精霊の宿り

BlogTop↑↑ 災害のお見舞いを申し上げます…

川柳 Tweet 転載……)

2014年12月25日 14時10分06秒 | 夢想 a dream

 伊達家酔狂【安倍粉砕!闘争勝利!】 ‏@kuso_kurae 45 分45 分前
 
 ガス抜きの 票を集めし 自画自賛 代々木につける 薬はねえか

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Merry Christmas and happy new year 2015

2014年12月23日 13時23分53秒 |  YouTube電脳呪い返し
Merry Christmas and happy new year 2015
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アルマゲドン 別れ

2014年12月22日 22時33分01秒 |  YouTube時間論
アルマゲドン 別れ
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When my loneliness invites you

2014年12月20日 20時36分18秒 |  YouTube Music
When my loneliness invites you
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川柳 警報……)

2014年12月16日 20時29分14秒 | 夢想 a dream

 12月は日王の放つ邪気が吹き荒れています ご用心 

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川柳 辞世の句……)

2014年12月16日 13時46分44秒 | 夢想 a dream


 何処の世も 馬鹿あっての商売 馬鹿あっての人類 (しげる)


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西欧共同体論は日本の現実に通用しない―けれども。荒岱介への手紙。

2014年12月15日 21時40分09秒 | ノート note

 「理論戦線 41号」戦旗社、1994/3/01、所載

 荒岱介様

 拝啓
 はじめてお手紙差し上げます。荒さんの「マルクス・ラジカリズムの復興」を読みました。まえがきに「本書に対する疑問やご批判」は、「著者あてご通告下さればおよぶ限り回答する所存」とあるのに励まされて、不遜ながらも若干の質問をしたためる気になりました。私は研究を職業としているものではなく、ただ比較的自由な時間をマルクス主義の勉強に充てている一読者に過ぎません。私の卑小な思考に対してなにがしかの指針をお与え下されば幸いです。(お忙しければご無視下さってけっこうです)
 まず肯定的な読後感を述べておきますと、マルクスがアトミズムを否定し「共同性=協働性を機軸とする共同体的存在としての人間存在を見出すに至り、それと対蹠的なブルジョア的な社会関係と人間存在を否定することにおいて、マルクスの画期的な思想が定立された」という結論に全面的に賛同し深い共感を覚えます。恐らくマルクス主義の再生、あらたな発展があるとすればこの観点の徹底化の方向以外ないと私は思っています。晩年のマルクスに至ってもこの観点は一貫しており特にマルクスの主著「資本論」でもそれはいっそう凝縮した形で生きて働いている一本の赤い糸だと思います。
 ところで唐突ながら包み隠さず言えば、私は実践的には日本共産党、新左翼から言えば「代々木派」「旧左翼」に属する人間であり、一般に対しては自己をそのように表現してきたし、その影響のもとで自己の体験を積んできたものです。(荒さんから言えば相手にすべき程の者でなく、唾棄すべき存在かもしれません)そこでまず最初にどうしてもお聞きしておきたいのは、日本共産党がスターリニズムに属するとすればどのような原理的批判があるかということです。私はいわゆる新左翼に属する人と実際に遭遇したことも、ましてや真剣に対話した経験ももちませんのでかねがねもし相手して下さる人がおられれば是非討論してみたいと思っていました。(このような対話があり得るのであればの話ですが)荒さんがブントの指導者のおひとりであることを存じたうえでのことですがもし気が向けば要点を具体的にご回答下さればたいへんありがたい。
