信条』のために…」という一文で「私は『なるほど』と大いに感心したことがある。」と書いている。なにが「なるほど」かと言うと庭のガマガエルの姿と客人の恰好がそっくり同じだ。と言うのだ。志賀直哉はそのとき、人間が動物由来だという確信を得たのだ。
 似たようなことはヨーロッパ思想にも見られる。エラスムスの「痴愚神礼讃」。パスカルの「パンセ」で人間は神と動物の中間者とされたのは有名。十九世紀に入ってニーチェは進化論を背景に「ツアラストラはかく語りき」で、人間はウジ虫より来たった、「なんじらはいまだ猿中の猿である」と書き。ロートレアモンは「人間という毒虫」と書いた。近代ヨーロッパの思想やホッブズ、ロック、ルソーの社会契約論などは人間とは何かを問い続けた歴史でもある。途上で現れたマルクス主義は理想主義だったので、社会契約論の唯物論から後退していたのではないだろうか。

 そういうわけで、生物、植物学、昆虫学、動物学、動物行動学の本を集めた。日高敏隆などを読んだ。

 二十年ほど前、九十年代に人類は世界観を揺さぶられるいくつかの学問的な仮説に到達した。物理学では超ひも理論。膜宇宙論。医学生物学では「ミトコンドリアの細胞内共生説」、動物行動学では「利己的遺伝子論」。ゲーム理論では「囚人のジレンマ」説。最近は脳科学という知見の蓄積がある。
 これらの説は人間の世界観を大きく揺さぶるが、まだ社会的に十分には検討されていないのだ。

 というわけでいま机の上には、「囚人のジレンマ…フォン・ノイマンとゲームの理論」ウイリアム・パウンドストーン著。青土社。1995年。という本を置いている。「核戦争の危機とゲーム理論」ともいうべき恐ろしい内容の本だ。フォン・ノイマンという悪魔的知性は五十年代からすでに「気象兵器」を考案していたらしい。

 なかなか明けない長い梅雨が終わったら、孫の一希といっしょに海に行きたいと思う。

  (了)

 
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a time lag……自動記述日記2

2019年06月11日 09時09分08秒 | 自動記述日記
a time lag……自動記述日記2

        ちゅうたしげる

 特別に相手にするほどの男ではないが、おれの人生の一つのエピソードぐらいには関係した男がいた。その男は、十年以上前に亡くなった。だからいまはなんの関わりも無い。時々、思い浮かべることはあったがそれがどうというわけでもない記憶なのだ。
 その男は60歳代後半に亡くなった。亡くなる数ヶ月前に男の家の近くの畑で遭遇した。日頃は付き合いと言うほども無かった。男は零細な畑でほうれん草を作っていた。おれはインターネットというものを始めて、自分のホームページを開設していた。そのホームページに載せる写真にと、男の作っているほうれん草を撮らせてもらったのだ。男はおれに親近感を示すように語った。
 「しげるくん。世の中にはいろんなことがあるんで」
 その言い方は自分はおまえの知らないことをいくらでも知っているぞ。と他者を見下すようでもあり、あるいは年下のおれを教え諭そうとするようでもあった。
 世の中にいろいろなことがあるのは毎日のニュース番組を観れば当然。当たり前のことである。男の真意をはかりかねたおれは黙った。
 それから数ヶ月後、男は県南の大病院のベッドで息絶えたのだろう。葬儀があった。おれの親父はまだ元気でその男の死に勝ち誇ったかのようにこっそりその死をおれに伝えた。病院に見舞いに行った人の話によれば、病院のベッドで「このざまじゃ」とその男はつぶやいたという。
 その男は自分のことを「選挙ブローカー」だとおれに語った。おれの妻がまだ若い農家の嫁で、町政史上初の共産党公認候補として27歳で立候補して選挙戦を戦ったときのことだ。そのとき、男がおれに語ったのだ。田舎では「選挙と土地の争いが一番じゃ」。選挙ブローカーというのは候補者と有権者の仲介をして金のやりとりをする人間のことだ。その男は候補者一人の当選を左右する「票」を握っていた。
 たぶん、その男は複数の候補者から金をむしりとっただろう。激しい選挙戦だった。だがおれにはその男が選挙ブローカーであることなどどうでも良かった。若い時代を生きていた当時のおれは、なにか生きるという行為の意味を世上の価値とは別様に狂おしいほど求めていたのだ。それはドストエフスキーの小説の一人の主人公でもあるかのようだった。「白痴」という小説のなかで、ナスターシャという女性が多額の札束を暖炉の炎の中に投じる光景が描かれている。まるでその小説の中を生きるように当時のおれは生きていたのだ。
 その男は「しげるくん。何を言ようる。わしは舅(しゅうと)の下(しも)の世話をしたで。」と語った。その男は養子だった。若いおまえなど問題ならんという風だった。「就職口を見つけてあげるようなもんですから」この言葉を発した瞬間に選挙に立候補した人間と有権者の密かな契約が結ばれる。候補者は相場の額の金を渡し、有権者は投票の約束をする。当時議員選挙で一票は五万円の相場だと噂が立った。
 「世の中にはいろんなことがあるんで」と言った言葉の真意は、世の中には表に出せないことが山ほどあるんで。ということだった。世上の口に上ることはほんの氷山の一角。闇から闇に葬られることはいくらでもあるのだ。
 たとえばこの村では、産んだばかりの産子の顔に濡れぬのをかぶせて、嫁に当てつけるように嫁の前で姑が子の「間引き」をする話が当然のごとく語られた。それは「殺人罪」などという公の罪に問われることは無い。闇から闇へ処理されるべき事だった。それは「家」のなかでの「嫁と姑」の権力関係を確認する一作業に過ぎなかった。
 「姥捨て」も「兄弟殺し」も当然のごとくにあって、闇から闇へ、「殺人罪」に問われることなど無い世界があったのだろう。
 おれの親父は婿養子でその男と気の合うところもあったのだろう。その男の家の周りの畑と田んぼ一反分を交換する話を成立させたりした。闇から闇へはその男もおれの親父も気が通じていたのだ。
 おれは農家で育ったので両親が田畑で働くので曾祖母に育てられた。曾祖母を心から慕った。曾祖母が亡くなるのはおれが小学校の一年生の時だが、病院からもはや臨終というときに家に運ばれて家の畳の上で曾祖母は亡くなった。おれは曾祖母の枕元に呼び寄せられた。曾祖母はまだ息をしていた。明くる朝、曾祖母は亡くなっていた。父親が早く目覚めて様子を見たらすでに死に絶えていたというのだ。父親は医者を呼ぶ前に曾祖母の酸素吸入器の管を自らの手で取り外していた。それを母親から聞いて、おれの幼い心は疼いた。父親は曾祖母の酸素吸入器を意図的に取り外したのだ。
 むろん、そんなことは「殺人罪」にあたらない。死を報告する村の医者がうまく取りはからうのだ。そんな時代がかってあったのだ。
 「文学」というとき、おれは門外漢だと思う。それでも「文学」というときおれにもある種のイメージがあってものを書いたりするのだ。それは、おさない無垢の少女の横顔なのだ。村の少女あるいは娘。といっても良い。切ないほどの良心と世間への知を混在させ両立させているある少女のイメージがおれの文学への想いだ。それはおれには手の届かないところにある。
 その男は、おれが小さな町の文学賞を取ったりして「本」を自費出版するようなまねをしているのを知っていたからだろうか。「しげるくん。世の中にはいろんな事があるんで」と死んでいく前におれに語った。世の中には白日の下に晒されない闇から闇へ葬られることが圧倒的に多い。おまえは何も知らないのさ。と男は言いたかったんだろう。村で文学と言えば、嫁姑の争い。土地と選挙の争い。「間引き」「姥捨て」相続をめぐる「兄弟殺し」。あるいはまた「初夜権」。それが村で言う文学だった。親殺し、子殺し、兄弟殺し、ついでに妻(夫)殺し。それをそのまま文学だと言う。それは、埴谷雄高の大宇宙的思想小説でも無く、ドストエフスキーの心理小説でも無く、語られない闇から闇の。人間の心の闇の「文学」だ。
 だがそんなことは男に言われるまでも無い。「いろんな事がある」のはニュースが報じている。誰でも知っているのだ。
 男の言う闇から闇へのそんな「村の文学」などはおれにとって知ったことでは無い。おれはあくまで村に育つ幼い少女の無垢な心のみを見ていたいのだ。そこに人間の真実をあくまで求めていたいのだ。あの男はあの世で小癪な奴だとおれに腹を立てているだろう。


