精霊の宿り

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2021-11-06

2021年11月06日 16時13分49秒 | 自動記述日記
2021/11/06 15:15

 11月に入った。
 ”群れ”を信頼して立つ。ということをこの頃考えている。今年の初め正月に猛志の一家や健人の一家が帰省してにぎやかに正月を迎えたが、年始めに浮かんだ言葉が「毒をもって毒を制す」という言葉だった。紙切れに清書していつも座っている炬燵の正面の本棚の端に貼り付けた。今年の座右の銘は「毒をもって毒を制す」だった。辞書を引いたりネットで調べたりして言葉の意味をそれとなく探った。
 「毒をもって毒を制す」とはその言葉通りに受け取ればいいが、悪事(悪人)にたいして相応の悪事(悪人)をあてて制御すると言う意味がある。人には何人か周りに味方する者がいるが何人かの割でどうしても敵となる者がいる。自分の敵に対してみずから行動を起こして制するよりも敵にもいるだろうはずの「敵の敵」を当てれば制御しやすい。「敵の敵」の自然な存在を利用するのだ。悪事にたいしてその悪事に対する悪も存在する。「毒をもって毒を制す」とは集団として存在する人間の有り様を示す言葉なのだ。
 人間は集団を形成して生存している。旧ソ連型の「集団主義」倫理かアメリカ型の個人主義的「集団主義」倫理かを問わなくていい。人間は常に群れを形成している。
 獲物を追う狩りにおいてひとりで獲物に対するよりも、獲物を狙う他者が必然に生じることを利用すれば良い。自然に集団作業が始まるのだ。群れとはそういうものだ。味方もいれば敵もいる。敵もいれば味方もいる。一人きりで生きる人間は、人間の歴史を形成し得ない。生殖と新しい世代の形成は群れにおいてなされる。家族と言う形態の群れは人間の存在に深く影響する。
 敵に対すとき、直接おのれが手を下さなくても必然に現れる「敵の敵」をあてて制御すればいい。群れの中で群れの自然を深く信頼していればいいのだ。自ずと事態は推移していく。おのれの思惑とは断絶した論理で群れ自体が成立し推移し進展していくだろう。群れの中に深く身を沈めていればいいのだ。おのれの主観を超えたところで事態はきっとうまく展開していく。大地を信じて立つように”群れ”の中にいる自分を信じていればいい。…


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