再録 見保よ(近づき来る者よりも遠ざかり行く者へ)

2017年01月02日 07時42分22秒 | PoemStation 過去ログ
ちゅうたしげるのPoemStation (最終回)
2007年4月13日(金)


詩  見保よ

--近づき来る者よりも遠ざかり行く者へ--


 本来、おれとおまえの間にもはや言葉など必要ないのだが、

 おれはお前の気持ちがわかっているし
 お前のおれに対する気持ちがどんなに底深いか・・・

 ほんものはつらいよな

 ほんものは、この世界では貧乏クジを引くんだ

 お互いに許しあっているのも、わかってるはずだ
 おれはおまえをゆるすし
 おまえはおれをゆるす

 おれたちゃ、眼差しだけでSEXできるんだからな

 おまえが限界を超えているのはわかる
 おれにしたって、頭はクラクラ、目はフラフラ
 限界に来てるんだ

 お互いどちらが先に死ぬかはわからないが
 片方が亡くなって、苦労しても

 あの世でまた会おうじゃないか

 おれはおまえにサヨナラを言う
 おまえはおれにサヨナラを言った

 おまえはおれを解放したんだ
 おまえの独占と支配下から

 おれはおまえの支配下にあれば
 生きてられると思ったが

 おまえはおれを解き放ちやがった

 おれも、おまえも一人だ

 互いに大きな海の中で忘れてしまおう

 時々、愉しかった日々のことを
 それぞれ思い出せばいい

 サヨナラを言おう

 見保は、自己以外のことなど知らない、と言う
 おれは、もう誰にも会わないし、誰も相手にしない、と言う

 そうさ、この世界ではすべてがウソッパチじゃないか

 だが、この汚れた世界で

 おれとおまえのように
 眼差しだけでSEXできる関係があったということ

 これは消え去りはしない

 お互い自分の道を進もうじゃないか

 こんなHPを作ったりしたために
 おまえとおれは別れることになったんだ

 だがおれは後悔しない

 泣きたい時は泣けばいい

 もしお前がおれより先に逝くなら
 その時おれはおまえを思いっきり笑わせてやりたい

 その反対でも
 おれは堂々と死を迎え撃ってやる

 こうして同じ屋根の下で 二人
 まだいっしょにいられるなんて、奇跡だ
 こんな幸運なことはない

 もう黙っていよう

 お互いによくわかり合っているんだから

 そして人のことは人にまかせよう

 おまえは、死を覚悟するくらいなんでもない女だ

 おれはびくびく怖れながら
 この世界とおさらばしていくだろう

 ああ、愉しかった
 ああ、清清した

 なんだ、やりたい放題やったんだから

 お前もおれも

 眼差しだけでSEXできるんだからな___。





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指針にする言葉……A.グラムシ

2015年12月29日 09時21分16秒 | PoemStation 過去ログ
ちゅうたしげるのPoemStation 2005年10月14日(金)

私が大学5年生(22歳)の時出会った言葉
アントニオ・グラムシ獄中からの手紙

********

 「こういうことをどうしてきみに書いたのだろうか? 私がこれまでにすでに恐ろしい条件のなかで生きてきて、しかもそれによって絶望しなかったことをわかってもらうためです。これらの経験は私の性格を堅固にしました。私が確信しているのは、万事休するかそう思われるかするときでも、落ち着いてふたたび仕事に着手し、始めからやりなおさなければならない、ということです。私が確信しているのは、いつも自分自身と自分の力だけを当てにしなければならず、だれからもなにも期待しないようにし、したがって失望を招かないようにしなければならない、ということです。なしうる能力と条件のあることだけをしようとし、自分の道を行くことが必要である、ということです。私の道徳的地位は大したものです。ある者は私を悪魔のように思い、ある者は私をほとんど聖者のように思っています。私は殉教者のまねも英雄のまねもしたくはありません。私は、ただふつうの人間で、それなりの深い確信をもち、いかなることがあろうと少しもそれを曲げないだけだ、と思っています。

 だから、元気を出して、・・・・。いつも自分を取り巻く環境に打ち勝ち、しかもその環境を軽蔑したり、優越感をもったりしないことです。理解し推論することです。小娘のようにめそめそしないことです!わかってくれたかしら?・・・」

 (「グラムシ獄中からの手紙 愛よ知よ永遠なれ1」大久保昭男・坂井信義訳、大月書店、P140,141)