     (了)
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一隅に徹す……自動記述日記1

2019年05月21日 22時49分05秒 | 自動記述日記
                   
 一隅に徹す……自動記述日記1

                ちゅうたしげる

 ポメラが届いた。今日から紙のノートはしまい込んで、ポメラに自動記述を書き殴ることになる。

 一希が電話してきて、4時30分には野馳の住宅に向けて出なければならない。一希は退屈しているのだろう。学校に行きたいが学校に行けない。家にいれば一人っきりで退屈する。
 昨日は新見の不登校の子があつまる新生塾というところで面倒見てもらったらしい。2時には帰ってきて少し緊張したようだった。それから一希と遊んだのだがおれの方が疲れが出てなにかウイルス性のものに感染したようだ。関節と筋肉の痛みがあった。のども少し痛む。強い痛みではないが全身の痛みなので今日は一日中ゴロゴロ休んでいた。

 「自動記述日記」を書いたのは1995年頃、いまから25年前近い。まだおれは30代で子供たちも小学生。見保も若いお母さんだった。
 25年たって、今年1月には照葉が生まれた。五人目の孫だ。ゴールデンウィークには10連休だった。健人がマナさんと海太朗と照葉を連れて帰った。ところが連休に入って健人が熱を出し、マナさんが熱を出し、見保が熱を出した。なにか関連があるのではないかと言ったら健人が怒った。それで昨日おれも体調が異変。節々が痛む。
 五人の孫に恵まれたのだからこの25年めでたし、めでたし。過酷な日々も続いたが、結果がオーライなのだ。見保と「うまいことやる習慣」(中村恒子)という本を読んで、自分たちの人生珍道中を笑っている。世界はいまだ偶然が支配している。今日も保育園児の歩行列に車が飛び込んで死者が出たとテレビが報じている。偶然が支配する世界の中でよくここまで歩いてきたものだ。
 どうでもいいから、一希が待っているので野馳の住宅に行ってこよう。気分転換になるだろう。

………

 8時45分。4時に家を出て野馳住宅へ。一希は友達と遊んでいた。コウタくんと保育園児たち。仲良く遊んでいた。部屋で休息。スープと焼きそばを夕食に作った。あかりが帰ってきて休息。見保は遅く帰ってきて一希と遊んだ。あかりが板藍茶を出してくれた。ウイルス性の風邪には板藍茶は効くようだ。野馳という土地の広い空間のほうが神代より落ち着いた気分にさせてくれる。一希やあかりや見保との団らんも気分をなごませてくれる。8時過ぎに軽トラで帰ってきた。軽トラはガソリンを給油しなければ。あすかあさって新見に出てこよう。
 あすは木曜日。5月9日。曇りの予報。あすも一日家で休んでいよう。今日は1.5キロほど歩いた。板藍茶を飲んで気分がいい。風邪が治ってきたのだろう。精神薬を飲んだ。

 今日は風呂に入らないで就寝する。CD ブルーズを聞き終わったら就寝しよう。葛根湯を飲んだ方がいいかもしれない。おやすみ。またあした。

………

 5月9日。木曜日。8時起床。就寝前に葛根湯を飲んで寝た。葛根湯が効いたのだろう。頭がすっきりしている。窓を開けてカーテンを開ける。葛根湯を一服。バナナを一本食べた。PCを簡単にチェック。ブログアクセス解析とフェイスブック。

 自動記述日記を書き始めた25年前とはずいぶんと状況が違っている。あの頃は30代で、三進商会のパチンコの景品交換の集金の仕事をしていた。半日働いて半日ワープロの前に座っていた。消防団やら青年会やら詩人の集まりやら充実した日々だった。自民党と社会党の連立政権ができたりした。バブル経済は崩壊したのだがまだ社会に勢いがあった。民族的破局を予想してはいたが、その後の展開を知ろうはずはなかった。世の中がまだ楽観的だったのだ。それにおれはまだ共産党に所属していた。指導部との軋轢が一番の課題だった。

 神郷町が消失して新見市と合併。どうどうの親父も難波のかっちゃんもうちの親父も死んでいった。アルバイトの新聞配達もやめて、いまは障害者年金の蓄えで暮らしている。見保が働いてくれるのでおんぶしてもらっているのだ。一希が生まれ次々に孫が生まれて今年一月に五人目の孫が生まれた。まだ生まれたばかりの子。生後4ヶ月の赤ちゃん。京都にいる猛志のところは生後10ヶ月の赤ちゃん。まだ立って歩かないのだ。一希、咲人、海太朗、彩子、照葉。

 ところが一番上の9歳の孫、一希が不登校なのだ。発達障害。正式には自閉スペクトラム症。薬を飲んでいる。アリピプラゾール1.5ミリ。何に問題があるのか周囲のものは皆目見当がつかない。本人は学校に行きたい気持ちが強いのだろうが身体と心が拒否するのだ。

 と言っても孫の心配より自分の心配をしたほうがよい。精神薬を飲んで30年。統合失調症。精神分裂病と診断されて30年が経ったのだ。老後の暮らしの心配があるし。当面、血圧が高いと精神科の主治医、和気先生がうるさいのだ。血圧の薬を飲んだら一生だ。副作用の心配もあるし面倒だ。来週には診療所の内科医に診てもらうつもりなのだ。見保が診察代をくれた。
 それでも精神科と内科の医者に相手してもらって人に会う練習台になってもらった方がよいかもしれない。一日座机の前に座ってポメラをつついていたのでは不健康だろう。人に会わないのだから脳が退化してしまう。おそらく一希は人に会うと脳がパンクしそうになるのだろう。学校へ行けないのだ。おれより重症かな。あたまのいい優しい子なのだが残念。不登校は治らない。あかりがスポーツで人生を渡るように動機づけをするのだが、学校へ行けないのにそれはなしでしょ。余計に一希がかわいそうだ。

 統合失調症。精神分裂病も治らないのだ。精神薬で生活しているだけだ。頭が壊れてしまっている。どの程度壊れているかと言ったら、断薬して半年もすれば生活にさまざま支障がでてくる。治らないのだ。

 今日は曇天だ。驚くほどの晴天が続いていたが、一休み。山は新緑に覆われている。田は水が張ってある。もう田植えの季節だ。今年は2019年。2000年代に突入して20年が経とうとしている。2001年に同時多発「テロ」。2011年に福島原発事故。大事件だがみんな忘れていくのだ。明くる朝には昨日のことを忘れる御仁もおられるのだ。そのまえに1991年、ソビエト社会主義連邦共和国の崩壊がある。時代は動いたのだ。

 さて新見に出てガソリン給油してこよう。見保と読んだ本「うまいことやる習慣」に時代状況は自分ではどうにもならないが「一隅を照らす」生き方もある。と書いてある。「一隅を照らす」とはどういうことか。考えてみよう。

 10時。排便あり。すっきりした。昨晩の葛根湯が便秘に効いたのかもしれない。

 軽トラに乗って新見へ。岡石でガソリン給油。「一隅を照らす」人というのはガソリンスタンドで働いているような労働者のことかもしれない。接客商売だから人当たりが全く違う。「名利共に休す」という禅の思想は「一隅を照らす」最澄の思想と重なるのだろう。

