進藤龍也牧師の真面目な方のブログ

元ヤクザの牧師の真面目なブログ
進藤語録、進藤節・・・メッセージや独り言をつづります。

明るい社会づくり運動と協働:志津川支援活動12th

2011年09月09日 | 南三陸町支援活動
中澤竜生牧師一行と私ども夫婦は、志津川高校避難時にいた人たちの仮設に見舞ってきました。一人は志津川中学仮設で自治会を立ち上げた鈴木さん夫妻を訪ね、志津川中学仮設も色々なところから入ってきた人たちでまとまりがないので、コミニティーをつくって志津川高校避難所のようなまとまりと愛のあるコミニティーをしたいというので、コミニティーつくりの為にこんど、イモ煮会をしようと盛り上がりました。

鈴木さんは、大変暮らしやすかった避難所で、そして若いスタッフが縁の下の力持ちになって避難所を支えてくれた姿に勇気付けられて、自治会設立に動いたというのです。そして、遠いところをあきらめずに来てくれる牧師たちからも勇気をもらったと。

この鈴木さんは最後まで避難所にいた人かと思ったら、寂しくて毎日志津川高校に通って炊事などのお手伝いをしていたというのです。このような人と友人になれて本当に良かったです。

これからは仮設に入ってからの問題です。自立に向けて。仕事を選んでいる節もあるが、漁師しかした事のない人もいるわけで、一概にも怠けているわけでもないので難しいと自治会庶務は申しておりました。また、もらうことになれて、当たり前になってきているので、自立に向けて考えを切り替えていかなければとも申しておりました。


また、避難所の代表をしていた佐々木さんを訪ね、明るい社会づくり運動埼玉(進藤も協力)が10月に南三陸町に行くので、志津川高校避難所出身で仮設暮らしの人を旅館に招いて研鑽会と懇親会をする段取りを決めてきました。彼は最後の最後まで避難所に残り数日前まで高校に引き渡し作業に従事しておりました。仮設の中でも一番不便なところで、買い物に行くのも車がないので大変です。この地域に珍しく、運転免許がない人です。仮設自体の作りもプレハブそのもので、サッシの勝手口もなく、当然縁側もなく、呼び鈴もない仮設で志津川中学と比べて差があるなぁ・・・と、思いました。



石巻では、刑務所から出所して、故郷の石巻市も戻り、3日目に津波に700M流され、奇跡的に助かり図書館の避難所暮らしをしていた人から連絡があり、見舞ってきました。この津波経験で、刑務所で持ったキリスト信仰のゆえに、助かったと信仰を固くさせられたと証されていました。流れてきた屋根に乗り、一日漂流してたすかりました。彼は私の本を読んでくれていて今回、会うことが主によって許されました。

そして渡波町の名物おじさんボランティアの金一郎さん!案内などお世話になりました。



志津川保育所と、石巻のひばり幼稚園では明社レンジャーのお手伝いをさせていただき司会などをしました。あとはノーコメントです。そしてポラロイド撮影とTシャツを配布させていただきました。大人気明社レンジャーでした。

明るい社会づくり運動とは、ソニーの創業者井深大さん(クリスチャン)も2代目会長となっていた団体です。仮設の人たちはこれから自立本番です。ずっと、寄り添い、見届けていくことが私の役目です。物資的サポートは自立の為に控えて欲しいと、、、これからは支援団体に相談していきたいと志津川中学では言っていました。今回私どもは査証ではありますが義捐金を納めてきました。明るい社会と一緒に行けたので経費が削減できたからです。

自立というのは、喜んでくれる存在がいるか、いないかで、違ってくるものです。一緒に自立を喜べるものとして、通っていきたいと私は思います。


PS
ドイツの、とあるTVが同行してたのですが、そのインタビューの中で、義捐金が世帯別で、田舎の大家族には、到底少なすぎるという印象でした。親子、世帯を分けている場合、同じ住所でも2世帯分義捐金が支給されるようです。インタビューで、鈴木夫妻が「進藤先生とは、支援する側、される側の違いがあっても、共に復興という目標に向かってきた仲間として戦友みたいなものです。」と、言ってくれていたので不覚にも涙が出てしまいました。