*********

 A・グラムシはイタリア共産党創立者の中心人物。国会議員になりファシスト ムッソリーニと渡り合った理論家、政治家。イタリアファシズムと果敢に戦った。わたしが22歳の時卒論を書きながら出会った言葉。教員採用試験を不合格になり行く末に暗澹としていたころ励まされた。それからもつらい経験をするたびに読み返してきた。

 この言葉を若い人たちに贈ろう。

 グラムシは当時監獄に囚われていた。生来身体に障害を持ち、囚われてから過酷な日々の中で「まもなく死ぬにちがいない、という考えに馴れっこになった」と死を覚悟していた。病気で病院に解放されたが、46歳でこの世を去った。

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人が関わるとはどういうことか

2015年10月24日 16時36分17秒 | PoemStation 過去ログ


人間の関係はどこまで行ってもついに「殺し合い」である。
どこかのいつかのタイミングで殺し殺される。人間が関わるとはそういうことだったのだ。



2005年10月11日(火)

囲碁から学んだこと  
敵の石を直接取りに(殺しに)行ってはいけない。


 人間と人間の関係が殺し合いであることについては、何度かに分けて語ろう。

 きょうは囲碁から学んだこと。

 囲碁の勝敗は、敵の取った陣地(地)と自分の取った地を最後に終局後数えて、半目でも多かったほうが勝ち。圧倒的に勝つ必要はない。半目でいいのだ。そうなんだけれどその過程は、序盤から中盤、終盤のヨセまで敵の石と石のせめぎあい。戦い。殺し合い。と言ってよい。

 しかし、直接敵の石を殺しに行くのは碁を知らない人がやることで、本当に強い人はそんなことはやらない。むやみと欲張って殺しに行くのは、自らの身が危険にさらされる。
 本当に強い人というのは腕力が強いということではないのだ。むしろ敵の石をうまく生かせておく(泳がせておく)。

 敵が生きれば、自分の身も生きる。敵に地ができれば、自分のほうにも自然に地が生じるのだ。敵が生きると言うことは同時に自分の側にも活路が生じる。

 本当に強い人は「奇手」などに凝らない。合理的で正当な(理にかなった)手を重ねることに神経を集中する。
 理にかなった手を打っていれば、無理を行った側が矛盾をきたして「自然に死んでくれていた」というのが理想なのだ。

 石を取ることはできるだけ避けるべきだ。場合によっては石を取ることによって後手をひくことのほうが全局的には恐ろしい。欲しければどうそどうぞと敵がやむなく不要な石を取らざるを得ないようにもって行くほうが賢い。

 コイズミのように「刺客」を放って殺しに行く者もいるだろうが、それはそういう条件が現実に整っていたからできるのであって、むしろ「政治」の世界の権力闘争は、敵をうまく生かせておくのが普通にやられていることだろうと思う。暗殺という例外はあるのだが、しかし。
 敵をうまく生かせて論理を追求していくうちに自然の成り行きの結果、敵が失脚していた。というのが政治の世界の常道。殺し合いの極意なのだ。だって直接殺しに行ったら、裏の裏まで悪の世界にどっぷり浸かっている自分の身が危うい。
 権力の中にいるということは清廉潔白なんてないのだ。みんな多少の傷を持っている。現世は悪で出来上がっているのだ。

 「アフガニスタンにくらべたら、日本はよほど良い」とコイズミは言ったが、われわれはうまく飼われて、ただ生かされているだけかもしれない。



2005年10月12日(水)

・・・・根底から誤っている世界の中で・・・・
人間の関係 



 「・・・『政治』は『人間』の外在的客体としてあるものでなどない。だからより厳密にいうなら、それはまず第一に、およそこの地上において、『人間』に関わることで『政治』的でないことなど、ただの一つもないからだ。
 あの公園のベンチで杖に額をあずけている老人も、湿ったおむつにむずかる赤ん坊も、彼の逡巡も彼女の焦慮も、あなたの怯懦も私の憎悪も、すべては政治的存在であり、『政治』の現象である。」
 (山口泉「宮澤賢治伝説」河出書房新社、P280)

 「現状の世界ではなお、すべての人びとが本来そうであるように、人は誰かの『敵』であらざるを得ない。」
 (同上、P348)