 それはガソリンスタンドで働く労働者の姿だったのだ。マルクス主義はこんなところにも生きている。日本の共産党は「セクト反革命日共代々木派」だからマルクスの思想とは無縁だったのだが。日本にはそんな代物しか生まれなかったのだろうが。

 一希のことを考えるのだが健人は「みんなが一希に関心を持ちすぎるのでちょっと放っておいたらどうか」と言った。「ほっとけカラスのカー子」。距離をとっておくことが大事だ。とくにおれは一希を溺愛したから離れることが重要なのだろう。意識的に距離をとることだ。見捨て去っていいのだ。

 10時40分。板藍茶を飲んだ。身体に染みる。

 1994年。ちょうど25年前の春。真壁さんが65歳で亡くなって、森下のじいさんが62歳で亡くなって、そして芝田進午先生とお会いした。芝田進午先生は2001年にガンで亡くなられた。あれからわずか7年ほどの間に亡くなられたのだ。71歳の生涯。

 おれが共産党を離党したのが2000年。作家の山口泉と確執があってひどく精神的に参ってしまった。離党は解放ではなくあらたな苦悩の始まりでもあった。あれから19年経ったのだ。

………

 もう孫たちのことは見放していいのだ。わが子たちも独立したのだ。35歳になったらどの子も完全に見放していい。手放す時期がきたのだ。

 人は「一隅を照らす」存在でしかあり得ないのかもしれない。世間におだてられ、もてはやされていい気になっていると、反対にみじめな境遇に陥っていくのが世の常。世間にもてはやされることを意図的にあえて避ける賢明な生き方がある。一隅に徹する生き方がある。それがもっとも強くてしたたかな生き方なのだろう。立身出世やら偉人伝やサクセスストーリーは聞き飽きた。嘘なのだ。名を残すなどということがいかに真実から遠いことだったか。脚光を浴びたりスポットライトを浴びたりすることが舞台の袖から見たらいかに危うく嘘に満ちたものか。人はそのことを語らないのだ。

 小学生の頃偉人伝ばかり読みふけって自分の人生を夢見たりしていた。あれは大嘘だったのだ。名利は共に休す。ほそぼそと生きていい。「独り立ち」が大切なのだ。

 近代500年の革命時代の企図とはおそらく基本的人権。平等な権利を人に認めるというコモンセンス、当たり前のことを当たり前のこととして認める思想の具現なのだ。そしてそれこそが最も深淵な思想なのだった。人にそれぞれの権勢と利得を認めるということは人に平等な「一隅」を与えるというコモンセンスなのだ。ヨーロッパ思想はもっとも肝心なこの思想をもたらした。単に近代革命という政治現象を追ったのではないのだ。革命はコモンセンスなのだ。単に革命家の事とすることではなく、万人のコモンセンスなのだった。

 してみれば近代人権思想こそが深い洞察と深遠だが当然なる根本思想だった。「ラジカルとは人間のことである」(K.マルクス)。

 人に「一隅を照らす存在」であるための権利を与えよ。それぞれの人間に平等な権勢と利得を認めよ。

 生きるという事実は誰にしても正当(right)な権理(a Right)なのだ。


 だからこそ、政府が社会保障に予算を充てるのは最大の義務だ。

………

 午後3時。昼過ぎに散歩してきた。1.5キロ。農道と水車を一回りしてきた。40分ほど歩いた。空が晴れ上がってきた。
 帰宅して納豆と卵をかけてどんぶりご飯を食べた。お茶。

 ポメラとノートパソコンをリンクしてみたらうまくいった。さっそく自分のブログに自動記述日記をアップロードして公開。私的な日記の公開だ。それでなんにも問題は無い。

 一希が退屈して電話してきた。散歩に出てみろと促しておいた。ほうっておくのがいいのだ。一人遊びができなくては一人前の子どもでは無い。厳しくつっぱねておいたがよい。だがあすは金曜日、野馳に訪れる予定の日なので午後から一希と遊んでもいい。風邪もあすには軽快するはずだ。あかりに板藍茶を持って行ってやろう。

 自動記述を始めるには「解放」が大切だ。心も身体も誰気兼ねなくのびのびと解放すること。まるで大麻中毒の患者のようにぷかぷかとやるのがいいのだ。あの魯迅が書いていた、別に書く必要など無いがどうしても書かねばならないとなれば「気まま」に、と。身も心も解放された状態で表現するのが本当だ。
 ちょうどよいことにおれはブルーズを聞きながら書いている。ブルーズに酔っている。ボードレールも「パリの憂鬱」に書いていたではないか。「今こそ酔うべきのとき。なんに酔おうと読者にまかせる」と。おれはブルーズに酔う。自動記述に酔う。脳の快感神経を刺激して解放するのだ。自動記述を発案したシュールレアリストたちはおそらく書く(描く)ことに酔ったのだ。

 一希が9歳の誕生祝いに「ひまわりの約束」を酔ったように歌った。子どもだって酔っていいのだ。幸せに酔ったってかまわないだろう。一希はもう人生の悲哀を十分知っているのだから。

 おれが自動記述日記にこだわるのは、書いているときに何かの弾みで400枚ほどの作品として「小説」が生まれないか。と思っているのだ。60歳になって、もう子育ても終わったし、死んでいく前に一つの作品を遺せないかと目論んでいるのだ。数学はやろうとしてみたのではあるが才がないのがわかった。最低のところは苦手克服程度にさらってみたので数学に対する執着は無い。生まれつきの才がないのだ。あきらめは大切。それよりは自分自身が「酔う」ことが肝心だ。
 ブルースに酔い、自動記述に酔って老後を送れば、人様に向けてたいした迷惑もなかろう。というものだ。

 血圧が高めなので事務机では無く座机に向かって座ったままポメラに書き込んでいればいいのだ。血圧は生活習慣の一過性だと思っている。いい暇つぶしだ。25年前にはキャノンのワープロを事務机に据えて自動記述日記を書いた。短編小説を途上に一つ仕上げることができた。若い脳の飛躍があったのだ。いまは60歳の衰えのなか。すべてはリハビリとぼけ防止のため。よいおもちゃができたものだ。

 死んでいくとき心残りなことがあるだろうか。見保がいつか語っていたが死んで深く心残りのある人がいるのよ。おれは孫の一希を深く愛したから、今日からは一希と死に別れのための練習の日々だ。そう思って生きていれば良い。一期一会。一期一別離。会った日が最期。別れの日なのだ。それは一希だけではない人生の重要な出会いどれをとっても会った日が一期。別れの日なのだ。人は一人で生き、そしてみなに助けられ依存して生きるものなのだ。一希にしてやれることがあるとすれば「依存」の度を低くして自分で生きられるように導いてやることだ。お互いの依存の度を低く低くして去って行ってやることだ。…。

………

 20時45分。居間で一人テレビニュースを見て休んでいた。今日は「テンノウ」の報道が無かったので落ち着いた。天皇報道と「北朝鮮敵視」報道は表裏一体だからな。しかしまあよくも見え見えの世論誘導をやってくれるものだ。世論誘導に疑問が無いのだから「国民」もバカにされたものだ。権力と大衆の共犯として社会の「現実」はある。

 見保が電話してきた。「もうおれのことはほうっておいてくれていいから」と伝えるとなにかご不満の様子。おれも自分のことは自分でやらなければいけないという意味だったのだが。ポメラを購入したからな出費がひどいのだ。見保は「私が働いている間はいいけどね」とチクリと一言。そうそう、老後の心配ぐらいしておかなきゃな。おれはまったくなるようになるとしか思っていないのだから。見保に頼りっきりだ。ああ、稼ぐということはなんて難しいのだ。
 「詩の書けない詩人」などと気取っているんだからな。若い頃、学習塾を経営して一家の家計をまかなっていたころ、「バカじゃ」と塾に来ている子どもたちからおれはバカにされていた。こちらはいっさい金銭感覚というものが欠落しているんだから。子どもたちからバカにされるのも仕方が無い。稼ぐなんてことからは縁遠いのだ。

 見保に見放されたらおれは釜ヶ崎でホームレスの悲哀を体験せねばならない。一から十まで面倒を見る福祉制度などないのだ。特に医療とか行政とかいうものの「支援」が嘘っぱちなのだ。だまされない方がいい。支援する側も「生活」がかかっているからな。社会を甘く見ないほうがいい。それに見保が言うにおれは贅沢のし放題。まだなんの不満があるの?