 話しを理論的な方に戻しますと、いわゆる「代々木派」に近い研究者の間でもここ十年来マルクスの「共同性」の概念に注目し重視する傾向があります。(もっとも最近では古典的な「労働」の概念を中心にこうした「共同性」の概念を排するまき返しもありますが。)代表例をあげますと尾関周二氏は次のように述べて言語の単純な労働起源説に対し「共同性」の概念を提示しておられます。「人間の意識性と社会性は本源的には無縁のものではなく、もっとも意識的であることはもっとも社会的、共同的であることに内的に関連しているという洞察、(マルクスのーちゅうた)この洞察こそ近代の啓蒙思想の人間観を乗り越える重要なポイントの一つであったように思われる」(「言語と人間」大月書店、P47、1983年)「(エンゲルスについてーちゅうた)こういった集団生活における共同性、社会性の質的飛躍、人間関係の濃密化、これこそが、言語の発生の重要なインパクトになったとしている」(同上P51)などなど、要するに尾関氏は言語的コミュニケーションの起源をアトミズムを越える地点からマルクスの「共同性」の思想によりながら理解しようとされています。尾関氏の論については「労働」と「共同性」の二元論的起源論なので私としては不満なのですが、荒さんもこうしたマルクス主義研究者の動向に通じておられますでしょうが、このような「共同性論」についてどう思われているのか私はお聞きしたいのです。(ちなみに私は高知大学出身ですが高知大学の私が直接講義を受けた教育哲学の池谷寿夫氏は人格発達論において労働に対する「交通」概念を特に強調されています。これもこうした「共同性」を重視する方向かと思われます)
 ここで若干私の卑見を述べさせてもらえば、鷲田小ヤ太氏によればマルクスは「人間の本質は労働である」と語ったと原典も示さず述べられて、そのうえアンチテーゼとして「人間の本質は非労働である」というような説を述べられています。(「いま社会主義を考える」三一書房、1991年)鷲田氏の論はわたしはマルクス主義者の論ではなく単に原理を捨てた現実追随主義者の論にしか思えませんが、私流に言わせてもらえば「人間の本質はその高い共同性にある」というのが正しいと考えています。ミル評注でマルクスは Indem das menshchliche Wesen das wahre Gemeinwesen der Menschen と書いて人間の本質と共同性を同一に置いています。私はマルクスの哲学を「実践的唯物論」ととらえる立場を支持します。したがって「実践」や「労働」のもつ意義を否定するものではありませんが、これまでのマルクス主義の教科書類では労働が社会的共同的関係を離れて単に個人的な(主客一元的)労働一般に解消された考察が多かったと思います。個が深く共同的であることを忘れていたといわなければなりません。荒さんの著書によると「Sとしての主体がOとしての物質的対象を認識しようとする時、実はOは人類史の経過のなかで社会的Oであり、同時にSの意識も社会的に形成されたSなので」あるということを忘れた議論が多い、ということでしょう。「実践」や「労働」の構造を深く追究すればアトミズムを越えた地平で深く共同的な個に出会わざるをえません。
 ここでもう一つお聞きしたい。荒さんの本書と前後して私が最近出会ったたいへん刺激的な書、真木悠介氏(見田宗介)の「自我の起源」岩波書店、について荒さんはどのような感想を持たれるかです。真木氏は最近はやりの動物生態学の「利己的遺伝子」論を検討しながら個がむしろ利己ではなく利他的存在でもあるという方向で論をまとめておられます。真木氏は人間における利他の意味を深く追究したかったに違いありません。そして真木氏は個が深く他者との関係にあること、個そのものが集住系であり、深く共同的であることをつかんでおられます。真木氏の比較社会学は壮大な構想のもとに展開されようとしていますが、私はさらに物質の世界でたとえば素粒子のような量子的世界で物質の自立性とその関係性なども視野に入れたものとしてわれわれの共同性論は展開されなければならないのではないかと思っています。
 真木悠介氏は「自我の起源」のあと書きで「虚構の経済は崩壊したといわれるけれども、虚構の言説はいまだ崩壊していない」として恐らくマルクス主義とは一歩距離を置かれておられるようです。私は荒さんの指摘されるマルクスのアトミズムからの解放という見地は正しいしそれは資本論のなかに凝縮されていると思います。がしかしマルクスの「資本論」そのものが資本主義後の共産主義の時代を強く想定したもとでの論理によって組み立てられているというのが私の理解です。はたして未来社会をにおいて確固としたこのような想定と確信が許されるものでしょうか。いま、この想定と確信自体が疑われる十分な根拠を持つという主張を簡単に否定できなくなったのではないでしょうか。それとも単純な答えがわれわれに許されるだけなのでしょうか。「先のことは誰にもわからない」
 実践的には私は日本共産党員だと私は打ち明けました。しかし感性的には苦悩と矛盾のなかに生き、またその中で育ってきました。今後新たな実践上の解放された地点への到達のためにも、是非荒さんの言葉を待ちたいと思います。貴重なお時間を煩わせたことをおわびします。

 お元気で

                  敬具

核時代48年(1993年)12月2日          ちゅうたしげる


         (初出原文を推敲訂正しました 2014/12/15)


 
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