********

 「人間の関係が殺し合い」であることは、囲碁のアナロジーだけではない。経験上いろいろ見てきた。

 ながいことパチンコ業界の隅に関わって細々と生きていた。そこで「殺し合い」を見た。従業員が上司にこっぴどく痛めつけられている姿も見た。おなじ事務所の人がひどく対立していたのを見た。仕事のストレスで、心臓発作を起こして片方が亡くなった。職場の人間関係に「殺されたのだ」。
 企業の競争も、殺し合いのようなものだ。食うか食われるか。

 共産党の組織の内部にいたが、ずっとわたしは敵をかかえこんで「殺し合い」をやっていたような気がする。人間が集合する「組織」なんてものは特に危ない。人と人が接近するからだ。

 「田舎選挙」を知っている人は、「人と人の関係が殺し合い」だということに納得するはずだ。

 囲碁ではなるべく石と石を距離をとって打つのが常道だ。石がぴったりりくっつくと激しい戦いになる。とても危険な状態だ。石と石をくっつけるのは守りも攻めもぎりぎりの意味がある。戦いはどうしても避けられない。お互いゆずれない局面がどうしても生じる。人と人が接近したら特に気をつけなければならない。

 小渕首相が当時の自由党党首小沢一郎と会談中体調が変異して脳梗塞で急死したが、あれも「政治」に殺られたのだ。

 前にモルヒネを末期患者に使うのは鎮痛ではなく「合法的」に安楽死させることに使うと書いたが、家族、肉親こそが、身内を殺すのだ。

 「恋愛」なんてものも危ない。ストラグル(闘争)のない恋愛なんてあるだろうか。

 山口泉さんが上記で「政治」「敵」という言葉をどういう意味で言っているかはよくわからないが、わたしは政治とは必然的に権力闘争だと思っている。

 ホームページを開設するのも、見るのも、掲示板に書き込むのも「権力」の行使だ。人がしゃべったり、書いたり、日常の会話も権力権威の行使であり「戦い」だ。

 現実世界は「平等」なる理想の世界などではなく元々から根底的に誤った世界であり、そのなかで人と関わりながらわたしたちは生きている。人と人の関係は本来あるべきものから疎外された関係、物象化された非人間的な関係にすぎない。この世界は救われようのない世界なのかもしれない。


 そののち、ストラグルのなかで「人が『協力』する」ということについても書くつもりです。

 それじゃ、またあした。



2005年10月15日(土)

私が大学5年生(22歳)のとき出会った言葉 Ⅱ
「水に落ちた犬を大いに打つべし」(魯迅)



 「水に落ちた犬を打つなと言った林語堂は、ものわかりのよい文化人であったにちがいないが、水に落ちた犬を打てと言った魯迅は、頑固なわからずやであったかも知れない。しかし、新中国の精神的指導者となったのは林語堂ではなく魯迅であった。彼の中にあった排中律は敵と味方を鋭く見分け、敵と妥協しないことを教えたのである。」
 (「文化としての数学」遠山啓、大月国民文庫、P84)

 (「魯迅評論集」竹内 好編訳、岩波文庫、P74 『フェアプレイ』はまだ早い  が手に入りやすいので参照されたい)

 べつにわたしが解説をくわえるまでもなく、読んでのとおり。若いわたしは、この言葉がひどく気に入った。魯迅は、「要するに、前に述べたように、相手を見きわめる必要があるのだ。のみならず、区別をつける必要があるのだ。『フェア』は相手次第で施す。どうして水におちたにしろ、相手が人ならば助けるし、犬ならば放っておくし、悪い犬ならば打つ。」とも書く。

 深追いはけっしてしてはならない。しかし囲碁でもまず、相手を見きわめなければならない。弱い碁打ちほど『フェア』ではない。容赦なくやらなければならない。殺し合いなのだ。

 わたしのほんとうの敵はどこにいるのか。

 「そのとおり、敵と味方の区別は曖昧になっている。それは、強大な側が意図的にその境を曖昧にしているという以上に、本来、必死の力をもって抵抗しなければならない側こそが、自らとっくの昔に精神的に破産してしまっているせいだ。・・・」(山口泉「宮澤賢治伝説」河出書房新社、P348)



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自明の信頼と清潔な無関心

2014年11月09日 06時06分44秒 | PoemStation 過去ログ
ちゅうたしげるの
PoemStation
2006年11月3日(金)




・・・・「ノート 水鳥のいる公園」・・・・

・・・互いに相手の存在を知覚しながら、
しかも支配することもされることもない、
傷つけることも傷つけられることも、
脅やかすことも脅やかされることもない、
自明の信頼と清潔な無関心とに支えられた、
他の生命と自分との理想的な関係というもののありようが、
眼に見える距離と運動、さらに空気のなかの
さまざまなディティールをもって確かめられる・・・