 ちっとは妻の苦労を忖度してやらなければ。精神病院にいたころ男の無甲斐性で入院して妻やら兄弟姉妹からつらく叱責されている姿を見た。精神病院にいるのはいいがそれを支える家族はたまったものじゃない。家族に捨てられた患者もいた。家族のいない患者もいた。見保はというとなんの不平もおれに漏らさなかった。2週間ごとに洗濯物を持って見舞いに来てくれた。こんなありがたい妻があろうか。と思った。

 そう思ったのは入院して不自由をしてるときだけ。退院したらすぐに妻のありがたさを忘れてやりたい放題。男ってのはダメな種族なのか。農家の長男でボンボン育ちのおれが悪いのか。
 まあ人それぞれだが、ちっとも「しおらしく」ないおれなのだ。あす野馳で見保に会ったら、肩をマッサージして揉んでやろう。「働く」のは大変なことだからな。

 ということで今日はこれくらいにして、トイレに行ってから、葛根湯を飲んで就寝する。いくら酔うと言ったって、自動記述もブルーズを聞くのもやり過ぎということがあるだろう。神経が疲れてきた。おやすみなさい。

………

 5月10日。あさ8時45分。誰か知らないがモーニングコールをかけてきたやつがいる。自動記述日記をネット上に公開したからな。おれも一部でにらまれている存在。「黒い服の天使」だったらいい加減にしてくれ。

 今日も天気は上々だろう。昨日午後から晴れたから。

 今朝もブルースを聞いている。様々な音楽を聴いてきたけれどブルースが一番いい。メロデイは大切だが音楽は心地よいリズムこそ命。
 今日もなんにも起こらない平凡な一日かな。午後は一希といっしょに遊ぶ予定にしておこう。夕方、野馳で夕食を作ってやろう。あかりが仕事と家事で疲れ切っているのだ。ソフトボールをやって全国大会3位になったりするから身体を壊してしまっているのだ。「疲れた、疲れた」が口癖になっている。スポーツで体力をつけるのならいいが、反対に無理して身体をこわすのがアスリートだそうだ。

 風邪で二晩風呂に入るのをやめたから今晩は風呂に入ろう。風邪はだいぶよくなった。喉の痛みが消えている。

 ポメラとノートパソコンをリンクさせたんだが、さてどのように自動記述を公開するか。「自動記述日記1」を繰り返して更新して、ある程度まとまったら「自動記述日記2」としてあらたに項を立ててアップロードしよう。しばらく読みにくいかもしれない。昨日「いいね」ボタンが1つ。なにか見つめられているような気がして怖い。

 今日は金曜日。ドラえもんがあるかな。録画予約しておかなきゃ。妖怪ウオッチとドラえもんとクレヨンしんちゃんとウルトラマンと名探偵コナンは一希のお気に入り番組だ。

 あすは土曜日。一希はスポーツ少年団で野球。午後「もりっこ」という発達障害児むけの講座がある。土日は餃子とカレーだな。ご飯を炊いておかなきゃ。今日はたいして食べなくていい。プチ断食だ。

 今日の仕事。風呂に入ること。歯磨き、ひげ剃り。

………

 21時。午前中少し散歩した。40分ほど。午後休息していたら一希が電話してきた。3時、軽トラに乗って野馳へ。一希は、学校からちょうど帰ってきた友達と遊んだ。友達がいるから救いになっているようだ。夕食を作る。一希とあかりは6時過ぎに放課後の学校へ行って担任の先生とグラウンドで遊んで帰った。一希が喜んだ。見保が早く帰ってきた。休息。肩をマッサージしてやった。あかりと見保が仕事の話をする。お互い話し相手がいるので気分がほぐれるようだ。8時になったので軽トラに乗って一人帰宅。風呂をわかしたところだ。まだ喉が少し痛む。声がかすれている。今晩風呂から出たら葛根湯を飲んで就寝しよう。

 しばらくブログへのアップロードを控えておこう。すでに読者が何人かできたようだ。読者に向けて書くのと、自分自身に向けて独り言を書くのでまったく意味もやり方も違ってくる。おれは常に自分だけを相手に独り言を書いていたいのだ。そういう基本方針。基本方針を崩さないで自動記述していよう。

 あすは土曜日。一希とあかりはスポ少。昼に家に寄るだろう。風呂を洗って、カレーを作っておくつもりだ。見保は一日仕事だ。夜は一人東城で過ごすのだろう。

 早く風邪を治すことだ。おれはいつも元気だから風邪なんてめずらしい。今回は少しだけダメージだったな。来週は、診療所の内科と新見の精神科へ診察に行く。風邪が治ったら畑の周りの草を草刈り機で刈ろう。母屋に住んでいるばあさんが(母親)草を刈れ、とうるさいのだ。

 そうしていれば一希の学校の運動会が終わり、6月が来る。風邪を治して体調を戻してからのことだ。歳をとって年々身体が衰えていく。今日は見保の肩をマッサージしてやったから満足。ちょっとの罪滅ぼしだ。あかりは元気そうだった。一希もそれなりに充実して成長している。スポーツが好きなのだ。

 ニュースでは地震やら事故やら報じていたが、おれの周りでは他人事だ。あかりが「ジシン? かあさんは自信、自らを信じる自信はいつもあるで」と話していた。そして職場にやって来る女性のトラック運転手の話をした。

 さあ風呂に入って、血圧のことでも考えよう。来週は内科医に診てもらうのだ。

 おやすみ。またあした。

………

 5月11日土曜日、晴天。午後12時20分。

 昨晩風呂に入って、歯磨き、ひげ剃り。風呂から出て精神薬と葛根湯を少し時間をあけて飲んだ。就寝した。しばらく眠れなかったが、いつのまにか眠り込んだ。あさ9時頃、陽子(妹)の声が母屋でしたのでいったん起きて玄関を開ける。それから11時まで二度寝。

 11時に起床。風呂を洗って水を張る。洗濯をしている。カレーを仕込んだ。ご飯は足りるだろう。もうすぐあかりと一希がスポ少の野球の練習が終わって家に寄るはずだ。ブルーズを聞いて休んでいる。今日は喉の痛みが無い。風邪が治ったのだろう。外は晴天でもう夏を感じさせる。あかりと一希は炎天下で野球の練習だ。

 誰も読まない「自動記述日記」を書いて、ひたすらインスピレーションの訪れを待つ。ブログへのアップロードもできるだけ読みづらくしておこう。読まなくていいのだ。何を書いたかわからないようにしておけば世間の反応も気にならない。災いの元だからな。公開しなければなにも問題は起こるはずはないのだが、読めなくしておけば公開しなかったように対処できる。読まなくていいのだ。

 見保が「何の物書きをしているの」と聞いたので、「日記」と答えておいた。普段、見保はそんなことは聞いてはこない。少し気になったのだろう。インターネットは災いの元だからな。
 さてカレーのルーを入れて仕上げだ。ちょうど、BB.Kingの歌が流れてきた。

