精霊の宿り

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メールマガジン”詩人の部屋”

2013年11月21日 16時02分25秒 | 詩人の部屋
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ここで生き、死ぬために

 2013/11/13 水曜日

 「青空がぼくを見捨てたので、ぼくは火をおこした」P.Eluard の「ここで生きるために」の初行だ。

 ここはわたしの生まれ育った場所。1958年8月わたしは母屋の納戸で産まれた。ずっとここに生き、学生時代は明るい南国高知で5年過ごした。故郷に舞い戻って30年この場所を離れない。この家は結婚して妻が建てた家だ。その一室を占領して一日中詩人の部屋に住まう。

 青空は好きだが見捨てられたと思ったことはない。それでも思春期から中学校高校時代は生きることではなく死ぬことばかり想っていた。暗い心を抱えてじっと耐えていた。青空はいつでもわたしを見下ろしていたが晴れたり曇ったりした。雲は流れる。

 少年の頃、青空を見上げて雲の流れを目で追っていた。青空はまぶしく輝いて白い雲がつぎつぎと流れた。大きな渋柿の木がいつもそばに立っていた。柿は干し柿にしたり焼酎漬けにして寒い冬に食した。

 紅葉の季節。一日何をするでもなく部屋の窓から望む景色は幼い頃と変わらない。高速道路が通ったり河川が改修されたり、視界に新たな家が建ったり、観光用の大水車がある公園が造設されたりしたが山の形は変わらない。耕地整理した田はそのままだ。この狭い空間に生きていた。

 ここで生きることよりも死ぬことばかり考えた。生きることは荷が重すぎると幼い頃想った。最大の援助者だった曾祖母はわたしが6歳の時他界した。

 秋は憂鬱なのだ。冬をまえにすると暗い気持ちになる。

 「ぼくは死んだ人間のように、ひとつの元素しか持たなかった」P.Eluard 「ここで生きるために」の終行。

 人間はタンパク質でできた生きものだから「ひとつの元素」だけではないがおおかた炭素でできている。焼けば炭と灰だ。わたしの人生は暗い色にも明るい色にも染まった。ひとつの元素ではなくいろいろな色彩をもった複数の元素に彩られた。だが基調のほんとうのところは黒い炭素だろう。

 人は青空に見捨てられても生きようと想うものなのだろう。暗い死を想ってもわたしは偶然に身をまかせて生きた。

 華やかな色に彩られ喝采を浴びて舞台に立つ者は孤独な死をむかえる。喝采も何もまったく世の中から見捨てられた人も生理的に生きているだけで生きるための闘いにのぞむ。いつでも生きる闘志は必要なのだ。産まれたばかりの乳児も死の間際の老人も生きていたいのだ。

 生きるための火を燃やし続けたいのだ。

 夭折したランボオやロートレアモンの孤独と絶望を通過してなお若いEluard は死ではなく生きるための意志をあえて選んだのだ。

 

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