水鳥のいる公園-----
それは、この世でもっとも静まりかえった場所である。

(山口泉『星屑のオペラ』P89、1985年)





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 死を自覚する(認識論と死)

2014年10月24日 18時19分12秒 | PoemStation 過去ログ
ちゅうたしげるのPoemStation
2005年11月23日(水)

小論 思うのは勝手(認識論と死)


----外的原因は(外的作用に依存して形成されつつあるところの)
内的諸条件をとおして作用する。
(エス・エリ・ルビンシュテイン「存在と意識」青木書店)


 わたしは凡暗(ぼんくら)だからまともに勉強しなかった。本気で学問をしていたのは小学校の3年から6年生まで、それから「マルクス主義」と出会って19歳から30歳で発病するまでの10年間だけ。中学校と高校では授業中も帰宅してもうわの空でまともに勉強しなかったから成績もかんばしくなかった。

 わたしは学生時代に教育学部だったのでマルクス主義の「集団主義教育」だとか「人格」の「発達」(?)論だとかやっていたのだ。人間はそれぞれの個人や集団が法則的に「発達」してそれは社会の進歩、社会変革につながるという命題をつねに抱え込んでいた。(卒論はJ・ピアジェ論)

 個人の発達は人間の意識、認識の生成と発達につながる。わたしはマルクス主義を学びながら、意識論、認識論の考察に没頭した。
 マルクス主義は強固なスターリニズム的外枠を取り外せば個々の考察や事実への認識において今でも有用だと思っている。だからわたしの学んだものは無駄だったとは思わない。

 わたしが至りついた認識論の究極テーゼは

 「思うのは勝って」

 という単純な命題だった。だがこれはわたしの敵に向かってこそ放つ言葉なのだ。

 世界を強権的に支配しているのに「民主主義」だとか「自由」だとかを実現しているのだと思い込んでいる者たち、一度も自らを疑ったことも否定したことも無くただ「自分は正しい」とだけ信じ込んでいる者達に向けて

 「あなたがそう思うのは勝ってだから自分の思いたいように思って、さっさとあの世に行ってまで後生大事に信じ込んでいろ」と。

 「すべての結論を疑う」という学問的態度を知らず。自己の価値観を否定したこともなく自己の意識を毫も疑うことなく。親だとか教師だとか世間だとか「党」だとか、有名人とか、権威だとか、外から与えられた「価値」に埋没して、ただ自分の意識内に自足している者たちに向けて投げ撃つ言葉なのだ。それは埴谷雄高の「自同律の不快」に通じる。

 実際、わたしがHPを開設しようが、それを見ようが見まいが、ぜんぜんそんなことは知るまいが。……。
 わたしが告示三日前に突然議会選挙に思いついて無投票をひっくり返そうが、選挙中に「死を見つめ、時間を見つめよう」などと演説してまわろうが……。人が誰それの候補者の応援をしようが、誰それの候補者に投票しようが投票すまいが、有権者がどの候補者を当選させようが落選させようが、そもそもくだらない選挙など行くまいが、そんなことはその人の責任と選択というにすぎない。

 思考には具体的材料が必要だから「勝手に思う」ことなどできもしないのだが、人はただ他人の言うことやテレビやラジオや新聞やインターネット情報やに直接に影響され(だまされ)たまま「自分は中庸だ、正しい」などと強固に思い込んでいる。

 「思うのはカラスの勝手」ではあるのだけれど、自分の意識とは関わりなく自然も、社会も、他者も、別の論理で動き存在している。そして意識は現実のすべてを認識することなどできない。「思うのは勝手」というテーゼは一片の真実であるが、意識とは離れた実在を前提にしている。自分の都合だけで世の中が出来上がっていないことなど誰でも知っていることだ。思いもよらず成立した現実によってしばしば意識は裏切られる。意識は自己とは関わらない実在から強烈なしっぺがえしを喰らう。どんなに精密な科学を動員しても現実は「思ったようには」いかないのだ。

 だから「意識は誤る」ように出来ている。意識はつねに虚偽意識だと言って良い。間違っているのは自分自身なのだと思うべきだ。

 そして死を前にしてからも人は「勝手に思っている」。死はつねに迫っているのに、人は明日とか数ヶ月先とか何年先とか思っている。無数の死の原因に取り巻かれているのにもかかわらず平然とのんきなのだ。「思うのは勝って」だから。