………

 13時35分。

 あかりと一希が寄って、カレーを食べて出かけて行った。スポ少で遠投をしたら50メートル投げたと一希が開口一番叫んだ。うれしかったのだろう。外はすでに炎天。家の中は比較的涼しい。今日は外に出る気がしない。市民生協注文。ポメラのSDカードをフォーマット。驚くほど記憶容量がある。いくらでも書いて記録できる。本体メモリも大容量だ。

………

 14時45分。
 いい天気だなあ。外に出て見れば楽園のような農村の風景があるだろうが、日差しが強い。家で休んでいるのも良い。精神科医がことさら無理をさせないように導く。以前はまるで高校生の部活のように散歩を毎日5キロしたり、サウナに2時間出たり入ったり、プールで1000メートル泳いだり、風呂上がりに水シャワーを浴びたり、身体を鍛えることばかり考えていたが、強制入院してから精神病院で10ヶ月、ブタのように飼われたんだ。それで体重は増えるし安気になってしまった。医者が無理をさせないようにする。きっと療養施設で青白い顔をした老人が車椅子に乗って長生きするように導きたいのだろう。

 ところがこっちは百姓の子。おれの親父は死ぬまで田畑で働くことに執着した。青白い顔をして施設で長生きするより、身体を鍛えて生き生きとしていたいのだ。まだ気分は20代、30代なのだからな。近所に70歳で、走り込んで長距離の大会に出場することを生きがいにしている人がいる。適度な運動を超えて肉体を酷使しているのだが、当人は生き生きとしている。おれにはそこまでは無理だから、若い日にもどったようにバルザックの小説の研究でもやってみようか。というか、頭脳を働かせるには外出して外で身体を動かして汗をかくのが一番。脳を活性化し思考の飛躍をもたらすにはアウエイ(敵地)での運動が一番いいのだ。なんだか医者とは生きるという根本のイメージが異なっているようだ。いちいち医者の言うことをハイハイと聞く方が悪いのだろうが。医療というものはどうしてそこまで人に介入しようとするのだろう。お節介焼きなのだ。医療業界とはもともとそういう商売なのですか。

 アウエイ(敵地)での運動が一番と書いたが、見保はまた別の見方をする。「じいちゃんはもっと自分を守っていいのよ」身を守れというのだ。おれは無防備に生きすぎたからな。それで分裂病を患うようなことにもなったんだ。見保は楽しむとか喜ぶとかいうことを知っているのだろう。外出することを嫌わない。じっとしてては楽しくないでしょ。

 人間は動物だから「じっとしていなさい!」と言ってもじっとしていないのが人間なのだ。青白い顔をした病人よりも健康色に彩られた若者の方がたくましく生きるに違いない。それは無茶なことをして無防備でいることとは違う感覚なのだろう。見保の言うようにおれは身を守ることを知らなければいけないのかもしれない。でも「身を守る」という感覚がおれにははじめから欠けている。わからないのだ。

 「身を守りなさい」というのは「もうちょっと頭を使いなさい」というぐらいの意味なのだろうか。

 4時20分。日が傾いてきた。西日が窓辺に輝いて美しい。少し涼しくなってきた。来週のことでも考えよう。あすは日曜日、風呂を洗っておけばいい。見保が午後訪れる。あかりや一希はなにか用事があるかもしれない。さて診療所で血圧を診てもらわなければいけない。火曜日は市民生協の品物が届く。水曜日の夜は野馳へ。木曜日は休息。金曜日に精神科の診察が3週間ぶりにある。夜は野馳へ。天気を見て畑の周りの草刈りを考えよう。というか一希の学校の運動会がある。一つの山だ。おそらく18日土曜日は一希の運動会。昨年は天候が荒れて寒い寒い運動会だったが。今年は夏空の運動会になるかもしれない。

 中村恒子の「うまいことやる習慣」という本を見保と読んだ。幸も不幸もチャンスも突然に訪れるものだから細かい計画は立てないこと。と諫めてあった。偶然の縁が人生の妙なのだと。

 「計画経済」なんてものがでたらめなのだ。この世界は偶然が支配者なのだから。フランスの構造主義マルクス主義者だったルイ・アルチュセールも晩年、K.マルクスの哲学は偶然が基本だと主張して、「偶然の哲学」を唱えた。同じ頃おれも偶然と必然のあり方を考えていた。その自分の考察を数式で表したいと思った。

 けれどもおれは予定通り事を進めるのが好きだ。高校生の時、自分の人生を読み切ろうとさえしてみたぐらいだ。日記帳にも毎週の予定を書き込む癖があった。ところが反対に、見保や健人はまったく予定を言わない。いつもいきなりだ。だから周りのものは対応ができない。

 どうでもいいから。来週は診察が二件。週末は一希の運動会。市民生協を注文しているから食料は確保できる。それくらいか。あとは洗濯とか風呂沸かしとか。

………

 21時10分。

 夕方、あかりと一希が「もりっこ」から帰ってきた。夕食。畑にいるばあさん(母親)に向かって一希が「ばあちゃ~ん」と声をかけた。あかりと一希と一緒に川向こうの畑に行ってサヤエンドウを収穫した。他人に預けている我が家の田も田植えが始まった。大型の機械であっという間に苗が植えられていく。一希はばあさんに管理機を運転させてもらったり、田植えの様子を興味深く見つめていた。自分の家の田んぼだという意識が子供心にあるのだろう。
 一希が川に向けて石を遠投した。あかりが道路に届かないようにと注意した。ばあさんは今日、陽子(妹)と一緒に山陰の鳥取花回廊に行ったらしい。途中、知り合いの家に寄ったらしい。30年ぶりの再会だった。

 あかりと一希は「名探偵コナン」の録画を見てから野馳にかえって行った。今晩は見保と風呂に入るのだと一希が言った。見保が野馳から電話してきたがなにも変わったことは無い。
 21時30分。精神薬を飲む。

 それにしても一希が向こう岸の畑のばあさんに向かって「ひいばあちゃ~ん!」と声をかけたのは何年ぶりのことだろう。二歳のころ、かわいらしい一希が同じように畑に向かって「ひいばあちゃ~ん」と声をかけて駆け寄っていった。あの幸福の絶頂のような日々。あれから時は流れたが、我が家はまだそれなりに幸福なのだろう。
 それじゃまたあした。おやすみなさい。

 ………

 5月12日、日曜日。

 見保、あかり、一希とお話をした。いろいろ話したんだが、一日休息して何事もなし。陽子(看護婦の妹)が母屋に来て調子張っているので「他人のことに介入するな!」と怒鳴って追い返してやった。おれは父親だとか母親だとか妹だとか、自分の身内が腹の底から大っ嫌いだ。虫唾が走る。切れるものなら縁を断絶したいくらいなのだ。すでに父親は亡くなったが。
 塗装屋のお兄ちゃんがやってきて楽しい話をして帰った。ばあさん(母親)と小屋の屋根の修理の商談が成立したようだ。

 あすは月曜日。休息しているつもりだ。今日はポメラに近づかなかった、日々の細々としたことを書いておれの身辺を世間に報告する必要も義務も義理も無いからな。書きたいときに書きたいことを書けばいいだけのことだ。世間に報告する義務もないし隠す必要も無い。今日は思考の進展が無かったというだけ。

 健人(長男)が「ぼっつら ぼっつら やりたいことから」と警句を書いてくれた。「ぼっつら ぼっつら」やればいいさ。人はそんなに器用には動けないものだ、とお金の神様、邱永漢という人がネットに書いていたのを読んだことがある。ぼっつら ぼっつら というのは、あわてない、焦らない、ということでもあるのだが、そのリズムを保つのは難しいことでもある。

