進藤龍也牧師の真面目な方のブログ

元ヤクザの牧師の真面目なブログ
進藤語録、進藤節・・・メッセージや独り言をつづります。

人はかならず、やり直せるのその後

2011年09月23日 | 信仰メモ
「人はかならず、やり直せるのその後」

中学3年生のときに、技術の先生に大変悪いことをした。その事については配慮という問題で悩みに悩んだ。

ただ単に謝れば済むという問題ではない。26年も前のことである。その人が思い出したくないことを思い出させてもいいのだろうか?私が3年生のときに転任してきた先生で週一回しか学ばない技術担当の先生。私のことすら記憶にないだろう。だって、授業に参加せず友人たちと後ろでラジカセを聞きながらお菓子をむしゃむしゃ食べて話した記憶もない。

忙しいことは理由にならないけど、そのような葛藤とも戦っていた。神が罪をお示しになられたのだから清算しなければならないが条件がある。それは、相手を傷つけない場合によってである。しかし、証でもある著書が「躓き」にもなっている一面もあったようだ。

そんな中で祈りつつ、御心を求めた。「深く愛しなさい」との神様からの語りかけを感じて、「ゴーサイン」と受け止め、迷惑をかけた先生の居場所を探した。そして、フリーな時間に電話しようと決めた。

実のオヤジを平成15年に亡くした私は、その先生をオヤジのように愛して行こうと決めて「親孝行作戦」を企てた。
まず、謝罪と感謝を伝え、食事か居酒屋に誘い親睦の中で直接謝罪する。著書に書いたことについては口にしない。本人が忘れていればよいが、そうでなくても気持ちは伝わるはずだ。古傷にダメージを与えることもあるまい。居酒屋で楽しく語らうことを、そんなことをイメージして、電話をした。

「大変迷惑をかけた教え子で、野村と申します。現在は親の離婚などで進藤になりました。刑務所にまでいくようになりましたが、悔い改めて牧師をしているものです。先生に一言、お詫びと感謝を申し上げたく電話しました。」

すると受話器も向こう側の奥さんは、平成15年3月某日に急死したことを告げました。苦しまずに逝けた事が幸いであったといっていました。とにかく、私の電話を喜んでくださってよかったです。手を合わせに行きたいのですがといいますと、そこまでしてくださらなくてもこの電話で十分ですよとのことでした奥様の健康と救いを祈りつつ受話器を置いた。こんど、なにか贈ろう。

実のオヤジは平成15年7月11日が命日(ちなみに、妻の母も平成20年7月11日が命日)
この先生も 平成15年某日が命日でした。