 「確実な自己の死」を見つめない者の言葉などわたしは相手にしない。死を自覚するとは生を自覚することだ。自覚の無い生は愚かなけだものの生命に過ぎない。

 埴谷雄高は40歳代前半で死にかけている。黒田喜夫は30代で「除名」を前にして死にかけていた。当然ながら死を覚悟していた。ウィトゲンシュタインは戦場の体験があり思考をその後大きく転回する。ハイデッガーも軍隊経験があり「存在と時間」は死を自覚した者の書だ。A・グラムシも監獄で死を自覚していた。原民喜の原爆体験にせよ。ドストエフスキーの死刑判決から「死の家の記録」にせよ。

 三島由紀夫の「自決」行為などは猿芝居だ。自己の死の宣伝利用。大げさな見世物にすぎない。自死する者などありふれているではないか。「自己の確実な死」を見つめた者の行為ではない。自分の死を世間に向けて強引にイデオロギッシュにプロパガンダし、軽薄なヒロイズムに陶酔して自身を手段に貶めた愚劣な行為に過ぎない。極端な右翼思想はしばしば「死を演技」する。

 アウシュヴィッツで抵抗したユダヤ人たち、ファシズムと闘った対独レジスタンスの若者たち、イラクで、パレスチナで抵抗する民衆、日本帝国軍と戦った抗日中国人兵士、抗日朝鮮パルチザン、韓国光州で蜂起した人々、ベトナム独立革命に命を捧げた人々……。名もない多くの人達こそ自己の死に対して勇敢だった。そしてそれは、「靖国の死」に対峙する。

 ファシズムと戦ったそれぞれに生きていたいはずの彼らにとって、その時そこで死を選び取る主体の論理と必然があったのだ。彼らの生はみなともに同じくささやかなものだろうが、その死は真に偉大だ。人間の名において真に闘った彼ら無名の死者に対して世界は生者の独占物ではない。

 わたしの意識がどんな状態にあろうと、楽しかろうが不快であろうが、明るかろうが暗かろうが、夢中だろうが、安楽だろうが苦しかろうが、そんなことにはまったく関わりなく死は在る。死とは言語と意識という現象とは間接的に離れている存在と肉体の滅亡だ。生命の上に浮かんでいる言語と意味の現象に反して、突然に肉体の死が訪れたとしてまったく不思議は無い。一個の「生き物」である以上わたしにとって死はもっとも確実なことだ。死は本来「いまにも訪れる」ものだ。そのことを見つめていたい。

 そこから、「時間」という概念に向かう道が拓ける。生きるとは自己とともにある「時間」という概念をこの身で問うことだ。
 
 ささやかだがわたしは自分に問うていたい。

 「おまえは本当に生きたか、闘ったか? 」

 ………、と。



                     (2007.3.23 加筆訂正)

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愛が無ければ無いほど報いることができる…この世界。

2014年10月11日 19時33分34秒 | PoemStation 過去ログ

ちゅうたしげるの
PoemStation
2006年8月2日(水)


……………

すべて人間は、自分のすることに向くようにできているのに
ちがいない、と彼は思った。どんなふうに生計をたてていようと、
そこにはおまえの才能が存在するのだ。これまでおれは
何かの形でエネルギーを売ってきたのだが、愛情があまり
関与していないときに、かえって、支払われる金に対して、
ずっと多くの価値を報いることができるものだ。
おれは、やっとそのことを発見したのだが、しかし、
いまとなっては、それも書くことはないだろう。
十分書くだけの価値があっても、書かないことにしよう。

(ヘミングウェイ「キリマンジャロの雪」
新潮文庫『ヘミングウェイ短編集(一)』P255)

************************************

  金銭を得るために人は呻吟している。「何かの形でエネルギーを売って」カネを稼いでいる。しかし、その仕事になんらかの執着や愛着を持たなければ持たないほど逆に「支払われる対価」に対して報いることができるものだ。とわたしは上の引用を理解した。なるほど職業的「プロ」とはどんな現場でもそういうものだろう。