 おやすみなさい。

 ………

 5月13日。月曜日。晴天。12時45分。

 今日も五月晴れだ。涼風が気持ちよい。今朝は10時起床。

 読書。

「高血圧はほっとくのが一番」松本光正著。講談社α新書。2時間で読み上げた。読みやすく、ほっとさせてくれる良書だ。最終行の結論は、

 「血圧のことは、きれいさっぱり忘れてください。そうすれば、身も心も健康になれます」

 ばあさん(母親)が話しに来た。ぺらぺら一人で近況を話していた。年寄りは話し相手が必要なのだ。いつもは炎天下、川向こうの畑に張り付いている。畑作業がストレスの解消になるのだろう。

 今日も思考の進展は無いな。ブルーズは聞いていない。しばらく静かに休んでいよう。つまりのんびり「へいわ」なのだ。

………

 21時45分。

 午後いきなり一希と見保が訪れた。一希は新見の新生塾に行っていたようだ。見保が送り迎えしている。見保はしばらく休んでいたが、トーストを一枚食べて職場に向かった。

 一希と休息。畑に行って、ばあさんの手伝いをした。土手の草を草刈り機で刈った。40分ほどだ。少し汗をかいた。一希と帰宅。休息。

 夕方、一希と散歩に出た。小学校の裏を通って、寺の門を抜けて、馬を飼っているところに行って見たが馬は一頭もいなかった。番犬が一匹いた。

 一希と3キロほど歩いた。一希は疲れを見せなかった。意外とタフだ。帰りに小学校の学童保育の場と市営住宅の友達のところをのぞいてみた。

 帰宅。しばらくしてあかりが一希を迎えに寄った。一希は癇癪を起こしてあかりに、はやく野馳の住宅に帰ろうと叫んだ。すぐに帰って行った。

 一人休息。8時30分、見保に電話。見保は仕事から帰って野馳の住宅にいた。あかりと一希は落ち着いて二人で遊んでいたようだ。

 風呂に入る。38度のぬるま湯。歯磨き。ゆっくり風呂につかっていた。

 風呂から出ると便意をもよおした。排便あり。すっきり。排便は健康のバロメーターだ。

 あすは火曜日。何も予定はない。あすは14日だな。もう5月も半分過ぎ去った。あかりと一希が米子までドライブして小児脳神経科の診察を受けに行く。アリピプラゾール1.5ミリをもらって帰るのだ。あかりは医者を信頼しているようだ。良いアドバイスをしてくれるらしい。

 今日も一希は帰り際に軽い癇癪を起こしていたが、あれはたまったストレスの一種の発散のようだ。感覚が鋭敏で普通よりストレスを強く感じるらしい。土曜日がスポ少、もりっこで、日曜日は住宅の掃除、今日新生塾に行ったからちょっと頑張りすぎたのだろう。

 ばあさんが今日話しに来てストレスを発散して帰ったが、話は他人の家と比べて他人がうらやましいという話だ。母親のそういうところが大っ嫌いだと見保に話すと。見保はあなたにもそういうところがあるから腹がたつんじゃない? わたしなんかおばあさんがいくら話したって平気よ。妬みの感情は原始社会では無かったと思うわ。のちの社会に生まれた感情よ。

 見保はたしかに嫌らしい感情はいっさい持たない女だ。おまえのような心境になるには修行が必要だ。と言ったら、ちゃんと修行しなさい。と見保は答えた。

 そういえば、一希が時折起こす激しい癇癪は原始の匂いがする。感覚も鋭敏でまるで原始人か野生の感覚だ。一希のことを疳の虫だとおれは言ったりするのだが、たしかにマグマのようにうちに秘めた原初のエネルギーを感じさせる。平常は自分でそのエネルギーを必死でセーブしているのだろう。そのためのストレスが時々激しい癇癪となって吹き出す。

 一希は野生人のように、衰退する現代社会を相手に生きていくのだろう。学校などという人間の虚飾の捏造物にははじめからそぐわないのだ。実際、学校なんて現代の強制収容施設とかわらない。精神病院や刑務所と同じことだ。

 ということでこのくらいに。おやすみなさい。…。

………

 5月14日。火曜日。あさ6時。

 昨晩11時頃就寝したが寝付けなくて0時過ぎまで布団の中でゴロゴロしていた。0時過ぎていつの間にか寝入った。夢を見て眠り込んでいたようだ。今朝5時30分。いつのまにか目覚めた。気分は良い。昨晩排便があったからな。カーテンを開けて換気。ブルースを聴いている。パソコンをチェック。ブログアクセス解析とフェイスブック。

 今日は火曜日。午後、注文した生協の品物が届く。食料が手に入る。夕方、あかりと一希が病院から帰って寄るだろう。一緒に夕食をとる。風呂を洗ってわかしておこう。

 おれと孫の一希と現代精神医療とかかわっている。おれは30年の経験。一希は少ない経験だが年齢が幼いから現代の最前線の精神医療だ。

 精神医療に対する対抗勢力が活発に活動している。それはなんかカルトくさいのだ。おれが若い日に共産党政治カルトに血道を上げたのと相似形だ。

 精神医療だけが問題なのでは無く、現代医療制度ひいては現代の社会全体を問わなくては、それは当事者が一部門だけにかかずらっている現代社会から疎外されたただの”変人商売”でしかない。反精神医療運動業界の自営商売屋ぐらいのものだろう。革命家が一つの商売、革命業界の自営業に過ぎないのと同じだ。ファン・ルルフォの「燃える平原」(岩波文庫)という短篇小説でも読んでみればいい。そこには運動屋とか革命家というのがただの身過ぎ世過ぎのことでしかないのが原型的に描かれている。

 不登校という現象もすでに大量現象でその界隈はすでに業界化した商売の成立する領域だ。むかしから個別課題の社会運動屋は存在した。個別課題から現代社会の根底を問わなくては嘘なのだ。特殊日本という悪社会の根源を問わないから、政治的に右翼的な人物や「天皇陛下」を賛美する、「反精神医療」や「不登校業界に寄生する運動屋」が跋扈するのだ。その底には常に人の「利害」への衝動が見え隠れする。つまり世過ぎ身過ぎのレベルの問題に解消してしまう。資本主義という人類社会の根底を問わないからだ。日本というきわめていびつな国の現実の中で成立した制度的なその業界で、身過ぎをしたいだけなのだ。それはむかしから革命家業界にも普遍的に見られた周知の経験だ。そんなものをおれは信用しない。「反なになに」という業界に寄生するただの偽善家か詐欺師と同じだと思う。現代社会はそれほどに戯画的なのだ。「詩人」とか「作家」とかの業界ギルドが古くから成立していたのと同じ事だ。業界屋詐欺師。

 まあどうせ「人間」という「サル」のすることだからおれは関知しない。利にさとい人たちはおれなんかよりとっくに先に見抜いていることだからな。

………

 5月15日。水曜日。午前11時。

 昨日は、散歩1時間少々。村の人に数人出会った。休息。排便あり。生協の品物が届いた。夕方、あかりと一希が寄ったがすぐに野馳に帰って行った。ばあさん(母親)が母屋からまた雑談に来た。この大っ嫌いな母親を介護する日が近いな。と思った。荷は長男であるおれが背負って母親の介護をしなければならないのだろう。と、気分が重くなった。大っ嫌いなのだ。虫唾が走る。このババアの下(しも)の世話をするのか。…。いや、それも良かろう。最大の悪意から言えば、大嫌いな母親の介護をすれば、いい小説のネタになるだろう。

 風呂に入って就寝。夜中まで寝付かれなかったがいつの間にか眠り込む。

 今朝、10時30分起床。頭がすっきりしている。バナナ一本、コーヒー牛乳。

 今日も晴天だ。ネットに公開している自動記述日記をほとんど誰も読んでいないようだ。このまま独り言に徹すればいい。誰も読めないようにできるかぎり読みづらくしてアップロードしておく。おれに用のある者などいないのだ。人は無関心に通り過ぎていく。