 若い頃のわたしは人に善意を尽くしたいと切望した。しかし「愛情を持たなければ持たないほど」反対に人に報いることができるのだ。

  さよう、善意はあだ(仇敵)になる。善意は逆の結果を招く。それほどまでにこの世界は逆立ちした物象化した世界だった。人間関係の練熟した現場では、幸福を強く願えば願うほど、大切に思えば思うほどその対象を愛してはいけないのだ。対象の方から見るその姿勢は必ずしも非情を意味しない。それは厳然として誤ったこの世界における情深さゆえのおたがいの自然で賢明な「配慮」なのだ。

  3年前のこと。長年勤めたアルバイトの職を失って失業に打ちひしがれていたわたしは、ヘミングウエイの言葉が気にかかって、自分に言い聞かせるように何度も何度も上記の引用部分を確認した。

 数日後、ひょんな成り行きでわたしは町議会議員選挙に突然立候補した。無投票確実だった無風選挙を告示3日前に突如ひっくり返したのだ。

 むろん村は騒然とした。


 ******* 地獄への道は善意で敷き詰められている。(ヨーロッパの諺)







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Schizophrenie への道

2014年08月13日 06時42分26秒 | PoemStation 過去ログ

ちゅうたしげるのPoemStation
2006年3月7日(火)
Schizophrenie(分裂病)への道


 昨年(2005年6月7日)に紹介したわたしの結婚パーティー(1983/3/19)http://www1.harenet.ne.jp/~chuta/newpage2417.html

 もちろん実行委員をやってくれた若い友人たちのおかげで、会はなごやかに進んだ。会場を世話してくださった人が、たまたまわたしの親戚の人だった。(その方はすでに亡くなられた。)

 その会場に数人の制服の警官が来て、別の部屋でパーティーのアナウンスを聴いていたのだ。それは会場を世話してくださった人に後日わたしが確かめた。

 「高知から活動家が帰って、集会を開くという情報があったので、来た」と警官は言ったらしい。なるほど、わたしは学生時代からマークされた人間だった。

 問題は、その情報は誰が警察に伝えたのか。高知からの情報かと思ったがその可能性は低いとわたしは考えた。身近に警察と通じた人間がいる。

 ちょうどそのあくる4月。一斉地方選挙があった。そこで選挙告示前に共産党の県議候補夫人と現職市議会議員が公職選挙法違反のフレームアップで逮捕された。80年代はじめ、中曽根内閣が発足し「日本列島不沈空母」発言で世間が騒いだころだ。当時の警視総監が警察も一斉地方選挙に影響を与えることは可能だと訓示して、取締りが強化された。警視庁には大型のコンピューターが導入されたと当時わたしは「文化評論」という雑誌で読んだ。

 結婚パーティーの情報を警察に流した人物は誰か。わたしには思い当たる節があった。昨日の日記帳で書いた「蛇を踏んづけたような不気味な」党専従の活動家。その人物だった。

 わたしは党事務所に出かけた。その人物と一対一で結婚パーティーと警官のことをわざと打ち明けた。その人物はそ知らぬ顔でパーティーに出席していたのだ。

 その反応は、黒だ。とわたしは見た。

 しかしわたしは、相手を強く牽制しただけで、それ以上、ことを追及しなかったのだった。スパイというものは二重でも三重でも可能なのだ。

 スパイ。諜報。情報機関。それは歴史上長い人類の裏面史であり、情報化時代の現在もさらに強化され各国、世界中で暗躍している。

2006年3月8日(水)
Schizophrenie(分裂病)への道
---その瞬間


 アメリカ大統領選挙の時こと。ブッシュがテレビ討論のとき、遠隔の通信機を身体に装着して別の場所からの助言にしたがっていた。という新聞記事が背広の背中が少しふくらんでいる写真とともに報道されたことがある。
 携帯電話で男を誘い出し女性が別の場所からの遠隔の通信機で助言を受けながら、男を篭絡し、そこへ男の彼女が現れて浮気の現場を取り押さえる。というテレビ番組がはやったことがある。
 あの遠隔の通信機は、80年代からその筋(諜報)で使われていたようだ。

 わたしが一瞬にして狂気(妄想)の世界へ飛躍したのは、わたしがこの機器をある場で発想したためだ。

 田舎選挙のことは、別の機会に書くだろうが、わたしの青春の全エネルギーを投じた1987年の妻が当町で史上はじめて共産党の公認候補として出馬した議会選挙は、敗北に終わった。わたしが28歳、妻が27歳。長男が3歳、長女が1歳。次男はまだ生まれていない。

 その選挙でわたしは党の地区指導機関と激しく対立した。あれこれあって、選挙後「自己批判書」を機関に提出するなどという滑稽な落ちがあって、わたしはかろうじて党内に留まった。