 今日は休息。夕方、野馳のあかりのところへ行く。夜9時に帰って来る予定。居場所を変えると気晴らしになる。一希にも見保にもあかりにも会える。ぼっつら ぼっつら …。

 診療所へ行って血圧を診てもらうのは当分の間すっぽかすことにした。ばかばかしい。緊急性が無いし切迫しているわけでも無い。気晴らしに医者に診てもらうというだけのことだ。へたに医療システムに近づかないほうがいい。

 あすは休息。あさって精神科へ診療。ついでに買い物をして帰る。夜、野馳住宅へ。土曜日は一希の学校の運動会。日曜日は休息。来週、再来週は特別の予定は無い。6月も7月も特別のことはない。8月に盆休みがある。健人(長男)や猛志(次男)が家族をつれて帰省する。
 
 つまり一年中、特別なことはなにもないのだ。仕事がないのだがらそいうものだろう。これが老後というものか。ポメラの寿命が5年ほどとして、その5年の間に書きまくってその中で、一篇の小説を生み出すことができれば、おれの人生はいつ閉じてもいいということになる。65歳までに一篇の小説を書ければいいが。本当はその書きたいという深い衝動もないのだ。もう人生にたいしてやる気が無いのだ。やりたいことはおおかたやりつくしたんだ。この歳でやる気に満ちているというのもどうかしているからな。大方のことは経験した。たいしてろくでもない人生だ。

 21時50分。

 3時から野馳の住宅へ。一希は午前中、工作をして遊んだらしい。阿修羅豪炎丸という妖怪ウオッチに出でてくる剣と、スマホの模型を段ボールで作っていた。一希は外で友達と遊んだ。おれは部屋で一人のんびりとテレビを見て過ごした。夕食を用意した。

 あかりと一希、見保と夕食、団らん。学校の先生が玄関ドアに訪れた。連絡だろう。見保は眠ることはできるが3時に目が覚めて日中がつらいと言って、横になっていた。少し肩のマッサージをしてやった。軽トラに乗ってひとり帰宅。休息。パソコンチェック。ブルーズを聞く。精神薬を飲む。あすは一日休息だ。今日は散歩に出なかった。そのかわり野馳に行ったので良かった。ポメラとパソコンから離れることが大切だ。居場所を時々移動するというのは重要な精神安定効果をもたらす。あかりと一希と見保との団らんも心を落ち着かせてくれる。

 それじゃ風呂に入って就寝だ。おやすみ。

………

 5月16日木曜日。

 22時30分。

 今日は午前中ばあさんと直売所へ。タマネギを少し出荷。帰宅休息。裏山を散歩。

 午後一希と見保が訪れた。一希が不登校の子たちが集まる新生塾に行ったのだ。見保は職場へもどった。一希を野馳まで送る。帰宅休息。テレビニュースをチェック。一人で夕食。夜、見保が野馳から電話してきた。

 風呂に入って、歯磨き、ひげ剃り。休息。

 アントニオ・グラムシというイタリア共産党の創設者の一人は特異なマルクス主義の理論家、実践家だったが、「具体的」ということを好んだ。表現が具体的ならば読む者はイメージしやすいだろう。だが、この自動記述日記の最終目的は、書いている途上でふと「小説を生み出す」ためにある。具体的なおれの生活の身辺雑事の記録を書いてどうなるというのか?小説を生み出す力はおそらく想像力にある。小説というのは想像の産物なのだろうから。具体的なおれの身辺雑事を書いて想像力を枯らすのは逆効果ではないか。

 具体的なおれの身辺雑事を書くのはやめておいた方がいい。想像力を消耗させるだけだ。と反省している。

 それと、まわりの反応や反響をまったく期待しないことが大切だ。おれが小説を書き上げたいと思うのは、作品を世間の目ににさらすことに目的があるのではない。その目的はおれの作品をタイムカプセルのように、歴史の中に埋め込んでおくためだ。原子力発電所から排出される高レベル放射性廃棄物を地下深くに埋め込んで、何億年も死蔵するように。歴史の堆積物の中におれの作品を紛れ込ませて埋め込んでおくのだ。そういう一つのいたずらをやっておきたいと夢想している。

 だから、おれの書いたものへの他人の反響や反応はいっさい当てにしないほうがいい。この自動記述日記もやり方を変えた方がいい。と、思っている。身辺雑事の記録をストップしたいと思うのだ。想像力を枯渇させることになるからな。

 まあいいや。すきなようにやるさ。あすは精神科へ。夜は野馳住宅。あかり、一希、見保と夕食。今日夕方テレビでニュースをチェックしたが、世の中のでたらめはどんどんと深く進行して歯止めが無いようだ。次世代の人たちはこのむちゃくちゃの中でどう生きるんだろう。答えはわかっている。みんなけだもののように生きるのだ。

 あすは「生き霊」とか「死霊」とかその「たたり」とかについて考えて一日過ごしたいと思っている。

 おやすみなさい。

………

 5月17日金曜日。夜22時35分。

 「生き霊」とか「死霊」とか「たたり」とか、考えるものではないだろう。感じるものだ。今日も、いやいつものことおれは、生き霊。、死霊、たたりを感じていた。今日特にそういったものについて考えたわけではない。いつものように感じていたのだ。

 おれの場合、生き霊とはつまり実の母親のことであり、妹の陽子のことであり、病院へ入院している隣家の義理の叔父のことだ。あるいはそれは村の隣人のことでもある。それらの生き霊はたたるのだ。死霊とはつまり死んだ父親の霊のことだ。これも守護霊ではまったくなくて、激しくたたる。また土地にまつわる地霊も感じる。それは人に言わせれば故郷だとか郷土とかふるさとだとかになるのだが、おれはこの地の地霊におびえている。

 つまりおれはつねにこれらの霊を感じ、これらの霊を相手に闘っている。たたりを払おうとしている。人に霊を感じる。誰かが口先で何を語ろうが単にそれは現象であって、現象に関わりなくそれらの現象の奥に霊を感じる。だから例えば人が降圧剤は危険だとか、精神薬は危険だとか語っても、おれにとってはそれはどうでも良くて、ただの現象の問題であってその奥の霊的存在のことだけが、おれにとって本質なのだ。

 存在に霊を感じるのは、おれが唯物論者だとか科学信奉者だとか、マルクス主義者だったとか共産党員だったとかあらゆる思想上のこととは関係が無い。幼くものごころついたころから、おれは存在に霊を感じていた。おれの命そのものが物や人の霊と共鳴しながらあったのだ。それは特殊な能力でも無い。ただなにかに敏感に反応した。それだけのこと。

 それは動物的な感覚だ。犬でもサルでもオオカミでもいい。あるいはカブトムシでも蝶でも芋虫でもいい。なんでもいい。それらの生き物にはある感覚が備わっている。超感覚が備わっているのだ。

 だからおれは、孫の一希にはある種の原始的なエネルギーを感じる。不登校はそういった感覚からくるただの現象としておれには見えるのだ。今日も孫の一希と野馳の周りを30分ほど散歩した。むろんいろいろな話題を語った。そうして仲良く話しながら一希と散歩していても、傍らの一希になにか重い存在感。霊を感じるのだ。おそらく一希だけでは無い。子どもであれ誰であれ、誰でも、人にたいして超感覚的な存在感を敏感に感じているだろう。人間とはそういう生き物なのだと思う。

 おれがよくブルーズを聞いてるのも、お祓い、のつもりでブルーズを聞いている。黒人たちの深い受難の魂がそこにある。以前はバッハなどのバロック音楽や古楽をよく聞いていた。

 一希が「恐竜は1億年以上繁栄したから、生き物は1億年以上、種を持続する」と散歩の途上で語った。少年らしい思考に一種のうらやみを感じながら、おれは、人類はたかだか数百万年の途上だが、今後何億年も生存するだろうかと危惧した。そして一希のような子に出会い、一緒に散歩しながら生命の進化について語ったりすることが、どんな偶然の妙で起こったのか。そしてその確率はおそらく天文学的な数を分母に持つ確率に相当する「奇跡」、あり得ないような偶然の妙なのだろうと思った。