 それから町内はあわせて行われた激しい町長選挙のしこりが引き続いて、現職町長が選挙法違反で逮捕されたり、新たに町長選挙が行われてわたしの家の親戚の親父が町長選に立候補して当選。その後、町内で青年たちのめざましい大衆運動が起こったりした。わたしもその渦中にいた。

 党活動の矛盾(指導部との対立)をなんとしても承服しがたいわたしは、活動の打開を図って、共産党中央の訴願委員会に直訴した。一度目は県委員会の代表との話し合いが設定されて、訴願は一度は収束するのだが、なんとしても納得いかないわたしは再度訴願委員長(S氏、半年後に脳腫瘍で亡くなった)に手紙を書いた。

 そこで89年2月、党中央委員会中国四国出張所の責任者H氏がわたしの家に派遣された。(H氏はわたしの高知県在住時代の党県委員長。その後中央訴願委員長を務めた。)

 その会談の時のことだ。。

 対座しているH氏が、例の遠隔通信機を使っているのをわたしは見破った(と思った)のだ。その瞬時にわたしの脳は深く遠く妄想の世界に飲み込まれたのだった。

 妄想が妄想を呼び、あふれでる脳内麻薬で制御できないわたしの脳は疲れも知らずそれから4月まで世紀の芝居を現実のなかに見ていた。

 誰も異常に気づかなかった。3月に訴願委員長のS氏が東京から派遣されわたしは党地区事務所で会った。党中央の常任幹部会は、わたしの訴願を重視し「教訓を引き出せ」ということだったらしい。でも、そのときわたしは妄想と現実と区別のつかない”超人”だったのだ。

 4月に至ってやっと、暴れてでどうにもならなくなったわたしを思案しかねてついに妻は、となりの町の党員医師に相談した。薬を飲まされ、岡山の病院に強制的に連れて行かれた。

 *******

 権力機関だけではなく、どんな政党も「諜報活動」をやっていると、見るのが正確だろう。友人関係のなかでさえ、人間の関係は裏切ったり裏切られたり、子どもの世界でも”諜報”はありうる。

2006年3月9日(木)
Schizophrenie(分裂病)への道
---日本天皇制資本主義人民相互監視村より


 きょうはくもり

 どうやら脳が疲れたようだ。
 一日中ぼんやり、ショスタコーヴィッチの交響曲第4番を聴く。スターリン時代のソ連で抑圧され、作曲後二十数年経ってからやっと初演された曲らしい。不思議な交響曲だ。

 こそこそ話し。うわさ話。流言。
 スパイや諜報は、なにも「政治」や軍事の中枢だけの話しではない。われわれの日常だ。

 こんな話はどうか。実話だが。

 十数年前T市の市会議員選挙のこと。共産党公認のある女性候補が立候補した。ところがこの人、国民健康保険税などが隣りのN市の方が安いので、住民票をN市に移したままだった。T市には住民票がないから選挙人名簿にも載っていないはずだった。立候補の資格は無かったにもかかわらず、出馬して当選。文書はあとで党員の市職員がこっそり書きかえたか? そのまま任期をまっとうした。それをN市のこれまた党員の女性議員が知ってしまった。誰にも打ち明けられず悶々と悩んで、ついにノイローゼになり、原因不明の病気になった。

 ついでに病気になったN市の女性議員の父親が党員で、記者会見を行って、事実を公にしようとした。もちろん党内部で激しい圧力。女性議員の兄が党員医師で主治医。組織は兄にも圧力をかけ、ついに父親の老党員は敢えなく腰砕け、記者会見をとりやめて沈黙してしまった。
 
 T市の党女性議員はいまでもそ知らぬ顔で、現職。

 その話しは地域の党組織の間(党委員長の志位和夫も知っているはず)でかなり知られており、当地の新聞社や記者クラブは知らないはずがない。

 *****

 厳然たる貨幣経済の高度資本主義の世の中。われわれは一日たりとも経済活動を抜きに生きることは出来ない。たとえばある会社とある会社が激しく競争しているとき、その会社は相手の会社の内部事情を知りたいと思う。反対に自社の内部事情は厳しく隠そうとする。良くあることだ。諜報なんて人間の生活には日常だ。

 あなたの言葉はスパイ戦。プライバシーとはちょっと違った概念かもしれない。
 ほんとうに自らの自我をはぐくんだ者、自己の内部世界を形成し得た者の言葉は暗号化する。ルネ・シャールやパウル・ツェランやカフカのアフォリズムの難解さは真の必然。
 いつまでも「小学生の作文」しか書けないわたしは詩人ではない。
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それぞれが個別に独自に継走する孤絶者たち

2014年07月07日 09時28分26秒 | PoemStation 過去ログ

ちゅうたしげるのPoemStation
2005年11月16日(水)

山口泉「新しい中世の始まりにあたって」
ー冷静な絶望のための私信ー
を読み返す
雑誌「世界」1992年4月号~12月号


 1992年の春だったから、13年前のことか。わたしは病気からなんとか立ち直り、半日アルバイトをしながら、気ままに暮らしていた。病気前ほどではないが、活動性も取り戻していた。

 夜、ベッドで寝る前にふと雑誌『世界』を取り出して読もうとした。そこにはソ連・東欧の社会主義の崩壊をきっかけにしたあれこれの「革命」運動圏の陥弊が見事に描かれている部分があった。
 わたしはまだ共産党員だったが、その眼にした部分に日ごろ感じていたわたしの思いを痛烈に意識化させるものを感じて凝目した。それが山口泉との出会いだった。

 文体がやさしくはないのでわたしはその論稿の意味するところをほとんどとらえきれなかった。しかし、そこにはほんものの思想と呼べるものがたしかにある、とわたしは直観した。その後、何度も何度も読み返した。

 そしてきょうひまに任せて、十数回目の読み直しをした。十年たってやっと、このごろその論稿の意味を少しずつ捉えることが出来るようになった。日本広しと言えど、そうとう分量のこのドキュメントをまだ読み直したりするのはおそらくわたしぐらいしかいないだろう。

 戦後近代文学の雄・埴谷雄高も当時この論稿を読んでいて、そののち埴谷雄高と山口泉は論稿について対談する。
 おそらく、さすがの埴谷雄高もこの論稿の意味を十全には理解しえていなかったのではないか。特に、生殖、血縁、家族、と君主制の問題などは、日本の言論界では手にしようにも届かない、本質的な問題でありながら、誰も触れ得ないでいる。真に問題にし得る資格のある者はほとんどいないのかもしれない。

 山口泉の問題にしている射程は深く、遠い。埴谷雄高は、簡単に何千年とか何万年とか、宇宙の果てだとか口にするが、ほんとうに人間にとって意味のある距離と時間を問題にしているのは、山口泉、ひとりだろう。

 真の思想のバトンリレーは、避けがたく「少数から少数者へ」らしい。




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殺意のみがわたしを支える Only normal in a murderous intent

2014年02月28日 19時21分11秒 | PoemStation 過去ログ

ちゅうたしげるのPowmStation 日記帳2007/04/04 http://www1.harenet.ne.jp/~chuta/newpage24428.html

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2007年4月4日(水)

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Only normal in a murderous intent
(殺意に於いてのみ正常)


 三日ほど精神薬の減薬にともなう離脱症(禁断症状に似た)症状。

 手足がびりびりして振るえる感じ。脳神経が異常に敏感。

 頓服に薬を飲んで二日分の薬を飲んだ。

 季候の変動も影響する。暖冬から冷え込み、異常気象に変わりはない。焼酎の水割りをひさびさに口にした。よく眠った。

 先週の日曜日、末っ子の次男が引越しした。子どもがみんな巣立った。なんにもしてやれなかったという思いが強い。

 今朝は良く眠ったからだろうか、さわやかな目覚め。精神状態を安定させるために疲れに抵抗して眠っている間に脳が活発に活動しているようだ。

 闘争心があればまだだいじょうぶか。と今朝は思った。20代のわたしは激しい闘争心に燃えていた。人間はそれぞれの個人が生命欲求を持っているから、それは権力闘争や武力闘争にまで至る。

 戦争を内乱へ!

 自国の政府こそ打ち倒せ!

 そもそも支配権力は政治的に結託している。冷戦下の資本主義権力と社会主義権力が実は裏で互いに結託していた。ということだったのかもしれない。政治権力は自国民を支配するため他国の支配者と対立しつつも互いに補い合っている。表でやっている現象はただの芝居をやってるのかもしれない。

 若いころは夫婦喧嘩の「殺し合い」をよくやったものだ。互いに権力争いをしているのだ。妻には勝てなかった。(いまや完全に妻の支配下にある)

 Only normal in a murderous intent

 
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