 おやすみなさい。

………

 5月18日土曜日。夜、20時10分。

 今日は一希の学校の運動会。一希は私服で運動会の会場に。運動場の隅の方でみんなの演技を遠目に観ながら、一希はデジカメで演技する人たちの写真を撮っていた。3時には帰宅。休息。あかりに見保の風邪が感染して少し熱を出した。おれは一日運動会に付き合って、帰宅。休息。

 あすは日曜日。午後、一希と見保が一緒に訪れるだろう。一日休息だ。あかりは一人野馳で熱を出して休んでいるだろう。

 今日はネタが無い。なんにも書くことが無い。夜になって健人(長男)に電話したが、健人は人の気配を感じ取ればそれで十分なのだろう。語ることを好まない。健人はフェルデンスクライスメソッドという西洋整体のようなものの施術を学んで、時折身体に触って診てくれたりするのだが、とくべつ医療的なことは語らない。ただおれのように「霊気」の流れを感じ取っているようだ。人を見る着眼点が「整体師」的なのだ。

 以前、桜井竜生という人の書いた「カラダにいいことをやめてみる」という本を読んで感銘を受けたのだが、優れた漢方医なども「霊気」の流れのようなものを感じ取って患者を診ているのだろうと思った。

 霊などと大それたことを語って、どうなるというわけでは無い。しかもそれは反科学的ないかがわしい概念だろう。人はどうであれおれの場合に限って言えば、子どもの頃からそういう感覚で生活していたという個別の事実を書いているにすぎない。

 あすは日曜日休息すればいい。「村の運動会」などというものはとうの昔に消えた。運動会など参加しようがしまいがただの学業の手続きぐらいのものだ。昔の村のように熱をあげてお祭り騒ぎする人はいない。一希が会場に足を運んだのでおれもあかりも見保もほっとしただけだ。

 今日初めて軽い血圧の薬を飲んだ。少しナイーブになっていたが、帰宅して無糖のアイスコーヒーのパックを飲んで、排便があり、軽い散歩をしてから風呂に入った。いつもの自分であるのを感じたので、処方された薬を飲んだからと言ってどういうことはない。霊的存在のレベルはそんなことには関係なく存在していると思った。肝心なのはすべて、「星の巡り合わせ」だ。

 おやすみなさい。

………

 5月19日日曜日。夜22時15分。

 今日はなんだか疲れたなあ。あさ5時に起きて、パソコンをチェック。ブルーズを聞いていた。9時、居間のこたつで仮眠。11時、風呂洗い、カレーを少し作る。休息していたら、12時にあかりと見保と一希が寄る。あかりが熱を出して病院へ行ってきたらしい。ただの風邪だが熱がある。見保が車を運転して送迎したらしい。

 あかりはしばらく居間のこたつで寝た。一希と見保と二階の子ども部屋で遊んだ。紙のボールとバットで野球の特訓。一希が喜んだ。しばらくして、一希がぐずったので三人そろって野馳へ帰って行った。

 それから一人になったので散歩に出る。1時間10分。3.5キロぐらい歩いた。村の人に出会った。帰宅休息。テレビニュースのチェック。

 ゴミ出しをしてそれで一日終わった。風呂に入ったが、風呂上がり疲れを感じる。昨日の運動会から少し神経が緊張している。まさか血圧の薬の作用では無いだろう。一日の疲れを感じて就寝するくらいがいい。

 あすは、ばあさんを新見に送る。村の人の葬儀に参列するのだ。おれは自立支援の公費負担の申請。帰宅して休息。午後、一希と見保が、不登校生の集まる新生塾から帰ってきて寄るだろう。

 風呂に入っていてのぼせたのだろうか。風呂上がりに、「一希よ、学校など行くな!」と強く思った。この社会システム全体が狂っているのだ。社会のインチキ制度に加担するな。と一希の心に呼びかけた。

 おやすみなさい。またあした。

………

 5月21日火曜日。夜、20時。

 (メモ。)昨日月曜日午前、ばあさんを新見の葬祭場へ送る。おれは自立支援公費負担の申請。帰宅。休息。午後雨が降る。一希は新生塾から野馳へ直接帰った。見保が送迎。あかりは熱を出してダウン。見保も疲れを出しているようで体調を崩している。昨日は散歩を1時間10分。夜、風呂に入ってから就寝。よく眠れる。

 今朝9時頃起床。散歩、1時間10分。偶然同級生に会って立ち話。帰宅休息。生協の品物が夕方届いた。テレビニュースをチェック。休息。

 このところポメラとパソコンからなるべく離れている。触らないようにしている。電脳機器は精神状態を悪くする。先日見保に、「人間関係の断捨離だ」と言ったら、見保はパソコンを一番に捨て去るべきと語った。自動記述日記もばかばかしくなってきたんだ。まとめを書いてから、「自動記述日記2」の項目を立てて気分転換したいと思う。

………

 人間はじっとしていなさいと言ってもじっとしてはいない。動物の一種だから動くのは業のようなものだ。「黙りなさい」と叱りつけても、人間は黙っていない。黙らなくていいのだ。母親のお腹にいるときから人間の音声を聴いて、生まれたらしゃべるようにできているのだから。生まれたばかりの赤ちゃんだって、泣いたり、笑ったり、意思表示をしている。

 じっとしていろ、とか、黙れと言われても、じっとしないでしゃべるのが人間だ。それは基本的な権利だから黙らなくていいんだ。たとえファシズム専制権力に脅されたってかまわない。人間はしゃべらずにはいられないのだ。基本的な人間の権勢としてあたりまえのことだ。人間の生命の闘いの基本形態だ。

 自動記述日記で何が言いたかったかと言うと。人間という「サル」は「餌と生殖の相手」、つまり「金銭と女(男)」が欲しいだけの生き物らしいという、ことだ。

 結論を急ごう。

 例えば日本帝国軍に志願していった貧しい日本の農家の次男、三男にとって、軍隊に入ることは手っ取り早く「食い扶持と女」にありつく手段だった。それは中国の八路軍とかソビエトロシアの赤軍に加わった農民にしても似た状況があっただろう。だが日本の帝国軍は朝鮮植民地や中国や東南アジアや太平洋地域への侵略軍だった。八路軍や赤軍は解放軍だった。歴然とその本質は違っている。

 つまり、人間が「金と女」が欲しいだけの生き物だとしても、そうだからこそ例えば、戦時性奴隷、従軍慰安婦のような歴史的事実にたいし日本政府がきちんと謝罪し国家として補償することは、人類の名において何にもまして普遍的基本的な課題だということだ。日韓の2国の関係に収まらない問題なのだ。

 それは維新党の橋下某が語るような俗論とは、人間としての根本思想において次元も尺度もまったく異にしている。

………

 話が飛躍したが以上強引なまとめとして、項を改めて「自動記述日記2」を起こそうと思う。次項では、「政治」とはなにかについて少し考えてみたいと思う。人は「政治」や「人間」について絶望を知らない。人間の基本的あり方として人間は政治的存在だから。そしてそれは人間の基本的形態であり権利だから。だが、おれは「人間」にも「政治」にも希望(のぞみ)を捨てる。彼ら彼女らは人間の理想と希望の最大の信頼において、人生をかけて、政治と人間に本気で向き合い格闘した経験が無いのだ。彼らにとって「政治」はあくまで自己の利益と世渡りのために利用する手段に過ぎない。おれ流に言えば、気が触れるほどに「政治」と格闘した経験が彼らには無い。彼らは第三者であり、人生をかけた挫折と敗北を知らない。彼らは鈍感にも「政治」に「人間」にあくまで絶望しないのだ。……



              (了)

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